魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

夢無き子

2024年05月15日 | 日記・エッセイ・コラム

円安物価高の中、薄利多売の低価格志向から脱却するため、企業は国内外の富裕層やプチ贅沢をターゲットに付加価値戦略を始めた。
日本企業は、もう、本当にダメだと思う。
戦後の日本企業が伸びたのは、客へのゴマすりではない。金持ちの財布からかすめ取ろうとするような、姑息で情けない詐欺根性ではない。一生懸命なのは解るが、詐欺や泥棒だって一生懸命に変わりない。

戦後の躍進はすべて、人生や社会への革命提案だった。
バイクも自動車も、トランジスターラジオもテレビも、洗濯機も冷蔵庫もクーラーも、それまで無かった生活や体験、新しい世界を提案する物だった。そして、それがウォークマンで終わると、『プロジェクトX』の思い出話を聞きながら、日本は老化していった。
若者は老人の手柄話の前で、「俺たちにはもうすることがない」とヒガむか、耳を塞ぐだけになった。今、その若者が企業のトップや中堅だ。

戦中・戦後派が生死の瀬戸際で渇望した新しい世界の夢は、高度成長の原動力になったが、バブルと崩壊の中で成長した日本人は、徹底的な喪失でもない、デフレの飼い殺しの中で、生死をかけた野生を知らない、家畜のようになってしまった。しかもその自覚がない。
何をするにも、柵や囲いの範囲でしか考えられない。柵が無くても出ようとしない。出ようとする者を押さえ込む。
偏差値による受験戦争で、テーマ内の問題解決の訓練しか知らず、与えられた範囲で、認可を詐称し、下請けを絞り、客の顔色ばかりを見る。
だから、商品開発も抜本的な提案ではなく、ちょっとした色づけで客のご機嫌を取ろうとし、外国の後追いや依存しか思いつかない。

もし、本気で日本企業がそして日本が、生き残ろうとするなら、柵内で命を長らえることではなく、客のほお面をひっぱたき、「これが欲しければ売ってやろうか!」と言える、野生的な、無からの新製品を出して見せることだ。
そして、それができるのは未来のビジョンからであり、未来は柵の外にある。凝り固まった日本の常識、美しくそびえ立つ柵の破壊の上でなければ描けない。


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