ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

今の立ち位置で

2012年06月11日 00時00分16秒 | いろいろ
東京に来てから3年とちょっと。いろいろと仕事の面でも,プライベートの面でも変化があったが。

何となく,これまでと同じことをしていてはだめなんだろうなということを感じる。何となく,それがつかめそうでいまいちつかめていないのが現状で,ここ最近ずっともやもやし続けている。

川崎で生活していて,嫌でも昼間のオフィス街と夜の歓楽街のギャップを目にするので余計に,格差なりギャップなり階級はあるんだということを痛感する。

つい先日,仕事の帰りに友人に会って,そのまま飲みに行った。県の施設で働き,つい最近辞めたそう。また長年外国人支援の団体で活動していて,いろんな話を聞くことができた。一件目の店が閉店となり,次の店を探している間にも川崎の歓楽街を歩いていたら外国人がたくさんおり,いろんな人が彼に声をかける。5年ぶりぐらいに出会った人もいたそう。5年ぶりぐらいに出会った彼の話を後で聞くこともできたが,改めて行政の仕事って何なんだろうな,自分は何をしたいのかってことを思う。

きれいごとの多文化共生施策から排除される人たちって本当に多いんだなって思う。正直,きれいごとの多文化共生施策では手に負えない存在の人,しょうがないって思われている人たちがたくさんいるって思う。それこそ,表の世界と裏の世界の境目辺りのところを行ったり来たりしている人たちがたくさんいる。本当にごくごく近所に。もちろん,きれいごともなかったらないで困るんやけど,それで話が終わったら困る。

直接的に権力が行使されるべきではない場面・場所で行使されて,それこそ物理的に人が排除?連行されるなんてことが,これもまた,本当にごくごく近所で起こってる。

昼間,職場で多文化共生施策だとか日本語教育とか言ってるけど,現実とのあまりのギャップにたじろいでしまう。

それと似たり寄ったりなのかなって思うけど,研究やら提言やら陳情やらの中には本当に地道に制度や仕組みを動かすものもあるけれども,本当に必要なものと提言されたり明らかにされたりすることの距離があまりにも開きすぎていて,さらにそれをうまくトランスレートしたり,仲立ちできる人間が少な過ぎて,空回りしている部分が多いよなぁと感じる。それがさらに対立構造を生み,本当は手を組まないといけない人たちと手を組めなくなり,結果,進まないなんてことにならなきゃいいなと思う。


それは,さておき,ひさしぶりに自分の立ち位置を根本から問われました。現実的にできる最低限のことと,本来すべきことと,できればやりたいことと,理想的にはこうありたいってこととのギャップは大きく,しょっちゅう壁にぶち当たるんだけど,でも,その中でどう振る舞うかってことを考えることはやめない。そんなふうな言葉で表現はしなかったけど,そんなことを話し続けた時間でした。最後は二人とも店で寝てしまい,二人とも「明日の仕事,行けんの?」って感じだったけど…。

途中,目が覚めたときに,「もうちょっとhappyに生きたいよな」と。壁は高いけど,当たってくだけろではなく,地道に一歩一歩,やるしかないもんね。
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