ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

やっぱこれでしょ。

2006年03月15日 14時20分36秒 | もろもろのこと
今日はやっぱりこの話、WBCしかないでしょ。

松坂はすごかったなぁ。150キロ超える球をびゅんびゅん投げ込んでたもんな。あんだけ切れのある球はそう簡単には打てないで。ランナーを出してからの粘りも良かったし。最近はちょっと頼りないかなってイメージがあったけど、今日はすごく頼もしかった。

打線も小笠原やってくれたね。イチローがマルチってのも気分がいい。とにかくメキシコに勝ったおかげで、明日の韓国戦ががぜんおもしろくなってきた。先発は予定どおり渡辺俊介かな。1次リーグで負けた雪辱を果たしてほしい。

っちゅうか、見たかったなぁ~。今日は用事で全く見れず。涙ですわ...。
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ボランティア。

2006年03月14日 21時38分05秒 | 人づくり・場づくり
ボランティアって「奉仕活動」とかって訳されることもあるけど、そういう活動で生まれる人間関係って時には窮屈なんだろうなと思う。「助けるー助けられる」って関係が固定されると苦しいこともある。自分っていつも助けられる側なんやって感じで。

だから仲間や友達って感覚で集える場所が必要なんやろうな。でも、人によっては周りの助けが必要になることもある。でも、その時に「常に助ける人に助けてもらう」のと「友達やから、仲間やから放っとかれへんやん」って感じで助けてもらうのは全然違う気がする。

別に外国人じゃなくても、友達が困ってたら自然に「助けたろか」ってなるように、地域や町が作られていったらええのなと思った今日この頃。

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あれはあり?

2006年03月13日 14時05分59秒 | もろもろのこと
WBC日本負けたなぁ。最後、8回のチャンスがいかしきれず、9回にさよなら負けしたってことで多少力の差はあったのかもしれないけど。でも、力というよりは判定が流れを左右したって感じがある。だから、よけいに悔しいな。日本はこれでもう負けられなくなった。でも、きっとがんばってくれると思う(というか願い?)

話は変わってアイスホッケーもレンジャーズが4連敗。7連勝したのに、その後4連敗って(苦笑)。今日からPruchaが復活してたから、彼に期待したいところ。早速一つアシストをあげていたしね。Malikも早く復活しないかな。彼がいるのといないのとではディフェンスラインの安定度が変わるんだろうな。

何かすっきりとしないなぁ。
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外国語のできる病院

2006年03月12日 06時01分21秒 | 人づくり・場づくり
いろいろ情報を調べていて分かったこと。

北摂地域ではポルトガル語で診察してもらえる病院がほとんどないということ。英語はもちろん、中国語、スペイン語は若干ある。でも、ポルトガル語はない。もちろん、全くゼロではなくて、「少し(a little)」となっている病院はある。でも、流暢でもなくて、日常会話レベルでもなくて、少し(a little)できるって言ってるばあい、本当にできないんだろうなと思う。

大阪市内まで出れば、日常会話レベルなら何とかという病院がいくつかあるけど。

スペイン語とポルトガル語ってお互いに違う言葉を話していても意思の疎通はできるって聞くけど、病院関係になったらどうなんだろうな。大丈夫なのかなとも思うけど、やっぱり不安だろうな。箕面にも医療通訳のグループがあるけど、スペイン語はあったけどポルトガル語はなかったし、病院に行くときはどうしてるんだろうなって思った。医療通訳ボランティアまでいかなくても、多少通訳できる人がついて行ったりしてるんだろうか。

もっと数が少ない言語の場合、どうなんねやろ。日本語を覚えるしかないんやろか。ほんまに高い壁やな。

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ふと思い出したんだけど、今一緒に活動しているラテンの人たちは、とにかく医療関係の情報を得たがる。どういう病気があって、それはどういう症状で、どう対応したらいいのかなどなど。最初は、そんなん医者になるわけじゃあるまいし、実際に症状が出てきてから病院に行けばええのにって少し思ってた。

でも、これだけスペイン語・ポルトガル語ができる病院が少ないと不安なんだろうなと感じた。多分、ぼくらが普通に生活してて感じている以上に、「病気になったら大変」という気持ちがあるんじゃないかな。現状を調べるまでそんなことには全然気が付かなかった。たとえ今、どんなに健康であっても、いざって時のことを考えると安心できる環境ではないということが一種の強迫観念みたいになってるのかもしれないと思った。彼/彼女ら自身がそう感じているかどうかは分からないし、自分で意識しているかどうかも分からないけど、あり得る話だなと思った。

まだまだ分からないこと、知らないこと、気が付かないことだらけだな。
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日本語教師だけど。

2006年03月08日 04時09分01秒 | 日本語教師のお仕事
日本語教師をして5年半。日本語教育、つまり「教育」に関わっているわけだけど、今日はっきりと気が付いたことは自分は教育者ではないということ。そして「立派な」教育者になろうなんて気持ちは全然ないということ。言葉になった時、すごく新鮮やった。自分が感じていた違和感ってこういうことやったんかって。

自分がしたいのはコミュニケーション。ただそれだけ。もちろん、教師という仕事はカリキュラムをこなさないといけないし、「教える」ということをしないといけない。でも、その時も単に知識を伝えて、詰め込んで、学習者を導くなんてことには興味はない。教師がその場の狙いとして心に思い描いていることを、そのまま伝えるのではなく学習者が自分の問題・課題としてとらえられるように問題提起をする。で、学習者が無事、自分の問題・課題としてとらえて、それについて自分の言葉で語り出した時に教師役のぼくはぼくで真剣に思っていることや意見をぶつける。

その時の真剣勝負の時間は何物にも代えがたい至福の瞬間。学習者(この時は学習者というよりも、既にただの「相手」になってるけど)の表情も生き生きする。

教師として設定したゴールに学習者が結果として到達することはあっても、そこに無理矢理意地でも引っ張っていくことは目的でも何でもない。教師が設定したかった問題・課題が学習者自身にとっての問題・課題にもなるように問いかけ、それを軸に真剣にやりとりをする。教師と学習者のちょうど真ん中でやりとりする。時に距離を測り損ねることもあるけど...。

今日、友達と話してて、問いかけ問いかけられしながら、さぁ~っと視界が開ける感じがした。自分が感覚的に目指していたことが、言葉にできてほんまにうれしい。

...いつも以上に訳の分からない内容になってるけど、どうしても書いておきたくって。戯れ言、戯れ言。読み流してください。
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ええ気分やわ。

2006年03月03日 01時24分18秒 | 日本語教師のお仕事
今日も日本語教師養成講座の日。

前も書いたけど、授業って入り方が肝心、最初にリズムが狂うとそのまま乗れないこともあるしなと思って、心して教室に行ったんだけど。

今日のクラスは受講生が二人なんだけど、時間になっても誰も来ない。最近遅刻が多かったし仕事が大変みたいだしなぁと思ってたら、10分ちょっとして一人到着。でも、なんだかどよ~んとした感じ。これは出だしから盛り上がらず、うまくリズムつかめないかも、こけるかな?って思ったけど、もうどうせ出だしから遅れてることだし、世間話から入ることに。

そしたら「今日は本当に最悪の一日で。車に引かれそうになるし、鍵はなくすし。お昼ご飯コロッケを食べようとしたらソースはないし、仕方なくケチャップをかけようとしたら、思いっきりどばっと出てきて...」

で、すかさず。「いやぁ、ぼくも今日実は学校へ来る途中、自転車にぶつかられて。横からど~ん!と。めっちゃ痛かったけど、ぶつかった後もこっちは普通に立ってて、向こうはこけてたから、こっちは悪くないと思ったんやけど謝ったよ。何か今日はめっちゃぶつかる日やね。もう一人もぶつかってたりして(笑)」などなど。いつもより長くしゃべってたんだけど、そしたら「ちょっと、すっとしました」って。

で、ぼちぼち授業を始めて15分くらいしたら、もう一人登場。説明が佳境に入ってたので、横道にそれることなく、そのまま続けてたんだけど、もう一人も元気がない。いまいち乗り切れてない。で、休憩の時に一人車にぶつかりそうになって、ぼくは自転車に激突されたことを思い出して「今日、何かにぶつかりませんでした?」って冗談で聞いたら「え、おでこ分かります?」って。もう一人もいろんなところにぶつかるわ、仕事も大変やで散々な一日やったらしい。でも、いろいろ話して、ちょっとは気分晴れたみたいで。

今日は文法の授業やったんやけど、休憩後いろいろ例を出して考えてたんやけど、盛り上がる盛り上がる。みんな教師、受講生関係なく思い付いたこと、考えたことをぶつけ合うって感じで楽しかった。しかも、ただだらだら話すんじゃなくてポイントはきちんと押さえてたし(ちょっとずれたこともあったけど...)、みんな集中してた。

留学生対象の日本語の授業だろうと養成講座の授業だろうと、気分的に乗れないことってあるもんな。でも、そんな時でも「今日は気分乗らんけど、とりあえず、クラス行って話そか」って思える、で、話してたら、問題解決できなくても、とりあえず嫌なことは忘れて思ってること、感じてること、考えたことをぶつけ合いながら学べる。そんな授業ってええよなってことをつくづく感じた。知識だけじゃなくて、力ももらえる、そういう場をもっともっと作っていきたいなと思った。

今日はほんまにええ気分。
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下町ばんざい。

2006年03月02日 14時48分45秒 | もろもろのこと
大阪下町ばんざい。

昨日は十三で飲んだ。なんだか怪しい飲屋街というイメージもあるけど。すごくええ町。何がええかというと、とにかく安くてうまいお店がぞろぞろ。しかも店の雰囲気がいい。昔の雰囲気そのままのお店、飾らないお店が多くって懐かしい気分になる(昔から飲んでるわけじゃないけど)。あと店の人と話ながら飲んだりもできる。ええ味だしてるわ。

ちなみに昨日は一軒目(富五郎・先にカウンターにお金を出しておいて、そこから注文した分だけお店の人がとっていく。あとでお金がない!なんてことにはならない。客から川柳を募集しててそれもなかなかええ味出してた。ちなみに今月のお題は「ピンク」と...何やったっけ。忘れた)でも二軒目(メンソーレー・沖縄料理の店。料理もうまいけど、やっぱ最後に飲んだ泡盛が最高。食材は沖縄から取り寄せやって)でもそこそこ飲んで、そこそこ食べて。それで一人4000円ちょっと。やっぱええとこやで。
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教科書と日常会話の差

2006年03月01日 15時27分22秒 | 日本語教師のお仕事
友達の日本語教師とMLを作ってる。メンバーは3人しかいないけど。

一人は東京の大学、一人はパリで日本語教師をしてて。ぼくは関西の某大学で日本語教師をしてる。全然学習環境が違うし、実際に来ている学生も全然違う。ぼくのメインは予備教育としての日本語(就学生対象)だし、東京でやってる友達は学部生。それぞれの興味関心も違って、二人はわりと文法に興味があるけど、ぼくは教育学、社会学、心理学と周辺的(とされている?)こと。でも、お互いの興味関心の違いがいい刺激になってる。MLで流してることは日々感じたこと・疑問と「これはうまいこといった」という実践の報告。

何を目的として授業をするかという部分で全然違ったりするので、実践報告は読むだけでおもしろいし、自分に欠けている視点が入ってくておもしろい。そんなものが使えたりするのかという驚きもあるしね。

日々感じたことに関しては、最近、文法に強い友だちが教えてくれたんだけど、日本語の教科書ってそれぞれの文法項目に対するウェートの掛け方が日常会話とは大きく異なるというのがおもしろかった。「ている」と「てある」は日本語教育ではセットで扱われることが多いけど、使用頻度だけを見たら全然違うらしい。会話では「だろう」「でしょう」「かもしれない」のようなモダリティ表現はあんまり使われず「と思う」ばっかり使われるとか、他にもいろいろと。このあいだ、養成講座の授業でも「でしょう」なんて使うことないよなって話してたから、そうだろうなとは思うけど、結果としてまとめられたものを聞くと説得力が違う。

日本語教育では教科書を教えるだけでなく、そこに出ている項目をどう扱うかという感性も必要になってくるんだなぁと思った今日この頃。
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