ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

飲み会

2019年02月24日 23時39分06秒 | 当事者
今日の飲み会は途中で説教っぽくなってきたから,面倒くさくなって途中から話半分ぐらいしか聞いてなかった。

内容は悪くはないと思うけど,ストレートに言ったらええのにな。めんどくせえなと。それだけで聞く気がなくなるなぁ。それも含めて学びか。いつもはそんなことないねんけどな。
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人材関係の会社

2019年02月23日 21時49分33秒 | 社会
この春から外国人をたくさん受け入れるに当たって,事業者はきっちりと外国人の生活支援をしないといけなくなっている。でも,なかなか難しいところも多いだろうということで,支援の部分は外部に委託するのもあり。その外部は法務省入管に届け出をしないといけないんだけど。

早速,この4月からそんなサービスをやりますって会社が出てきている。それはそれでいいんだけど,ずっと外国人労働者の受入れを謳っていた人が関係している会社だとかって話を聞くと,なんだそれって思ってしまう。

実際のところはどうだか分からないし,そのあたりはきっと化かしあいってことになるんだろうけど。


日本の将来を考える,外国人労働者のことを丁寧に受け入れて共生社会をつくるとか言いながら,選挙に勝つためだとか,金儲けのためだとか,そんなんばっかりやんけ。

現場に足運んで,切実な声を聴いてみろやって思ってしまう。まー,そんな人たちは聴いたところで何も響かないんだろうけど。
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休み

2019年02月23日 19時42分25秒 | 当事者
10日ぶりのお休み。だけど,山のように締め切り付きの仕事がある。朝からエンジンかけて取り組むつもりだったけど,なんか疲弊してるなぁ。なかなかエンジンかかりそうでかからない。ようやくかかり出した。どこまでできるかな…。結構まずいな。

手帳を確認したら,次の休みは3月半ばだった。どこかで休み入れないともたないな。無理にでも休みいれるか。でも,とりあえず,目の前の山を片付けないと。

特に今週は仕事だけでなく家のことでもいろいろとあって,ハードな時間やった。パートナーも実家におるから家のこともせんとあかんし。

明日からは少し楽になるかな。気分的にずいぶんな。

さ,ぼちぼちやろう。
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おやこ

2019年02月20日 21時20分36秒 | 当事者
おやこの活動を見る。いつもながら、市民が本気で楽しみながら進める活動は本当につよいなって思う。

専門家の話や研究者のアドバイスなんかとはちがい、人を繋げて元気にする。

そんな親の姿を見たり、状況のなかで育つ子どもはええなぁと思う。


支援とかサポートをして元気にするんじゃなくて、楽しい活動に参加するなかで仲間ができ、いろんな話をするなかで元気になる。

とってもすてきな活動やなって思った。
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移動

2019年02月20日 20時59分10秒 | 当事者
大阪から広島に移動してお見舞い。北九州へ移動して夜間中学を見学して移動して夜10時から飲み会。

次の日は北九州で午前、午後と研修会の講師をして、広島へと移動してお見舞いのあと、大阪へ帰宅。今はその途中。

明日は朝から移動して打ち合わせ、移動して研修会参加して移動して打合せして、打合せして移動して会議。朝からふつうに出勤して終わるのは22時とかの予定。

ちょっと持つかどうか、不安になる。


なんとかね。
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広島

2019年02月20日 20時46分44秒 | 当事者
生まれてからずっと広島には行ったことなかったけど、30後半になって仕事ではじめていった。

結婚して、ふるさとが増えて、それで1年に1回ぐらい行くようになった。ふつうにふるさとが増えてうれしかった。

それが、父の体調が悪くなり、2か月で5回も6回も行くことに。

もっと違うかたちでたくさん足を運べたら良かったんやけど。

ずっと集中治療室の中でなかなか回復に時間がかかる。一番しんどいのは本人やから、まわりはわーわー言わんと落ち着いて頑張らんとあかんのやけど、医者やから、患者の立場になっても落ち着いている…。

次は退院祝いとかで行けたらええねんけどな。
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見舞い

2019年02月19日 17時24分40秒 | 当事者
これから手術。

手を動かしたり、指を動かしたりするのでさえ、厳しかったのに。今日はぎゅっと手を握られた。

手術自体は難しくない。でも、体力のこともあるし、何が起こるかは分からない。難しくはないらしいけど。

仕事があり、最後にもう一度手を握って離れる。

明日も途中下車。

少しでも元気なところをみたい。
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「研究」という見方の範囲

2019年02月17日 05時48分44秒 | 当事者
とある学会の公開研究会に参加した。というか,お手伝いとして関わった中で感じたこと。

昔から課題はあまり変わらないな。それは,何も進んでいないか,あるいはその領域だったり,テーマだったりが抱えている本質的で核心的な課題か,そのどっちかだろうと思う。前者だったらがんばらないといけないし,後者だったとしても,少なくとも深まった形での提示がなされていかないといけないのだろうなと思う。

現場と政策とのかい離をどうつなげていくか,役所や省庁などは縦割りだということ,政策を動かしていくにはエビデンスがいるけどそれはどんなものか,こういったプロセスに研究者がどのようにかかわるか,研究者や学会に何ができるかということ,広く一般の関心を呼ぶためにどういったことができるか。

課題を挙げた後,それをどう超えていくか,切り崩していくか等々,そういった部分の話が必要だろうなと思ったし,それには研究者としての立場だけでなく,役所の人や現場の人,いろいろな立場の人がどう考えているかということを整理せんとあかんだろうなと思った。

それから,そのときに課題を解決するためのアプローチとアプローチに含まれるメリットデメリット,解決になかなか至らないボトルネックは何なのかということを描き出すことが大事なんだろうなと思った。


あと決定的に大事なのは,それぞれの立場が何を成功と思っているか,何が課題だと思っているかということをちゃんと丁寧に描いていくこと。よく研究者(に限らず,それぞれの立場から)は「見えている部分のちがい」から話を進めようとするけど,でも,その切り取り方が必ずしも前提となっているわけではない。「見ている角度」や「見ているもの(の切り出し方)」のちがいもよくあるし,それぞれの相での違いを整理しながら,どこからすり合わせていくか,そのためにどういった力を使うかという発想がいるんじゃないかと思う。

見ているものがちがったら…どんだけ主張してもかみ合わない。力ではっ倒しても,その瞬間は倒せても,それは瞬間的な話。


そういった実践と研究と行政・施策と政治・立法を描くものがいるのだと思う。
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割に合わない仕事

2019年02月15日 04時56分30秒 | 当事者
役所ってわりに合わない仕事だなって思う。

市民から100%満足されることってまずない。いい仕事をしてても,結構あれが足りない,これが足りないと批判される。一昔前のお金もたくさんあるときなら,ある程度のことはできたのかもしれないけど,今はどこも予算もかつかつの中でどう切り盛りするかということでてんてこ舞いしているし,それをどう切り抜けるか,切り盛りするか,やりくりするかという勝負だけど,そんなことになっている…というのはあまり市民には伝わらない。

下手をすれば,それを何とかするのが役所だろとかって言われる始末。挙句の果てには「現場のことを知らない」とか「頭が悪い」とか「何を考えているのか」とかって言われる。それはいろいろな条件,資源のなさ,よこやりなどが入った結果,担当していた部署としても忸怩たる思いがあったとしても。

税金を払っているから言うこと聞くのが当然でしょってスタンスではなく,その税金をどううまく使うのか,限られた資源をどうやってうまく使うか一緒に考えようってスタンスでいくしかないんだろうなって思う。

それが本来のあるべき姿か,最善の策かどうかは別として,今おかれている現状を考えるとそんな感じでやるしかないんだろうなって思う。


で,今の状況はみんなで知恵を合わせたとしても,そんなに簡単に変えられないかもしれない。でも,それが現状ならそこから始めるしかないし,そこでぐたぐた愚痴を言っててもしょうがない。言ってもいいけど,だからどうやって手を積み重ねていくかを考えないとな。
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ブレイクスルー

2019年02月14日 21時37分58秒 | 多文化共生のまちづくり
束の中のちがいは、とことんまでぶつかって、何が一緒で何が違うかをとことんまで考えて、そこで初めてブレイクスルーのチャンスを迎えると思う。

そのときに必要なのは、それでも一緒にやろう、何か出てくるはずという期待。


最近、それを経験できないのは、自分の立場もあると思う。権力的な立場にあるからこそ、言えない、言い切れないところがある。それは話し込みが足りないから?関係性が甘いから?

権力的な立場や勝手に自分が判ってると思い込んで、踏み込まずに一歩引くから?

マウンティングにならないように引くから?

いずれにしても、自分の関わり方がよくないなと思うということ。さて、どうするかな…難しいな…。
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束になる

2019年02月14日 21時32分13秒 | 多文化共生のまちづくり
人が集まると、それぞれにものの見方や考え方が違ったりする。誰のやり方がはまるか、成功するかは結果論であって唯一絶対はないと思う。

新しく多文化共生社会を作っていくために、いろんなやり方や考え方をゆるく束ねるプラットフォームという考え方が大事だと思う。

いろんな人や組織があるなかで、どれに何がはまるかはわからない。そんなときにやり方や考え方が1つしかない組織はもろいと思う。

一緒じゃないけど、束になる。束になるけど、違いを認めるし、むしろ強みだと考える。それが今後必要やろうな。

束ねる紐だけ、どんなんか、確認はいるやろけど。
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ダウン

2019年02月13日 16時55分50秒 | 当事者
熱。とにかく寝る。

すぐ下がったけど,またじわりじわりと戻る。体力落ちてたんかな。
多分,インフルとはちがうやろうけど,明日,病院行くか…。

ちょうどのタイミングでパートナーは東京におでかけ。仕事。
ま,逆に家におったらうつしてたかもしらんから,ちょうどよかったかも。

それはいいとして,ごはんをどうするかな。


とりあえず,休みなさいという話だということで寝よう。

それにしても変な夢を見た。夢一つで,ふと昔のことを思い出したりする。
人の意識なんて不思議なもんやな。すっかり忘れてたり,消えていると思っていた思いがふわっとよみがえったりするし,実はそんなことを思ってたんやろかとかって思ったりもする。


さ,また寝るか。
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体調

2019年02月11日 23時56分52秒 | 当事者
肩こりだけでなく,首痛に加えて,指がしびれる。頭痛も結構なもん。

少し無理しすぎたか。


でもな,無理してでもやらんとあかんときなんちゃうかって思うねん。社会全体から見ればちっぽけなことしかしてへんし,この地域全体からしても,自分がやっていることは,ほんまにちっぽけ。悲しくなるぐらいにちっぽけ。

でも,多分,そのちっぽけがあるから回っている部分がある…はず。そうであってほしい。

願いと希望と背負って,また明日もがんばる。ほどほどに。


そんなことやからあかんのかな。でも,やっぱりほどほどに。
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2019年02月11日 23時42分48秒 | 当事者
この半年ぐらい,ずっとこの曲にはまってる。せつなくなるような,背中を押されるような不思議な気分になる。今の自分の場所を教えてくれるってところにいつも何度聞いてもぐっとくる。

自分は今の仕事を始めて,自信を持ってはそれががらがらと崩れて,また自信を持っては崩れて。無理やり持たせてはまたこぼしての繰り返しでここまで来た。…ここまで来たという感覚すらないかもしれない。今いる場所が「ここ」という以上には何もない。

そんな感じでいるけど,もっとがんばれると思うこともあれば,もうこれ以上は無理やんって思うこともある。社会の役に立てると思うこともあれば,無意味な存在に思えることもある。



何だか趣旨とか目的とかよくわからないけど。うだうだとつれ二人と飲み会。盛り上がるような盛り上がらないような。なんでこのメンツだ?って思ったりすることもあるけど,別に悪いわけじゃない。何だろう。ま,知り合って,友達で,ま,ええかなって感じで飲みに行く。

くだらね~と思いつつ,多分,また行く。しょうもね~話やな,もっとおもろいネタでもないんかよとか思いながら,もっとくだらね~話をしてたりする。

そんな感じのくされ縁も,ま~悪くはないかな。

お互いのしょうもないぐちに付き合っていくのも悪くない。それ以上ではないけど,でも,悪くはない。

とりあえず,一緒におるってこと。で,また,一緒におろうかと。それ以上でもなんでもないのが,不思議。
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自分の姿

2019年02月10日 00時35分25秒 | 当事者
自分の姿って自分が思っているよりも見えていないなってことがある。

こんな感じ,こんな立場,こんな役割,こんな雰囲気…ってものが,実は全然他の人には違って見えていたりする。それは人がちがえば,当たり前と言えば当たり前なんだけど。

結局,自分が社会の中でどう見えているのかということは自分一人では確認できない。でも,自分じゃないと確認できないものなんだろうとも思う。

分かるようで分からない部分がたくさんあって,それは人との対話の中でしか見えてこないもんなんだろうな。自分は社会の中でしか確立できないものかもな。
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