臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(9月5日掲載・其のⅢ・李白と杜甫の笑ふ声聞く)

2011年09月12日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

○  洛陽に酒旗はためきて別れゆく李白と杜甫の笑ふ声聞く  (東京都) 嶋田恵一

 744年、宦官・高力士らの讒言を受けて長安を離れることとなった「李白」は、「洛陽」を訪れて「杜甫」と出会い、一年半程の間、親交を結び、文学について語ると共に酒盃を交し合った、と言い伝えられている。
 その間、「酒旗」のはためく酒楼には、彼らの「笑ふ声」が高らかに響いたに違いありません。
 本作の作者・嶋田恵一さんは、観光客として彼の地を訪れ、「李白と杜甫」の縁の品に触れることが出来たのでありましょうか?
 漢詩や短歌を愛する旅人ならではのロマンチックな作品である。
 〔返〕  酌むほどに詩想湧き立ち楽しけれ杜甫も李白も笑ひ浮かべて   鳥羽省三


○  クーラーの壊れて探す風の道犬は早くも勝手口占む  (鶴岡市) 大沼二三枝

 「犬」の行動は、どんな場合でも素早い。
 ご家族の雰囲気や室温の変化に因って、作中の「犬」は「クーラーの壊れ」たことを知り、逸早く、室外からの「風」が通る「勝手口」を、自分の居るべき場所と定めたのでありましょう。
 〔返〕  クーラーが壊れてあたふたうろたえて団扇出すやらコンビニに行くやら   鳥羽省三


○  入間川川原に牛のゐない日がつづけば秋はやるせなきなり  (川越市) 小野長辰

 世に“入間詞(いるまことば)”というものが在り、例えば、「虹の橋」を「橋の虹」と言ったり、「不快」を「愉快」と言ったり、言葉の順序を逆に言ったり、反対の意味の言葉を言ったりすることを指して言うのである。
 その起源は、「入間川」がしばしば逆流したことに発するとか。
 〔返〕  入間川川面に馬の泳ぐ日が途絶えて春は楽しかりけり   鳥羽省三


○  いつだって両手合わせて拝みて料金受けとるミエ美容院  (北本市) 郷 玲子

 人口密度や一人当たりの収入が他の市に比べて低い割りに「美容院」の数が多いと言われている、埼玉県北本市ならではの営業方法と言えましょうか?
 いついかなる場面に於いてもお客様に対する感謝の念を忘れない、「ミエ美容院」の経営者の福笑エミさんは女性ながらもなかなかの傑物である。
 そのうちに、市会議員にでも立候補なさるのでありましょうか?
 〔返〕  いつだって両手広げて笑み浮かべお客迎えるエミ美容室   鳥羽省三


○  八月に生まれる子の名に「葉」をつけよう日傘くるりと回して思う  (和泉市) 星田美紀

 いつもながらの星田美紀さんならではの、大変見事な言葉捌きである。
 「日傘くるりと回して思う」という下句の表現などは、千両役者の道行きの趣が感じられる。
 ところで、作中の「子」は既にお生まれになったことでありましょう。
 お名前は何とお付けになられましたか?
 まさか、「蓮葉」ちゃんとか「端葉」ちゃんとかというお名前ではありませんよね。
 〔返〕  姓名は星田笹葉に決めました葉月七日がお誕生日で   鳥羽省三


○  精霊にすまないけれど棚経を暑いきついと思いつつ読む  (三原市) 岡田独甫

 独甫和上は「心頭滅却すれば火もまた涼し」という公案の答を未だに得ていないのでありましょうか?
 〔返〕  仏様にすまないけれど寡婦殿のお世話は愚僧が引き受けました   鳥羽省三


○  懐かしき匂いこもれる祖父の部屋栞すすまぬ本が残れり  (桜井市) 田村美由紀

 「懐かしき匂いこもれる祖父の部屋」とは、作者・田村美由紀さんの心馳せと教養の程が推し量られる程の優しい表現である。
 昨今では、「ご高齢者の部屋には加齢臭が漂っていた」とか、「死臭がする」とか言って、ご家族の方も入って行かないとか。
 また、「栞すすまぬ本が残れり」という下句から感じ取れる事柄も、単なる観察の細かさだけでは無く、行き届いたお心配りの程も感じられます。
 〔返〕  青葉の香いつも漂う祖父の部屋主も亡くなり風入るばかり   鳥羽省三


○  小樽への家族旅行に「お父さん預かります」との店で休めり  (東京都) 海老根清

 詠い出しに「小樽への家族旅行に」とありますが、「『小樽への家族旅行』の途中『に』」という意味なのか、「『家族旅行』に出掛ける人の為『に』」という意味なのか、明確ではありません。
 選者の高野公彦氏は、ただ単に「お父さん預かります」との下げ札の珍しさに惹かれて、本作を入選作となさったのでありましょうか?
 〔返〕  「犬猫やご高齢者の世話します。決して粗末に扱いません」   鳥羽省三


○  のりくらだけなまえをおぼえてあるいたよよつばしおがまピンクのこまくさ  (京都市) 小松 奏

 出来てるようでも、さすがに小学生である。
 「よつばしおがまピンクのこまくさ」となっているが、大人ならば「よつばしおがま・こまくさ・おんたで」などと、乗鞍岳を代表する高山植物を列挙するところであるが、其処まで気が回らず「ピンクのこまくさ」としてしまったのである。
 でも、其処の辺りが子供らしさでありましょうか?
 〔返〕  乗鞍へ高山泊まりで登ったよ畳平はお花畑だ   鳥羽省三


○  宿題はあと日記だけばあちゃんと並んで座るサンダーバード  (富山市) 松田わこ

 魚津から富山・金沢・京都を経て大阪に至る、“JR西日本”自慢の「スーパー雷鳥」が平成9年3月から「サンダーバード」となり、更に、平成21年6月からは、“人にも環境にもやさしい新車”が登場しました。
 本作の作者・松田わこさんは、夏休み中の塾通いのご褒美として、お「ばあちゃん」と一緒に“人にも環境にもやさしい新車”の「サンダーバード」に乗って、京都見物にお出掛けになられたのでありましょうか?
 宿題の残りの「日記」の内容は、“京都旅行記”になるに違いありません。
 〔返〕  梨子さんは「わたしはママと座りたい」 中学生で我が儘を言う   鳥羽省三



[永田和宏選]

○  寝たきりになってしまったきみだけど母さんと呼んでる呼べる呼ばせて  (長野市) 関 龍夫

 「母さんと呼んでる」から始って、「呼べる」、「呼ばせて」と、だんだん感情が昂って、お仕舞いには涙を流しているのでありましょうか?
 〔返〕  寝たきりになってしまったままだけどママと呼んでるママのままでね   鳥羽省三

 
○  殺人が日常的な国にゐて平和な国の災禍悲しむ  (グアテマラ) 杉山 望

 「殺人が日常的な国にゐて」などと気楽に言えるのは、外国人だからでありましょう。
 本作の作者・杉山望さんが「平和な国」と仰る、我が国に於いては、愚かな大臣が「放射能をつけちゃうぞ」などと軽口をきいて引責辞任に追い遣られました。
 〔返〕  災害が日常的な国なればお祭り騒ぎも日常的だ   鳥羽省三


○  わが影も日傘一つに収まれる蝉も鳴かざる岬への道  (西条市) 亀井克礼

 「わが影」と“同行二人”でありましょうか?
 それとも“相合日傘”で影もろとも“同行四人”でありましょうか?
 いずれにしても、被災地から遠くて、退屈になるほど平和な世界である。
 〔返〕  影もろとも日傘一つに収まって同行四人足摺岬   鳥羽省三


○  水揚げのポンプ日蓋ひしてもらひ頑張つてゐる日照りの畑  (水戸市) 檜山佳与子

 「水揚げのポンプ」に「日蓋ひ」をしてやらなければ、地下から汲み上げた水が熱湯と化して、「畑」の灌漑に使えなくなるのでありましょう。
 今年の夏は、人も器械も動物も頑張らなければなりません。
 〔返〕  日蓋ひをされてうなじを垂れている水戸の在所の水揚げポンプ   鳥羽省三


○  みぞ萩のうす紅色の花叢がかぎろう杳き山里の盆  (上越市) 三浦礼子

 一般的には、“みそはぎ”と言うのであるが、湿地や溝に生えることが多いから、「みぞ萩」と呼ばれる場合もあるのでしょう。
 お盆の頃に、紅紫色六弁の小さい花を先端部の葉腋に多数付けて咲くことから、盆花としてよく使われ、“ボンバナ”とか、“ショウリョウバナ(精霊花)”とも呼ばれる。
 で、本作の意は、「『みぞ萩のうす紅色の花』が『花叢』を成して咲いているが、其処の辺りが『かぎろう』が立ち込めたようになっていて、『杳き山里の盆』である」といったところでありましょうか?
 〔返〕  ミソハギの薄紅色がけぶりゐて浴衣姿の山里の盆   鳥羽省三


○  大原の里は穏しく秋澄みて茄子の支柱に蜻蛉がならぶ  (上越市) 宮沢君代

 「大原の里」の「蜻蛉」は、「穏しく秋」空が澄んだ日に、「茄子の支柱」に「ならぶ」のが正式な止まり方であることを示唆しているような感じの作品である。
 つまりは、日本の典型的な田舎の典型的な秋景色を詠んだ作品である。
 〔返〕  豊葦原瑞穂の国の秋の日は茄子の支柱に蜻蛉が並ぶ   鳥羽省三


○  椿山荘まで来てはじめてのパン作り入道雲のようにふくれた  (横浜市) 高橋理沙子

 「椿山荘」を会場にした「パン作り」教室であったから、「入道雲のようにふくれた」のであり、公民館などを会場にしての「パン作り」教室であったとしたならば、“鰯雲”程度にしか膨れなかったのではありませんか?
 〔返〕 手作り食品などの美味しさは授業料に比例するとふ   鳥羽省三


○  「二十分、十ドル」の散歩を追加して犬を預けるペットホテルに  (アメリカ) 西岡徳江

 「十ドル」と言えば、邦貨換算で約七百五十円であり、これがお犬様を「二十分」間だけお散歩させていただく場合に支払うべき代金だと言う。
 これが安い高いかは別問題として、アメリカ人は世界のリーダーの位置を早晩中国人に譲らなければならない立場にあるが、相変わらず剛毅なものである。
 買い物や散歩の途中で、犬を四、五匹連れた若者に会うことがあるが、あれも「ペットホテル」の従業員かアルバイト職員かも知れません。
 不況下にある我が国の失業者がたまに運に恵まれてパートタイマーとして働いたとしても、一時間当たりの賃金がせいぜい千円弱である。
 それと比較すると、わずか「二十分」の散歩で大枚七百五十円を支払わなければならない犬は、犬ならぬ“お犬様”と申し上げるべきでありましょう。
 本作の作者・西岡徳江さんは、わざわざ海の向こうのアメリカ合衆国までお出掛けになられて、“お犬様”を傅かなければならないようなお暮らし向きなのでありましょうか?
 〔返〕  私なら一時間二十ドルで遣りましょう円換算で千五百円也   鳥羽省三


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