ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

委員会

2014年01月31日 22時58分34秒 | 社会
委員会終わり。あとは、報告書の中身についてざーっと修正して、何度も誤字脱字やレイアウトを確認して、主査の了をもらって終了。

でも、今期のまとめは来期のスタートなので、もっとシビアな作業が待ってるんやろうけどね。

日本語教育は教育だから難しい部分もあるんだろうけど、いかに説明のもっともらしい根拠を増やすか、自分たちの説得力を増すか…ということをもっともっと徹底してやらないとあかんやろうと思う。

何を実現すべきかはもうよくて、どう実現するかということに知恵を絞らないと。

まだまだやらなあかんことは山のよう。
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一休み

2014年01月30日 03時18分30秒 | いろいろ
とりあえず、一休み。

作業が終わらん…。

続きはまた起きてから。爆睡してもうたら、予定がくるうなぁ。ま、しゃあないか。
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オールジャパンや言うて~

2014年01月29日 22時54分40秒 | いろいろ
いろんなことがちょっとずつ積み重なっていくと大きな山に。

これが成果だったらありがたいけど、仕事だからなぁ…。

つべこべ言わんとやらんとな。でも、また風邪ぶり返した感じ。夕方までは何ともなかったんやけどなぁ。

それから、よくオールジャパンや言うて、よく言われるけど。何か進みそうな響きではあるけど、オールジャパンで取り組む機運を作るためには共通の土台なり認識なり土俵がないと何もできないし、進まない。言うだけでは何にも進まんしねー。

でも、それも難しい。だって、それぞれに生活もかかってるからなぁ。

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異国に生きる

2014年01月28日 17時11分54秒 | いろいろ
このあいだ,在日ビルマ人の14年間を追った映画を見ました。知らないことがいっぱいあったということを思い知らされました。

なぜ,ビルマ出身の難民が日本にいるのか,日本でどういった暮らしをしていて,どういった活動をしていて,また何を望んでいるのか。

国のために生きるのか,自分のために生きるのか,家族のために生きるのか…。何かそういう選択肢について考えることができることすら,特別な環境なのかもしれないということを感じました。日本では,どれかにすがったり決めたりすることはできるけど,どれか一つしかない,それを選択しないと命が危ないというようなことは限られているし。

主人公夫妻のチョウチョウソウさんとヌエヌエチョウさんのトークも最後にあり,二人のビルマを少しでもよい国にしていきたい,教育を何とかしたいという想いとは裏腹に,チョウチョウソウさんは国籍もなくなっており,入国しようにもミャンマー大使館からビザが下りないとのこと。なので,今は無国籍だということ。

国ってなんやねん。

http://doi-toshikuni.net/j/ikoku/

…今日も熱で午前中のみ外部での打合せに出たけど,その後,うちで寝てました。ちょこちょこと仕事もしたけど。明日は元気になってるとええな。
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2014年01月27日 19時58分28秒 | 
「多文化であることとは」

差異とは自分の差異が人から承認されていて、違ったままでいても処罰や排除の不安がないことを意味すると、社会学者Z.バウマンは書く。

集団的に戦って勝ち取るべきものであり、集団的にのみ認められるものである。


リーマンショック時に、日本語の使えない者から順に失業していったと説明された。これは実際には、日本語の使えない労働者の就いていた、より単純な、ラインの作業が縮小されたということである。


欧米では人種や民族を先鋭化させないために多文化という言葉が使われたということ。でも、民族や人種で何をどこまでくくれるのか。


例のごとく、脈絡ないけど何となくきになったところをメモ。

今日は薬が効いたのか、夕方にはぼちぼち熱も下がった。明日からまた、ぼちぼちがんばるか。
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風邪

2014年01月27日 11時29分27秒 | いろいろ
引いてダウン。インフルエンザではなかったのが、せめてもの救いか。

一気に来たので、一気に元気になってくれたらええんやけどな。

うつらうつらしてます。昼ご飯食べて、薬飲まなきゃ。
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バフチンと日本語教育

2014年01月26日 11時29分21秒 | いろいろ
といったテーマの集まりに昨日,参加しました。「第二言語教育におけるバフチン的視点」という本と「NEJ:A New Approach To Elementary Japanese」という教科書を取り上げた集まり。質的日本語教育研究会という集まりだったと思います。

自分の今持っている興味関心や仕事やらと,どこまでつながるのかといったところは事前に感じていたのですが,よかったです。いろいろと答えをもらったというよりも刺激を受けるフレーズがたくさんありました。

いくつか,なるほどと思った言葉。そのままではなく,一部,解釈して書いてしまった部分もありますが。

=====
「(イデオロギー的な)対話とは,このディスコースにおいてこの人は何を視ているのかに全力で迫り,相手のために自身が生成した諸々のことばに触発されて対抗の言葉=応答を責任をもって発すること。そして,相手も同じようにそのようにすること。」

「人間の本質(身体と心)は,社会的関係の総体である。個人の環境に対するその人の関係がその人の意識である。」

「人間の本質とは,個々の個人の内部にやおる抽象物なのではない。それは,その現実の在り方においては,社会的諸関係の総体なのである。」

「生活的発話とは日常生活の中の活動やその中の具体的な対象を直接に反映する言語心理作用の産物となる。要は抽象的ではないということ。直感的思考(見えたまま,聞こえたまま。見えた裏,聞こえた裏を意識したものではないということ)」

「何かができるようになるということは,その領域で使われているツールキットが使えるようになるということ。」

「科学的概念は,生活的な活動や出来事や対象の認識(生活的概念と生活的発話)を基盤として,それらを構造化したり体系化したり説明したりする志向に基づいて,より抽象化・一般化した思考となる。」

「ことばのジャンルは実態のある知識ではない。それは言語活動従事において援用されるリソース的な知識である。ジャンルは社会的交通の契機における心の動きに言葉という衣をまとませるヒューリスティックな社会歴史的諸力(sociohistorical force)である。」
=====

また,理論的な話の後,実践とどう結び付けることばバフチン的な観点に基づく日本語教育となるのかという話がありました。

感じたこととしては,実践的な観点から言うと,一貫してということではなく,部分的に自分のことを話す,その成果を共有するといった活動をしている人は既にたくさんいると思うけど,言葉を「理屈として学ぶ」ということから,「言葉遣いの慣習から部分的に真似ながら,自分らしく組み合わせる」方がそもそもの言葉の在り方から考えても妥当ではないかという提案はとてもおもしろく,自己表現を「成果発表会」としての位置付けから,対話のモチベーションとして,実際に関連するテキストを参加者間で生み出し,それをさらに学習の対象とするということはおもしろいし,人間的な実践だと思いました。対話,出会いが偶発的だったものを必然としたってことなのかなと。

地域の日本語教育においてテーマやトピックを中心とした活動が広がりつつあることからも,現状とも親和性があるだけでなく,今の流れを推し進めるところがあると思いました。

学ぶ対象を細かく分解して,パーツを学んで組み立て方を知るという典型的な学びのスタイルから,慣習をまねるという形でバフチン的な考えに基づく,言葉の使用実態に合わせようとして対話が進むようにした。それに言葉遣いの慣習から部分的に真似ながら,学ぶ,自分らしく組み合わせるというときに,学習者は出身や文化,言葉など背景が違うところがどう作用するかということを知っておくことが必要になるのではないかと感じました。

ただ,第二言語だからこそ,内言に迫る形で言葉を見ないといけないというときに,母語と同じかどうかといったことを考える必要もあるのかなぁと。あと,話に出ていたけど,自己表現中心の日本語教室に求められる流儀,ふるまい方というのはあるんだろうなぁ。

それから,もう一つ思ったこと,イデオロギーをどう捉えるかという話で最後,20分ぐらいディスカッションになっていたけど,個人的には問題にもできるし,問題にしないこともできる,理論的に問題であることを実践において問題にするかどうかはもう少し整理してディスカッションが行われてもいいのかもしれないと思いました。理論上,問題となることも分かるのですが,それが実践の教員の機転で回避できるレベルの問題であったり,学習者同士の配慮により,解決できるような問題であったり…ということもあるんだろうな。

昨日の話を聞きながら,もしかしたら,日本語を教える技術というのは昔も今も,それほど変わらないのかもしれないし,大事なことは教えるときのスタンス,スパイスの効かせ方,何を大事にするかといったところなのかもしれないけど,それをきちんと伝え,広げていくためには理論が必要となってくるのが今の日本語教育(と言うかアカデミズムの世界)ということなんだろうと思いました。

最後は余談。語用論はスピーチアクトを論理的な条件によって規定しようとしたが,ジャンル論は社会生活によって規定しようとしたということかなとも感じました。

と,まぁ,意識はあちらこちらへと飛んだけど,刺激の多い集まりでした。「第二言語教育におけるバフチン的視点」という本をちょっとちゃんと読まなきゃなと思いました。
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2014年01月25日 18時37分00秒 | いろいろ
今までワインはほとんど飲むことなかったんだけど、家から一番近いところがワインバーということもあり。

ときどき、顔を出すように。

カジュアルな感じで、値段も高くなく、店の人もいろいろ説明してくれるんですが…すみません、説明はよくわかりません。

でも、おいしいものもあるということが、よく分かりました。

休憩中。
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外の人

2014年01月25日 09時34分38秒 | いろいろ
産業競争力会議で成長戦略を実行するために高度人材や外国人労働力をどう呼び込むかということが言われています。単純労働者も含めて,どう受け入れるかということを今年の半ばまでに決めるとしています。

それを受けて,昨日の閣僚会議では,外国人技能実習生を拡大すること,それも時限を設けて受け入れることを方針として確認したということが報道されました。それは建設業の分野に限っての話だそうです。

産業競争力会議の取りまとめで言われていること,例えば外国人受け入れの司令塔の設置や高度人材の受入などはこれから決められていくのでしょうが,多文化共生に進むのかは分かりません。

ちなみに長野オリンピックのときにもやっぱり人手が足らず,ずいぶんとオーバーステイなどの外国人が働かされていたようですが,工事が終わると同時に摘発が入り,フィリピンパブなどにも委員の接待などが終わると摘発が入り,強制送還…と,露骨にいろいろやってたようです。入管が名付けたのか,周りが名付けたのかは知りませんが,ホワイト・スノー作戦。響きはきれいやけど,めっちゃ自己中。

それから先週,障害者権利条約を批准しましたが,日本政府が障害者権利条約の批准に際して、子どもと父母の分離の禁止に関して入管法に基づく退去強制が優先するという「解釈宣言」を行っています。
http://www.hurights.or.jp/archives/newsinbrief-ja/section3/2014/01/post-102.html

さらに,神戸朝鮮高級学校では男が侵入し,教諭を殴るということがありました。

神戸朝鮮高級学校へのヘイトクライムに抗議し、再発防止のための対策を日本社会に呼びかけるKEY緊急声明
http://www.key-j.org/program/doc/2013/prtst_140123.html


困ったら受け入れるけど,用事が終わったら帰ってもらうってこと?来るのは人なのに,それでええの?外国人だから,適当に好きなようにやってええってこと?

某首相は中国に対しても対話は開かれている,私はいつでも対話の準備ができているということを言っているらしいですが,対話する気が失せるようなことをいろいろとやっておいて,「私は対話の準備ができている,対話するかしないかはそっち次第ですよ。」って。

私の周りにもそういう人はいますが,変やなって思います。ものすごく違和感があります。あかんやろって。
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前の職場

2014年01月23日 21時00分13秒 | いろいろ
とよかな国際交流協会が大阪の弁護士会から人権賞をもらったそうです。離れてしまったけど、とても嬉しいです。

おもろいところです。ひいき目なしにほんまに。

あんだけ、アイデアとエネルギーが湧き出てきて、それでいて当事者から視点がぶれないってすごいなと。

働いていた時も今も、学び続ける一方、気がつかされる一方です。

また、行こうっと。
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切れる

2014年01月23日 12時45分34秒 | いろいろ
午前中に、1人が切れる。

意見の相違でディスカッションが深まるのは歓迎。なんぼでもやる。

ただ、仕事の目的意識を失った者のただのイライラは見るに耐えない。

ふざけたりしてもいいけど、せめて給料の分くらい仕事しろよって思う。
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ヘイトスピーチ

2014年01月23日 04時00分14秒 | いろいろ
ヘイトスピーチという言葉が日本でも言われるようになる前から、この手のことはあったと思うけど。

ヘイトスピーチが、この手のことを、また扇動することについても意識しないとな。

単に言葉の問題ということだけじゃないし。あと、ものすごく深く人を傷付け、行動を制限させる、萎縮させる。

あかんやろと思う。

○神戸の朝鮮学校に侵入,教諭殴る
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140122-00000008-kobenext-soci

○ヘイトスピーチ
http://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201306/0006102001.shtml
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批判

2014年01月22日 08時37分40秒 | いろいろ
するのは、とても体力もいるし、気を遣う。根拠のない誹謗中傷になったらあかんし、じゃあ、次にどうするのかって道が見えないと、ただの批判になってしまうし。

批判せんかったら楽やけど、この状況を看過できるかってこともある。でも、自分の感覚が真っ当かどうかも問われたりするしなぁ。

もちろん、対話の相手が対話を志向しているのであれば、いくらでも話が広がるし、批判は次のステップへのきっかけになるけど、そうでない場合はなぁ…。


とかいったことに、気をすり減らす今日この頃。ちょっと消耗。
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委員会

2014年01月21日 21時28分54秒 | いろいろ
とりあえず今日は終了。たくさん宿題もらいましたが、また来週。

間に合うかな。

いろいろ意見をもらって参考になったけど、いつまでちんたらやってんのか…って感じもしました。

今日に始まったことじゃないし、気合や頑張りだけで何とかなるような問題でもないんやけど、ここまで、何とかならんかったんやろかと。

いろいろあるけど、まぁ、やるしかない。
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対話の難しさ

2014年01月21日 06時23分00秒 | いろいろ
いろいろなところで対話が大事だと言われます。そりゃ,いろいろな人の意見を集めて,たたかわせて,あるいはハーモニーを奏でたりするんだろうけど。でも,どうしても対話が成り立たないケースもあるんだなぁということを最近…ではないけど,身にしみて感じています。

対話の基本って話すことではなく,聞くことにあるんだろうな。取っ掛かりとして,だれが最初に話すか,発信をしないと伝わらないなんて話も,もちろんあるんだけど,聞いて,相手の立場や置かれている状況,などもろもろのことを引き受けて自分の次の話を重ねられるかということが大事なんだと思う。ひたすら,自分の思っていること,考えていることを言い続ける人もいるけど,それって対話どころか,スピーチ,演説としても効果は薄いんだろうな。

そんなに難しいことなのかな…と思うけど,それが難しい人もいるんだとひしひしと感じる今日この頃。明確なヒエラルキーの中でしかうまく振る舞えないんだろうな。

ちなみに対話ができない人とは,意見や考え方,ものの見方が同じだとか違うだとかに関わらず,消費されてしまうし,それがとてもしんどいので,距離を取るしか取る手段はないんだろうなって思う。

対話って人と人と創造的に,クリエイティブにやっていける方法だと思うんだけどな。
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