臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

一首を切り裂く(023:蜂・其のⅣ・夏の匂いの駐輪場で)

2011年12月29日 | 題詠blog短歌
(飯田和馬)
○  陽光はあくまで静か。天窓をつらぬくすべを蜂は知らない

 “神様の啓示”か何か、極めて重大な事柄が、あの空間に於いて行われそうな雰囲気の夏の真昼である。
 「蜂」どもは、無情なことにそんなことも知らないで、何一つ知らないで、あの熱い空間の、あの「天窓」の辺りを、無心に飛び回っているだけであった。
 〔返〕  天窓を叩き破って飛んで行け神の啓示に無縁な者ら   鳥羽省三


(T-T)
○  ふたりして蜂蜜レモンをくわえてる 夏の匂いの駐輪場で

 此処にも亦、神の啓示とも、世間の不況とも、人々の哀しみとも無縁な輩が居て、「ふたりして蜂蜜レモン」なんか銜えちゃってる! 
 「夏の匂い」のする「駐輪場」は、青春の骸たちの泣き場所であることも知らないで!
 〔返〕  二人して反ったバナナを咥えてたあの公園でブランコ漕いで


(藤田美香)
○  補えばいくつも答えはあったのに蜂の巣ばかりに気をとられていた

 詠い出しの「補えば」が災いしているのか、私はこの魅力的な作品について触れた歌評や鑑賞文にお目にかかったことはありません。
 「補えばいくつも答えはあったのに」と言うだけでは、確かに、「何を『補えば』いいのか?」、また、「どんな場面で、何方にどんな『答え』を要求されてのことなのか?」など、事態の輪郭が何一つとして明らかでないことは事実である。
 しかし、そうした曖昧さは、この作品のささやかな欠陥の一つに過ぎないと言うよりも、大きな魅力とも言え、仮に欠陥であるとしても、それに続く「蜂の巣ばかりに気をとられていた」という下の句の存在が、その欠陥を補って、尚且つ“お釣りが来るくらい”なのである。
 人間として、この世に息をしていれば、何か重要な事態に対応して、的確な「答え」を出せなかったり、適当な処置をすることが出来なかったりして後悔する場合も在り得ましょう。
 また、その失敗の原因が、「蜂の巣ばかりに気をとられていた」といったような、極めてつまらないことであったとしても、何ら不思議なことではありません。
 短歌には解り易さが要求される場合が多いが、解り易い短歌であれば、全て宜しいという訳ではありません。
 舌足らずの表現で事態の輪郭は掴めないが、そのようにしか詠むことが出来なかった作者の心の奥底まで解るような短歌にも亦、それなりの魅力が在るのである。
 〔返〕  言い訳はいくつも出来るあの場合あんたが蜂を畏怖しただけさ   鳥羽省三


(藤野唯)
○  ふたりして蜂に刺されたような夏 秘密がふえて始まる2学期

 あの「夏」の日の「ふたり」に、何が在ったのか?
 「ふたり」して、あの「夏」の海辺で何をしたのか?
 あの小さな蟹たちの鋏が、「ふたり」の身体の何処に触れたから、「ふたりして」あんなにも痛がったり、痒がったりしたのか?
 今となってみれば、全てが夢幻のような「夏」の海での記憶でありました。
 しかし、「ふたり」の間には、また「秘密」が一つ「ふえて」、重苦しい「2学期」が「始まる」のでありました。
 〔返〕  さざ波が君のあそこに寄せただけ蟹は居たけど鋏まなかった   鳥羽省三


(睡蓮。)
○  なんとなく気だるい朝日 蜂蜜のついた指先ゆっくりなめる

 「朝日」が「なんとなく気だるい」日曜日に出逢ったら、「蜂蜜のついた指先ゆっくりなめる」しか方法がありませんね。
 本作の作者の<睡蓮。さん>は、確かに疲れているのでありましょう。
 三週間ぶっ通しのサービス残業にも。
 久しぶりに逢うことが出来た彼との昨夜の激しいデイトにも。
 彼からは、またケータイが入るかも知れませんが、今日はお出掛けしないで、昼夜兼用のコンビニ弁当でも食べている方が賢明でありましょう。
 〔返〕  ローソンの弁当は好し反り深いフランクフルトが丸ごと入ってた   鳥羽省三  


(久野はすみ)
○  肯定と否定のあわいをただよえばわたしのなかに巣くう蜂鳥

 結社歴の長い歌人ともなると、歌会などの席上で、突然、歌集の講評を求められたりする場合もありましょう。
 そうした場合、ご自身が事前に熟読していて、しかも積極的に推奨することが出来る歌集であるならば、ご自身の気持ちを素直に述べればいいのである。
 だが、結社誌に投稿を始めてから二年しか経たない独り身のアラフォーが、ボーナスを叩いて歌集を出したりするような今日に於いては、万事が万事、そのように都合よく事が運ぶとは限りません。
 本作は、歌人・久野はすみさんの、そうした場面に立たされた折りの心理状態を述べているのでありましょうか?
 だとすれば、短歌を愛すると共に、何よりも結社仲間の人間関係をも大切になさっている、久野はすみさんが発せられる評言は、必然的に「肯定と否定のあわい」を漂っているような性質のものに為らざるを得ないことになりましょう。
 しかしながら、知性豊かな女性としての慎みを忘れない彼女のことでありますから、その評言を口に出してしまった後の彼女は、ご自身の清く正しい胸中に「蜂鳥」みたいな微細な生き物が「巣」食っているような感覚に陥ってしまうのでありましょう。
 〔返〕  下手な歌は下手な歌だとはっきりと言いましょうよね久野はすみさん   鳥羽省三
      駄目な歌を駄目な歌だと明確に言わずにもってる結社誌もある  


(豆野ふく)
○  蜜蜂の群れが家路に就いたころ おやすみなさいを言うヒツジグサ

 作中の「ヒツジグサ」とは“スイレン科・スイレン属の多年草”であり、湿原中の水位が安定していて、栄養の乏しい水質の池や沼などに生育する。
 水底の泥中に太い茎があり、先端から葉が束生するのであるが、浮葉と沈水葉を持っており、冬期間は浮葉が枯れて沈水葉のみとなる。
 花は六月頃から咲き始め、秋まで咲き続いていて花期が大変長い。
 「ヒツジグサ」の花は、一旦蕾を開いたら数日間開閉を繰り返し、“未の刻(午後1~3時)”に開くのでこの名が付いたとされている。
 ところで、作中の「蜜蜂」と「ヒツジグサ」の間には、格別な捕食関係が見られる訳でもなく、「蜜蜂」が「ヒツジグサ」の花の蜜を格別に好んで群がって飛んで来ると言う訳でもありません。
 思うに、本作の作者の豆野ふくさんは、栄養の乏しい池や沼に咲いている「ヒツジグサ」の清浄で可憐な花を、ご清潔なお人柄からして格別に好み愛されて居られるので、お題「蜂」に接するや否や、ご自身が愛してやまない「ヒツジグサ」の花と、お題の「蜂」とを組み合わせて一首を成そうとお思いになられたのでありましょう。
 また、本作を鑑賞するに当たっては、「ヒツジグサ」の花の咲く時刻が、“未の刻(午後1~3時)”であることも無視してはなりません。
 横暴な女王蜂の命令を受けて、野山や湖沼の岸に分け入り、一所懸命に蜜を集めた「蜜蜂の群れ」が、一日の苦しい作業を終えて、ほっと胸を撫で下ろしながら「家路に就いたころ」に、作者の大好きなあの清らかな「ヒツジグサ」の花が咲くことに着目し、本作の作者・豆野ふくさんは、「おやすみなさいを言うヒツジグサ」という美しい下の句を思い付いたのでありましょう。

 〔返〕  蜂蜜を付けてトースト食べる頃あのヒツジグサは美しく咲く   鳥羽省三
 我が家は、私をメタボ人間にしたくないという連れ合いのご方針とかで、私がベットから離れる午後の一時過ぎに、トーストと果物と紅茶だけの朝昼兼用の貧しい食事をすることが再三である。
 我が連れ合いの心積もりの中には、丁度その時刻に「ヒツジグサ」が咲くから、といった高尚で清らかなものが皆無だとは思われますが。


(はせがわゆづ)
○  仄明るい方へ歩いていきましょう蜂蜜色の月が出ている

 「蜂蜜色の月が出ている」からといって、「仄明るい方へ歩いていきましょう」と仰るのは、何と露出好きなカップルでありましょうか?
 私・鳥羽省三がその方面の事柄に余念が無かった十代の頃には、私とお相手の女性とは、“薄暗い方から更に更に暗い方”へと歩いて行くばかりでしたが?
 とは申せ、本作の作者・はせがわゆづさんの仰りたいことは、私としても、気分的には、実によく解ります。
 〔返〕  薄暗く誰にも見られぬ方へ行くご亭主持ちの女の手を曳き   鳥羽省三


(鳥羽省三)
○  ご先祖は蜂須賀小六の従者にて替への鬘を担いでました

 「笑ってやって下さい」と言わんばかりの物欲しそうな駄作である。
 〔返〕  ご先祖は佐竹南家のゆかりにて天保銭なら一箱も有る   鳥羽省三