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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

尻を捲くり立ち留まる

2005-10-29 | 歴史・時事
ベルリンのドームから川下へと歩く。町の発祥の地である、漁師市場の方へと川岸のプロムナードを歩いていく。川岸からロシア語訛りの如何にも漁師風の濁声の話し声が聞こえてくる。更に木陰から何かが這い出たかと思うと、足元を横切る栗鼠ではなく、お尻を捲りながら素早く立ち去る小母さんである。少し行くと橋の袂で立小水をしている老人など、恰も野外公衆便所の様相をなしている。東ベルリンの生活若しくは辺境の暮らしが、突如フラッシュバックする様に先祖帰りするのだろうか。

そのような一角を更に行くと、都会の真ん中に地方の城郭を意識させるようなレンガ張りの大きな建物に行き着く。これがメルキッシュ博物館である。1300年代の城の一部を使ってあるとはいえ、中にルネッサンス風のチャペルを作ってあったりして、建物自体が博物史へのコンセプトによって建造されている。同時期建造のルートヴィッヒ二世のノイシュヴァンシュタイン城とも比べるが良い。バイエルンのディズニーランド構想は、プロイセンでは真面目で啓蒙に満ち溢れている。

その垂直方向へと広がる博物館は、一通りの展示を回覧するのにも一苦労する。興味あるテーマとして、有史以前の発掘と民族の変遷である。スラヴ民族からゲルマンへの移動は、シュプレー上流の沼地では今でも非ゲルマン文化が強く残っているからである。豆料理や沼魚料理は事の他、その村落の地理的特殊性と相まって文化として結集している。一言でいうと、ワインの育たないような自然の厳しい辺境の地はローマ人には興味が無かった。スラヴ人へと襲い掛かったゲルマン人の敵は、熊ぐらいしかいなかったのであろう。スラヴは、1000年以上前までは藁葺の様な住居であって、ライン河畔のローマ人の植民地とは比較が出来ない。

そのような、上から下へと流れる文明の流れの摂理で、南のホーヘンツォ-レン家を代表とするドイツ騎士団が東方開拓する以前の歴史こそが面白い。文化的後進性からそれほどに見るべき物がないとは言え、ゲルマン神話の世界に直結するような粗忽な佇まいが当時の石像や意匠から見て取れる。地方豪族のアルブレヒト・バーレンッシュテットの時世を挟んで、反獅子のハインリッヒ、反ザクセン同盟を経てブランデンブルクは権勢を拡張していく。

先日採り上げた、リーバーマン、スレフークトやオルリックの扇子や千代紙や便箋なども陶器類と並んで隣に展示されている。どちらかと言えば、これらも北方のビーダーマイヤーの延長線上に位置づけられている。確かに、プロイセン帝の陶器などは、ザクセンの影響を受けながら、その趣味は伊万里だけでなく白磁を多用するなどの違った方へと向っていっていたことに気づく。時系軸を引かない展示なればこその発見である。

用を足すと言えば、関東から関西に移り住んだ谷崎潤一郎が、阪急電車のなかで立小水をしていた農家の小母さんに驚いた事などが何処かに書いてあった。ワイン農家の倅の成人した友達が門の内側で用を足すので、躾けはどうなっているかと訝ったものだが、北辺の首都の歴史を尋ねると、何となく合点が行くのである。窓外の色付いた落葉の道に跳ね返る雨も小降りになった。部屋から部屋へと何度も行き来しながら、方々で監視している係員に案内を乞うて、急ぎ足で更なる部屋へと向った。



参照:
文化政策オッペケペー [ 文化一般 ] / 2005-10-17
湿気た文化政策 [ 文学・思想 ] / 2005-10-24
北の地で血を吸った大斧 [ 文化一般 ] / 2005-10-27
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