Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

文化需要の光と影のその間

2017-08-18 | 文化一般
日本語のテュイッターをみたら面白いことが書いてあった。北欧で昼日中からヘッドランプを点灯しているので、「法的拘束があるのか」という投稿だった。それを読んで思ったのは日本では昼間にライトをつけるのは二輪車ぐらいしかないのだろうということである。なるほどドイツでも陽が落ちてから無灯火で走る馬鹿者が時々いるが、北イタリアなどで冬季の灯火が義務付けされてからドイツでも白昼の灯火は増えた。

日本はそもそも陽射しが違うので灯火の効果が限定的なだけでなく、夜間の明るさが異常である。夜間の高速道路でも街路灯がついているのはベネルクス三国以外に欧州では他に知らない。ポーランドも今は照明されていると聞いた。アウトバーンであると中途半端な光があると高速は出せない。だからハイビームが自動調整されるシステムが普及すると早く走れるようになる。

そんなことよりも考えたのは光と文化だった。前述の日本の陽射しに気が付いたのは日本に初めて降り立った時で、二三か月の欧州旅行からの帰宅時には全く気が付かなかったことだ。冬を通じて少なくとも数年以上は欧州に住み続けていないと分からない感覚で、若しかすると毎年夏に帰省しているような長期欧州滞在者にはいつまでも分からないのかもしれない。それでも移住を決心する原因の一つに、日本の夜の明るさでは文化的な活動が出来ないと考えたことがある。不夜城と見做されるアジアでも特に明るいのが東京を中心とした日本の大都市圏であるのは今やその衛星写真から皆知るところであるが、それは甚だしい。それでもネットにて夜の光害について扱っている人には一人にしか出会っていない。多くの日本人は気が付いていない様だ。

光の文化は、色彩とかそうした視覚的な印象を語るのだろうが、その影の文化は、遥かに豊かである。殆ど原始的な印象を人はそこに感じる。夜の闇でもある。そのように思うと手元にあるヴァルター・べンヤミンの「ベロリニアーナ」に手が伸びた。19世紀末から20世紀始めの子供時代のベルリンを語っている。とても多くの影が印象されるのはユダヤ人の生活感情の目を通しているばかりでは決してないだろう。そしてソヴィエトを訪れて理想の世界である共産主義国の張りぼての光と影を観て失望して戻って来た。我々が国境の向こうの東独の奇妙なネオン管の光の色に不思議な気持ちがしたのと同じようなものだったろう。

地上の境だけでなく、そこに境があると思う。これは二元論でもなんでもない。そこから芸術が始まるということだ。日本社会から影を奪った責任は松下幸之助にも間違いなくあった、それが豊かさであって、幸せであったのだ。そして近代化の日本社会の変遷でもあったのだろう。恐らくその環境への意識が西欧と最も日本が異なるところで、その文化的需要の質が最も異なるところだろうと思った。日本のE‐MUSIK需要の限界もそこにあるように思う。



参照:
街の半影を彷徨して 2005-12-11 | アウトドーア・環境
影に潜む複製芸術のオーラ 2005-03-23 | 文学・思想
技術信仰における逃げ場 2007-11-06 | 雑感
尻を捲くり立ち留まる 2005-10-29 | 歴史・時事

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