ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

ルーツ

2014年08月31日 13時20分06秒 | いろいろ
差別はあかん,みんな仲良く。みんな同じ人間…なんてことは多くの人が思ってる。でも,そうならない。知らないうちに,気が付かないうちに,そうなるようなことをやってる。気が付かないうちに,見えないところで,いつのまにか。埋もれる,消える。人そのものでなくても,その人のルーツであったり,自尊心だったり,自信だったり。

多分,知識や情報の問題ではなく,感覚?アンテナ?体の置き方?が大事なんかなぁって気がする。また,どう出会うかってことによってずいぶん違うんだなぁって思う。


前の職場で一緒に活動してた友達と,今,そこで活動してて友達になった人と,その人らの友達と飲む。多様なメンツ,仕事もいろいろ,関西率がちょっと高かったけど,ルーツもいろいろ。

って書いたところで,思う。昨日のメンバーはルーツが多様でってちょろっと紹介しようと思ったところで,手が止まる。

…「ルーツ」って言葉で括りきれないな。ルーツって何やろな。自分の感覚としては,「ルーツ」って場所を指すような感じで使ってることが多かった。外国にルーツをもつ子ども…ってブラジルだったり,中国だったり,フィリピンだったり。でも,血や民族というたどり方と,場所とが完全に一致するものではない。

その人はその人そのものであって出会ってるときにはそのまんまなんだけど,何かで括ろうとすると,途端に違和感だらけになる。

ふと,『なぜ今,移民問題か』の中の榎井さんのコラムの最後の部分を思い出す。「地域での多文化共生とは”もてなし”や”支援”の関係を越え,次世代も含め異なる隣人たちと未来をつくることへの挑戦であろう。液状化に例えられる不安定な社会の中で,それに対抗できる確かな人と人の絆を網のように張っていくためには自分はホスト側という発想を捨てなければならない。移動にはエネルギーがいる。それを承認,尊敬し,一緒に地域をつくる仲間に自分が変われるかーそれは自らを縛る国,民族,文化,血の概念から解放される機会にもなるだろう。いや,すでに多様な背景をもつハイブリッドな次世代を担う子どもたちが,そうした問題提起を始めている。」

とても大事なことを書いていると一般的な話としてしか受け止められていなかった文章,自分にとっては全くリアリティがなかった文章,ともすれば哲学の教科書に書いてあるように思えた言葉が,まだ全然リアリティはないけど,急に自分の普段の思考に降り掛かってくる。今の自分には全然リアリティはないけど,哲学の教科書に書いているような言葉ではなく,本当に一人ひとりと向き合い,出会い,接する中で編み出た言葉であって,自分にとってどうなのかということが残る。


多分,ぼくに見えていない世界,出会っていた人たちなのに出会えていなかった世界があって,それはフラットに単に世界は広いからとか,人間は全てのことを知ること,見ることはできないとかって物理的な問題ではなく,多分,社会の構造的な,マジョリティの意識…,あるいは単純にぼくの意識の問題,経験や出会いの問題があって,「あるのに見えていなかった」世界を…「出会った」とも違うし,「見た」とも違うし,「経験した」とも違うし。何だろ。

とにかく,全ての言葉がしっくりと来ないけど,多分,今は何も分かっていないけど,とっても大事な出会いだったんだろうし,とっても大事なものになるんだろうなって思う。そんな期待。
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似て非なるもの

2014年08月29日 20時40分51秒 | いろいろ
教える内容や体制を充実しようとすることと、社会をよくしよう、おかしいところを変えようとすることは、ときに似た感じの発言になるけど、メッセージは全然違うということを感じた。

なるほどね…って感じ。
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インターン

2014年08月26日 22時07分15秒 | いろいろ
今日はインターンに来ている学生と1時間ばかし話をしたけど、まぁ、話が下手になってきてること。

自分でもちょっとびっくり。話の回数とか量もあるけど、社会から隔離されてるような感覚があるけど、それが話からリアリティを奪ってるんやろうなぁ。

何となく貧相な感じ。逆に今の職場だからこそリアリティを持って話せる内容もあるわけで、なんとも言えんけど、少し寂しく感じた。

感覚って話ににじみ出るしなぁ。
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流れ

2014年08月25日 22時15分10秒 | いろいろ
多文化共生や日本語教育で、何となく新しい小さな流れは出てきたりする気がするけど、大きな流れや盛り上がりにはならないのはなんでやろか。

何でやろうなぁ。

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一息

2014年08月23日 16時24分30秒 | いろいろ
一息。

たまーに思う。心も体も解放しないと、いい考えも浮かんでこない。

って言うか、普段、自分がしばられているものから、定期的に解放される瞬間がないと考え方もだんだん小さくなっていく。

というのを理由にしてきゅうけー。

家にいると結局いろいろやってまうしね。
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一息

2014年08月23日 09時35分03秒 | いろいろ
とは言うものの。資料も持って。

昨日、昔の職場の仲間からメッセージをもらう。業界、学問的領域などを気にせずに、必要なことを必要な形で実施する不思議な職場やったことを思い出す。

枠って便利なこともあるけど、窮屈でもあるしなぁ。

ま、それはともかく、ちょいと一息。
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おわっ

2014年08月21日 23時03分33秒 | いろいろ
隣のおっちゃん、電車の中で紙袋一つで一人分の席つこてー。もう一人座れるのにって思ってたら、紙袋置いてった。

おっちゃんのやなかったらしい。

今、持ち主不明の紙袋が隣に。

ただの忘れ物なんやろけど、ちょっと嫌な感じ。

でも、こんなんに嫌な感じを持つようになったのはいつからやろか。

忘れ物と不審物の境目はどこ…っちゅうか、いつかな。
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あほの続き

2014年08月21日 22時55分09秒 | いろいろ
自分があほやと分かっても、そこから、次の一歩を踏み出すまでは難しいな。

あとで、あー、こんなことせんかったらよかったとか、こうしとったらよかったってことばっか。

ま、しゃあないか。常に自分がコントロールできるわけもなく。

今日は会議。改めて、日本語教育は専門的な知識や経験がなくても何とかなると思われているんだということを実感。

…何をもって日本語教育とするかによって、全然違うけど。
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ばか

2014年08月21日 02時17分25秒 | いろいろ
一番しんどいところは抜けた気がする。

というわけで,また,ぼちぼちがんばるか。頭が痛いのだけ,何とかなってほしいけど。

あと,うだうだ言うのもやめた。…って,また言ってしまうかもしれないけど,言ってもしゃあないもんはしゃあないし。

「私たちは知性を検証する場合に,ふつう「自己批判能力」を基準にする。自分の無知,偏見,イデオロギー性,邪悪さ,そういったものを勘定に入れてものを考えることができているかどうかを物差しにして,私たちは他人の知性を計量する。自分の博識,公正無私,正義をむびゅうの前提にしてものを考えている者のことを,私たちは「バカ」と呼んでいいことになっている。」って内田樹(「ためらいの倫理学」)。

ウケた。自分がバカと気が付いただけでもよしとするか。


でも,関西人的には「あほ」の方がええ。
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理論と実践

2014年08月12日 20時28分59秒 | いろいろ
理論と実践がつながるかどうかは自分を振り返ることができるかどうかに尽きる…気がする。
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こえとことばとこころ

2014年08月12日 00時14分00秒 | いろいろ
こえとことばとこころのへや。

ワークショップはあるけど、行ったことない。

今度行ってみよう。HPもおもしろそう。

ざーっと読むか。心がはずむ。
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一休

2014年08月12日 00時01分38秒 | いろいろ
人を排除したり、利用したりするのはあかんけど、排除したり利用したりする人を排除したり利用したりするんはありか。

うーん。わからん。

一休さんもんやな…。

いろんな地域でそんなこと。あるんやろなぁ。
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あおられたもん負け

2014年08月10日 15時59分42秒 | いろいろ
個人的には今の状況はきっついなぁって思う。

「マイノリティの人が声を持つことが大事」だというのは分かる。そうなるように日々実践を続けていくことが大事なんだろうと思うし,一つ一つの各地の実践は素晴らしいと思う。

一方で,ヘイトスピーチだとかで声以前に存在すら認めようとしないような流れがあり,それが以前ほどの激しさをなくしてきたのかなと少し感じていたところに,与党から各自治体に住民投票の対象に外国人を含まないようにという通知。政府でもヘイトスピーチに厳しく臨みますということを言っている一方で,この動き。大分の生活保護に関する裁判も同じ。今まで以上にくっきりはっきりと線引きが進められつつあるのかなって感じる。


そういう社会状況がある中で,「声を持つ」ってどういうことなんだろうか。極めて声が上げにくい,上げたとしてもそこに民主主義はなく,一つの声として扱われない。

声って一定程度削がれると,上げる気をなくすんちゃうかな。一定程度,そがれると,「周りがおかしい」と思っていたことも「自分がおかしいんちゃうか」って自分に向かい出す。一つ一つの言動に説明をしないと理解されない状況というのはとてもしんどいし,第一,気力も体力も必要とする。「この部分は,ま,いっか」とか「これは分かってもらうのは無理かな」とか「しょうがないかな」ってことが,一つ,二つと生じるうちに,次第に自分が削がれていく。でも,そういうプロセスが発生していることは外部からは見えない,マジョリティからは見えない。

声を上げた方がいいよと言いつつ,声を上げてもしょうがないよというダブルバインドはさらに無力感を増大させる。「何なんそれって。ガス抜きかいな。ぬか喜びやんけ。みんなの好意には感謝するけど,でも,本気やないんでしょ」って。


だから,削がれたものを回復する場を作り上げていくことから始めないと,あかんのやろなって思う。結果はともあれ,一緒にやってくれること,一緒にいてくれることが大事なんだろうなって思う。一人ひとりの人間,無力やないし,一定の環境さえ整えば生きる力は枯れない。

声を持つこととは,単に言葉を身につけることではない。



マイノリティのことはマイノリティにしか分からない部分があるというのは,その通りだと思う。でも,マイノリティをマイノリティ足らしめているのはマジョリティとの関係の中で,それぞれをマジョリティ,マイノリティに布置する構造がある。しかも,それは多くの場合罪悪感をなるべく減らすような言説と共に機能していることが多いんだろうなって思う。マジョリティが気分を害しないような言説とともに。

ってことを考えたら,だれの問題なんだろうかって思う。


ちょっと話が飛ぶかもしれないけど,昨日出ていたエピソード。大熊町から会津若松に避難していた人が,福島原発が動かなくなって東京はさぞかし困っているだろうということで心配して東京の状況を見に行ったら,ネオンでピカピカだった。「福島原発の電気はいらんかったんかなぁ」と。



今は政策によっていろいろなことが復活してきていると言っているけど,何となく,それが本当にことになるようにあおっている感じ。オリンピックもそんな感じ。以前のように復活を求めて,これが起爆剤になるはずってあおってる感じ。もう一つ感じるのは,これがきっと「日本」を再確認,再結集する力になるんだろうと思う。ということは,日本に住む外国人や外国にルーツを持つ人にとっては,「?」ということがしばしば出てきたりするんだろうな。面倒だなって思う。


といった感じで,あおっているけど,実態として経済がよくなっているわけではないので,何をするにしても,これまで以上に大義名分が求められているような気がするし,取捨選択が激しくなっているような気がする。実際に勢いであふれているわけではないけど,勢いがあるように見えないと困る。必然,選択と集中を今まで以上に進めないといけなくなる。各地域や分野や経済の成長やエンジンに該当する部分にはより予算や施策が集中するけど,それに当てはまらないところは協働という名目による民間の活用,民営化という名目による切り捨て,場合によってはそういったことすらも考慮されずに縮小が進むんだろうな。

でも,これまで政府や行政が予算をつぎ込んでインフラを整備しながら進めていても難しかったものが,アイデアと労力を持ち寄るだけで乗り切れるかと言うと,結構厳しいと思う。乗り切れるところと乗り切れないところと両方出てくるんだろうな。

各地の行政の国際担当部署は,ちょっと多文化共生に芽が出始めたかなって思ったこともあったけど,また,国際・海外進出に舵を切り出しているところが増えているのかなって気がする。

グローバル化,市場経済などの影響は一部大企業から,中小企業にも農業にも漁業にも飛び火し,結局,地域で働く人の話となり,地域の地場産業を支えるためという観点から,行政にも移り始めているんじゃないかな。そういった状況の中で,「多文化共生や外国人支援も大義名分がないと何もできないような状況」が少しずつきているのかなという気がする。

簡単に言えば,企業も政府も行政も協力して一致団結して,何とか生き残ろうとしている中で,日本人も外国人も自己責任でsurviveすることが求められつつあるのかなって感じ。

シビアに,こういった状況の中で,誰が何をフォローしていくのかということを考えないといけないと思う。


って,ここまで過度にデフォルメ,強調して書いたところもあるなという気もするけど,でも,こんなふうにも見える。外国人受け入れ政策について議論がされているけど,これから来る外国人,今いる外国人全体を考えると,プラスは全くない。で,それぞれの地域にとってのプラスも大して見えない。一部の企業が多少のどの渇きを湿らす程度か。何かが変わる訳ではないと思うし,今のいろいろな流れを契機に何かを動かそうとしても何か空振りに終わりそうな気がする。

ま,事実なんて見方と立場が変われば全然違ってくるので,よ~分からんけど,あおられたもん負けやろうな。
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その先

2014年08月10日 00時38分10秒 | いろいろ
「その先の日本語教育を考える」って研究会に参加。

ただの言葉遊びかもしれないけど,「その先から日本語教育を考える」ことが求められているのかなって思った。「その先」でも「もうちょっと先」でもどこでもいいんだけど,内部からではないどこかから見ること。

立場や関心,仕事や友達・仲間などいろいろなことで世界の見方と思っている「見え方」は変わるんだろうけど。自分に見えている世界は日本語教育のそれとは違うということを感じ続けているけど,改めて違うんだなということを感じたかな。
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まなび

2014年08月06日 21時12分17秒 | いろいろ
やりたいこととやれることがずれるのはよくあること。

しょうがない。


さらにやれると思っていることと、やれることがずれるというのもよくあること。

揃うと大変やけどね。


何が何だか分からなく、人を振り回して終わっちゃうこともあるやろし。


でも、まぁ、一番大事なんはそういったところから、ちゃんと分析して何かを学べるかどうかなんやろうな。


当たるも八卦当たらぬも八卦、触らぬ神に祟りなしってところかな。

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