アルジェリア移民2世の政治家ザイール・ケダドゥーシュは以下のような発言によって若年層を誹謗し、現実から目をそらさせようと企てました。
「天は自ら助くるものを助く」「ただ一つの方法は、たぶん論調を変えることだ。金銭的な手段では、事態は変わらない。それより僕はメンタリティだと思う。時間はかかるが、いまの論調を変えなければいけない。若者を犠牲者として見るのはやめなければいけない。RMIを支給されて、家賃も払わず、30歳、40歳になってもママのところにいて、仕事を探すのに何の努力もせず、自分たちが悪いんじゃない、自分たちを愛さず、必要としないフランス社会が悪いんだ……~(中略)~そりゃあ、僕はスラム街から抜け出したが、その代わり四六時中働いた。一日十五時間もね!~(中略)~若者達に言わなきゃいけない。自分たちで責任を負いなさい! 自分から動きなさい! 社会参加しなさい! 政治に参加しなさい! 兵役に行きなさい!」
フランスはまだ記憶に新しいCPE法撤回でもわかるように抑圧に対する抵抗運動があり、それが時には勝利を収めるという点で希望の持てる国家ではありますが、そうは言っても抱えている問題は日本と同じようなものです。上述のケダドゥーシュはフランス社会によって「受け入れられた」アルジェリア移民、権力の側にとって都合のいい人間であることを自ら証明し、権力のスポークスマンとして活動している政治家です。まあ典型的な日本のメディアの言説と何ら変わるところはありませんが、日本だけではなく諸外国も同じような問題を抱えていることを示すために、そしてフランス人のように抵抗すべきだと主張するために、あえて日本メディアではなくフランスメディアの言説を例として取り上げます。以下は適宜、フランスと日本を置き換えながらお読みください。
・天は自ら助くるものを助く
日本人にもなじみ深い自己責任論、責任を当事者に押しつけることから始まります。
・金銭的な手段では、事態は変わらない。それより僕はメンタリティだと思う
現実を歪曲します。経済格差と貧困こそが元凶ですが、それを精神論に置き換えます。
・若者を犠牲者として見るのはやめなければいけない
若年層を取り巻く社会的状況は悪くなる一方です。現実を直視するのは止めなければならないと主張しています。
・RMIを支給されて、家賃も払わず
社会保障を受給するのはまともな賃金が得られないからで、まともな給料の仕事があればこの問題は消えます。家賃も、家賃を払えるだけの給料を与えればちゃんと払って貰えますよ!
・30歳、40歳になってもママのところにいて
そう言えば「ニート」という差別用語がはびこる以前の若年層への蔑称は「パラサイト・シングル」、その前は「マザコン」でしたね。ともあれ相手を罵るより先に、経済的に自立できるだけの給料を支払ってやったらいかがでしょう?
・仕事を探すのに何の努力もせず
日本でニートと蔑まれている人々の大半は求職活動中ですが(昨今では在職中でもニートと呼ばれますが)、フランスはどうでしょうね? エライ人の規定するところによれば仕事探しの努力がないということになるんでしょうが、探せば見つかるようにしてやればみんな就職しますよ!
・自分たちが悪いんじゃない、自分たちを愛さず、必要としないフランス社会が悪いんだ……
この箇所は若年層の側の主張ですが、一つだけ間違っているところがあります。それは、若年層は実は必要とされているということです。あくまで、低賃金労働者として。ケダドゥーシュに代表される国家権力、社会権力が若年層にこれだけ苛立っているのは、若年層が不当な低賃金労働を受け入れてくれないからです。自由なグローバル経済の元では、不当な低賃金労働なしに企業が生き残るのは不可能です。ですから不当な低賃金労働を受け入れてくれる植民地人が調達できなくなれば、それを代わりに受け入れてくれる社会的弱者は絶対に必要なのです。そうは言っても当たり前のことですが少なからぬ弱者は不当な低賃金労働を拒絶します。
・その代わり四六時中働いた。一日十五時間もね!
結局これがケダドゥーシュとそのスポンサー達の要求です。
・自分たちで責任を負いなさい! 自分から動きなさい! 社会参加しなさい! 政治に参加しなさい! 兵役に行きなさい!
自己責任論! そして虐げられている若年層が動いて社会参加、政治参加したのが暴動です。おそらくケダドゥーシュが若年層に対して認めている社会参加、政治参加とは上の意志に従順に奉仕すること、企業が生き延びるために不当な低賃金で働くことなのだったのでしょうが、実際には違う形での社会参加になりましたね。ともあれケダドゥーシュのような権力の側の人間にとって社会参加とはそれに賛成する場合に限られるのであって、反対する場合は社会参加に含まれない、と。それから兵役に行きなさい!は日本でもよく聞くようになりました。たしかに軍隊は矯正機関としては最適でしょう。
たぶん重要なのは今回の発言者であるケダドゥーシュが被差別階層であるアルジェリア移民出身であることで、彼のメッセージが伝えるところはすなわち被差別民でも成功できる!毎日15時間働けば!と。もっともケダドゥーシュが成功したのはあくまで広告塔として。飼い主にとって都合のいい従順なロバだからであったに過ぎません。ロバの中でもとりわけ従順であることを見込まれて、家畜の見本として祭り上げられているだけなのです。
さらなる問題は、一日15時間働けばそれだけ状況は悪化するということです。一日15時間働いたところで被差別民にまともな給料が与えられるわけではないだけに貧困からの脱出の役には立ちませんし、逆に企業側が不当な低賃金労働の恩恵を受けて儲けるだけです。それは企業側にとっては好都合ですが、労働者側には何の恩恵もありません。低賃金労働で会社に尽くすくらいなら罵倒されながらも勝算の薄いストを続けていた方がマシです。低賃金労働を受け入れている限り社会は変わりません。団結して会社にNOを突きつけてやらねば根本的な解決にはならないのです。
ちなみに「ケダドゥーシュ」で検索して最初に来るサイトにこのような一文があります。
http://www.u-gakugei.ac.jp/~oubei-se/imin-france.htm
ケダドゥーシュが言うように、フランスの人種差別はより巧妙になっただけで、消えてはいない。ブールの女性たちは厳しいしつけを受け、従順なため、それが同化を早くし、男性より評価されている。サン・パピエの状況は悲劇的で、闇で搾取されていることがわかる。ひとつ確かなのはフランスに残る移民がフランス社会に同化する方法をまじめに考える必要があるということだ。
そう、従順に搾取を受け入れた人、それがおかしいということに気づかず一日15時間働いたと自慢げに語るような人は受け入れられやすいです。ただ、それでいいのでしょうか? 従順に搾取を受け入れていれば受け入れられるでしょう。しかしそれでは闇で搾取される現状は決して変わりません。飼い慣らされたロバにとって、被差別民が1日15時間働き、上に尽くすのは当たり前のことに思えるのかも知れません。汚らわしい移民はフランス人の倍は働かなければならない! そこに平等の思想はありません。
移民であること、若年層であることは罪ではありません。虐待された子供がそう思うように、社会的に誹謗され続けてきた被差別民は、いつの間にか罪の意識を背負います。そうして不当な低賃金労働を強いられることに疑問を感じなくなってゆきます。たぶん、低賃金労働を受け入れる代わりに暴力行為に走っている若者はまだ正気を保っているのでしょう。国家や会社にとっては被差別民が不当な低賃金労働を受け入れてくれることが望ましい。そして低賃金労働を受け入れれば、移民や若者などの被差別民も会社に受け入れられることでしょう。低位のカーストに位置づけられ、それを受け入れることで上位カーストの承認をもらう、それがフランスで言われている同化というものです。
そして我々は同化主義者ではありません。我々は棺桶のサイズに合わせて人間を変えるのではなく、人間に合わせて棺桶を作り直します。我々が採るべき方法は低賃金労働と差別の受け入れによる差別をはらんだ社会への同化ではなく、社会の変革です。移民だから、若者だから、女性だから、被差別民だからといって差別的待遇を受けない、1日15時間働かなくても平等に成功の機会が与えられる社会、それが当たり前のことであると信じ、その当たり前の社会を目指すのです。