[佐佐木幸綱選]
○ やはらかき筆にて海の泥ぬぐふ写真の笑顔こはさぬやうに (埼玉県) 小林淳子
少々乱暴に扱っても「写真の笑顔」が壊れるわけはありませんが、犠牲者の方の肉親としては、「やはらかき筆にて海の泥」を拭わなければならないようなお気持ちなのでありましょう。
〔返〕 潮まみれ泥にまみれた写真なれ化粧筆もて紅を注したり 鳥羽省三
○ 放射性物質測定検査結果福島のももと一緒に届く (仙台市) 及川美月
一方では東電や政府に賠償を迫り、他方では風評被害に過ぎないと声高に主張するなど、福島県の「もも」農家の方々も一所懸命なのである。
〔返〕 他産地の桃の価格が高騰し我ら消費者もまた被災者 鳥羽省三
○ 原発の地震の中に生きる術持たずおろおろフクシマに住む (須賀川市) 小沢美代子
詠い出しが「原発の地震の中に」と、寸詰まりで意味不明な表現である。
〔返〕 原発を地震が襲ったフクシマで今でも頑張る二百万弱 鳥羽省三
○ 見つけても放射線出す一枚の家族写真を持ち出せぬ友 (福島市) 澤 正宏
折しも、「福島視察後、記者団に『放射能つけちゃうぞ』」と発言していた馬鹿大臣のニュースが、九月十日付の朝日新聞の朝刊の第一面に顔写真入で載っておりました。
その馬鹿大臣の名は鉢呂吉雄。
彼を大臣の椅子に座らせた野田佳彦首相の任命責任も問われましょうか?
〔返〕 記者団に「放射能つけちゃうぞ」と言う大臣は農協職員出身者である 鳥羽省三
○ くねくねの姿のゆえにモンロエアエと名づけられたる三葉虫あり (掛川市) 村松建彦
リチャード・フォーティだ。“ロンドン自然史博物館”の古生物学者・リチャード・フォーティ著『三葉虫の謎』(垂水雄二訳・2002・早川書房刊)に、彼自身が「くねくね」した肢体のエロティックな「三葉虫」に、米国の映画女優のマリリン・モンローに因んで「モンロエアエと名づけ」た次第が語られている。
〔返〕 「バス・ストップ」モンロエアエの棲家にてくねくねくねと風が吹いてる 鳥羽省三
○ 多摩川を七たび刺して鯵刺は一尾の鮎を口に飛び去る (東京都) 上田国博
何はともあれ、あの「多摩川」に「鮎」が帰って来て、「鯵刺」との格闘劇が見られるようになったことは大変素晴らしいことである。
〔返〕 多摩川へ徒歩三分の子の家に時折り訪ねてみようかと思う 鳥羽省三
○ 橋脚に添いて一本酔芙蓉ここに集落ありし名残の (多久市) 松枝さよ子
多摩丘陵のあちらこちらを歩いていると、山蔭にお茶の木が生えていたり、山茶花が咲いていたりすることがある。
そこで、しばし歩を休めて一望すると、其処の辺りに人家があった時代が彷彿として来るのである。
本作の場合も、今は家が一軒も無い川岸の「橋脚」に添って「酔芙蓉」が「一本」だけ生えていることに拠って、それがかつての「集落」の「名残」であると推測しているのであるが、いつの時代にも、何処の土地にも、似たような考え方をして、過ぎし昔を偲び、歌を詠んでいる人が居るものであると、しばし感激の思いに耽ったことでありました。
因みに、私は小学生時代のニックネームは“百科事典”で、平成の大合併前には、日本全国至る所の市町村の名称と所在県を知っていることを自慢の一つにしていたものでありましたが、最近は、寄る年波のせいか、そうした知識も失ってしまい、本作の作者・松枝さよ子さんがお住いの“多久市”についての知識は全くありませんでした。
そこで、試みにインターネットの“多久市”のホームページを開いてみたところ、“多久市”は「佐賀市・小城市・唐津市・伊万里市・武雄市」などと境を接する佐賀県の市であり、昭和29年(1954)5月の昭和の大合併によって、元の「北多久町、東多久村、南多久村、多久村、西多久村」の一町四村が合併して生まれた小さな市である、ということを知りました。
私は、修学旅行の引率で佐賀県を二度訪れ、佐賀市、小城市、唐津市、伊万里市、武雄市は見学させていただきましたから、私の乗ったバスは、必ずや多久市内の道路も通ったに違いありません。
その時、バスで渡った橋の袂には「酔芙蓉」が咲いていたかも知れませんし、その「酔芙蓉」に見惚れていた少女が松枝さよ子さんだったかも知れません。
〔返〕 歌を読み自ずと知れる土地柄に親しみ寄するこの頃なるや 鳥羽省三
○ 子ながらに殿様蛙の貫禄か緑の縦縞三本鮮やか (岐阜県) 棚橋久子
私たち人間以外の動物の中には、生まれながらにして、他を圧するような「貫禄」を備えた者が居るものであり、特に、「殿様蛙」は「殿様蛙」と呼ぶに相応しい「貫禄」を備えているから「殿様蛙」と呼ばれているのである。
したがって、「子」蛙だからと馬鹿にして、摑まえようとしたりすると、小便を引っ掛けられて失明したりする恐れもありますから、本作の作者・棚橋久子さんは、十二分にご注意なさって下さい。
〔返〕 子ながらに殿様蛙の貫禄で見つめる吾をげろりと睨む 鳥羽省三
○ 受話器とり「スズキでした」と現在を過去形で言ふ山形の人 (名古屋市) 可知豊親
三十一音という制約がありますから無理な注文かと思いますが、事の次第がもう少し明確に解るような表現が出来なかったのでしょうか?
名古屋市の可知豊親さんが、知人で「山形」にお住いの「スズキ」さんに電話をする。
電話に出た「スズキ」さんが可知豊親さんの問い掛けに対して、“素敵”で無くて「スズキ」でがっかりしたでしょうという意味合いを込めて「スズキでした」と皮肉っぽく応えた、ということでありましょうが、こうした次第が明確に解らない嫌いがありましょう。
文法的な問題点について指摘すれば、「スズキでした」の「た」は、口語文法の助動詞「た」の用法としての“確認”の用法であり、「スズキ」さんは、自分のことを「スズキでした」と「過去形」で言ったのでは無く、「スズキでした」と確認する意味で皮肉っぽく言ったのでありましょう。
ところで、ここまでの記事を盗み見していた私の連れ合いが、「『受話器』を取った『スズキ』さんは、可知豊親の問い掛けに対して、『旧姓はスズキでした』という意味で『スズキでした』の言ったのではないだろうか」などと複雑なことを言いますが、其処の辺りのことはいかがでありましょうか?
仮に、私の連れ合いの仮定が正しいとすれば、「スズキでした」という言い方は「過去形」ということになりましょうが、その場合は、「現在」のことを「過去形」で言ったのでは無く、「過去」のことを「過去形」で言った、ということになりましょう。
したがって、いずれにしても、本作は、国文法の俄か知識に頼って詠んだ推敲不足の作品と言えましょう。
〔返〕 いきなしに「スズキでした!」と言う鈴木 鈴木に掛けた電話なのにね?
鳥羽省三
○ やはらかき筆にて海の泥ぬぐふ写真の笑顔こはさぬやうに (埼玉県) 小林淳子
少々乱暴に扱っても「写真の笑顔」が壊れるわけはありませんが、犠牲者の方の肉親としては、「やはらかき筆にて海の泥」を拭わなければならないようなお気持ちなのでありましょう。
〔返〕 潮まみれ泥にまみれた写真なれ化粧筆もて紅を注したり 鳥羽省三
○ 放射性物質測定検査結果福島のももと一緒に届く (仙台市) 及川美月
一方では東電や政府に賠償を迫り、他方では風評被害に過ぎないと声高に主張するなど、福島県の「もも」農家の方々も一所懸命なのである。
〔返〕 他産地の桃の価格が高騰し我ら消費者もまた被災者 鳥羽省三
○ 原発の地震の中に生きる術持たずおろおろフクシマに住む (須賀川市) 小沢美代子
詠い出しが「原発の地震の中に」と、寸詰まりで意味不明な表現である。
〔返〕 原発を地震が襲ったフクシマで今でも頑張る二百万弱 鳥羽省三
○ 見つけても放射線出す一枚の家族写真を持ち出せぬ友 (福島市) 澤 正宏
折しも、「福島視察後、記者団に『放射能つけちゃうぞ』」と発言していた馬鹿大臣のニュースが、九月十日付の朝日新聞の朝刊の第一面に顔写真入で載っておりました。
その馬鹿大臣の名は鉢呂吉雄。
彼を大臣の椅子に座らせた野田佳彦首相の任命責任も問われましょうか?
〔返〕 記者団に「放射能つけちゃうぞ」と言う大臣は農協職員出身者である 鳥羽省三
○ くねくねの姿のゆえにモンロエアエと名づけられたる三葉虫あり (掛川市) 村松建彦
リチャード・フォーティだ。“ロンドン自然史博物館”の古生物学者・リチャード・フォーティ著『三葉虫の謎』(垂水雄二訳・2002・早川書房刊)に、彼自身が「くねくね」した肢体のエロティックな「三葉虫」に、米国の映画女優のマリリン・モンローに因んで「モンロエアエと名づけ」た次第が語られている。
〔返〕 「バス・ストップ」モンロエアエの棲家にてくねくねくねと風が吹いてる 鳥羽省三
○ 多摩川を七たび刺して鯵刺は一尾の鮎を口に飛び去る (東京都) 上田国博
何はともあれ、あの「多摩川」に「鮎」が帰って来て、「鯵刺」との格闘劇が見られるようになったことは大変素晴らしいことである。
〔返〕 多摩川へ徒歩三分の子の家に時折り訪ねてみようかと思う 鳥羽省三
○ 橋脚に添いて一本酔芙蓉ここに集落ありし名残の (多久市) 松枝さよ子
多摩丘陵のあちらこちらを歩いていると、山蔭にお茶の木が生えていたり、山茶花が咲いていたりすることがある。
そこで、しばし歩を休めて一望すると、其処の辺りに人家があった時代が彷彿として来るのである。
本作の場合も、今は家が一軒も無い川岸の「橋脚」に添って「酔芙蓉」が「一本」だけ生えていることに拠って、それがかつての「集落」の「名残」であると推測しているのであるが、いつの時代にも、何処の土地にも、似たような考え方をして、過ぎし昔を偲び、歌を詠んでいる人が居るものであると、しばし感激の思いに耽ったことでありました。
因みに、私は小学生時代のニックネームは“百科事典”で、平成の大合併前には、日本全国至る所の市町村の名称と所在県を知っていることを自慢の一つにしていたものでありましたが、最近は、寄る年波のせいか、そうした知識も失ってしまい、本作の作者・松枝さよ子さんがお住いの“多久市”についての知識は全くありませんでした。
そこで、試みにインターネットの“多久市”のホームページを開いてみたところ、“多久市”は「佐賀市・小城市・唐津市・伊万里市・武雄市」などと境を接する佐賀県の市であり、昭和29年(1954)5月の昭和の大合併によって、元の「北多久町、東多久村、南多久村、多久村、西多久村」の一町四村が合併して生まれた小さな市である、ということを知りました。
私は、修学旅行の引率で佐賀県を二度訪れ、佐賀市、小城市、唐津市、伊万里市、武雄市は見学させていただきましたから、私の乗ったバスは、必ずや多久市内の道路も通ったに違いありません。
その時、バスで渡った橋の袂には「酔芙蓉」が咲いていたかも知れませんし、その「酔芙蓉」に見惚れていた少女が松枝さよ子さんだったかも知れません。
〔返〕 歌を読み自ずと知れる土地柄に親しみ寄するこの頃なるや 鳥羽省三
○ 子ながらに殿様蛙の貫禄か緑の縦縞三本鮮やか (岐阜県) 棚橋久子
私たち人間以外の動物の中には、生まれながらにして、他を圧するような「貫禄」を備えた者が居るものであり、特に、「殿様蛙」は「殿様蛙」と呼ぶに相応しい「貫禄」を備えているから「殿様蛙」と呼ばれているのである。
したがって、「子」蛙だからと馬鹿にして、摑まえようとしたりすると、小便を引っ掛けられて失明したりする恐れもありますから、本作の作者・棚橋久子さんは、十二分にご注意なさって下さい。
〔返〕 子ながらに殿様蛙の貫禄で見つめる吾をげろりと睨む 鳥羽省三
○ 受話器とり「スズキでした」と現在を過去形で言ふ山形の人 (名古屋市) 可知豊親
三十一音という制約がありますから無理な注文かと思いますが、事の次第がもう少し明確に解るような表現が出来なかったのでしょうか?
名古屋市の可知豊親さんが、知人で「山形」にお住いの「スズキ」さんに電話をする。
電話に出た「スズキ」さんが可知豊親さんの問い掛けに対して、“素敵”で無くて「スズキ」でがっかりしたでしょうという意味合いを込めて「スズキでした」と皮肉っぽく応えた、ということでありましょうが、こうした次第が明確に解らない嫌いがありましょう。
文法的な問題点について指摘すれば、「スズキでした」の「た」は、口語文法の助動詞「た」の用法としての“確認”の用法であり、「スズキ」さんは、自分のことを「スズキでした」と「過去形」で言ったのでは無く、「スズキでした」と確認する意味で皮肉っぽく言ったのでありましょう。
ところで、ここまでの記事を盗み見していた私の連れ合いが、「『受話器』を取った『スズキ』さんは、可知豊親の問い掛けに対して、『旧姓はスズキでした』という意味で『スズキでした』の言ったのではないだろうか」などと複雑なことを言いますが、其処の辺りのことはいかがでありましょうか?
仮に、私の連れ合いの仮定が正しいとすれば、「スズキでした」という言い方は「過去形」ということになりましょうが、その場合は、「現在」のことを「過去形」で言ったのでは無く、「過去」のことを「過去形」で言った、ということになりましょう。
したがって、いずれにしても、本作は、国文法の俄か知識に頼って詠んだ推敲不足の作品と言えましょう。
〔返〕 いきなしに「スズキでした!」と言う鈴木 鈴木に掛けた電話なのにね?
鳥羽省三