ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

目の見えない人は世界をどう見ているか…から

2023年06月28日 21時52分35秒 | 
「思い通りにならなくてはだめだ」「コントロールしよう」という気持ちさえなければ、楽しめる。

思ったとおりにならないことを楽しみ、それ自体を経験として遊んでいく。
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抜粋 移民政策とは何か

2019年05月08日 01時24分32秒 | 
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フランスの反人種差別の転換は「反ヘイト」から「反差別」という以上の意味をもつ。第一に「ヘイト」のようにあからさまな差別から,(就職差別のように)見えにくい差別へと焦点が移行した。第二に,差別を自覚的なものから「非自覚的なもの」ととらえるようになった。第三に,差別行為の主体として問題化する対象を個人から(企業などの)集団に拡大するようになった。第四に,差別への(「悪いことをしてはいけない」というような)道徳的アプローチから,(差別は社会・経済・政治的構造のなかで生み出されるため,構造の変化を目指す)構造的アプローチへの転換が起きた。
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反差別 独立した人権機関の設置が急務だ 森千香子

「移民政策とは何か」
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気になった部分の抜粋 反転する福祉国家

2019年05月05日 10時28分47秒 | 
労働の多様性を大事にすることは、現実の不平等を固定化することと紙一重である。
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2019年03月30日 00時53分35秒 | 
職場のみんな,いつも手伝ってくれているスタッフ,支えてくれている先輩方と一緒に書いた本が届いた。中身はどうであれ,今を振り返り,刻み込んだことは大きいと思う。

それがあればこそ,これまでとこれからが見通せるような部分もあるので。

不思議なもので,こうしたい,こうした方がいいと思って書いてしばらく経つと,むしろ違うアイデアや展望が見えてくる。でも,客観的に自分を見つめるということはそういうことなのかもしれない。

それはきっと次に進みだしたってことなんだろうな。
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抜き書き ~ 文化的営みとしての発達

2018年10月03日 11時24分45秒 | 
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文化コミュニティにおける子どもの生活にはさまざまなバリエーションがありますが、なかでも影響力の
大きなもののひとつに大人の活動を観察したり参加したりすることがどの程度許されているかについての違いがあります。中産階級が暮らす環境では、子どもを大人の活動から分離することは当然のことと考えられていますが、ほかの多くのコミュニティでは、それはむしろめずらしいことです。

もちろん、時には家内工業や自営業で働く子どもたちが搾取されることもあります。しかし、子どもたちが、経済的な関係だけで繋がっているのではない親族と一緒に働く場合は、生産的な仕事に貢献することから満足感や学びを得る可能性がより高いように見えます。工業化以前、工場生活で分業が取り入れられる前には、子どもたちはもっとさまざまな家族の仕事や社会生活の中で、家族たちと協力して働くのが普通だったのです。

現在では、米国の大多数の子どもたちや若者が、家族やコミュニティに貢献する機会や、何かを達成するために大人と一緒に働くという機会をほとんど持てずにいます。その結果、子どもたちが学びと満足感を味わうことができるような貴重なアレンジメントを欠くことになってしまっているのです。

学校は、通常、大人が活動する場から子どもを遠ざけ、特別に準備された非生産的な練習課題を与えることで、子どもたちに成人の役割を担う準備をさせることを目的として組織されています。

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バーバラ・ロゴフ「文化的営みとしての発達 個人、世代、コミュニティ」新曜社
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文脈

2018年08月17日 08時23分14秒 | 
極端な話、自分の生きることのできる文脈は1つしかない。どっぷりと浸かっている文脈は1つだけ。

だからこそ、ほかの人が生きる世界、文脈にどれだけ想像力を働かせることができるかが、大事なんやと思った。

「高卒女性の12年 不安定な労働、ゆるやかなつながり」杉田真衣 大月書店を読み始めて。
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抜き書き ~自分とは違った人たちとどう向き合うか 難民問題から考える

2018年08月05日 15時23分23秒 | 
社会の課題を個々人が解決しないといけないような状況に陥っている。そもそも個々人がもつ資源というのは限られるし、人によって大きく異なるといった内容に深くうなずく。そもそも無理やん、おかしいやんって状況に追い込まれている外国人はたくさんいる。別に本人、何か決定的に間違ったわけでもなくって、ほかの人もふつうにするようなミスとか選択間違いはあったりするけど。そんなんだれでもある話。

社会全体が労働力を求めていたり、消費する人を求めているにも関わらず、その人たちの生活は個々人の責任になる。施策は社会全体をどうするかということで動くが、生活は個々人の責任において行うことが求められるし、それが当たり前だと思うような教育が行われているということだろうな。

それを、そこに押し付けたら…考えようによったら、そりゃ楽やんなって話。

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権力者が暮らしやすい生活を実現する義務を免れ、人間が抱える存在の不確実性の処理が個人に託されるなか、そうした問題に取り組む責任は完全にまた直接、か弱い個人が背負うことになり、その一方で、存在にかかわる苦痛と苦難に対処することは、それを被るものが自力で行うDIYの作業とされている。社会が個人生活における偶発的な事態を集団的に保障するという約束を取り下げてしまったために、社会が生み出した諸問題に対策を講じ、解決策を求めるのは今は個人の仕事になっている。そうした状況に置かれた個人は非常に不十分な自らの資源に頼らざるを得ないか、そうなる危険に直面している。
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ジグムンド・バウマン「自分とは違った人たちとどう向き合うか 難民問題から考える」青土社



個人化、自己責任が強い中でどんなセーフティネットを作るかということを考えないといけない。
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抜き書き ~社会的困難を生きる若者と学習支援

2018年08月05日 10時10分25秒 | 

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青砥はこれらインタビュー調査の結果や行政の各種資料に基づき、高校中退の原因を以下の8点に整理している。すなわち「①低学力、②学習意欲の欠如、③基本的な生活習慣の訓練(しつけ)がされていない、④人間関係の未成熟、⑤アディクション(もの、動物、性行動への依存)、⑦貧困層の囲い込み政策、⑧やめさせたがる教師たちの存在」


具体的な施策として推進された「地域若者サポートステーション」事業においては、「新たなネットワークの構築」「積極的なアウトリーチ事業(訪問支援)」「貧困の連鎖の防止」「学び直し」「生活支援・就労支援」といった観点から、その取り組みが展開されていく。

社会的困難を生きる若者は、様々な形での抑圧的な状況に置かれていることが多い。そのような抑圧的な状況を、学習支援の戸郁美だけで解消していくことはもちろん困難であるが、逆に学習支援だからこそできっることもあるのではないか。困難な状況に置かれている若者が、支援者との、もしくは若者同士のかかわりの中で学習することを通して、自らの置かれている状況を対象化し、見つめなおすことができれば、それが困難な状況を打開する若者自身の主体性や意欲、自信等を生み出す重要な契機となるかもしれないのである。

今日の日本の学校や家庭では、子どもの将来の職業についての会話が少なく、目先の進学等にとらわれて、職業像の形成が先送りされる傾向がある。

基礎的なリテラシーを学うことを職業教育の前提とすることが多いが、職業教育の中にリテラシー教育が含まれるといった進め方もある。

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岩槻知也編「社会的困難を生きる若者と学習支援」明石書店
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抜き書き ~レイシャルハラスメントQ&A~

2018年05月30日 00時47分21秒 | 
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…マジョリティ/マイノリティは一般に多数派/少数派と訳されますが、より正確にはむしろ支配的集団/従属的集団という意味だと理解したかたがいいでしょう。

…レイシャルハラスメントとは、簡単にいえば人種、皮膚の色、祖先、出身地、民族的出自、民族文化、宗教的信条、国籍などの人種・民族的要素に基づくハラスメントです。そしてハラスメントとは、受け手が望んでいない、攻撃的、侮辱的、有害だとわかる不快な言動のことです。
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「レイシャルハラスメントQ&A」金明秀、解放出版社
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抜き書き 〜べてるの家の「非」援助論

2018年05月23日 00時50分47秒 | 
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…「地域が良くならなければ、自分たちの暮らしも良くならない」

…悩みや苦労をとりもどすために、みんなで商売をはじめた。

…べてるは、いつも問題だらけだ。今日も、明日も、あさっても、もしかしたら、ずっと問題だらけかもしれない。組織の運営や商売につきものの、人間関係のあつれきも日常的に起きてくる。一日生きることだけでも、排泄物のように問題や苦労が発生する。しかし、非常手段ともいうべき「病気」という逃げ場から抜け出て、「具体的な暮らしの悩み」として問題を現実化したほうがいい。それを仲間どうしで共有しあい、その問題を生き抜くことを選択したほうがじつは生きやすいーべてるが学んできたのはこのことである。こうして私たちは、「誰もが自分の悩みや苦労を担う主人公になる」という伝統を育んできた。だから、苦労があればあるほどみんなでこう言う。「それで順調!」と。

…合い言葉は「安心してさぼれる会社づくり」「利益のないところを大切に」「弱さを隠さず、弱さをきずなに」である。
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「べてるの家の「非」援助論」 浦河べてるの家、医学書院
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抜き書き 〜アラブ、祈りとしての文学〜

2018年05月22日 20時57分52秒 | 
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…イスラエルのパレスチナ人監督ハーニー・アブー・アスアド監督の映画『パラダイス・ナウ』(2005年)にも、この裏切りのモチーフが書き込まれている。占領下のヨルダン川西岸、ナブルスの町で自動車整備工として働くサイードとハーレドにイスラエル市街での自爆作戦の任務が下る。映画は作戦遂行までの2人の48時間を追う。難民のサイードが熟考のすえに自爆を抵抗の手段として是認するのは、彼の父親がイスラエルの協力者だったからだ。極貧の難民の家長にとって家族を養うために唯一残された道はイスラエルの協力者になることだった。「占領」の暴力は、このようにして、家族という、人間にとってもっとも大切な存在、もっとも弱い部分につけこむことで、占領に抗して生きるという被占領者に残された唯一の誇り、人間として残された最後の尊厳までをも破壊する。その卑劣さに抗するには自爆という手段しかない、それがサイードの下した結論だった。
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「アラブ、祈りとしての文学」岡真理、みすず書房
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抜き書き 〜戦後日本語教育額とナショナリズム〜

2018年05月22日 13時54分49秒 | 
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…この時期の日本語教育には、日本語を教えることだけでなく、別の目標も課せられるようになっていた。80年代半ば以降、外国人と日本人とが直接交流する機会が増加した。交流機会の増加という状況の中で、日本語教育には、単に日本語を教えるだけにとどまらず、日本に対処・適応する能力の育成が求められるようになったのである。日本に対処・適応する能力とは何かと言えば、日本人の思考様式を含む日本事情を知識として理解し、それにどう対処するかを考えておくことで、実際の接触場面でのトラブルを解決したり回避したりする能力ということになる。
 こうした教育目標は、第Ⅱ期のような、精神的に日本人と同じようになることを促すものとは異なる。日本人との実際の接触場面でトラブルや摩擦が起こらないようにする、または起こったとしてもうまく対処し解決するというものである。日本人の考え方はそのために必要な知識の一つとして位置づけられている。しかしこの目標は学習者が自分にとって違和感をもつ現象にであったとき、それに異議申し立てをし、その現象のほうを代えさせるといった可能性は想定していない。
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「戦後日本語教育学とナショナリズム」牲川波都季、くろしお出版
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抜き書き 〜アラブ、祈りとしての文学〜

2018年05月22日 13時48分13秒 | 
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…サバルタンが語ることができない(スピヴァク)のは、サバルタンが語っていないから、ではない。語っているのに聴き取られないからである。あるいは、語っているのに、その言葉が知識人によって横領され、勝手に表象されてしまうからである。だから、サバルタンの声を聴き取ろうと思ったら、知識人は学び知った知識を忘れ去らなければいけない。分有している権威を捨て去らなくてはならない。独房の冷たい地べたに座って、女たちの語りに虚心に耳を傾けなくてはいけないのである。
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「アラブ、祈りとしての文学」岡真理、みすず書房
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抜き書き 〜戦後日本語教育額とナショナリズム〜

2018年05月09日 13時49分23秒 | 
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…植民地や占領地などで日本語教育に従事した者、それらの場所で使われる教科書を日本国内で作成した者、日本語教育の政策立案などに関わった者など、戦前・戦中に日本語教育に何らかの関係をもった者は決して少なくない。しかし、戦前・戦中の日本語教育関係者で、敗戦直後のこの時期に日本語教育について言及した者はほとんどいなかった。1945年12月には、戦中まで日本語教員派遣事業や教科書編纂などに中心的な役割を果たした日本語教育振興会の理事長、岡部長景が戦犯容疑で巣鴨に収監されるなど、当時、戦中の日本語教育関係者は公職追放の危機にあった。

…ある教授の話では「長沼先生に全部GHQに付いていっていただいたので、追放になった人の中に日本語関係者はおりません、…」

…長沼直兄は、1923年から17年間、米国大使館の日本語教官を務めており、そのときに築かれた人脈が日本語教育関係者の公職追放を防いだという。しかし長沼守人が語った同じ座談会の中で、戦中、フィリピンで日本語教育に従事していた木村宗男は、フィリピンの教育課長が密告・告訴によって公職追放されたと述べており、また長沼守人も占領期当時の状況を「今でも当時のこととなると、おびえて話さない人もいますよ」とも話している。長沼直兄の力によって追放を逃れる場合が多々あったにせよ、日本語教育に関わっていたことで戦犯となる可能性が十分にあったのが当時の状況だったと考えられる。したがって、戦中に書いた自らの著書や日本語教育との関わりについては触れないほうがよく、まして積極的にそれを振り返るような論考が公刊されなかったのも不思議ではない。

…戦中の動きとして保科が論じているのは、陸軍省を初めとする軍部による漢字制限・仮名づかいの改訂に限られている。大量の動員にともない兵士の学力が低下したが、兵器の使用法などに関する教育のため感じを制限し仮名づかいを改める必要があったので、それまで漢字を多用していた軍部自らが国語改良を推し進めたという動きである。

…戦後の日本語教育の本格的な復活は、1950年代に入ったころからと言われる場合が多い。国際学友会の日本語クラスが再開され、インドネシア政府派遣技術研修生の受け入れも始まったのが,その頃だからである。ただし、それ以前に全く日本語教育が行われていなかったわけではない。敗戦直後から占領期終了後の日本語教育を論じた木村によれば、占領期には、米軍総司令部参謀部の日本語地区語学科、米国第8軍のArmy Education Centerをはじめとする一般の将校軍属と家族のための日本語教室、日本国内の主要な米軍基地内に設けられたメリーランド大学極東部、キリスト教宣教師とミッションスクール教師を主な対象とした東京日本語学校、関西の宣教師のための日本語学校といった施設で日本語教育が行われていたという。
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戦後日本語教育学とナショナリズム、牲川波都季、くろしお出版
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ソーシャルワークの報告書から

2018年05月05日 08時49分25秒 | 
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…【複合化・複雑化した課題を受け止める多機関の協働による包括的な相談支援体制を構築するために求められるソーシャルワークの機能】
・地域において支援が必要な個人や世帯及び表出されていないニーズの発見
・地域全体で解決が求められている課題の発見
・相談者が抱える課題を包括的に理解するための社会的・心理的・身体的・経済的・文化的側面のアセスメント
・相談者個人、世帯並びに個人と世帯を取り巻く集団や地域のアセスメント
・アセスメントをふまえた課題解決やニーズの充足及び適切な社会資源への仲介・調整
・相談者個人への支援を中心とした分や横断的な支援体制及び地域づくり
・必要なサービスや社会資源が存在しない又は機能しない場合における新たな社会資源の開発や施策の改善の提案
・地域特性、社会資源、地域住民の意識等を把握するための地域アセスメント及び評価
・地域全体の課題を解決するための業種横断的な社会資源との関係形成及び地域づくり
・包括的な相談支援体制に求められる価値、知識、技術に関する情報や認識の共有化
・包括的な相談支援体制を構成するメンバーの組織化及びそれぞれの機能や役割の整理・調整
・相談者の権利を擁護し、意思を尊重する支援や方法等の整備
・包括的な相談支援体制を担う人材の育成に向けた意識の醸成

【地域住民等が主体的に地域課題を把握し、解決を試みる体制を構築するために求められるソーシャルワークの機能】
・潜在的なニーズを抱える人の把握、発見
・ソーシャルワーカー自身が地域社会の一員であるということの意識化と実践化
・地域特性、社会資源、地域住民の意識等の把握
・個人、世帯、地域の福祉課題に対する関心や問題意識の醸成、理解の促進、福祉課題の普遍化
・地域住民が支え手と受け手に別れることなく役割を担うという意識の醸成と機会の創出
・地域住民のエンパワメント(住民が自身の強みや力に気づき、発揮することへの支援)
・住民主体の地域課題解決体制の立ち上げ支援並びに立ち上げ後の運営等の助言・支援
・住民主体の地域課題解決体制を構成するメンバーとなる住民や団体等の間の連絡・調整
・地域住民や地域の公私の社会資源との関係形成
・見守りの仕組みや新たな社会資源をつくるための提案
・「包括的な相談支援体制」と「住民主体の地域課題解決体制」との関係性や役割等に関する理解の促進
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「ソーシャルワーク専門職である社会福祉士に求められる役割等について」2018年3月27日
社会保障審議会福祉部会福祉人材確保専門委員会
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