あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

ばぁちゃんの車椅子磨き

2011-03-30 20:55:09 | 介護

今日も暖かい日で…こんな日が続いたら
夫がお休みの時に、肥料を蒔いたりして耕してもらえるのに
そしてジャガイモ植えが出来るのに…畑仕事も出来ないし
かと言って遊びに行くのもどうかと。

ずいぶん遅くなってしまったけど
ばぁちゃんのお世話になっていた施設へ、2月分の利用料を持って行く事にした。
職員さんの休憩にでもと、長年お世話になったのでコーヒーセットを持ち
いつもの通りなれたダムの見える道へと…天気は上々。


春うららかなる日、国道わきの道を通ってみた。

この道を通って…家の新築の時に半年間施設へ預けた時
毎週ばぁちゃんへ会いに行くのに、四季折々の景色を楽しんだものだった。
だけど今日は慣れ親しんだ風景がちょっと違うように見え
前回通った時は、まだ道路は雪に覆われてたっけ…と
それが、ずいぶん以前の事だった様な気がする。


いつものダム湖 早春の風景

 
何かが祀られている石碑

途中に癒されていたカタクリの花の咲く場所には
まだ寒さが厳しいのか、ようやく出た葉っぱの間から
小さい小さいカタクリの蕾が、時おり吹く風に身を縮込ませているばかりで
それでも春を感じるには充分過ぎるほどではあった。


独特な模様のカタクリの葉を見つけた!


雪が残る里の春


山蔭には雪が残る雑木林

施設に着くとディとショートの責任者の方や
お馴染みの相談員さんなどが集まり、突然の事でとお悔やみの言葉から始まり
ばぁちゃんの思い出話に花が咲き、ご飯を食べてくれない時があっただとか
腕に傷を作って来た事もあった…送迎バスが雪の田んぼにダイビングした事もあったっけ
あんな事もあったこんな事もあったと、話が尽きず
泣くまいと決めていたのに…不覚にも思わずポロっと。

またいつでも遊びに来てくださいと言う職員に見送られて
たぶん…もう来る事はないだろうと、もし来る時があれば
今度は私か夫がお世話になる時かな~なんて、思わずに苦笑。


何度も通った施設への道

そうそう、今回は思い出話に涙するためではなく
ばぁちゃんの使っていた、リクライニング式の車椅子を
長年お世話になった施設で使ってもらえたら…そんな話をするのも
出向いた要件のひとつでもあった。

施設の責任者の方もありがたく使わせていただきます。と
持ち主を失った車椅子が、誰か施設のお年寄りの為になれば
私としても嬉しい事だった。


ばぁちゃんの車椅子

ばぁちゃんの車椅子は普段使う事はなく、ディやショートの送迎の時に使うくらいで
多少の汚れはあるものの、14年余りとは言っても新品同様の箇所もあったが
それでも食べこぼしの後だとか車輪に付いた埃だとか
手を乗せていた肘掛部分なども、なるべくきれいにして譲ろうと
帰って来てから春の日差しの中で、洗剤を入れたバケツに
タオルをギュッと絞って、一生懸命に磨いた。

長年 ばぁちゃんを乗っけてくれてありがとう。
これからは施設だから、いろんなお年寄りが乗る事になると思うけど
まだまだ現役で頑張って!!と、つぶやいてみた。

この車椅子に乗って施設への往復に、たくさんの思い出が尽きなくて
ここにもあそこにも…ばぁちゃんの生きていた証があった。

 

今日の一枚 まだ儚げなカタクリの蕾をUP!

 

 

 

コメント (34)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思いがけない場所に被害の爪跡を見た。

2011-03-28 21:32:46 | 日々雑事


今朝の風景 ーキッチンの窓からー

晴れの日は相変わらず歩きか自転車で…先日の真冬逆戻りの日は
さすがに車で次女のボランティアの送迎に出たりしたが
ガソリンが普及されて来たかと思うと、途端車の数が増える。
たしかに吹雪の日に歩きや自転車は辛いしなぁ。


自転車川沿いの裏道を走る。

先日も自転車で、ちょっと足を延ばしてホームセンターまで出掛けて来た。
路地裏の普段通らない道だって、自転車ならスイスイ行ける。
何もない道を歩いたり自転車だったりだと
とてつもなく遠く感じる道は、路地裏を通って行くと
妙に距離感を感じないから不思議だ。

近くのスーパーを通り過ぎて川沿いの道をホームセンターの裏へに出ようと
のんびりと…あまりきれいな川ではないけど、かなりの鴨たちが集まっていた。
家の近所では見た事がない鴨を見つけて…初めて見たけど
なんという種類の鴨だろう。

新しく孵化したのか小さめな鴨もいて、春日和の陽ざしに
のんびりと毛づくろいをしたり居眠りをしたり
とにかく日向ぼっこには打ってつけの場所のようだ。
人通りも少ない裏路地には新しい発見がある。

そんな事を思いながら自転車を進めて行けば
野放し状態の犬がいたり、セキレイが手の届きそうに歩いていたり
のんびり~と長閑さを感じるのだけど
そんな場所にも、今回の地震の爪跡を見つけると
やっぱり戦慄が走る…。


川沿いの道が陥没して土嚢が積み重ねられていた…。

昨年までなら、今頃すでにジャガイモの種芋の準備をしたり
葉ものの種を蒔いたりしたものだけど
今年はどうなんだろう…この放射能事故で福島県は
県内の全農家に田植えや種まきなどの農作業を当面延期となったらしい。

福島の全農家に作付けの延期を要請 原発事故で県  ポチっと!! 

4月以降に田植え作業が本格化するが、県はできるだけ遅らせることを要請!
また、大豆やソバなどの畑作物も種まき時期を遅らせる事。
花類も露地栽培について作付け準備を遅らせる…。
畑を耕す作業は放射性物質が広がる恐れがある為取り組まないことも求めた…とある。

困った事だ!

どうなるのか?放射能に影響のない会津も同じ福島県として
汚染があろうがなかろう同じ事で、作っても売れる事はないと思うと
我が家などは自家用野菜だけしか作っていないけど
でも米は出荷をしている…農家には死活問題となっている。

と、まぁ くよくよ考えても仕方ないんだけどさ
なるようにしかならないって事かな!


ようやく蕾を付け始めた水仙の花をUP!

 

 

コメント (26)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会津の春はいつ来るの?

2011-03-26 23:02:46 | ひとりごと

先日の春日和に、何かを燃やす煙をあがるのを見る事が出来る。
枯れ草だろうか、それとも剪定をした小枝を燃やすのか
いかにも春農作業の始まる風物詩を感じる匂いがする…
そんな日が続いていたのに、またもや雪の会津。


今朝のpochiko地方 ーキッチンの窓からー

春はいつ来るのかしら…。

いつもの年なら、すでに雪が降る事もなく
新しい植物の芽が続々と顔を出している頃なのにね。

それでも晴れの日は、夫が稲作用のビニールハウスの下準備をして
秋に刈り取ったニラの新しい芽が顔を出したり
アシタバの新萌が固くなった土から這い出してる。
ジャンボにんにくも一回り大きくなって
庭の片隅のヒヤシンスも小さいながら蕾を持ち始めている。

去年の秋遅くに蒔こうと思っていた絹さやとスナップえんどう。
ついつい 種を蒔かずに春を迎えてしまい
これからでも遅くないかなぁ~とか。

ここんとこバタバタして、災害騒ぎも大変だけど
これから、ばぁちゃんの法要が待っている。
その前に、また歌詠みの人に集まってもらって歌詠みをあげてもらうのだけど
今回は夕食付きだから、献立は何にしようか?
食材は揃うんだろうか…頭の痛い日が続いている。

それにしても、なかなか春の来ない会津!
一日コタツでコタツムリ…。


今日の一枚 会津鉄道新しいバージョンのあかべえ列車をUP!

 

 

 

コメント (26)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どんな時だって花は咲く…。

2011-03-24 22:47:46 | 植物

昨日は寒い一日で、夕方からは雪になって一面の雪景色になったが
今日は一転して、トンデモナク春日和となり
最近の放射能汚染騒ぎに、どうしようかと思いながら洗濯物は外に干した。
こんなふうに、一進一退を繰り返しながら季節は変わって行くのかもしれないね。


我が家のシンビジュームがようやく咲き始めた。
このシンビジュームは、病に倒れ一昨年前に亡くなった友人からのいただきもので
今回の被災地となっている仙台宮城野区に住まわれていた。

地震と津波とでどうなったか見当もつかないが
友人の亡きあと旦那さんからのハガキによれば
介護をしていた義父も後を追うように亡くなったそうだ。
一人残された旦那さんはどうなったのか知る術もないけど…。

このシンビジュームは、数年前に…誕生日のプレゼントだったような気がする。
送られて来た時には、そりゃ~見事な花を咲かせて
ずいぶん長い間楽しめたものだった。

花が終り、次の年も咲いてくれるのだろうと思ったけど
それから一向に咲く気配も見せなかったが一度だけ植え替えをした。
それでも芽は出ても花芽ではなく株が大きくなるだけで
いつまで経っても咲かずの葉っぱばかり茂るシンビジュームでいた。

どうしたものかと…早く花を咲かせないとちょん切るぞと
なんど脅しをかけたって、ジッと沈黙のシンビジューム
まるで…送り主が亡くなったのを悲しんでいるかのように。

地区に毎年いろんなシンビジュームの花を咲かせるのが上手な人がいて
あまりの羨ましさに、どうしたら花が咲かせられるのか聞いてみた。
pochikoさん シンビ過保護にしてない?と言われたけど
確かにシンビジュームの様な洋ランは、温室じゃないとって思っていた。

だから年中家の中に置いていたけど…。
シンビジュームは洋ランの中ではとても丈夫らしく育てやすいのだそうだ。
寒さにとても強く最低気温が5度以上あれば冬を越す事ができ
春から秋霜が降るくらいまで、外に置いた方が良いのだと言われて
半日陰になる家の東側の置いてみたけど、なんせお嬢様育ちのシンビジュームの葉は
陽に焼けて見るも無残な姿に変わりつつあったが
ジッと我慢の子で、ようやく秋も遅くに家に入れた。

初めて見つけた新しい花芽は12月になってからで
約1カ月で花芽が伸びて、中から蕾が顔を出し始めた。

鉢の中はけっこうミチミチで、根も浮き上がっているみたいだったけど
根が詰まって鉢が窮屈になったら咲くとか
危機感があると花を咲かせるのだと聞いた事があった。

早く花を咲かせて、実を持ち種を作り
子孫を残さなきゃって思うのかもしれない。

もっと ちゃんとした花の咲かせ方があるのかもしれないけど
おいおい覚える事にして、蕾が膨らみ花が咲くのを楽しみにしていた。
が…大きく膨らんできた蕾の根元に、なにやら水滴の様なものが
あちこちに付いていたにで、指先で触ると気持ちネバッっとした感じで
匂いは無臭、ちょっと舐めてみたら甘い。


これって舐められるの? 人体に影響はないのか??
調べてみたら蘭の蜜なのだそうだ。
蘭って蜜を出すの? 初めての事ばっかりで…。

ともあれ次々と咲くシンビジュームの花と、甘い蜜を舐めながら
のんびり~と縁側で日向ぼっこで、テレビで繰り返し放送される被害状況と
応援メッセージ…そして義援金をお願いする有名人の姿。
原発事故と放射能と、日本は汚染され続けるのだろうか…。

なんだか危機感はあるのだけど…今さらジタバタしたって仕方ないもんね。


今日の一枚 開いたシンビジュームの花をUP!

 

 

 

コメント (22)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厳しい冬を乗り切ったメダカたち!

2011-03-22 21:17:01 | 日々雑事

今日もどんよりとした天気だけど、それでも雪を溶かしてくれる。
早く土の中からいろんな芽を出して…と、失ったものが多すぎたから。
たとえ陽射しは見えなくても、優しい雨が降ったらば
忌わしい放射能を洗い流してくれる…はず。


雪の消えた畑がそろそろ動き始める。

夕食時にまた余震が襲った…会津震度4
いつになったら、食事を中断して身を固める時が続くのだろうか。
地震があると必ずに見る、窓際のゼラニュームの花がゆらゆら~と!

我が家の地震感知花として、揺らぎで震度が分るようになった。
最初地震があった時には、ほとんど蕾だったのに
今は満開状態で、日にちも経ったけど陽気も春めいて来たって事かな。


100円で買って来たゼラニュームの花が地震感知花として活躍している。

一昨日は自転車で市内の南の端から北の端まで
お線香をあげに走り回った。
昨日は祭日でボランティアがお休みだった次女と
市内を三時間ほど歩いて、体もスリムになったかと思ったけど
全然変わらずの日々…を過ごしている。


車でしか通った事がなかった陸橋を歩いて渡ってみた。


陸橋の上から見た景色。

失うものがあれば得るものもあるものだと
去年の冬前に車庫の奥に仕舞ったメダカたち
以前一度だけ覗いてみたら、蓋代わりの分厚い氷に閉じ込められていた。

きっと全滅だよなと、先日の春日和に作業小屋の前に出して置いたら
腐って黒くなってしまったホテイアオイの影から小さく痩せたメダカがチラホラと
この厳しい寒さにも必死で生き残っていたメダカに甚く感激を覚えた。


発泡スチロールの中には黒くなってしまったホテイアオイの影にメダカ。


アップして…見つけた、去年孵ったヒメダカの姿。

さすがに親メダカは寿命だったのか、大きいのが2匹ほど見られたが
去年孵った子メダカは、けっこう生きながらえていたみたいで
厚い氷に阻まれながらも必死に生きているのが
災害に遭った東北地方を見ているような気がする。

何万人もの犠牲者が出た被災地でさえ
亡くした命と入れ替わるように新しい命が生まれるのを見た。
厳しい環境でさえも、たくさんの人々の希望を背負って
力強く量の手を握り締めて泣く乳飲み子の生命力。

この生命力があれば東北は日本は…きっと立ち直れると思うなぁ。


今日の一枚 根強い雑草 オオイヌノフグリの花をUP!

 

 

 

 

コメント (24)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

てくてく。。。スーパー敵情視察。

2011-03-20 20:53:46 | 日々雑事

昨日の春日和で、田んぼや畑の雪もずいぶんと消えたものだ。
こんな日は家の電気を切って、外を満喫に限ると
午前中にデジカメを持ち、何かの時の為のとエコバッグ。

暖かい日差しに足取りも軽く、車の通りも少なく静かな昼近く。
こんな大惨事があったばかりなのを…つい忘れそうになってしまう。
でも晴れ渡った頭上には雲に見え隠れしている
ヘリコプターの爆音が…きっと被災地に向かっているのだろうなぁ。


自宅からの道をてくてく…と歩いて行く。

剪定の終わった梅の木の蕾も固そうで花が咲くには先の事の様だ。
それでも、この暖かさで少しは早まってくれるだろうか。
道沿いの畑には雪が無くなって来た。


どこかのお宅の番犬が物憂い様に写真を撮る私に
吠えようともせずに物珍しげに見ているだけだった。

まだ少しだけ残っている田んぼの端っこの雪…
向こう側には軽トラックが…この陽気に動き始めた農作業。


高枝切りを使って柿の木の剪定をしている人発見!


のんびり~と日向ぼっこしながら歩いているお年寄りが微笑ましかった。


二つ踏切を越えて、近くの老人施設の脇を通り
春の日差しにたくさんのタオルが干されていて
この日はみんな春を感じるタオルで体とか拭いてもらうのだろうか。
ふとばぁちゃんの面影が頭に浮かんだ。


大雪だった今年の冬の残し物…垣根が雪の重みになぎ倒されている。

近年にない大雪と千年振りの大地震と…なんだかロクでもない冬と春だったけど
この一年の残りの季節は、良い事ばっかりが残されていれば良いなぁと思う。

とあるスーパーの駐車場にはガソリンがないと大騒ぎしてるわりには
たくさんの車が駐車してあるって…けっこうなんだかんだ言ってても
ガソリンは入れられてるって事か…これも入れた溜め組の車かな。


いつもと違う方向からの磐梯山を眺めながら…。

中に入ってみると、何日か前に来た時には節電の為か薄暗く
品ぞろえも微妙に少ない様な気がしたけど
なんのなんの今ではかなりの食料品が売られている。
買い急ぐ事はなくても、必要な分だけ買ったら充分の様な気がする。
みんなぁ~~ 食材は間に合うから必要な分だけにして!!
こう叫びたい。

ネギ3本と肉を一パック、あとはしじみを買って
少し汗ばみながらしっかりと敵情視察してきた。


帰り道の踏切で…南会津に繋がる会津鉄道で
ここから会津田島を経て東京方面へと続いている。
いつも野口英世やあかべえロゴの列車が通って行く線路だよ。

キチガイ沙汰の様にガソリンを使ってガソリンを買い求める。
それっておかしいよね?
しかもせっかく入れたガソリンを使ってシャコタンの車(今はそんな言い方しない?)
とにかくペッタンコの車が、すごい音を出して通り抜けて行く。
はぁぁ ガソリンが勿体ないな~ そんな使い方をする人の為に
ガソリンが買えないなんてヘンテコな世の中だとフッとため息ひとつ。

家に帰ったら、疲れてちょっと昼休み。
夕方子供に言われた事は…お母さんの靴下穴が開き始めてるって。
あらら~ 重い体で歩くと靴下の減りも早いって事なの?
歩くって体には良いけど、そういう弊害があったとは!! まぁ いいか…。


今日の一枚 庭の片隅にヒメオドリコソウの花が咲いていた。

 

 

 

コメント (30)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

せめて…会津から元気発信!

2011-03-18 22:50:57 | 日々雑事

寒さはあるものの、日差しが射した今日は
あの震災が起こって、もう一週間が経つとは…月日が経つのは早いものだ。
相変わらず被災地での厳しい生活振りがテレビで報道されている。
朝から悲惨な生活ぶりをみたり、感動の話があったりで
それでもテレビから目を離せないでいる私。

もう~ 泣いてばっかりで目が痛いってば!という私に
泣いてたって仕方ねぇ~べ、バッカだなぁ~という夫。


夕方のお月さま、明日も晴れてくれたら良いのだけど。

幸いにして被害の少なかった会津にいるのだから
一緒になって嘆く事はやめよう!と思った。
今 私たちが出来る事は、一緒に嘆き悲しむ事ではなく
少しでも被災地で厳しい生活を強いられている
同じ県人、同じ東北人、同じ日本人として何をしてあげられかだと思う。

日本ばかりではなく、世界中の人が応援している。

先日 無事自宅へと戻って来た次女も
会津のボランティアとして、避難所のお手伝いへ行き始めた。

私も自分で出来る事…いろいろ考えてみたけど
思い付くのはホンの些細な事だけで…たとえば買いだめをしないとか
買い物は車を使わずに自転車か徒歩にして
節電にと床暖は朝のうちだけで、後はコタツで暖を取るとか
小さい事でもみんなが少しずつでも協力し合えば大きな力になると信じたい。

少しでも多くの被災地へ生活物資が届くように
それを運ぶガソリンが間に合いますようにと願ってやまない。

それにしても今日はちと頑張り過ぎたようで
いつも自転車で買い物へ行っていたのだけど
次女がボランティアへ行くので自転車を乗って行ったものだから
歩いて買い物へ行ったのだけど…スーパーまで片道たっぷり30分はかかる我が家。


さすがに国道を行き交う車も少なくなってきたようだ。

思いがけず売っていたトイレットペーパーを一つと
卵と牛乳と、ばぁちゃんの歌詠みに使う団子の粉と
そうそう、モヤシもお一人様二袋限り。
シャンプーとかリンスも残り少なくなっていたし
余分には買わなくても良いけど
せめてこのくらい買ってもバチは当たらないだろうと…。

けっこう荷物がかさばって、両手にエコバッグを一つずつ
長い時間歩くには、かなりキツイものがあって
腕はパンパンに張って痛いのなんのって…でも頑張って来た。

帰ってきたら、ないはずの土踏まずが痛んだ。

正直 トイレットペーパーは諦めていた。
もしもなくなったら、ティッシュペーパーもあるし
最悪でもあちこちからもらったポケットティッシュも溜めこんでおいた。
使ったらトイレに流さずに専用のゴミ袋を置いて
そこへ入れたらいいし…と思っていたけど
あったらあったで、やっぱり助かった!!


重い荷物を持っての帰り道はキツクて、ちょいと一休み…
家まで、まだまだ遠いなぁ~

今度行く時は、もう少し近いスーパーにしようと思ったが
それでも片道20分はかかるだろうなぁ~
会津若松郊外では車がない生活はけっこう厳しいものがあるけど
頑張ろう~~っと!!


という事で、フキノトウの花をUP!!

 

 

コメント (32)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東日本東北大震災 被災地からの脱出!

2011-03-16 20:50:23 | 日々雑事

春が目の前の様なそんな天気だったのに
東北地方、会津の朝はうっすらと雪景色の朝…寒さ逆戻りとなった。
せめて被災地に春の日差しをと思っていたのだけど
この寒さに避難所生活は殊更厳しい事だろう。

あの日次女の無事が分って、圏外になってしまう携帯電話の
合い間を縫うように連絡を取り合っていた我が家。
幸いにも浜通りにしては被害は少なかったけど
仕事先再開のめどは立たずに、停電にはならなかったものの
断水は続いていた。

水がないからガスは供給されていても米を炊く事も出来ずに
品薄のスーパーやコンビニから買って来た水と
いくらかの食料品と、果物も幾つか買えたようだ。

幾度となく襲われる余震に、ひとりポツンと地元を離れて
先の見えない生活をするには、かなりツライものがあったようで
メールのやり取りに声が聞きたいと、どうしても声が聞きたいとの返信に
まだ自宅電話はウンともスンとも言わなかった数日前の事で
それでも携帯だと繋がり始めた様子だとの話に
何度となく挑戦しては繋がらないもどかしさが先に立った…。

やっぱり無理だとメールを入れるしかないかと思った頃に
ようやく繋がり声を聞く事が出来た。

繋がった途端…生で聞く次女の声に、言葉にならずに嗚咽だけが
幸い夫も息子もいたので代わる代わる次女を励ます事が出来た。

それでも水も食料の乏しい生活は、故郷を遠く離れた次女にとって
なんと心細い生活だった事だっだろう…災害に遭っている人を思えば
生きているだけでもありがたいと思わなけれいけないのだけど
被害の少ない会津にいて、自分たちだけがぬくぬくとした生活をと思うと
とても複雑な心境ではあった。

帰りたい…ただそれだけで、どうする手立てもなく
高速バスやJRの開通は見込めず、自分の車に残っているガソリンでは
会津まで帰ってこれるかどうか…かなり不安な量だったと
我が家と次女と…悶々とした時間だけが過ぎて行った。

ところが、長女から電話があり、次女のそんな生活に
可哀想過ぎると長女の夫が迎えに行くと申し出てくれた。

会社も自宅待機になっているし、前日に幸運にもガソリンを満タンにする事が出来たと
次回ガソリンの供給が出来るかどうかも危ぶまれている状態なのに
今行かなかったら、後になればなるほど行けなくなると
行きたくても行けないでいた我が家のガソリン状態に
ありがた過ぎて言葉にならないくらいだった。

この先の事を考えれば貴重なガソリンを
義理の妹なのに、普通なら大変だねとか困ったねで
済ましてしまうのではないかと思うと、元々うちの息子や次女とも
仲が良かったとはいえ、なかなか出来ない事だと…思わず胸が熱くなった。

昨日、中通りと浜通りに何箇所かの渋滞にぶつかりながらも
4時間ほどかかって、ようやく次女と合流ができ
帰りは行く時よりもよけいに時間がかかった。

いわき地方から、会津や新潟に向けて避難する人の車が後を絶たないのだと
無論、会津でも何ヵ所かの体育館などが避難所に設置されたり
地元温泉旅館が、避難者の為に無償で解放されたとか
世の中捨てたもんじゃないと…正直 対岸の火事だった今までの災害が
実際に身内が係わって来るとヒシヒシと感じるものがあった。

すでに、途中のコンビニにも品物はなかった。

約10時間ほど休む事もなく走り続けた長女の旦那さんに
感謝の気持ち以外のなにものではなく、その日の午後には
原発の放射能もれで室内待機の発令が出たのとすれ違いで
間一髪というところだった。

一緒に行った長女と孫太郎と、無事我が家に着いたのは8時も過ぎていたけど
多少なりの荷物と一緒に、次女の元気そうな顔を見た時には
ホッとしたと同時に膝の力が抜けてしまった。

だが、まだ取り残されたり不幸にも亡くなられた方や
安否が分らない人が数多くいる中で
素直に喜んでいいのか複雑な気持ちで
親戚の息子さんは石巻にいて連絡が付かないと言う。

テレビでの報道は極一部しか見る事は出来ず
友人の息子さんは南相馬の方へと災害派遣隊で行って来たけど
まさに地獄絵図だったようだという話だった。

現在も…水や食料、医薬品などのライフラインを閉ざされ
足りないマンパワーで不眠不休を強いられている病院や放射能汚染と
厳しい避難所生活を余儀なくされている人などなど。
亡くなられたり行方不明の人たちの事を思うと素直には喜べないでいる…。


ようやく開いたクロッカスの花

 


経過報告という事で、今回もコメント欄は閉じさせていただきます。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東北地方太平洋沖地震

2011-03-11 21:04:40 | 日々雑事

朝から晴れてみたり、小雪が舞ってみたり
午前中に姪の旦那さんが転勤になるので、単身赴任ではなく一家で行くので
挨拶にとばぁちゃんにお線香をあげに来たり
夫は午後からの勤務で、遅いお昼ご飯を済ませて
いつもの2時40分過ぎに出勤して行った…よくある日の午後だった。

私はそろそろ孫太郎をお昼寝させようと
コタツに横になって、二人でテレビを見ていた…が
その時だった! 突然グラグラと揺れ始めて
あっという間に身動きの出来ないような揺れになった。

取りあえず、孫太郎だけは怪我をさせてはいけないと庇うように抱きかかえ
傍にあるテレビが倒れそうになり、慌てて片手で押えたりしたが
なかなか揺れは収まらず、家の中にあるカーテンや植物がワサワサと
そのうえ地鳴りのようなゴーという音に
不安で不安で、ただ孫太郎と抱き合うしかなかった。

怖い怖いを連発する私に、孫太郎が付いているから大丈夫だよって
若干 3歳児に力づけられていた私だったが
それでも心強かった!

我が家の被害は神棚から起き上がりこぼしが落っこちて来たくらいで
ばぁちゃんの祭壇にある火のついたアルコールランプやお線香
蓮華とか生花、盛りかごなどがまだ飾ってあったが
孫太郎と抱き合って身動き出来ないでいた時に
出掛けたばかりの夫が戻ってきてくれ
心配がないと分ると改めて会社へと出掛けて行った。

それから余震が続く中、しばらくして夫や息子が帰って来て
会社でもかなりの被害が出たようで
会社や工場の再建よりもまず社員の安全を第一にと
仕事にならないので自宅待機となったようで
その後、まもなく長女も自宅待機だと孫太郎を連れて帰って行った。

若松市は震度5弱とあったが、あれで震度5だったら
震度6とか7だったらどんななんだろうか、とても想像を絶する揺れで
いつまでも続く余震に恐怖や不安は拭い去る事は出来なかった。

夜を迎えて、相変わらずに余震は続いている。
揺れていなくても、コタツで横になっていると揺れているような錯覚に陥る。

各地にもたらした大きな被害。
津波に流されて行く民家や車、燃え上がるコンビナート
地割れして行く道路や土砂崩れ…幸いな事に会津の被害は少なかったけど
それでも何ヵ所かの災害はあったようだ。

心配だったのは浜通りに住む次女の安否で
電話は繋がらないだろうと携帯メールを送っておいたら
しばらくして大丈夫だと返信があった。
が、しかし部屋の中は物が落っこちたり冷蔵庫がずれていたり
水道は止まってしまい…食器はおおかた割れてしまったようだったが
とにかく無事で良かった!

そして、この地震で災害に遭ったり亡くなられた方の
一日も早い復興とご冥福をお祈りいたしたいと思います。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

要注意!! 実は猛犬…ヒメさまに気を付けて!!

2011-03-10 21:54:03 | ペット

ここんとこ昼間は晴れて、春が近づいてきたかのようだけど
朝はあんなに晴れていたにかかわらず
時々雪が降る寒い一日だった。

 我が家のヒメさまのお話。

相変わらずヒメさまとの散歩。
いつもの散歩コースの道が、ようやく除雪された様で
まっすぐな一本道の向こう側の景色が、とてつもなく遠く感じる。

きかん気なヒメは小さめな姿に似合わずに荒々しいお姫様で
散歩をしていると、良く聞かれるのが豆柴ですか?
いえいえ、そんな事はなく普通の柴ワンコなのですよと答える。

そんな時のヒメは、私の脇にチョコンと座って
いかにも可愛らしく、一緒に話を聞きいるポーズを取るのが心憎い。
あら、なんだべ この犬…人の話すのが分んだべか?
たいがいの人はそう言う。

いつも散歩で出会うワンコに対して、お座りのポーズで尻尾をフリフリして
相手のワンコが近づいて至近距離に入ったや否や
ガウガウゥ~~と吠えまくり、たいがいのワンコは尻尾を巻いて縮みあがる。
ホント気の強いワンコだと、最近はヒメに近づかないようにしている散歩コースの犬。

そんなヒメにもお気に入りのワンコがいて
時おり出会うチャウチャウのモモちゃんには甚く好意的なのだが
(とはいっても、危ないから至近距離には近づけないようにはしている。)
他に同じ柴ワンコのふうちゃんとは、いつもじゃれ合っている。

ヒメさまは自分のテリトリー内に近づく者は
何者たりとも許せない様で…被害者は孫太郎が一度。
ふうちゃんのお父さんも、ワンコ同士が仲良しだからと
ヒメ~~♪と野太い声で手を出してガブッとやられている。

柴犬は秋田犬、甲斐犬、紀州犬といった日本固有の日本犬の中で
唯一の小型犬で、小さいながらも凛としたその姿がとってもカッコいい。
が、飼い主にまとわりつくような甘え方はせずに
辛抱強く、体質的にも頑丈で機敏な動きと強い警戒心を持っているので
番犬には打ってつけのワンコとも言える。

 柴ワンコはけっこうプライドが高く頑固者なので
ヒメも私と夫に対しては絶対服従なのだが、きっと息子や娘はダメだろうな。

犬がしっぽを振っていても、自分の体を大きく見せ、相手を威圧しようとして
自分はおまえよりも順位が上なんだ!!と攻撃的な状態にある時がある。
無論アピールしているので、不用意に体を触ろうとすればガブっと!

これ以上被害者が出ないようにとマグネット板で注意看板を貼りつけた。

犬には正面からではなく側面から近づくのが無難で
至近距離に入る前にしゃがんで様子を見る。
その時に犬を正面から見据えてはいけない。
ガンを付けるってのと同じで、何だこの野郎やるのか!と…そんな感じのようだ。

ゆっくりと下からそっとグーの手を犬の鼻の近くに持っていき
犬がクンクン興味を持ってくれたり、舐めてくれたりしたら
もう片方の手をゆっくり差し出して脇腹のあたりを撫でる…。

もしも、グーの手に全く興味を示してくれなかったり
犬が口を開いて牙を見せ、歯ぐきをむきだし背筋の毛を逆立ている時は
その犬と仲良くするのは無理だと思った方が良いかもしれない。
強い犬よりも、怯えた不安な犬に噛まれるほうが多いからだ。

本当はかなりビビりの弱かすヒメなのだから。

ヒメを連れて、今流行りのドッグカフェでお茶を飲んだりだとか
ドッグランとかへ行って自由に走り回らせてみたいのだけど
まず無理だべなぁ~ ヒメさまじゃ!


という事で、朝の凛々しいヒメさまをUP!

 

 

 

コメント (44)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする