八国山だより

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米軍基地と雁屋哲氏の美味しんぼ日記

2010-05-06 23:36:14 | 政治
 雁屋哲の美味しんぼ日記「鳩山由紀夫氏を攻撃するのは誰か」が物議を醸しているようである。沖縄を米軍の基地にしたのは昭和天皇であり、歴代の自民党政府が60年以上にわたってアメリカに沖縄を自由に使うことを許してきた。普天間基地の対応について鳩山氏が非難を受けるべきものかというものである。

 鳩山氏への評価についてはこの普天間基地問題の決着がついてからとしたい。伊東 乾氏の日経BPオンラインでのコラムの「「政治を科学する」という大きな誤り――別の角度からの鳩山政権への期待(その1)」によれば、鳩山氏は数理経営工学という経営戦略エンジニアリングで博士の学位を取得したとのこと。スタンフォード大大学院での博士の学位の取得には過酷な討論を経る必要があるとのこと、大変な難関のようである。鳩山氏が学んだのはOR(オペレーションズリサーチ)-第2次世界大戦中期~末期に、英国を中心に発展した軍事作戦を最適化するための数理、限られた弾薬や戦闘員、兵站など、持てる力を最大限に利用して、戦いに勝つこと。換言すれば、目的実現のための最良手を選び出し、無駄を極力省くためのスマートな方法論(伊東氏の言葉を拝借)。そんなバックグラウンドを持つ鳩山氏が、素人が考えてもそれはないだろうという言動をとるというのは合点がいかない。やはり芝居をしているとしか思えない。何しろ宇宙人、地球人の常識の思い及ばないところで動いている可能性もある。

 昭和天皇に関する言及については雁屋氏の言っていることは正しい。
1947年9月20日、昭和天皇が日本占領軍の指揮官ダグラス・マッカーサーとマーシャル国務長官に送ったメモがワシントンの米国・国立公文書館に存在しており、「沖縄に米軍の大部分を駐留させ、沖縄を米国領土とすることによって、日本本土を米軍支配から独立させる方法を取りたい」と記載されているとのことである。

 また、伊藤成彦中央大学名誉教授によれば、昭和天皇はさらに1950年8月にマッカーサー、吉田茂首相の頭越しにダレス国務長官にメッセージを送った。当時、日本の非武装中立に固執していたマッカーサーも吉田茂も、講和条約後も日本全土に米軍を駐留させるとするトルーマン大統領ーダレス国務長官の方針に反対していた。そのメッセージとは「戦争責任者として政界から追放されている岸信介などを政界に復帰させれば、日本全土の米軍基地化を日本側から提案させる」(ちきゅう座 内外知性の眼 在日米軍兵士の犯罪と「在日米軍」の本質を問う(3)<伊藤成彦>)というもの。まさに日本全土を米軍基地に献上したものである。

 その契機となったのは、伊藤氏は「天皇は憲法九条による非武装の日本を米軍に守ってもらうために、日本全土の米軍基地化を提案したと見る見方があるが」、「豊下楢彦氏は、『五〇年二月一日、ソ連が突如として、天皇および数名の元日本軍高官を、細菌化学戦争の計画立案に関わった罪で〈追加戦犯〉として国際軍事法廷に付することを求める覚書を、米政府に手交した』事実をあげている(『安保条約の成立』岩波新書、一八三頁)」と述べている。

 沖縄メッセージと言われる1947年9月のメッセージも、メッセージをマーシャル国務長官に転送したシーボルト公使が「疑いもなく私利におおきくもとづいている」と推測していた。では「私利」とは何か? 1947年 9月当時、天皇が極東国際軍事法廷で裁かれる可能性はなくなっていたが、天皇はマッカーサーと会う毎に「自分を守ってほしい」と求めていた。それらの言動から見て、内外からの戦争責任の追求を恐れていたものと推測されるとのこと。昭和天皇は私利に基づいて2度にわたって憲法違反のメッセージを送り、沖縄を含めて日本全土の基地化を提案していることになる。

 これが確定した史実なのかは不明だが、伊藤教授は秦郁彦『裕仁天皇五つの決断』(講談社)、豊下楢彦『安保条約の成立』(岩波新書)、坂元一哉『日米同盟の絆』(有斐閣)、西村熊雄『サンフランシスコ平和条約・日米安保条約』(中公文庫)などの文献を検証して書いているようである。

 余談ではあるが、歴史に「たられば」は詮ないことだが、大元帥の昭和天皇の命令なくして満州事変という戦争を始めた本庄軍司令官や石原作戦参謀を、陸軍刑法に従って死刑にしておけばあるいは太平洋戦争を避けられたのかも知れず、昭和天皇の責任は大きい。死者に鞭打つのは心苦しいが。

 もっとも、ネットのどこかでどなたかが「あの戦争の原因は経済政策の失敗に尽きると思う」とコメントされているのを拝見したことがある。<以下引用>

とにかく、あの戦争の原因は経済政策の失敗に尽きると思う。第一次大戦後にすでにアメリカの景気がおかしくなってきているのに、大蔵省が金輸出解禁を断行。さらに鈴木商店や台湾銀行の経営破綻にともない不良債権処理を推進し、財政的には緊縮基調を取ったため、たちまち金融恐慌が発生。これが軍事インフレと為替ダンピングによる輸出昂進を狙った「市場開拓」という大義名分を振りかざした軍部の無謀な大陸への進出を止められなくなる素地を作ってしまう。

 要するに、トレンドがデフレにある中で、さらにデフレ推進政策をやってしまった政府の経済的無知ぶりが「間違った戦争(負け戦)」の引き金を引いたのだ。ちゃんと適切なマクロ経済政策をやり、大陸での領土を切り捨てるほどの思い切った方策をも見据えた内需てこ入れを敢行すれば良かったのだ。特に朝鮮半島なんぞに莫大な資本投入をおこなう必然性など微塵もなかった(これこそ、無駄な公共事業の典型)。いくら尽くしてやっても全く感謝されないどころか「日帝うんぬん」と今でも日本を憎悪の対象にしている者達など、最初から放っておけば良かった。ソ連の属国になり、奴隷民族と成り果てる方が彼らの「身の丈に合った」結末であったろう。

 それに、もし当時の日本が朝鮮や満州を手放せば、いったいどこと戦争する必要があったというのだろうか。「太平洋の覇権を狙ってソ連が日本本土を侵略する」という筋書きぐらいしか考えられないが、そうなるとアメリカが黙っていないはず。可能性としては低い。
<引用終わり>
「トレンドがデフレにある中で、さらにデフレ推進政策をやってしまった政府の経済的無知ぶり」-ちょっと昔にどこかで見たような。

 昭和天皇に関してはさらに、当時の大蔵省事務次官池田勇人(後に首相)の部下、渡辺武による自伝『渡辺武日記 対占領軍交渉秘録』(東洋経済新報社)では、敵国アメリカの戦争省最高幹部であるドレイパーから兵器を大量に輸入し、日本軍に高額で売り付け、利益をスイス銀行に蓄財していた。天皇とドレイパーは、兵器密売の共同事業者として、兵器販売促進のため日米戦争を行っていた旨記載されているようである(参考:Golden lily  昭和天皇こそが正真正銘の売国奴 ??)。


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