だからツーファイブで山に行ってきますね ♪

グランパGuitar弾きが、のんびり生活しながら日々のアウトドアライフや日常を書き綴っています。

魔性の予測

2009年11月28日 | Weblog
何気なく24時頃TVを観ていたら何か小難しい問題についてのドキュメント番組をやっていた。
ゼータ関数のゼロ点の分布に関する予測で、数学上の未解決問題の一つであるとのこと。

立体グラフ上で直線になり、整然とした規則に基づいて分布しているということ。
これを、「リーマン予測」と言うのだそうだ。
1859年に数学者ベルンハルト・リーマンが発表したもの。

リーマン・ショックの話かな?と思ってついつい観てしまったのだが・・・。
数学の話で夜中に観るものではないなと思いつつ、ボーとした頭で観ていてのだけど引きつけられてしまった。

「素数には誰も気づいていない規則に沿って成り立っている」

身近なことで考えるとクレジットカードなどの暗号化に使われている素数(割り切れない数)。
今、米国の情報機関では(名前忘れた)高名な数学者を雇い、この問題について研究しているとのこと。

また、すでに解明されているのでは・・・?とも言われている。

このリーマン予測が証明されてしまうと、カードの暗号化が意味ないことになってしまう。


この魔性といわれるゆえんであるが、極限まで頭脳を使うことからナチの暗号を1年かけて解明したイギリスの学者が取組み自殺。
ある学者は、総合失調症になったりしている。

後で調べたらNHKハイビジョン番組の再放送らしい。

世界には凄いことを研究している人がいるのだと改めて考えさせられた。

この人たちには円高とか事業仕分けなんて関係ないだろうなぁ。(^^ゞ


とっても長かった一日

2009年11月24日 | Weblog
6時40分に家を出て8時までに間に合うように大学病院に向かった。
なぜならば、8時25分に次女が手術室に向かうためである。

通勤時間帯でもあったがなんとか8時10分前に到着し一安心。

時間通り看護師さんに付き添ってもらい、手術室まで一緒に移動した。
時間は8時30分。

あーちゃんといっしょに「がんばってね」と次女に声をかけ手術室へ・・・。

あーちゃんを残し一旦自宅に戻り、長女と孫の面倒をしつつ自宅で待機。
予定では手術時間は6時間。午後3時には終わる予定。

しかし・・・。

時間になっても連絡無し。
何回か、あーちゃんから連絡が入るがまだ終わってないとのこと。
時間だけが経過する。午後4時・・・5時…。

何かあったのか?非常に心配になってしまった。

手術は、腹腔鏡手術といって内視鏡手術の一種。
腹腔鏡とはおへそ周辺に腹腔鏡を挿入する穴をあけ、あと2,3 箇所下腹部に穴を開けその穴から機械を入れて小型カメラからの映像をモニターに映し、 医師はその映像を見ながらの手術。

また、「腹腔鏡手術の合併症は多くの報告があり、生命にかかわるものも多い。」
こんなことがネットで検索するとヒットすると凄く心配である。

5時4分、やっと無事成功したとの連絡が入った。
「よかったぁ~」

それにしても長かったなぁ。先生♪有難うございました。



灯ともしごろにBalladsを聴いてみた

2009年11月20日 | 音楽
午前中、電車に乗ってお出かけ。
約束の11時にはソニック・シティに着き、用事を済ませた後は遊びタイム。

三省堂とブックオフで本を物色。
ブックオフで本1冊とCD1枚を購入。CDはJOHN COLTRANE「Ballads」。
アルバム持っているけど1,250円だったのでゲット。
在庫は2枚あったのだけど1枚はレンタル落ちの商品でした。
なぜかって?
表1ジャケケースに許諾シールが剥がされ一部がまだケースに張り付いていたから。
知らない人は買っちゃうんだろうなぁ。



このアルバム、灯ともしごろにwhiskeyを呑みながら聴くにはピッタリのアルバムだ。
収録曲は↓

1.SAY IT
2.YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS
3.TOO YOUNG TO GO STEADY
4.ALL OR NOTHING AT ALL
5.I WISH I KNOW
6.WHAT'S NEW
7.IT'S EASY TO REMEMBER
8.NANCY

驚いたことに!
CDを開けてみると昔流行ったCDマットが入っていたのです。
お店の名前と思うのだが、「C-BOX」と印刷されているやつでした。
これは、ひょっとして指扇にあった店では・・・。

遠い昔を思い出しながら、あの方はどうしているのだろうか・・・。


霜夜

2009年11月17日 | Weblog
霜夜・・・。
よく晴れた風のない夜ほど霜が降ること。季語ですな。
このところ気温も下がってきたので、そろそろ畑も霜対策も必要です。

しかし、今日は一日雨。12月中旬の気温らしい。

11月23日(勤労感謝の日)は、縁起ものの酉の市が始まる。
東京、台東区の鷲神社の祭りは有名ですね。
この縁起をおすそわけいただきたいところです。(^^ゞ

なぜならば
昨日から南越谷の大学病院通いが始まり23日が入院。
その準備で昨日も今日も検査で一日終了。私でなく次女ですけど。

まったくもって凄いスケジュールであるのですが、実は次女の手術を当初来年2月中旬で予約を済ませたところ。そこまで全ていっぱいとのこと。

しかし、幸いにも来週手術予定の他の患者さんが経過良好ということで手術回避。
その方と入れ替わることで来週実施になりました。

内視鏡手術で約4時間ほどらしい。

これから入院の準備で忙しくなりそうである。


ぶらpentaからザイマカ

2009年11月16日 | Weblog
14日午前中はあいにくの雨。
しかし、午後から回復してきたので予定通り「ぶらpenta」に出かけた。
飯田橋の駅で下車し、神楽坂から早大通りを通り大隈講堂へ。
そして面影橋手前から神田川の畔を散歩して高田馬場までのコース。
キョロキョロしながら歩いていたのですが、写真を撮るポイントを逃してしまったのは残念。
事前に調べて午前中から探索するのがいいようである。

18:00からは今年初めてだったかな?

「ザイマカ」に参加してきました。
http://www28.atwiki.jp/xaymaca/pages/35.html

毎度のことですがウイスキーで撃沈。(^^ゞ

翌日も親戚の新築祝いのため二日酔い状態で参加。

呑み過ぎで夜中、胃が痛くなるわ・・・大変でした。
少し反省する必要があるな。(^^)



たまゆら晴れよ・・・。

2009年11月14日 | Weblog
It was very cold yesterday.
I was shivering al day.

I went to the employment agency.
It wasn't as crowded as I thought.
I'ts not quite what I was expecting.
Look on the brighe side.

早々に帰宅し、web sideの制作を行いました。
全11ページにもなってしまったのですが、ベースのページ制作は終了。

ここで思ったのが著作権。
アルバム・ジャケ写を掲載するのは基本的にNG。利用する時は許諾が必要になるのです。
以前の仕事でちょっと著作権について携わっていたのでどうしようかと悩みました。
結局、音楽サイトへのリンクという手で紹介するような感じになってしまった。
でも、なんか面白くない!
自分の好きなアルバム紹介してもしょうがないかなぁ~とも思ってます。
もしかしたら、山旅と農園、ブログ、散歩等々に絞り込んじゃおうかと・・・。

全てじゃないけど、こんな感じになりました。


どーしようか・・・悩んでいます。やっぱ発信したいことを絞り込んでサイトアップするか(^^ゞ
Flash画像も入れる予定なのですが、全てFlashで作りかえようかな・・・。


そんなことを考えながら、本日は久々の都内への散歩。
神楽坂あたりから高田の馬場まで神田川に沿って散歩でもしてくる予定。

それにしても、散歩の時間だけたまゆら晴れよ♪

かさむ医療費・・・。

2009年11月11日 | Weblog
次女の手術が決定。南越谷にある独協大学越谷病院の先生を紹介して頂きました。
まずは、日程等の打ち合わせを行うことになります。

県内では泌尿器科の先生が少ないとのこと。
そこの先生が無理ということであれば新たに紹介していただくことになります。

手術は腎臓につながっている管を拡張すること。現在、狭いため何らかの要因で通りが悪くなると痛みが発生する状態。

娘も大変であるが、良くなることを望むばかりだ。




9日は孫の診察も無事済み、こちらは一安心。
体重も生まれた時2,000gちょいだったのが4,000g弱と増え先生も驚いていたようです。

シナジス注射を打ってもらい精算しましたが、保険がきかないため注射1本30,500円。
たまたま持ち合わせがあったので払えましたが、初めての支払いだったのでチョットびっくり。(^^ゞ
次回は、ちゃんと用意しておくことにしよう。

ただこの費用、地方自治体から補てんがあるため、翌月申請して翌々月に補てん金額が振り込まれることになっている。実質は500円程度のようだ。

この3カ月ぐらいで支払った医療費は3桁となる約○○○万。後から戻ってくるといっても持ち出しは大変である。

それ以外の医療費や通院にかかった交通費も含めて、しっかり医療費控除の手続きは行うぞ。


追伸:すろはんさん、コンクール出場おめでとうございます♪



御馴染さん

2009年11月09日 | Weblog
昔から常連さんのことを「御馴染さん」なんて言いますね。

昨晩、TVドラマの「JIN 仁」を見ていて思ったのですが。
大門をくぐりごひいきの花魁のいる店に通い詰めるという場面。

この「御馴染さん」という言葉の由来は、遊郭にあるそうだ。

初めて行くことを「初回」。二度目が「裏」(裏を返す)、三度目通って初めて「御馴染さん」となる。
落語の中に「裏をけえさねぇ~のは客の恥、馴染をつけさせねぇのは花魁の腕が鈍い」なんて出てきます。

御馴染さんになるには
池波正太郎氏曰く、初めての店(寿司屋)はカウンターに座らずテーブル席に座って食べる。何回か通ううちに、お店の方から「御客さん、こちらえどーぞ」ってカウンター席を勧めてくれるもんだと言ってます。
そーすると自然に御馴染さんとなる。

また、店が立てこんできた時など、さっと立ちあがり「ここ空きますよ」なんて声をかける御馴染さんがいます。

こういう気働きのできる御客さんがお店に大事にされる。いわゆる「御馴染さん」です。
以前同じような場面を経験し、その次に訪れた時に、「こないだは・・・」なんて言われてちょっとしたサービスを受けた経験があります。(^^)

でも粋がって「裏を返しに来たよ」なんて言いません。(^^ゞ

考えてみると最近、御馴染さんと思われている店は?
川島のうどんやさん(さなぶり)ぐらいかな。
この店、立て込んでないときは(忙しいのが嫌いな店主)ちょっとしたつまみを出してくれる。
作り方からていねいに教えてもらえます。

通い始めて3年ぐらいかなぁ。味もお薦めです。!(^^)!


秋晴れとかけて、松井に打たれた投手と説く・・・

2009年11月07日 | Weblog
その心は、どちらもポカポカ状態。御粗末様でした。(^^ゞ

と言うことで天気もいいので
安比奈親水公園でのんびり過ごそうと思って入間川CRを走ってきた。
釘無橋手前から沈下橋を渡り入間川CRに入った。釘無橋から先は堤防の上を走るコース。
東屋やベンチもありチョット休憩するにはいい場所だ。高校の手前で堤防の脇のコースになってます。

雁見橋の平面交差を過ぎたあたりからだったか、堤防工事のため迂回するようになっていた。
しかたなく、迂回路の指示看板に沿って目的地を目指す。

ちょっと迷って川越橋を過ぎあたりからコースに戻り初雁橋を渡って対岸へ。
大瀬大橋をくぐって少し行くと、目的地の安比奈親水公園に着いた。



時間も12時を少し過ぎていたので、途中のコンビニでゲットした昼飯をむさぼる。
(サンドイッチ+麦酒)
We'll start with beer.

公園は、ほぼ貸切状態♪ごろんと寝ころんで川のせせらぎを聞きながらグビッ(^^)



その後、青い秋空の下、読書をしながら昼寝と洒落こんだ。


親水公園を散策し、帰路につく。


入間川CRを離れ荒川CR方面の沈下橋に向かう。
沈下橋を渡り左折すると、そこは荒川CR右岸コース。(川下から見て)
暫く進むとホンダ飛行場が左に見えてくる。


たまたま、ツェッペリン号が停泊してた。
ここからのこんな感じの景色は意外とお気に入りです。!(^^)!

ヤバイ!こんな生活に体が完璧に慣れてきている。

41.99KMの走行距離 
Thank you all for helping.

本日は、娘の手術の日程が決まる日。こころして病院に行ってくるとしよう。

下りもの

2009年11月06日 | Weblog
決してお腹の話ではないのですが。
「下りもの」さて?どういう意味なのか?

新潟地方の呼び名は、北から「下越」「中越」「上越」を読んでますね。
これは、京の都からみて呼ばれていたのは周知の通り。

また、落語に登場する庶民の会話に「下らねぇ~」何かと出てきます。
この「下らねぇ~」の語源は「下る」に対しての対義語。
江戸っ子は、「下りもの」を珍重したそうだ。

地方から都会に向かうのを「上がる」。正に新潟地方の由来と同じです。
当時の都は上方でした。お酒なんかも「灘」の場合は、「よっ、下りものだね」なんてありがたがったそうだ。

現に、塩・醤油・呉服・お菓子など、かなりの「下りもの」が珍重され技術が高かったり美味しかったりしていた。伊丹酒の『剣菱』も下り酒の一つである。


司馬遼太郎氏もいっていたが・・・。

江戸時代でも初期の頃は、政治の中心は江戸に移ったといっても、文化の中心はまだまだ上方(京都・大阪地方)。しょうゆの産地も上方が中心でした。特に泉州境で酒とともに作られていた「醤油溜(しょうゆだまり)」は評判が高く、元禄のころは名産品として諸国に流通していたと見られます。
17世紀から18世紀にかけて、大阪、ついで江戸が大市場として成長してきます。すでに菱垣廻船や樽廻船という定期船が大阪と江戸を結び、評判の高い上方のしょうゆも江戸に運ばれ、「下りしょうゆ」として名声を博しました。この頃はしょうゆに限らず、酒でも菓子でも上方から下ってくる「下りもの」は高級品、江戸周辺の産物は「下らない」もの、つまり下級品ということになっていました。(ヤマサ醤油HP)

京都・大阪では、18世紀も半ばを過ぎると、他国のしょうゆが入りはじめ、京都・大阪のしょうゆ醸造業は衰退していきます。これ以後、関西のしょうゆ市場は竜野を中心に、紀州湯浅、小豆島の醸造業者が支えていくことになります。
一方、江戸においては、「下りしょうゆ」の割合が落ちて、近郊の地廻りしょうゆが爆発的に勢力を伸ばしていきます。関東地廻りしょうゆの中心的産地は、銚子、野田、そして土浦でした。このうち銚子では宝暦四年(1754)、野田では天明元年(1781)にそれぞれ造醤油仲間が結成され、以後生産量を着実に増加させていきます。 (ヤマサ醤油HP)

それに比べると江戸周辺の物は「地廻りもの」と言われ、上方に比べ一段低く見られていたようだ。

このことから「大したものでない」「ありがたみがない」なんて言われるものは「下らねぇ~」と言われたんだそうだ。(^^)

西から東に来られる人は「下り人」。大いに東に来られれば、よろしいのでは・・・。
でも、「あごあしまくら」はご自分で!(^^)!