臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(12月5日掲載・其のⅣ・三十尋の遠き底より)

2011年12月10日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

〇  三十尋の遠き底より大鯵のあたり幽かに竿に響けり  (東京都) 野上 卓

 フリー百科事典『ウィキペディア』の解説するところに拠ると、一口に「鯵」と言ってもその大きさはさまざまであり、“ミヤカミヒラアジ”という種類の「鯵」は、成魚となってもわずか15cmほどでしかないが、“ロウニンアジ”という種類になると、全長150cm以上にもなると言う。
 作中に「大鯵」とあるので、その昔、“陸釣り師”としての悪名は海内に馳せたが、海釣りには通じていない私は、「我が歌の友であり、日曜釣り師として名の知れた、あの野上卓さんも、とうとう“病い膏盲に入り”、なけなしの年金を叩いて、ハワイ諸島沖まで乗り出し、体長1メートル余りの“ロウニンアジ”の魚信でも得たのかな?」と推察したりもするのであるが、“逃がした魚は大きい”とも言うから、題材となっているのは、恐らくは、羽田沖辺りに浮べたゴムボートでの出来事、或いは、“保険料込み乗船料金5000円均一”の釣り船の中での出来事と思われ、「大鯵」と言っても、その実態は、体長1m余りの“ロウニンアジ”を指して言うのではなく、せいぜい体長40cm程度の“真鯵”に違いない、とも思われるのである。
 ところで、詠い出しに「三十尋の遠き底より」とあるが、水深「三十尋」と言えば、メートル法に換算すれば50m余りの深さであり、日曜釣り師としてはかなり名の知れた“野上卓師”にとっての水深50m余りは、果たして「遠き底より」と言えるかどうかについては、私としては、少なからぬ疑問を感じざるを得ません。
 しかし、「竿」を入れた棚が、ハワイ諸島沖ならばともかく、房総半島と三浦半島に抱かれ、私たち首都圏住民の生活汚水をたっぷりと浮かべた泥沼にも等しい羽田沖であったとしたら、50m余りの深さの海の「底」は、庶民感覚としては、立派な「遠き底」と言えるのではないか、とも思われ、其処の辺りの判断については、この私としても、あれこれと迷っているところである。
 ところで、“副詞”乃至は“形容動詞の連用形”として、同じように「かすかに」と訓む語であっても、漢字で表記する場合は、「微かに」とする場合と「幽かに」とする場合の両様が在り、本作の作者・野上卓さんは、賢明にも、それら両様の中から、「微かに」を退けて、「幽かに」を選択なさったのである。
 試みに、手元の漢和辞典『新版・漢語林』の当該箇所を見開いたところ、「幽 ━ ①かくれる。ひそむ。かくす。②くらい。あきらかでない。③かすか。ほのか。④おくふかい。深く遠い。⑤暗い所。奥深い所。かたすみ。(以下、略)」とあり、また、「微 ━ ①かすか。ほのか。(ア)うす暗くて見えないさま。(イ)少ない。少し。また、欠けている。②おとろえる。おちぶれる。③しやしい。身分が低い。④ひそかに。こっそり。目立たないように。それとなく。(以下、略)」ともある。
 想うに、水位50m余りの棚底からの「大鯵」の魚信は、ただ単に、「こっそりと、目立たないように、それとなく、微かに響いた」と形容するよりも、「暗く、奥深く、幽かに響いた」と形容するべきであろうと判断されるのである。
 したがって、「三十尋の遠き底より」響いた「大鯵のあたり」を「幽かに」として捉え、かつ表現された、作者・野上卓さんの感受性や語感や表現力は、真に確かなものであり、歌会始の儀への詠進歌人としての、ご自身のご名声を少しも辱めることが無い、とも判断されるのである。
 少しく持上げ過ぎ、褒め過ぎのようにも思われるので、終りに、本作に接して感じた、私の不満点を申し添えますと、詠い出しの「三十尋の遠き底より」という表現については、やはり、違和感を覚えざるを得ません。
 海釣り専門の漁師や釣り師にとっては、「三十尋」即ち50m余りの水深は、必ずしも「遠き」と形容しなければならないような深さとは思われず、仮に、それを、作者ご自身が「深き底」とご感得なさったとしても、「遠き」という語に備わる意味は、後続する「幽かに」という語の「幽」という文字の中に含まれているので、この句を、敢えて「遠き底より」とすること無く、例えば「昏き棚より」としたならば、本作の持つ“幽玄性”といった情趣は倍増するように思われましょう。
 平成の世の一歌人の新聞歌壇への投稿作が、藤原俊成や西行の和歌、或いは俳聖・芭蕉の俳諧をも念頭に置いて詠まれた作品にも、レベルアップするようにも思われるのである。
 拠って、本作を「三十尋の昏き棚より大鯵のあたり幽かに竿に響けり」となさったらいかがでありましょうか?
 「三十尋」を「五十尋」とすれば、一句目の字余りは解消されるのであるが、この「三十尋」は、動くこと無く、かつ、一首全体に奥深さを付与する要因にもなりましょう。
  〔返〕  百尺の瀧の底より轟々と我が胸を射す叱声響く   鳥羽省三

 御作についての鑑賞文を書き掛けのままにして、通院の為に留守にしていたところ、作者・野上卓様より、早速、大変有り難く、真にご丁重なる御コメントを頂戴しておりました。
 私は、一応は完稿の体裁を取ってはいるものの、後刻手を入れなければならないような性質の未定稿や、書き掛けの草稿をそのままにして公開することが度々あります。
 その主たる原因は、私が生来の横着者であることに因るものではありますが、積極的には、一つの事柄についてあれこれと思いを巡らせているうちに、時間の経過に伴って、その事柄についての私の思いが変化し、私自身が変節する様を、私自身が確認すると同時に、読者の方々にご覧に入れるのも、ブログという発言媒体の性質を考える時にはそんなに悪いことでは無い、と私自身が常々思っているからでもあります。
 察するに、野上卓様は、そうした未定稿の状態の私の文章をご覧になられ、律儀なるご性格柄、早速、ご丁重なる御コメントをお寄せになられたものと思われます。
 野上様からの御コメントを私が拝見したのは、夕刻になって私が帰宅し、本稿の全てを書き終え、公開した後のことでありました。
 したがって、野上様には大変失礼申し上げ、かつご迷惑もお掛け致しました。
 つきまして、ほぼ決定稿とも思っている上記の鑑賞文を、何卒、「実情は、こうこうこういう訳なのに、自分の脳味噌の重さも考えずに批評家気取りのあの馬鹿爺は、未だにあんなくだらないことを言っている。あいつの言うことをいちいち気にしていたら、歌なんか詠んで居られないから、程々に相手にし、適当にからかっておこう」などと思いながら、ご再読賜りたくお願い申し上げます。


〇  三陸沖の海の寂しさ土佐沖に戻りし鰹の放射能調査  (四万十市) 島村宣暢

 同じ釣り魚を題材としながら、首席の野上卓さんの作品と比較して、本作の出来栄えの何と貧弱で、本作の作者の姿勢の何と物欲しそうなことでありましょうか!
 これでは、朝日歌壇の不滅の常連作者としての島村宣暢さんのご名声が廃るばかりでは無く、これを第二席となさった馬場あき子先生の御尊名を辱めることにさえなりませんか?
 そもそも、末尾に「放射能調査」という意味不明な名詞を置いたことが、この作品を島村宣暢さんの御作らしからぬ駄作にしている主因の一つなのである。
 今更申し上げるまでも無く、「放射能」とは、「物質から自発的に放射線が放出される性質」乃至は「物質の放射線を放出する能力」を指して言うのであり、仮に何方かが、「三陸沖」で漁獲された「鰹」の個体内に含まれている放射性物質の含有量を「土佐沖」で「調査」するとしたら、それは、「放射性物質の含有量調査」と言うべきであり、どんな愚かな報道記者でも、決して「放射能調査」などという怪しげな言い方はするはずがありません。
 それにも関わらず、我らが朝日歌壇のエースたる島村宣暢さんが、敢えて「土佐沖に戻りし鰹の放射能調査」などという、極めて不適当な言い方をしたのは、「この種の出来事を題材にした作品をお詠みになられること自体が、優れた歌詠みとしての島村宣暢さんの御資質に馴染まない」ということでありましょう。
 島村宣暢さんも、あの忌まわしい“3月11日”をご体験なさったことであれば、地震や原発のメルトダウン事故に因る直接的な被害は受けなかったとは申せ、日本人の歌詠みの一人として、お亡くなりなられた人々に対して哀悼の意や、被災地の方々に対してお見舞いの言葉の一つも、短歌体に託してお述べになられようとお思いになられるも、或いは当然でありましょう。
 しかし、被災地から遠く離れた、四国の四万十市にお住いの島村宣暢さんの、そうした尊いお気持ちは、敢えて「三陸沖」や「放射能調査」という語を含んだ作品をお詠みになられなくても、十二分に伝わることでありましょう。
 また、上の句を「三陸の海の寂しさ」とせずに、「三陸沖の海の寂しさ」となさったのも、島村宣暢さんの御実力に相応しからぬ失着と申せましょう。
 地震や津波や原発のメルトダウンに見舞われて「寂し」くなったのは、「三陸沖の海」のみならず、「三陸の海」や三陸地方を含んだ、青森県から茨城県にかけての太平洋沿岸地方一帯ではありませんか!
 それにも関わらず、リズムの乱れもご考慮なさらずに、一句目を「三陸沖の」となさったのは、当代流行の、あの学童歌人たちさえ仕出かさない失着とさえ申せましょう。
 こうした駄作をお詠みになられた作者のみならず、“放射能汚染問題”という題材に絆されて、この駄作を敢えて第二席にお据えになられた選者・馬場あき子先生も亦、この際、大いにご反省なされるべきでありましょう。
 この機会に、併せてお願い申し上げますが、本作の作者・島村宣暢さんは、短歌の題材としては他の歌人も羨むような、我が国随一の清流・四万十川という、好個の題材をお持ちではありませんか。
 死に損ないの爺、私・鳥羽省三が、真に失礼な悪口雑言を撒き散らしましたが、何卒、私の意のあるところをお汲み取りになられ、まげてお許し下さい。
 また、以前同様にこれからも、四万十川周辺の景物などをご題材となさり、素晴らしい作品を沢山お詠み賜りたくお願い申し上げます。
 〔返〕  四万十川逆白波の立つまでに吹雪く夕べの稀にはあらむ   鳥羽省三
      四万十川逆白波の立つまでの吹雪く夕べは稀にもあらず

 
〇  放射能で作れぬ農家が招かれて十勝の農家で秋まで働く  (帯広市) 吉森美信

 詠い出しからして粗雑極まりない駄作である。
 今更申し上げるまでも無く、「放射能」とは、前述の如く、「物質から自発的に放射線が放出される性質」乃至は「物質の放射線を放出する能力」を指して言うのである。
 何物かの物質のそうした絶大なる能力を以ってすれば、私たち日本人は勿論、この世界中の人類を不幸にし、他の生物にさえ誄を及ぼすことが可能であり、彼の「放射能」を以ってすれば、この宇宙に於いて、どんな厄災でも「作れぬ」ことなど在り得ないことではありませんか?
 冗談はこれくらいにして、本作に接して、私は、「作れぬ農家」といった“上から目線”の言葉を、数十年ぶりに耳にしたような気がします。
 転居前の私の蔵書の中に、江戸時代以降の我が国で発生した出来事を記録したグラフ雑誌が在り、その中の一冊に、明治時代のある年に、夏季に太平洋から吹き付ける冷たい北東の風、即ち「ヤマセ」に見舞われた三陸地方の村々の農民が、田畑の耕作や出来秋の収穫を断念せざるを得なくなり、それを称して、写真入りのその記事に、「作れぬ農家」との大見出しが付けられていたことを思い出してしまいました。
 本作の作者・吉森美信さんも亦、あのグラフ雑誌の愛読者であったのでありましょうか?
 〔返〕  不甲斐なく愛人作れぬ我なれば古女房も未だ現役   鳥羽省三