ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

知っているつもり

2014年02月09日 10時23分30秒 | 人づくり・場づくり
昨年の12月に秋田へ出張。シンポジウムへの登壇がメインの用務だったんだけど,それならということで年休を取り,いくつか教室を訪問。一つ目は横手市。

市の生涯学習関係の部署がバックアップし,指導者4人,そのサポーター役としてのボランティア5人とで構成。大学や日本語学校とかで教えていたり,いわゆる「プロの日本語教師」ではないんだけど,見事。「みんなの日本語」を使っているんだけど,それは軸として置いてはいるが,そこからどう脱線し,日常生活に会話を展開させて,日常生活での日本語のニーズを引き出し,広げていくかということが,展開されている。上手な人がいるってことではなく,グループ全体としてとても上手で,何より来ている外国人の表情がとてもいきいきしている。「こんなにレベルの高い活動を…」と驚きました。

活動後に話を聞くと,研修をどういう形で行うか,運営をどういう形で行うか,相当な話の積み重ねがあるということ。また,それが実践に結び付いているところもすごい。また,話の中で見えてきた課題をどう実践に活かすかということもずいぶんと工夫をされている。大学の先生やらの講師を呼んで話を聞いても,自分たちの力が伸びるかどうか実感できず,研修会はそれぞれが自分の実践を振り返り,そこで課題と感じていることを調べて発表し,ディスカッションする形を取っているとのこと。本当にレベルが高いし,練られているなと思ったんだけど,それはディスカッションの積み上げの成果としてそうなっているということを知り,またびっくり。

ここまで練り上げたのか…。

市から謝金はもらっているということなんだけど,逆にそこを払うことの重要性も感じました。だって,力のある人は絶対にたくさんいるだろうし,その人たちを活かさない手はないと。あと,市の多文化共生に関する事業にもいろいろと協力していたり,また,市の子育て関連の部署と一緒に取組を進めていたりと,本当にただただ,すごいなと。それをふつうのこととしてやられているのも,またすごいなと。


その後,横手焼きそばを食べ,地元の卵で作ってプリンを食べ,本荘へ移動。内陸から日本海へ。バスで揺られること2時間ちょっと。散在地域で日本語教室に通うことがいかに大変なことかということを実感。

本荘は市の複合施設を活用して教室がとにかく充実。初級から中級,漢字から6つか7つも展開。これもなかなかできることではないと思う。それだけ人が集まるということもなかなかないことだと思うし。建物もとてもきれいで,地元の高校生がたむろしていたんだけど,その子らが絡んできたら,もっと楽しくなってくるのかななんてことを勝手に想像。

でも,ここまで厚い実践,本当に頭が下がります。

翌日はシンポジウムに参加し,次の日,大仙市・仙北市・美郷町の2市1町で運営している教室へ。複数の自治体が協同で運営している教室というのは,私はほかに知りません(ただの勉強不足ですが…)。それぞれ市の公民館などを活用して実践。それぞれの教室で実際に教えているボランティアは違うんだけど,中心となって活動しているコーディネーターは同じ人で,その人がそれぞれの地域に合わせたリソースを用意。

地元では特に日本語が勉強できる期間はすぐに限られている,最初はしっかりと日本語を勉強するが,すぐに働きに行ってしまってなかなか日本語が伸びないということがある。また,中学校段階や学齢超過で来日する子は,最初のうちに詰め込みだと言われても徹底して教え込まないと,高校に行けないし,高校に行けなかった子は田舎に仕事はないので東京へ行き,でも,東京では日本語ができなくても仕事もあるんだけど,それは本当にステップアップできるようなものではなく,いつまでたっても不安定な状況に置かれている子たちが出てきている。だから,最初の段階でしっかりと,詰め込みだと言われてもやらないと,その子たちの将来がないんです…と。

みんなの日本語を使って誰でも教えられるようにということで絵カードから問題から,展開から整理されており,それを使って使ってやるんだけど,そこまで丁寧に用意され,作り込まれているものがあれば,できるよなぁと実感。


地元のことを知っている,地元の外国人の動向を知っている,また活動できる人のことも把握していて,その上で最も適切,効果的な教室運営のスタイルや教え方を選択する,そういうことができる人がいるのは本当に大きいなということを感じました。日本語教育の専門家,プロだからと言って,できるようなことではないし。

地域の外国人の状況を適切に分析し,それに合った事業を展開できるかどうかというところが本当に大事なんだろうと思いました。


どれもそのスタートの時点で県全域を対象としていた秋田にほんごの会とかサンパギータ(…だったかな)という自助組織だとか,秋田県が精力的に動いていた歴史があり,それが母体となって今も続いているとのこと。

知らなかっただけで,秋田で取り組まれていることは,本当に派手さはないかもしれないけど,着実でとてもいい活動だな,こんな足腰がしっかりしている活動を展開しているのか…と驚きました。

東京で仕事をしていて、他の地域はそれなりに周り、いろいろ知ったつもりになっていたけど、知らないって怖いなと反省もしました。
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リテラシーと識字

2008年11月03日 11時36分03秒 | 人づくり・場づくり
最近、リテラシーという言葉を耳にすることが増えたけど。リテラシーという言葉では、読み書き能力とその能力の捉え方の議論が中心的になされるように思う。で、識字の場合、その読み書き能力をどう捉えるかということだけでなく、実践を通して誰と誰がどのように向き合うか、そこから何を学ぶのか、何から学ぶのかということが付け加えられる(というより、そっちがかなりメインかも)。

他にもいっぱい印象に残ったコトバがあるけど、今日読んだ部分でいいなぁと思ったコトバ。
「わたしはそのなかですごく興味ぶかかったのは、ヘナさんのことばのなかに、「高い教育よりも、すこしの知識をもっている人のほうが、識字の先生にはふさわしい」という......。わたしはそのことばを聞いただけで、その分科会に出た値うちがあったなあ思うんです。ときとしたら、教える側ていうのは、自分の知識をいっぱいいおうとと思うんです。でも、識字の場所で学びたい人は,生活のなかでことばを獲得していきたいんですねぇ。」(小沢有作編『識字をとおして人びとはつながる』)

はっとする。

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Pistahan!

2008年11月02日 10時04分36秒 | 人づくり・場づくり
昨日はフィリピンのおまつり。地域に暮らすフィリピンの人が自分たちで企画、準備、運営をしました。去年までは日本人のボランティアが中心となって企画、準備、運営をして。楽しかったねって感じで終わってたんやけど。今年は180度方向転換。どうなるか不安やったし、広報は10日ほどしかできなかったけど、全部で100人近く集まりました。

出し物なんかで出演する人も会場に来ている人も国際結婚の女性が多く、子どもをつれてきている人もたくさん。みんな、どんな思いでダンスを見たり、ごはんを食べたり...この空気を吸ったんやろう。お連れ合いさんはどんな思いで今日一日すごしたんやろ。

ま、それはともかく、お母ちゃんらは、みんな表情が生き生きしとったし、かっこよかったです。そりゃ、細かいことを言えば、改善点もあるのかもしれないけど。でも、良かったというか、かっこよかった。ふだんは顔を合わさない人らもフィリピンのお祭りということでつながるしね。

やっぱり、いつまでも支援なんて言ってたらあかんなぁ、力を発揮させていなかったのはマジョリティ側なんやなぁということを感じた。環境と条件さえ整えば、みんな自分たちで自分たちのやりたいようにやるんやもん。という当たり前の話。支援や援助を美談にしたらあかん、そういう環境しか作ってこなかった社会をまじめに振り返らんと。

ま、お祭りなので、これだけで劇的に何かが変わるわけではないんやけど。ちょっとした種まきになればええな。

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あったりまえ

2008年10月31日 22時35分27秒 | 人づくり・場づくり
うちのセンターでは小さい子どもがあっちゃこっちゃでうろうろしてて。友だちとの息抜きや日本語の勉強に子どもを連れてくる人もたくさんいる。

で、それを見てて感じること。子どもっていとも簡単に環境の違いを乗り越えるように見られることもあるし、しばらく放っておけばすぐに慣れるって思われることが多いけど。

やっぱり環境の変化にはすごくストレスを感じてるよなぁと思う。言葉の違い、周りのおとなや子どもとの関係の違い。環境の違い。そういった変化に伴って親がいろいろ変化する部分もあるし。そういった変化に対してやっぱりストレスを感じる子どもは結構たくさんいて。子どもがそういった環境の変化にうまく適応できず、ストレスを何らかの形で表に出したときに、親がストレスを感じ、それが子どものストレスの要員になるなんてこともたくさんある。

第一、何故環境が変わったのかが理解できず、根こそぎ生活圏を奪われたような感覚になるんちゃうやろか。今、ここが大事だって思うと、よりケアが必要なのは子どもかもしれん。

世の中の当たり前にも、嘘がいっぱいやな。
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すぱっと

2008年10月15日 22時21分48秒 | 人づくり・場づくり
今日は暑かった。半袖でもいいくらいやった。うちの職場は日当りが良くって結構蒸すしなぁ。

明後日、中学校で識字の話。メインではないので、足を引っ張らない程度にがんばらないと。当日使う夜間中学校の様子をとった写真を本からパソコンに取り込んだりして、整理してたんやけど。当たり前やけど、いろんな人が来てて、勉強だけじゃなくっていろんなことをしてて。想像すりゃ分かるけど、伝えられない/あまり想像されない部分って何やろうなって思う。また、そうやって一面的に作られたイメージって一人歩きをすることも多いもんな。

うまくイメージされていない部分、簡単に説明がつかなくって、一言ではいえない部分に何かあるんやないかって思う。何となくあまのじゃくでしかない気もするけど。

午後、ある市で地域日本語ボランティアの役割について話をしてほしいという電話を受ける。大枠を聞くと、ぼくのコマ以外は外国語としての日本語とか会話の活動の組織の仕方とか、何かそんなの。「日本語ってこうです!」「こうやって教えたらいいんです!」って部分じゃなく、すぱっと言い切れないところを、みんなが頭寄せて「ああでもない、こうでもない」って話をすることが大事なんやろうなって思う。そのへんを少しでも伝えられたらな。

やっぱり一言では言えない部分、すぱっと言えない部分だよなぁ。

ま、まだまだ先なので、もう少し整理はしないといけないと思うけど(笑)。
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支援学校

2008年10月03日 21時52分05秒 | 人づくり・場づくり
このあいだ、職場に行くと、「来週、×××(某大手スーパー)で面接があるので14時に来てください。」とメモが貼ってあった。実は最近、生活が大変でアルバイトを始めようかと...

...いやいや、大変なのは事実やけど、アルバイトは申込みしてへんし。何やろなぁと思ったら電話がかかってきて。

支援学校の学生の職業体験の面接にいっしょに来ませんかと。ぼくは見てるだけになりそうやけど参加させてもらうことに。具体的に形にするのは少し先になるだろうけど、外国人の就労支援のイメージをふくらませたいなと思ってお願いしてた分でした。しかも、支援学校の学生が職場に入るのにどう準備するかということだけでなく、受け入れる企業側がどう変わるか、どう受け入れるかということを力を入れてやってるみたいで楽しみです。 ねらいは就労支援よりもネットワーク作りなんだけど、何かやらないとネットワークも作れないので。

今朝の毎日新聞の記事を見ていても思ったんだけど、結局、外国人を管理する形で多文化共生を進めるか、それとも人権を大事に進めるか、それによってマジョリティの置かれる位置も変わるだろうし、どういった変化が求められるのかということも変わると思う。

そういう意味でも、どんな刺激が得られるか楽しみです。
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ネットワーク。

2008年09月24日 20時52分15秒 | 人づくり・場づくり
今日は朝からipodのイヤホンがぱっかと割れて。何となく嫌な感じだなぁと思ってたら。

午後からの会議はひどいもんでした。地域の識字、日本語のネットワークの会議だったんだけど、目指すところが共有されておらず、何となくばらばらなままで。ネットワークって何か具体的に解決したい課題があればうまく機能するけど、それがない場合は情報交換だけで終わってしまう。もちろん、情報交換は大事だと思うけど。現状に満足しているか、現状をなんとか少しでも変えたいと思うかでネットワークに対する期待も変わってくるもんなぁ。

と、まぁ、温度差が非常に激しい会議でした。外国人が集まらない、とりあえず教科書で対応、地域にどれくらいの外国人がいて、どんな課題があって、どんなアプローチが必要かなんて考えない。お金が減ったら、とりあえず教室の回数を減らす...といった状況に対して何の問題も感じていないことが問題なんだろうな、でも、それをどうやって伝えるか、共有するかって本当に難しいと思った。

でも、まぁ、いろいろしゃべっても伝わらないし、動かないってことは、ぼくの伝え方、内容、プレゼンの仕方が悪いところもあるんやろうな...っていうか、かなり自覚(苦笑)。ま、頭使って足使って頑張るしかないわな。で、さっきまで高野雅夫(...昔の「高」が出てこない)の『父の遺言、僕たちの新書』という本を読んでたんやけど、ほんまにごっつい人やなぁ。ちょっと元気出てきました。
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紙一重

2008年09月23日 23時24分31秒 | 人づくり・場づくり
明日は会議が一つ。地域の日本語、識字に関係する会議なんやけど。いつも停滞感がただよう会議なので、何となくテンションがあがらない。いろいろ意見や案を出しても、なかなか対話にならないし。たぶん、ある程度の形ができてしまっているというのも大きいやろうな。形あるものを変えるのってめっちゃ労力が必要やし。だから、今の形がいいか悪いかはともかく、「このままでいきましょう」ってことになるんやろうな。これって役所に限らず、市民活動でも出てきたりする。落ち着く、安定し出すって停滞すると紙一重やもんね。

というわけで、明日はぼちぼち。真っ向勝負はそこそこに、外堀を埋める作業に力を入れることにします。
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仕事

2008年09月22日 15時04分30秒 | 人づくり・場づくり
今日は休み...のはずやけど、仕事で確認が必要になって、朝から市の南の方へ。こってこての町なんやけど、見事なまでに化粧の濃さが変わります、今日は虎柄のシャツの人とか見んかったけど(笑)。確認は1時間ほどで終了。

大きくは空港跡地をうまく利用し、産業振興をはかる中で雇用を創出するという事業。その時に、就職困難層への就労支援と事業者への介入がセットになっていて、いっちょかみしてるんやけど。事業者への介入の仕方がポイントらしいです。これまでに障がい者のOJTなどを企画したりする中で、実際に就職までいたったケースも何件かあるらしいんやけど。これまで、例えば障がい者や外国人と接点のない事業者は何ができないのかということばかりがクローズアップされて、一緒に仕事ができるなんて、思いもしないらしい。障がい者の場合は法定雇用があるけど、潜在能力の発揮というところにはなかなかたどり着かないらしい。外国人の場合もいっしょで、本当に能力が高い人も多いんだけど、どうしていいか分からないみたい。実際に動き出すのは10月半ばくらいになりそうなんやけど、就労へ結び付けるようなプログラム、受け入れ方について考えてもらう事業者向けの資料やプログラムをちょっとずつ準備しないとね。

でも、本当のねらいたい部分は外国人を雇用している事業者とのつながり、地域で働く外国人とのつながりで。元気にやってる人はそれでええんやけど、しんどい状況に置かれている人、短期ではなく定住を志向している人とうまくつながることができたらええなぁと思ってます。

『顔の見えない外国人』じゃないけど、地域と接点が作れていないことも多いもんね。

夕方からは飲みながら別の人と打ち合わせ。それまでに資料を作っておかないとあかんのやけど、ちょっと面倒やなぁ。どうせ、飲み出したら、資料なんて見~へんやろし。ま、ぼちぼちやろか。

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ちから

2008年04月11日 22時37分47秒 | 人づくり・場づくり
今日、中国帰国者の人が3人来ました。学部の時に勉強した中国語、かなりあやしかったけど、ちょっとだけ通じました。もっとちゃんと勉強しておけば良かったという気持ちもちょっとあったけど、それよりもこれからちゃんとやろうって気になりました。

1月に来日したらしいけど、ほとんど日本語が話せない。普段は家の中にこもりっきりらしい。言葉が話せないところからきているのか、とても控え目な印象。言葉だけからきているのではないかもしれないけど、でも、言葉から来ている部分も大きいんやろうな。今『識字をとおして人はつながる』という本を読んでいるんやけど、人が言葉を獲得して社会の中でうまく機能するようになる(機能的識字)ことも、もちろん大事だけど。言葉を取り戻していく中で自分を取り戻していく、社会にいろいろと発信していくのってすごく大事だなということを肌で感じました。

夜間中学にも行ってみるって話だったけど、今日会った人たちとは、これからもいろいろ話したいなと思いました。
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流れ

2008年03月08日 21時16分50秒 | 人づくり・場づくり
今日は年末年始と「なんで来るの?」と言われながらも、何度か足を運んだ中学校の先生に誘われて、ある研究会の会議へ。

何をするのか全く分からないまま参加したんだけれども、思いのほか、話が広がりそうな感じ。小学校・中学校とその先生、高校、大学、地域のボランティアや企業をどうつないで、どんな出会いを生み出して、外国にルーツを持つ子どものサポートと地域変革を実現するか。

そんな簡単でないことは重々承知だし、難しいやろうなぁとは思うけど。でも、チャレンジしてみようと思った。ちょろちょろっときた流れをぐっと広げて、強く持っていかないとあかんのやろうな。正直、できるかどうか不安やけど、やってみたい。やるぞ。
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アメラジアンスクール

2008年02月18日 16時33分42秒 | 人づくり・場づくり
土曜日はアメラジアンの話。基地の落とし子であったりとか、アメリカと日本のはざまとして表現されたりすることもあるけれども、むしろ実践の話からはいきいきとしたものを感じた。そして何よりすごいのはアメラジアンスクールは公立の学校にも居場所がなく、基地内の学校にもインターナショナルスクールにも通えない子の保護者が立ち上がってそのまま作ったということ。それを市民が支えているということ。もちろん、まだまだ課題は残っているらしいけど、市民の力ってやっぱりすごいなと感じた。

構造的な問題と個人個人の問題とは一致しないけど、切り離すことはできない。でも、何かをかえようとして働きかける時には両方を分けて動かないといけないんだろうなということを感じた。しかも、どっちの話をするかって時に確実に視点がかわってくる部分があるんだろうなということも感じた。

うまくまとめられないけど、でも、そんなことを感じました。
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活動と場

2008年02月15日 23時42分12秒 | 人づくり・場づくり
最近思うこと。活動を作るのか、場を作るのか。どっちが絶対的にいいというわけではないけど、両方を使い分けることで人が生きたり死んだりするんやろうなぁと。日本語の教室であろうと、地域の日本語活動であろうと、町づくりであろうといっしょかなって思う。
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周り

2008年02月05日 12時02分38秒 | 人づくり・場づくり
先週の土曜日の語りについて考えたこと。

その人は6歳で来日し、さまざまな苦悩や葛藤を抱えて12歳で一人帰国した。学校で経験した苦しさや辛さ、周りから受けた「受け入れられないという態度」は確かに大変だったということは伝わった。子どものころのことだったので、忘れたこともたくさんあると言うけど。

でも、その日の淡々として軽快な語りからはどうしてもその時の苦悩や葛藤の中心に迫れないと感じた。言葉に出てこないこと、そこにどう思いを馳せるか、そして周りが決して立ち入ることはできないけど、でも、吸い寄せられるような闇に思いを馳せることは大事なんだろうなと思う。

ふと思い出したのは、ある研修生との会話。同僚のこと、仕事のこと、休みの日のこと、いろいろ楽しそうに話をしてくれるけど、仕事の話が中心になりだすと、ぱたと会話が止まり、急に話題が他のことへと移る。そこに何かあるんやろうなと思うけれども、絶対に触れず、会話はその周りをぐるぐる回るばかり。

信頼関係ということもあるかもしれないけど。でも、語ってしまった瞬間にそれは闇であったことが闇でなくなり、急に扱いやすいものに変質してしまうんじゃないだろうか。

だから知ることはできないというのは無責任のような気がするけど。でも、本質的にその立場に立つことはできないということ、同一化はできないということを頭に入れておくのは大事な気がする。

多文化共生、地域づくり、日本語支援、学習支援、いずれについて論じるときもそうかなと思う。それを受け止めた上でどうするかという話があってもええのかなと思った。
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セミナー

2008年02月03日 14時34分02秒 | 人づくり・場づくり
昨日、セミナーがあったんだけど。講師が話をするだけでなく、交流会でもそれぞれが聞きたいことを聞き、思いを語り、ほんまにええ場でした。ただ単に何かを批判するではなく、自分の歴史、出会い、思いを本当にぶつけてくれているというのが、じんじん伝わってくる集まりでした。講師の歩んできた歴史から始まり、いろいろ社会的な問題へのコメントもあり。

格差社会は今、日本人の間で大問題であるかのようにいわれているが、外国人のあいだではワーキングプアや格差社会はすでに何十年も前からあったこと。今、初めて問題であるかのように取り上げられることの意味を取り上げないといけない。子どもたちの学力問題が叫ばれているが、学力問題とは福祉の問題であるという指摘。なぜ、中国が今、ぎょうざの件でこれほどまでに取り上げられるのか。日本は近代の歴史の中で初めて自分たちと対等になろうとしている、あるいは追い抜こうとしている国と直面していること、これまでのアジア観が非常に貧しかったこと。子どもたちへの教育は単に居場所、逃げ場だけでなく、それにプラスして自分たちの置かれている状況を他者に根気づよく説明できるようになることが大事だということ、単に自分たちの生まれた状況を運命として受け止めるだけでなく、それがどういった社会的・歴史的背景の中で生まれたのか知ること、また、そのことにより人としての尊厳を持つこと、「教育はイデオロギーから自由にはなれないが、自由であろうと努力をすることは必要だ」という言葉。権利の調整などは対等な立場におかれているときは意味を持つが、対等でない場合は徹底して権利を侵害されている人の立場に立つこと...などなど。

根性論、精神論ではなく、思いがないと何もできないということを感じた。今までいろんな人の話を聞いてきたけど、昨日が一番心を動かされたかも。良かった。

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