ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

拾い方

2015年07月29日 20時43分55秒 | いろいろ
分からないことがあって質問をするとき、全体や話の流れが分かっていてピンポイントで質問するときと、それも分からずとりあえず質問するときがある。

そんなとき、質問にばっちり答えているのに理解が深まらないときがある。多分、その質問がでてくるということは全体を理解しているからなのか、それとも、何か前提となることや背景が共有されていないから難しいのかということとかが分けられないとあかんのやろうな。


現場で事業やってると、それこそ外国人は日本語が堪能だとは限らないし、コミュニケーションに対する期待値も違う。分かってもらえないかもと思ってたりするし。

だから、手数をかけずに言っていることではなく、主訴、メッセージをつかむ必要がある。じゃないと、つながれないこともたくさんある。サポートが必要なのにできないということも。


難しいけど、大事やなぁと思う。
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無駄は無駄ではない

2015年07月29日 20時39分29秒 | いろいろ
…ってことで、無駄なことしてみるか。

…ってか、遊ぶか。


関係ないこと、してみるか。


ま、普段からようけ、そんなことしとるけど。


あ、続きの話。

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半分の続き

2015年07月29日 20時31分15秒 | いろいろ
多分、どこから世界を切り取って説明するかって話なんやろうな。

もちろん、自分の立っている位置から切り取ってみた世界は正しく説明できる。なぜなら、そういう感じで切り取ってるから。

そういう感じで視点と世界と説明が関係しているなら、世界を見直したり、切り取り直したり…って作業は困難を極めるなぁ。

見えない世界をどう見るかって話か。

…無駄、寄り道、道草、好奇心、雑談、回り道なんかが実は見えない世界に繋がってるんやろうな。

課題や目的で整理する世界は分かりやすくてきれいやけど、実はカクカクした遊びのない世界なんかもな。
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半分の話では

2015年07月29日 20時21分16秒 | いろいろ
日本語教育が大事だということは否定しない。そういう仕事をしているということもあるけど、大事だと思う。

でも、だからと言って際限なくやればいいってもんでもない。どういう位置付けでどれぐらいやるべきかということを考えないといけないと思う。

客観視することと、いろんなものに関連付けて整理することが大事だと思う。


日本語教育は本当に大事であって、まだまだ理解されてなくて、本当はもっと理解されるべきだし、実施されるべきで、その必要性をみんな分かってない…という議論は半分当たりだけど半分外れって感じがする。

何だろう、日本語教育には世界が半分は見えているけど、半分は見えていないという感じかな。

少なくとも何で今の位置にあるかという現状から考えないといけないだろうし、単純にアピールすればいい、発信すればいいという話ではない気がする。
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