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映画『血のお茶と赤い鎖』(2006):人形偏愛症(ペディオフェリア)の物語!物語世界の人形と現実世界の女が異現実を越えつながる!

2020-01-07 23:55:56 | 日記
※原題『Blood Tea and Red String』(2006、アメリカ)監督Christiane Cegavske Cf. 原題の邦訳は映画の内容から「血のお茶と赤い糸」とすべきだ。

ストップモーション・アニメのおとぎ話。貴族ネズミと嘴(クチバシ)ネズミ(嘴のあるネズミのような奇妙な動物なので仮にこう名付ける)が人形の取り合いをする物語。2006年サンフランシスコ自主制作映画祭ベストアニメーション賞。
(1)
始まりが気持ち悪い。顔を真っ白に塗った人形のような女性がケーキを切ると中から甲虫が出てくる。《感想》カフカの『変身』を思い出させる。顔を真っ白に塗った「人形のような女性」は、以下の物語に登場する「女の人形」に似ている。
(2)
大きな樫の木に住む嘴(クチバシ)ネズミが女のぬいぐるみ人形を作る。人形制作を依頼した貴族ネズミ3匹が人形を取りに来るが、金貨を積まれても嘴ネズミたちは人形を渡さない。貴族ネズミはあきらめて帰る。川から白いむき玉子が流れて来る。嘴ネズミが玉子を人形の腹に入れ、赤い糸で腹を縫う。そして人形を樫の木に磔(ハリツケ)する。《感想》人形は手を釘打たれて磔され、キリストの磔像のようだ。
(3)
人間の顔のひまわりが嘴(クチバシ)ネズミの樫の木のそばに咲いている。夕方、嘴ネズミはひまわりの顔を拭いてやる。その夜、亀が引く馬車(「亀車」と言うべきか?)に乗って貴族ネズミ3人がやってきて、磔にされた人形を盗み運んでいく。《感想》植物に人間の顔がある。機関車トーマスの顔のようだ。馬車を亀が引くのは呑気だ。
(4)
翌朝、人形が盗まれたことに気付いた嘴(クチバシ)ネズミ3匹が、人形を取り返す旅に出る。途中、石の建物に出会う。嘴ネズミたちは中に入っていく。中庭がある。彼らが木の実を食べると、皆ぼーっとなり気を失う。すると植物が彼らを包み食べようとする。《感想》巨大な食虫植物だ。グロテスクだ。
(5)
そこに魔術師カエルが来て、嘴(クチバシ)ネズミ3匹を救う。魔術師カエルは葉をハサミで開き、嘴ネズミを助けた後、生の心臓を食虫植物に与える。《感想》魔術師カエルがなぜ生の心臓を3個も持っているのか、残酷でグロテスクだ。
(6)
やがて嘴(クチバシ)ネズミたちが正気に返る。ところがそこは野原の真ん中で建物も何もない。彼らは再び旅を続ける。《感想》狐につままれた状態だ。日本の昔話・怪談などで狐狸に騙された話に似る。
(7)
嘴(クチバシ)ネズミは森で再び魔術師カエルに会う。カエルは夕食に生きた青虫をフォークに差し焼いて、嘴ネズミに出す。夜、生の心臓が、むき玉子になり、顔がある月となる。《感想》青虫を生きたままフォークに刺すのは気持ち悪い。生の心臓も気持ち悪い。生の心臓がむき玉子になり、顔がある月へと変身するのは不思議だ。
(8)
貴族ネズミが人形を椅子に座らせ一緒にトランプする。トランプはすべて表側が白紙だ。貴族ネズミは血のお茶を飲む。そして人形に血のお茶を飲ませる。骸骨の頭の鴉がそばに居る。《感想》グロテスク感がある。以下その理由を列挙してみる。①人形が生きた人間と同じに扱われる。人形=ヒトガタ=ヒトの扱いは丑の刻参りと同じだ。呪術の基本図式!②血が血管の中にあるのは「生」の世界だが、血が外に流れ出すとそれは「死」の世界を象徴する。血のお茶は死の暗示だ。③人形に血のお茶を飲ませれば人形は血だらけになる。血だらけの人間の死体を思い出させる。④カラスの骸骨の頭(髑髏)は死そのもの。生と死の合体。実は現実の人間、一般に生命が、すでに生と死の合体だ。
(9)
人間の女の顔の蜘蛛が赤い糸の巣を張る。蜘蛛は、捕らえた鳥を赤い糸でぐるぐる巻きにし、その生き血を吸う。《感想》人間以外の動物に人間の顔を持たせることは、神話世界・妖精物語・魔術(呪術)世界で、ごく普通だ。
(10)
貴族ネズミ2匹が喧嘩する。他の1匹は人形に血のお茶を飲ませ続ける。人形は血まみれだ。その貴族ネズミが血まみれの人形とダンスする。死んだ人形を愛する。《感想》人形はいわば死体だ。貴族ネズミは、死体に欲情し屍姦(シカン)する屍体愛好、ネクロフィリア(necrophilia)だ。また貴族ネズミの喧嘩は、人間世界において不和・暴力が普遍的なことを象徴する。
(11)
さて先に川から流れてきた白いむき玉子を嘴(クチバシ)ネズミが人形の腹に入れ、赤い糸で腹を縫った。今、その白い向き玉子が孵化し、貴族ネズミの前で、血まみれの人形の腹が裂け、血まみれの手の青い鳥が誕生する。青い鳥は女の顔を持つ。《感想》生きたままの生物(人形=人)の腹から異生物が誕生する。冬虫夏草だ。エイリアンに似る。グロテスクだ。すでに人形が血の紅茶で初めから血まみれだ。
(12)
青い鳥が飛び去る。《感想》「青い鳥」は幸福の象徴で飛び去る。(Cf. チルチル、ミチルの青い鳥!)(13)
貴族ネズミは人形の裂けた血まみれの腹に、白い花を入れ、赤い糸で腹を縫って閉じる。《感想》白は清浄であり死の悪を鎮魂する。腹を縫う赤い糸の「赤」は、流れる血の象徴、死に向かいつつある生。同時に「糸」は治療つまり生の象徴。「赤い糸」は生と死の境界領域にある。
(14)
青い鳥が、人間の女の顔の黒い蜘蛛の巣に捕まる。青い鳥は、黒い蜘蛛に、赤い糸でぐるぐる巻きにされる。人間の女の顔の蜘蛛が、青い鳥の血を吸おうとしたとき、それを嘴(クチバシ)ネズミたちが発見する。嘴ネズミは、高価な黄色い木の実を蜘蛛に渡し、赤い糸でぐるぐる巻きにされた青い鳥を手に入れる。《感想》青い鳥は女の顔で、人形の顔と似ている。(青い鳥は人形から生まれた!)だから嘴ネズミは青い鳥を取り返した。
(15)
嘴(クチバシ)ネズミたちは赤い糸でぐるぐる巻きにされた青い鳥を、魔術師カエルのもとに連れて行く。魔術師カエルは赤い糸をほどき、青い鳥の腹の羽根を、皮をむくように開く。そこに女の裸体が現れる。魔術師カエルはその裸体にナイフで印を刻む。出血し赤い印となる。そして青い鳥を緑の葉で包む。《感想》魔術師カエルの復活の呪術だ。青い「鳥」は人形の分身、青い鳥の中の「女体」は人形の本質、そして「人形」。「鳥」・「女体」・「人形」が三位一体だ。「父(神)」「子(キリスト)」「精霊」の三位一体(カトリックの教義)を思い出させる。
(16)
貴族ネズミの1匹が、血でカードにハートを描き、人形の胸を開き、そのカードを入れる。そして亀に鞍を載せ、人形を運び、蜘蛛に会いに行く。貴族ネズミは蜘蛛に亀を渡し、交換に青い鳥の羽根を手に入れる。亀は蜘蛛の赤い糸でぐるぐる巻きにされる。貴族ネズミはたくさんの青い羽根を糸で人形の腕に縫い付け、青い鳥の翼のようにする。貴族ネズミが館で、その青い翼の人形とダンスをする。《感想》人形への偏愛。貴族ネズミは人形偏愛症(pediophilia 、ペディオフェリア)だ。人形は反抗しないから人間のように面倒でない。
(17)
亀を取り返そうと他の2匹の貴族ネズミが、女の顔の蜘蛛と戦う。蜘蛛は殺される。《感想》この物語は「死」にあふれている。強い蜘蛛も死んでしまった。
(18)
貴族ネズミたちが人形を持って魔術師カエルの所にやって来る。魔術師カエルは生の心臓を人形の胸に入れて縫う。貴族ネズミは、その人形を嘴(クチバシ)ネズミの家の樫の木に戻しにくる。それを知った嘴ネズミたちが人形を取り返そうとし、貴族ネズミたちと人形の引っ張り合いとなる。人形の足2本が取れてしまう。驚いて嘴ネズミはそれらを貴族ネズミに返す。《感想》嘴ネズミたちも貴族ネズミたちも人形偏愛症(Pediophilia)だ。だから人形に恨みはない。足は人形にもどされねばならない。
(19)
人形を失った嘴(クチバシ)ネズミたちには人形の分身の青い鳥が残った。緑の葉で包まれた青い鳥(人形の分身)を嘴ネズミたちは川に流す。《感想》「精霊流し」を思い出させる。死んだ青い鳥(すなわち人形そのものでもある)は再生のため、この世でない世界(彼岸)に送られねばならない。
(20)
最後に、物語世界から現実世界に場面が変わる。白く化粧した顔の女(人形に似ている)が紅茶をいれる。紅茶のカップの中から青い鳥を包んだ緑の葉の包みが出てくる。その包みを開けると銀色に輝く物体が現れる。《感想》「物語世界」の人形と「現実世界」の白く化粧した顔の女は異なる現実を越えてつながる。両者をつなぐのが青い鳥を包んだ緑の葉の包みだ。異なる現実間の跳躍(leap)!銀色に輝く物体は異界(or異なる現実)間の跳躍を可能とする魔法の石だ。錬金術師が卑金属を金に変える触媒と考えた「賢者の石」を思い起こさせる。Cf. アルフレート・シュッツ(Alfred Schütz、1899-1959)に現実間の跳躍(leap)の理論がある。

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