五時からの使いで、時間的に困ってしまうのだが
これも近所の付き合いだからしかたがないと思いながらも
こんな時に限って、夫は夕方からの仕事で
息子は、このところ仕事が忙しくて帰りは深夜近くになるんだものなぁ…。
まぁ 動かないから良いものの
ばぁ~ちゃんには、今日は少しだけ我慢してもらう事になった。
会津では『歌詠み』と言ってお葬式や納骨までの七日毎や
お法事などの前日に、決まっている何人かが集まり『歌詠み』をする。
会津には三十三観音の霊場があり、
そのひとつひとつに場所に因んだ歌がある。
それを三十五日か四十九日の納骨の日までの七日毎に歌を詠み
亡くなった者の魂を浄土へ送る役目を果たしている。
独特の節回しで、三十三の寺と番外とされる合わせて三十八の歌がある。
それを全部詠み終えると三十分近くかかってしまうものだ。
真面目に聞けば、まことに有難い歌なのだが
ともすれば、つい眠気に誘われてしまうような節回しで
ちょっと不謹慎ながらも、居眠りをしてしまった事数ある私だ。
また昔から、会津巡り仲間というものがあり
近年結婚したお嫁さん同士が何人か集まって
三十三観音巡りをして、その都度歌を詠ってくるのだ。
そうして出かけた仲間は一生涯の付き合いとなり
たぶん…来たばかりのお嫁さんの仲間作りも兼ねているのではないだろうか。
そういう仲間は『おかんのこ』(お観の子…観音様の子と言う意味ではないかと?)
と呼ばれ、時折り集まっては歌詠みをしたり、温泉へ一泊で出かけたりもしていた。
なかなか出かける事の出来ない昔のお嫁さんの息抜きに使われていたのかもしれない…。
今の若いお嫁さんには考えられない事かもしれない。
こうして若いお嫁さんは先輩のお嫁さんに、そのまた先輩のお嫁さんは大先輩からへと
詠み繋がれていくのだろうが、昨今お葬式も斎場を使う家が多くなり
だんだんと簡素化されて、しまいには廃れてしまうのだろうか…。
楽になったような寂しいような…複雑ではあるのだが。
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蕾だった牡丹が、この天気で見事花開いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/15/a1ec0cb18de5e86eb991d2a16284721e.jpg)
そちらの歌詠みと同じかどうか分かりませんが
こちらでは昔、お通夜とか四十九日の納骨の前日とかに ご近所のお年寄りが集まって
ご詠歌を唱えてくれていました。
独特な節回しだったのを覚えています。
最近は それを詠める人が少なくもなり
また、通夜や葬式を斎場でするため
お寺さんに頼むようになりました。
昔の名残が段々となくなっていくのは寂しいことです。
可愛いですねぇ~
最近、ピンクの優しさにこころを惹かれます。
練馬のほうの葬儀は淋しいな~と思ったそうです。母のほうの葬儀は何か鳴り物入りでにぎやからしい。だんだん変わっていっちゃうかもですけどね。
牡丹やさしい色できれい!牡丹って咲くとほんと華やかですね。
pochiko地方では「歌詠み」ですか?
私の方では「御詠歌」とか「念仏」とかがあります。
びっちょ鼻とは初めて聞きましたが、要は全体のバランスがとれて見た目が良ければいいんじゃないでしょうか。
バランスが悪い私ですけど。
時には、わずらわしいと思っても、そういうコミュニケーションは、いいですね。
マンション住まいで、自治会も細々のこちらでは、うらやましいです。
「おかんのこ」
子は、みんなお母さんの子やろぉ~♪
と、突っ込み入れそうになりました
それにしても近所付き合いも、御詠歌を詠えないと出来ないのか、 な?大変だ。聞いてるだけならまだいいとして、錫杖みたいなものでシャンシャンと音まで鳴らすんでしょ??
よそ者は御地に行っても、簡単には地域に融け込むことができないと思ってしまうなぁ。
やはり土地によって風習が異なりますね。
歌詠みですか。
昔の人たちの生活の智恵なんでしょうね。
コミュニケーションを自然にとれるようにしていたのでしょう。
古くてもいいものはいい。
これも是非残しておきたい財産ですね。
ありました。の最長老のじいさん ばあさんが
中心になってやっていました
いまではそんな行事もすっかり無くなってしまいました 日本のいいところはどんどんなくなるような気が
しています。