きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

sakeの歩窓から(銀座はデモクラシー)

2016-04-29 | 車の練習
今日の東京はとてもいい天気でした。
まだ暑いわけではないのですが、「夏だな」とタイトルをつけたいぐらいの日差し具合でした。

私はここのところ天気にはかなり敏感になっている。
休日にこんなに天気のよい東京はかなり珍しい。まさに写真日和。。。


今日は銀座。
右往左往しながらちなみにこちらの企画展にきたのである。(^_^;)(その節はお世話になりました)

しかし銀座は一言で言うと、ズバリ外人が多すぎる。
歩いていて外国語(主に中国系みたいな)しか聞こえてこない。私の感想では道行く人の7割は外人なのでは?!と思うぐらいの濃度である。ヨーロッパ系の大きな人、同じアジアでももっと南っぽい人・・・ちょっと気持を変えると、外国に来たつもりになりきれそうである。
みんなスマホで写真を撮っているので、あちこちパシャパシャ撮っても違和感がないのも異国チック。

そんな銀座の写真を撮って帰ることにしたが、久しぶりのコンタクトの老眼マナコだったので、カメラのビューが見えない。それはもう分かっていたので、そこらの店でコンタクトをはずしてメガネに着替えることにしたのだが。。。。
想定外だったのは、銀座ってコンビニにトイレがないのだ。いや、コンビニだけではない。ZARAとかああいう服屋にもトイレがないのである。(観光客多すぎだから?)

ユニクロビル(1F~10Fぐらいまで全部ユニクロのビル)の入口でビラを配ってる店員さんに「トイレありますか?」と尋ねると、9Fにありますというので、行ってみると、明らかに観光客っぽいアジアン女性がずっと列をなして並んでいた。(トイレで用を足すわけじゃないのだから一緒に並んでてもなぁ~)と思い、大胆にもトイレの列をはずれ、化粧室の鏡にタッタッタッタと直行し、アジアン女性達の見守る中、誰一人使ってない洗面台にリュックをボンと置き何故か上着も置き(何となく後ろからキョーレツな視線を浴びつつ)、よく手を丁寧に洗い、アッカンベーをしてコンタクトをはずすことに成功した。。。

そして銀座の町を写真に撮ることにした。
そのタイトルは「大正デモクラシー」である。(今、自分の中で近代史がブームなので)

三越前。(だったかな)


カフェを撮ったつもりが、車が入ってしまった。


また自転車撮り。


トイパーク(博品館)前。(いろんなオモチャを売っているお店。昔kekeと何回か来た事がある。)


デモクラシー風の外灯のつもりで。


「とらや」が右からで「デモクラシー」ではないかと撮ってみた。


SBの看板が「デモクラシー」。

セピアの写真はなかなか絵になりますなぁ(^_^;)これいいかも。。。

「あの戦争と日本人」半藤一利さん(2)

2016-04-28 | 読んだ本
あれから半藤一利さんの「あの戦争と日本人」を読み進めて、だいぶ終わりに近づいてきた。難しい言葉やら聞いたことがない人や、細かい数字は飛ばして飛ばしての飛ばし読みなので、全体の内容の1/3程度しか入ってきてないと思う。それでも読まないよりは良いと思う。

あの後から出てきた言葉は「八紘一宇」と言う言葉である。
これは戦前戦中は学校で教えられた思想の言葉のようである。
意味は「世界でケンカをしないで一つ屋根の下のように平和に暮らすのが理想」と言う意味らしい。最初は宗教家が提言した言葉なのだが、それが第二次世界大戦中に大きくなり、「日本は神の国だから、この戦いに勝って世界に一つ屋根のをもたらすぞ」という考え方の象徴の言葉となったそうである。

でもよく考えれば、イギリス、アメリカ、ロシアと言う国がありながら日本が世界のリーダーシップを取るなんて考えられないのだが、マスコミもそういう音頭をとった。(またそういう景気のいい記事を書いた方が売れ行きもよかった)
第二次世界大戦では、もう空中戦や潜水艦が主流となっているのに、日本は軍艦作りに金も頭脳もかけていた。(有名な軍艦「大和」など)これは日露戦争で海軍で勝った影響だろうという。原爆も研究が始まるが、ドイツを恐れて必死で作るアメリカと違い、その命は教授の机の引き出しにしばらく眠っていたそうである。そしてついに爆弾も数が足りなくなり精神論が頼みの綱、命を掛け犠牲になる特攻隊の話。。。(ここでもお偉いさんは遠くで命令するだけで、犠牲になるのは庶民の若者・・・現在の企業から搾取される若者と何だか似てますな、とチクリとイヤミも入る。)

パタン。。。


本を置いて考える。

そうなのだ、所詮日本はアジアの端っこの小さな国である。
人口は世界で何番目かよぉ知らんが、この小さな国が世界のリーダーシップを取るだなんて、あまりに無謀な話だったのではないか。
出る杭は打たれる。もっとおとなしく、イギリスやアメリカのご機嫌を取りながらエヘラエヘラしていればこんなことにはならなかったのでは。
今ある強い大きな国々が(アメリカ、中国、ロシア辺りかな)この「八紘一宇」の精神で世界を一つの屋根下で平和に暮らしましょうと思ってくれたらいいのに、結局みんな自分のことしか考えないからなーやれやれ。

この半藤さんの本をもっと読んでみようかなと思い、ネットで検索したら、あららら・・この方は左翼呼ばわりされていることが分かった。
確かに、現政権には反対論者だろうなとは思う。

でもこれが左翼の本を言われたら、いったい何を信じて近代史を勉強すれば良いのか悩みます。(-_-;)

いつもいつも思うのは、この国の近代史観と政治は右と左の角度があまりに開きすぎてて何を信じて良いのか読めば読むほど分からなくなる。
食品添加物もそうだが、読めば読むほどそれでは何を食べれば良いのか分からなくなるのと似てる。

でも負けたんだから、やはり「正しい」わけはないと思う。
あそこまで負けながら長引いたのは、言ってしまえば責任を取るべき立場の人が自分の所で終わりにしたくなかったからなのでは?!

そういう風にこの本を読んでいると、政治もそうなんだよね。
自分の負けを認めないでさらにズルズル行くのは一番始末が悪い。
失敗は起こりうるだろう。でももしも失敗したのなら、それを潔く認めてそれを終わりにした方がいいのでは。
(誰の何を言っているのではなく一般論である)

日本は報道の自由度が下がったというニュースもあるが、あれは誰が何を理由に決めているのだろうか。(それが事実ならやはりよろしくないのでは)

この数日の小さいできごと

2016-04-27 | 日記
とりたてて大きな話題もないので小さい話題の箇条書き。

・もうすぐ下の姪っ子の誕生日なので、何がいいのかなぁと妹に相談したら、姪っ子に訊いてくれたようで通販のリンク先が送られてきた。それをぽちっと押してコンビニで支払を済ませた。

・日がだんだん延びてきたようで、帰り時間に真っ暗でないのがうれしい。
 ついでに気温も穏やかになって暖房が要らないのがうれしい。

・心ゆくままウォーキングができるように靴を買った。
 外反母趾用のつま先が丸いものである。
 ついでに紫外線防止のため帽子を雑貨屋さんで買った。
 その時鏡で見て、後ろについた首の日よけ用のフリルもオシャレだなぁと思ったけれど、よく考えたら、道路で草むしりしている年配の方のかぶる帽子に形が似ていることに後で気づく。(気にしないけど)

・GWは大きな用事はナシ。
 2つ3つ友達を会う予定があるぐらい。
 もしかしたら家を片付けるような気力が出たらやるかもしれない。
 とにかく休む(ゴロゴロしたりなるべくゆったりまったりぜいたくに過ごしてやる!!)

・ブログに書きそびれたが、先週野菜の店に行ったら、72歳のおばあさんが先にイチゴ農家さんから買ったイチゴを一つ売ってくれた。おいしかった。

・もうじき梅酒を作る時期だなぁ~と思ったが、よく考えたら今ついている梅酒を他の瓶に移さないと作れないことに気づいた。

・社長が買った鏡が大きすぎてやたら気になる。
 (しかもまだ届いて間もないのにキズがついているのをTUKAさんが見つける)


昨夜は一口カツを揚げて(写真無し)マーボー豆腐を作った。

テンメンジャンがあればどうにかなるようである。


翌日はマーボー豆腐、ひじきとごぼうの煮物、卵焼きや甘酢きゅうりのお弁当。←作りおきして盛りだくさん。

「あの戦争と日本人」半藤一利さん

2016-04-26 | 読んだ本
「あの戦争と日本人」半藤一利さん

久しぶりに近代史をまた勉強しようと借りてみたが、あまりのぶ厚さと字の小ささで「これは読めない・・」と思う。しかし、どういうわけが手に取ってパラパラめくると、案外引き込まれてしまって(文章の読みやすさや、近代史に対する熱意?のようなものかも)読み始めてしまった。でもたぶん読み終わらないと思う。

まだ半分にも達して無いが、たぶんこの先読めるかどうか分からないので、メモ程度に感想を書くと、これを読むとまた近代史観が変わる気がする。

というのは、この方曰く、先の大負けした戦争は「日露戦争」から始まっているのだ、と言う。

日露戦争は名こそ「勝利」になっているが、ボッロボロの状態で、日本はもはや終戦せざるを得ない状況にあったそうである。(戦死の人数は日本の方が多いぐらい?)だからこそ賠償金も要求せず、アメリカの仲裁で南樺太と、朝鮮半島の権利ぐらいで引っ込んだそうなのだ。(それは政府筋の慎重な正しい判断だったと言う)

しかし、そこで桂さん(元総理)始め、偉い人たちが勲章をもらってしまって、「ボロボロで負けた」というのを認められない状況になり、日本は勝った勝ったの騒ぎになってしまったわけである。だから国民は「どうして賠償金がもらえないのか!」「また白人達にいいようにされているのか」という暴動が起きているぐらいなのだ。(またマスコミもこれを煽った)

その下地があっての国民の憤りと身の程知らずが暴走を招いたという。日露戦争をもっと冷静に分析し、自分達の実力を思い知るような正しい判断ができていなかったようである。
またこの時に「あのロシアに勝った」と言うので、中国やベトナムが日本を目指して助けてもらおうと色目をつかってくる(留学生も増えた)それをやがて日本は追い出しにかかる。自分達の目指すは列強であり、アジアの人間を見下したのだ。(そこで孫文にも嫌われたと書かれている。それがなければ中国との関係も変わっていたかも。)

日支事変の時期に、蒋介石と和平工作できるチャンスがあったのだが、日本の軍隊がたまたま勝ったりしたので図に乗って政府も和平条件を急に吊り上げる(賠償金を求める)たりして、チャラになってしまう。政府は慎重で軍部がイケイケだったように書かれるが、実際はそうではなく、このチャンスをつぶしたのは近衛内閣だったそうだ。先の日露戦争の不甲斐なさの国民の怒りもその根底にはあった。。。

やっぱり読んでみると面白いと共に、今の政治の雰囲気もこの当時のにおいがしなくもないような気もする。
「日本人はこんなに素晴らしい」というニュース記事を読むのはうれしいけれど、本当にこの時代の↑驕ったるぶりとどこか同じにおいを感じなくも無い。日本人も素晴らしいけれど、他の国の人達にもいいところがいっぱいあるはずである。自分達だけが素晴らしいのではないような気もする。


でも近代史はやっぱり面白い。読むのにエネルギーも時間も掛かるのが難点だ。
たぶんこの本は読みきれないだろう。仕事もしなきゃならないし、食事も作らなきゃならないし、家は片付いて無いからイライラしてしまう。それに近代史なんて、本当は自分の人生と何の関係も無い。

定年になったら(そんな日が来るのかね)、やりたいことがたくさんある。
でもたぶん、できないだろう。
その頃は本が読めなくなっているかもしれないし、気持もやる気がなくなってるかもしれない。佐野洋子さんが老年ぺ・ヨンジュンにはまっているくだりを読んでそう思った。弱音は吐きたくないが自分のブログなので吐かせてもらう。よその家なら夫婦2人でやっていることを1人でやっているのだから、どうしたって無理があるんだよ。
たぶん、定年になったら何も考えたくない、何もしたくないと思うかもしれない。

「しない生活」/小池龍之介さん

2016-04-25 | 読んだ本
昨日は片付けもできないまま、あまりやる気になれなくて早くに寝てしまった。

目が覚めると、kekeの小さな笑い声が聞こえる。
やがて台所にやってきたので、「今何時?」と訊くと3時だと言う。
「こんな時間に笑うんじゃない」と言うと、「そんなの無理でしょう」と言い、「隣が迷惑かもしれない」と言うと「どこの?」と言うので、「隣に住んでいる人だ」と言うと、「聞こえないでしょう」などと言う。

そして私は本を読んだ。

たまたま借りていたのは小池龍之介さん(お坊さん)の「しない生活」。副タイトルは「煩悩を鎮める108のお稽古」と書かれている。

この本はだいぶ前に予約をかけていたのが今借りれたようで、最近こういうことに関心が薄くなっているので(別に・・・)と思いながらパラパラ見ていたが、「案外お坊さんも、私達を同じようなことで悶々と悩んだりしているんだなァ」なんて思ったりして、うっかり全部読んでしまった。
主に「人間って言うのはこんな風に欲があり、その欲にしばられて自分や人間関係を窮屈にしているのです。その欲をとりはずしましょう」という内容が書かれている。

28番)「あなたが優しくしてくれないなら私も」の争いは不毛
本当にその通りだと思う。特に女性の場合、旦那にかまってもらえなかったりすると「それじゃ私も」と家事に手抜きしたり、ツンケンしだして、さらに夫婦仲を壊しがち(我が身の体験より)。
これを取っ払って自分がいくら損をしてでもこの関係をつなげていこうと思わないと、ほどよい関係って続かないものなんだろうなァ~と他人事のように思う。

34番)どんな犯罪も災害も裏切りもありえるもの
大昔のお坊さんの親鸞さんが弟子に「お前は何でもワシのいう事を訊けるか?」と尋ね「ききます」という弟子に「それでは人を殺して来い」と言う。弟子は「できません」と答えると、「それは自分の心が善だからではなく、たまたま劣悪な状況にないからだよ。」と言う話。かつて自分も元夫の裏切りにたいそう傷つき怒りを覚えたが、「そんなことはないだろう」とタカを括ってた自分は驕っていたのだと今は思う。(そこでことさらに正義感をふりかざす最近の風潮については言うまでもなく)

83番)人は生きている限り「満足しない」という苦を味わう
どんなに良い人といても、どんなに良い境遇になっても、(それは瞬間的なものであって)人は「今度はここをこう変えたい」と思ってしまうのものだという。生きている限りこの不条理なゲームをやらされているのだとか。これはなるほどたしかにと納得した。

86番)目の前にいても「愛しい相手」は絶えず失われている
上に続き、ブッタさんは「愛着のある相手は作らないように」と説いたと言う。離別死別はもとより、目の前にいても自分の不都合(怒ったり思うようにしてくれなかったり)により、嫌な相手に生まれ変わっていくからだそうである。だったら最初からそういう相手を作らない方がいいとブッタさんは言ったらしい。

101番)人に誉められたいと思う気持は自慢と同じでいやらしい
この一文を読んだ時、まさにこのブログのことを思い出した。日々のご飯作りに最近は自分の歌声まで披露して「自慢」しているのだから。そして誉められて(誉めさせて?)まさに喜んでいるのだから。
あまり信じてもらえないかもしれないが、私は実は「自慢」と言うのがキライだったのだ。それは下品なことだとずっと思ってきたしそう調子づいてる人を内心見下してきた。
でも自分が自慢をできるようになったから、人の自慢話(?)も楽しめるようになったのだと思う。少なくても昔の自慢しない自虐系の自分より、今の自分の方がほがらかになっているような気がするし、そういうのを何もかも止めてしまったら人間関係から止めなくてはならないので、これはこれでいいことにする。

またこちらの小池さんは10数年ぶりにカラオケをすることになり、その時に昔好きだった椎名林檎の「やっつけ仕事」を選んだら、歌えなくて歌詞も恥かしくてつい見苦しい言い訳をしてしまった、と書いてあった。お坊さんが椎名林檎と言う組合せがとても斬新だった。(椎名林檎の歌って煩悩のカタマリみたいに思うので)


餃子の余ったタネで中華スープを作って、ご飯にかけて食べる。
kekeは「適当になにか買って食べて」というと、カツを買ってきて、夜中はレトルトカレーを食べてご飯2合ほとんど食べた。

昨夜の話

2016-04-23 | 友人
昨日の晩ごはん。

たけのこと卵の鶏肉で煮物。(黒酢もちょっと入れてすっぱ煮にした。)

冷凍してあった餃子を焼いた。

それからkeke用にアジのたたき(半額のもの)も買って、豆腐の味噌汁もあった。

そしてkekeに「できたよ~」と言うと、しばらくしてやってきて(私は既に食べてます)、冷蔵庫の辺りをグルグルしている。

「どうしたの?」と言うと、「何となくパンが食べたい気分。」と言う。



別にB型家族なので驚きません。(^_^;)
私もそーゆー気持は分かります。
たしかに、今は○○が食べたい気分、と言う時はあります。

何も驚きもせず、「あ!そう言えばさっきパンも買ってあったんだっけ。」と言い、袋から食パンを取り出した。
250円が190円になっていた食パンである。パン屋さんの何とかブレンドというもので、kekeも「どこで買ったの?」などと言う。気にいったようである。


しかし、kekeは何の危機感もなく、何のためらいもなくこの生活を続けている。(←ぬくぬくと)
果たしてこれでいいのだろうかという自問自答が残る。

おそらく今月は数回しか玄関を開けていないと思う。
玄関が朝、私がでて行く時のままだからである。
そして、パジャマで無い姿を見るのが珍しいほど、パジャマで過している。

もう怒る気力もなくなった。
怒った所で何も解決しない。
それはイヤと言うほど思い知った。

でもこのままでいいのだろうかという疑問が時々頭を持ち上げる。こうしてぬくぬくした生活を提供しているから、いつまでもぬくぬくと暮らしているのではなかろうか。

そういうと、「家を追い出せ」と言う奴が必ずいる。そういう甘ったれは家から追い出せばどうにかするに違いないと思うのだろう。私もかつてはそう思っていた。kekeが20歳になる前はそう思っていた。

でもおそらく、kekeは違う。
どうにかしてでも生きようという言う気はサラサラない。
本人いつ死んでもいいが、アンタがイヤだと言うからしょうがなく生きているだけと言う。おそらく家を追い出したらどこかのサイトで自殺する方法を模索して、それを実行するだけだろう。

そしてkekeは何とかブレッドというおいしいパンを食べ、気をよくしてご飯をよそり、餃子も食べるのだった。

G子から電話がきた。
私がちょっとあることで悩んでいたので、それからどうしたのか心配してくれたのだった。でもそれは取り越し苦労だと分かったので、「友達は幸せでいた方がいい」等と言った。
「こんなのちっとも幸せとは言わないよ。」と私は言うが、「でもいいじゃない」等と言う。

そしてG子は「派遣だからあと2年で契約終了だし、イイ人はいないし私は不幸のホシの下」とため息をつくので、「G子の隣の席のKKさん(独身♂)はどうした」と言うとまたゲラゲラ笑い出した。「仲良くすればいいのに」と言うと、それでまたあんなコトがあった、こんなコトで笑ったと言うので、「KKさんは好きとキライだったらどっちなんだ」と言うと、「キライじゃない」等と言う。でも派遣と正社員はコンプライアンスがあって、付き合えないんだ等と言う。

T子ちゃんがしっかりしてて、家の不用品をどんどん売りに出しているのだと言う。「T子ちゃんが結婚してお母さんも一緒に暮らそうとしてるのでは?」と言うと、「近くには住むかもしれないけど、一緒には住まないと思う」とG子は言う。

どこか不幸な星の下なのだ、着々と同じ年の子達は独り立ちを始めている。それに乗っかればいいじゃないか。

G子は熊本のお友達と連絡が取れて、「お風呂6日ぶりに入ったんだって。」と言う。「やっぱりそうなんだ。」と私も言う。大変だね、と言う。

G子には特に訊かなかった。たぶん同じことを思っていると思う。
それも大変だけど、G子の言う2年後はまた契約切れになって新しい仕事を探さなきゃならないのも切実だ。ボヤくのも分かる。私もいつまで今の会社で働けるだろう。社長はいつまで社長でいてくれるのだろう。
それが止まった時どうなるのだろう。その時次の仕事はみつかるのだろうか。

G子は「毎日お風呂に入るだけで幸せだと思う」と言う。私も「そうだよね。」と言う。

G子は毎日会社でラジオ体操をする時に「手が動かせて幸せだと思う」と言う。私は「そうだよね、私は一時期(五十肩で)動かなかったから。」と言う。

G子は今仕事があるだけで幸せだと思っているだろう。私もそうさ。

これからいろんな不幸がまた襲ってくるだろう。
自然災害に巻き込まれるかもしれないし、子供が先に死んでしまうかもしれない。私の場合はどんなアクシデントが起こるか分からない。(まさにそういう星の下なのかも)
でも、その時その時それを受け入れて、道を模索するしか無いんだよね。

たぶんG子もそう言うつもりで生きているので、お風呂に入れることやラジオ体操ができることで幸せになれるのだと思う。(この年になるとみんなそうなのかしら。)

矢沢永吉さんのニューグランドホテル【COPY(カラオケ)】

2016-04-21 | カラオケ動画
さて、前回好評いただいた私のカラオケの動画をまた作ってみました。(^_^;)

今回は矢沢永吉さんの「ニューグランドホテル」です。
父が亡くなった後に、父の好きだった矢沢永吉さんの歌をCDに焼いて車で聴いていたのですが、その中でもこの曲が好きでした。(当時のブログより)

他にも何曲か歌ってみたのですが、音をはずしてしまったり、力んで変な声だったり、演奏と歌の大きさのバランスが悪かったりした中で、この曲が一番耳障りが良いような気がして選びました。

写真はこの前横浜で撮ったものです。(数枚はそれ以前のものもあり)
いつぞやブログ友達のみよさんと横浜を歩いた時に、こちらの歌のモデル「ホテルニューグランド」を場所を教えていただいたので、そちらの写真も撮って最初の方で入れてみました。

こちらのカラオケはオリジナル(CD)とはちょっと違ったアレンジになっています。
矢沢永吉さんのライブバーションでのカラオケです。このアレンジもまたオリジナルとちょっと違っていいなぁ~と思い、こちらで歌ってみました。

滑舌があまり良くないので聞き苦しいと思い、歌詞も入れてみました。
本当は、写真の切れ目を歌の切れ目と合わせたかったのですが、そこまでできませんでした。(1枚1枚時間を計ってやるのか?)

最後に拍手が入っていますが、それはカラオケにもともと入っていたものです。
いつもの通りのヒトカラです。

それでは、お時間のある方、ご興味のある方はどうぞ。。。
時間は4分10秒です。(^_^;)

矢沢永吉さんのニューグランドホテル【COPY】

仕事が片付きすぎる。

2016-04-20 | 今の会社
課長のPCが壊れてしまい修理に出しているので、私の隣の席にある古いPCを使っている。
課長がずっと隣にいるので仕事をしなくてはならず、仕事がはかどりすぎて困る。今日は3時からする事がなくなってしまい、トイレ掃除をした。
明日は会社に行っても、経理の仕事はほとんどない。あまりヒマすぎるのも困るので、忙しく無い時はダラダラ、やることが途切れないように調整しながら仕事しているのに、明日は何をしよう。後ろの棚の整理も本当はしなければならないのだが、どんどん整理して棚に「空き」を作ってしまうと、誰かに狙われてそこに書類を入れられてしまうので、わざと整理せずに、するとしてもあと数冊しかファイルが入るぐらいにしか常に空きを作らない私である。

本当は後ろの棚は、税務調査でも入らない限り日の目を見ないファイルも入っているのだが、そういうのを1度箱詰めにしてしまって更衣室に入れると、ほんとに税務調査が入った時に、またそれを全部ひっくり返さないとならない。たま~に「何年か前に誰それに払ったあれって何だっけ」とかそういう事を言い出す輩もいるので、できることなら箱詰めにするのは棚があふれてどうにもこうにもならなくなってからでもいいように思う。それにどうせするのは自分である。できるだけそんな労力は使いたくない。

しかし、明日はヒマだろう。
棚の整理は面倒なので、水槽の掃除でもしているフリでもしようかな。



週末に作った「ごぼうとひじきのきんぴら」。
レシピはこちらを参考にした。
これからはゴボウとひじきがあったら、毎回これを作ってしまうかもしれない。

それも入れて、ハンバーグ弁当


こちらはコロッケ弁当

コロッケは前日作ったもの。

最近、コーヒーのCMで流れる桑田ケイスケだかサザンだかの歌は今度借りようと思う。
それから宇多田ヒカルの新曲も。

靴さがし

2016-04-19 | 健康とか病院とか
昨日は5本指靴下と靴を見に行く。

その後でちゃんとサイズを測って靴を作ってくれるお店があるので、覗いてみると「無料で足のサイズを測ってくれる」と言われた。

靴の値段を訊いてみると運動靴なら1万円からというので、それぐらいだったらと思って測ってもらうと、左と右でサイズが0.5cmも違うことが分かった。

たしかに今の靴を買う時に、左と右でフィット感が違って、23.5と24.0cmで何度も何度も履き直して悩んだことを思い出した。お店の人は「革靴なのでやがて馴染みますから小さめの方でいいですよ。」とアドバイスしてくれて、そうしたのだ。

24cmだと左はガボガボになってしまうので、23.5cmにしたのは間違いではなかったのだが、その靴でストッキングで履いたり、靴下で履いたり、真冬は靴下2枚がさねで履いていたのだから、大きい右足がゆがんでくるのも当たり前だったのかもしれない。これからはこの靴はストッキングの時だけにしようと思う。

また今回測っていただいて、自分の足が細いことが判明した。
「C」と言うサイズは細いらしく、3EEEや4EEEEは不要で、最大でも2Eで十分です、など言われた・・・が、それでなくても外反母趾の傾向があるし、今までも太い靴ばかりだったので、たぶんこれからも3Eや4Eの靴を選んでしまうような気がする。

測ってもらう時にチラッとポスターがあり、足にぴったりの靴を作るのにいろんなパーツを底に敷くようなのだが、それが一式4,000円と書いてあるので、「これは靴代とは別ですか?」と尋ねると「別です」と言うので、スポーツ靴でも15,000円になってしまう。そこまで掛けてまで今の自分が靴を求めるかと言うとう~ん・・・という感じ。

「1万5,000円ですかぁ・・・」と言うと、お店の人も(これは金のない客だな)と思ってあきらめてくれたようだ。
それでも、その足のデータとお店のポイントカードをいただいた。いつかお金に不自由なく暮らせる身分になったら、こういうお店で靴を新調したいという気持なのだが、たぶんそういう日は来ないであろう。

その後で「靴下でがっつり歩ける靴」を求めて量販店に行ったが、やっぱり買う決心がつかなくて買わなかった。でも靴下でそこそこ歩ける靴をこれから買わなくては。。。

sakeの歩窓から(横浜ワールドポーターズ)

2016-04-18 | 車の練習
今日は横浜に行って来た。

朝は野菜の店に行ってから、大根の葉でふりかけや、ひじきとゴボウの煮物、甘酢きゅうりなどを作っておいて、kekeにはハンバーグを置いて、午後から出かけた。(ここまでやってからのお出かけは気分もいい)

そして手当たり次第写真を撮る。

山下公園。これから夜になるところ。

ここらでパチパチ写真を撮っていると、結構外国語が聞こえてくる。
たぶん、外人の観光客があちこちにいるのだろう。
かわるがわる撮っている人々を見ると「全員の写真1枚撮りましょうか?」と言いたいが、そういうの迷惑かもしれないと思いなおしてやめた。

マリンタワーの上まで上りたかったけれど700円もするのでやめた。月によって都民や神奈川県民やら、半額になる月があるようで、今度そう言う時にのぼってみるのもいいかもしれない。

これだけで帰るのがもったいなかったので、みなとみらいにも足を延ばす。
前の車についていったら、ワールドポーターズに入っていったので自分も入る。
行ってみて分かったが、ここは赤レンガも観覧車も近くてロケーションがなかなかいい。ここで念願のリュックを買い、2時間駐車場タダを手に入れ、写真を撮る。


見下ろす町の歩道で。

やはり観覧車をどうしても撮りたくなる。

またまた自転車撮り。


赤レンガ倉庫。

ここらはどこをどう撮っても絵になるような気がする。

この最中も足が気になって思いっきり歩けなかった。
早くウォーキング用のシューズを買わなくては。