八国山だより

ノーサイレントマジョリティ!ごまめの歯ぎしりといえど、おかしいと思うことはおかしいと自分の意思を発信しなければ

どのツラ下げて

2006-01-31 16:18:18 | ニュース・時事
【記事】

発信箱:どのツラ下げて… 山田孝男(編集局)

 毎日新聞西部本社(北九州市)が発行した1945年8月16日付朝刊は1面の一部と2面が真っ白だった。当時の新聞は表裏2ページしかない。前日まで焦土決戦をあおった揚げ句、「国民も今日から転換するのだなどと、どのツラ下げて言えた義理か」という高杉孝二郎編集局長の判断で終戦勅語と行政告示しか載せなかった。彼はまもなく社を去った(毎日新聞130年史)。

 検察の尻馬に乗った鈴木宗男バッシングを競いながら、今や彼を評論家としてもてはやすメディア。前日までホリエモンをもてはやしながら、検察次第で怒とうの堀江たたきに走るメディア。むかし軍部追従、いま検察追従で、変わらぬものといえば俗論迎合の卑しさしかないおまえが、どのツラ下げて明日を語り、針路を説くのか。そう感じている読者が少なくないと思う。

 小泉純一郎首相はホリエモン選挙に肩入れした責任を問われて「批判は甘んじて受けるが、メディアはどうなのか」と切り返した。「新聞批判は甘んじて受けるが、テレビ、週刊誌こそ」と言ってしまいがちな私どもと似ている。

 いまや政治に対する観察者、批判者であるという以上に、政治権力を生み出す装置となった感のあるメディア。その無節操な暴走癖、過剰な存在感・圧迫感と加害性を省みず、「悪いのはオレではない」と逃げ腰の醜さが読者の失望を誘っているようだ。どうにも旗色が悪いが、毎日新聞は署名記事を原則にしている。だから許せとは言わない。白紙の新聞を出す予定はないが、それを出した先達の存在を肝に銘じて進みたい。

毎日新聞 2006年1月30日 0時13分

【コメント】
昨年の暮れ、毎日新聞の方(販売拡張員ではなく)が見えられ、私の居住する地区では朝日と読売に押され、販売店の店主も替わっている現状、ともかく1ヶ月間代金はいただかないのでともかく読んでほしいとの申し出を受けた。一般紙は読まないので固辞したがどうしてもということなので了承することにした。
そんな旗色の悪い毎日新聞ではあるが、このような反省記事がでてきたことは評価すべきことだと思う。

思うに先の衆院選挙で小泉自民党大躍進の功労者にはマスメディアも挙げられるのではないか。郵政民営化論については十分突っ込みどころがあったし、郵政民営化法案に対する国民投票との位置づけの小泉首相の論法に対しても、国民の関心としてはその優先順位が低いこと、その後の増税路線が控えていることについて国民に警鐘を鳴らすこともできたはずである。

特にテレビのワイドショーは刺客だマドンナだと皮相的な面あるいは耳障りのいい面を追いかけていたように思う。
そして、郵政改革PRのために、国と特別契約を結んだ竹中平蔵郵政民営化担当大臣の知人が経営するPR会社が提出したPR企画書であり、国会でも取り上げられたPR文書で
IQの低いB層、すなわち、

(小泉内閣支持基盤    ○主婦層&子供を中心  ○シルバー層   具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する層   内閣閣僚を支持する層)(もっと違うことに力を入れてほしい)

をターゲットとした戦略にうまうまと乗せられたのがマスメディアだと思う。
つまり、その文書で「B層にフォーカスした、徹底したラーニングプロモーションが必要と考える」としてマスコミを使った大規模洗脳作戦(ヒトラー政権下のゲッペルも使った)の実施に加担した。

俗に第四の権力と言われるが権力の側にのみこまれるのではなくそれこそよく言われる「社会の木鐸」であってほしいと思う。昔は古谷綱正や入江徳郎といった優れた(と個人的に思ってるだけだが)記者がいた。この山田孝男氏のような記者が、表面には現れないが実は少なからずいることを願う。




天皇陛下が参拝なさるのが一番?

2006-01-29 03:12:31 | ニュース・時事
【記事】
「天皇陛下が靖国参拝なさるのが一番」…麻生外相

 麻生外相は28日、名古屋市で開かれた公明党議員の会合で、靖国神社参拝について「英霊は天皇陛下のために万歳と言ったのであり、首相万歳と言った人はゼロだ。天皇陛下が参拝なさるのが一番だ」と述べ、天皇陛下の靖国神社参拝を実現することが望ましいとの考えを示した。
 
 そのうえで、「参拝できなくなったのは、(三木首相が1975年に私人を強調して参拝したことに伴う)公人、私人の話だ。解決の答えはいくつか出てくる」と語った。
 
 首相の参拝に関しては、「外国から言われて決めるのは絶対通ることではない」とし、「靖国問題が終わったら、日中間の問題がすべて解決するわけではない。隣の国なのだから、ある程度緊張感を持ってやっていく以外に方法はない」と述べた。
                   (読売新聞) 1月29日0時8分更新

【コメント】

昭和天皇は戦後数年おきに靖国神社に参拝していたが、1975年11月21日の終戦30周年以降、つまりA級戦犯合祀後は一度も参拝は行っていない。A級戦犯合祀に反対だったそうである。天皇を英霊に参拝できなくさせたのは誰だ。戦争に行けと命じた責任者が、招集されて兵隊になった人や沖縄戦などで亡くなった一般の人と一緒に合祀されているために天皇が来ない。そのことをこの英霊たちはどう思っていると麻生大臣は考えているのだろう。

また今上天皇も昨年6月サイパン訪問の際、韓国系住民の慰霊碑にも拝礼なさっており、そのような天皇が韓国の人々の神経を逆撫でするようなことをなさる、いやできるだろうか。

現在の靖国神社は、国とは全く関係ないただの一宗教法人に過ぎない。単なる一宗教法人にすぎない靖国神社に、現在でも公務殉職者が合祀され、厚労省が合祀名簿を作り、事実上、国が合祀を管理して進められている(すなわち、憲法で唱っている政教分離に違反している)。また本人や遺族の意思に関係なく祀られており、キリスト教信者や韓国人などがはずすように依頼しても拒否されている。

おそらく今上天皇は戦時中もそして戦後も戦争の犠牲者に心を痛めておられるはず。そのお心をくんだ発言、対応をまず先に行うのが筋ではないだろうか。

*追記*
麻生外相の「参拝できなくなったのは、(三木首相が1975年に私人を強調して参拝したことに伴う)公人、私人の話だ。解決の答えはいくつか出てくる」発言に関し、ネットを検索するとこんな記事があった。

これによれば1978年の秋、松平宮司が皇室の意向を無視してA級戦犯の合祀を強行
したことから、天皇の靖国参拝は取りやめになったことになる。

<以下引用>

以下は、月刊文芸春秋からの抜粋です。

 『自衛隊を一佐で定年退官して郷里の博物館長に引退していた松平を(靖国
 神社の宮司に)強く推したのは、最高裁長官を退官したあと「英霊にこたえる会」
 の会長、明治神宮総代をつとめいたて石田和外だった。

 石田は同じ福井県出身なので、かねてから旧藩主の松平とは親交があり、平泉
 思想(平泉澄→皇国史観)に共鳴し合う間柄にあった。だが口添えした高松宮は、
 「うってつけだが、ただではすまないよ」と洩らしたともいう。その心配は的中す る。

 意気込んで七月に就任した自称「無免許宮司」の松平は、五十三年十月の
 例大祭に際し、宮司預かりになっていたA級(戦犯)合祀をやろうと決意した。
 問題は、事前に天皇および宮内庁と、A級遺族の了解をとりつけられるかどうか
 だった。反対ないし辞退が出たらどうするか。さすがの松平も迷ったにちがい
 ない。(略)
 (松平からの上奏簿を)受け取った方の徳川侍従次長は回想録で次のように回想
 した。
 『合祀者名簿は、いつも十月に神社が出して来たものを陛下のお手元に上げること
 になっていたのですが、昭和五十三年は遅れて十一月に出して来た。「A級戦犯
 十四人を合祀した」と言う。私は「一般にもわかって問題になるのではないか」と 文句を言ったが、先方は「遺族にしか知らせない」「外には公にしませんから」と 言っていた。やはり何かやましいところがあったのでしょう。そうしたら翌年四月に新聞に大きく出て騒ぎになった。そりゃあ、わかってしまいますよね』
  
この記述には徳川の記憶違いかと思われる部分がある。「遅れて十一月に出して
 来た」のくだりは、十月十七日に予定されていた例大祭への勅使参拝に間に合わな
 かったかに読めるが、十月七日に池田権宮司が宮内庁侍従職と掌典職へ合祀者
 名簿を届けていることが靖国神社の社務日誌で確認されている。

 それにしても、松平宮司がA級合祀という重要事について、事前に昭和天皇の
 「内意」を確かめず、また徳川から文句を言われると、木で鼻をくくったような返 事をしたのは事実のようだ。

 徳川はさらに、絞首刑になった東条以下七人はともかくとして、未決のまま東大
 病院で病死した松岡洋右、永野修身の二人、とくに松岡のように「軍人でもなく、
 死刑にもならなかった人を合祀するのはおかしい」と抗議した。その思いは入江
 侍従長も同様だったようで、翌年四月十九日付の入江日記には「朝刊に靖国神社
 に松岡、白鳥など合祀のこと出、テレビでもいふ。いやになっちまふ」とある。 (略)

 白鳥敏夫は駐イタリア大使として松岡洋右の下で日独伊三国同盟の締結に奔走
 した右翼外交官で、(略)服役中の獄死した。

 側近たちの松岡らへの不快感は、昭和天皇の思いを汲んだ反応だったと見て
 よい。(略)

 ともあれこの秘められたるバトルは高価な代償を神社にもたらした。昭和天皇
 は靖国神社に行かないという決意を固めたからである。
 天皇の靖国神社参拝は戦後、数年おきに八回続つづいたが、昭和五十年十一月
 を最後に中断、現在まで再開されていない』

  (2001年11月号『靖国神社「鎮霊社」のミステリー』より)



モーツァルト生誕250年

2006-01-27 15:36:27 | ニュース・時事
今日はモーツァルトの誕生日で今年が生誕250年ということでモーツァルトにちなんだ話題を。

モーツァルトの曲を聞かせるといちごが甘くなるとか、人は記憶力がよくなるとか胎教にいいとかそうした効能の話は他の人にまかせておいて、推理小説と映画の話題から。

1985年に第31回江戸川乱歩賞を受賞した『モーツァルトは子守唄を歌わない』(森 雅裕著 講談社 1985)という推理小説がある。このこの小説は奇しくも映画『アマデウス』とほぼ同時に公開されることとなった。

『モーツァルトは子守唄を歌わない』は、ベートーヴェンが探偵役となってモーツァルトの死の謎を探る、という物語である。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲公演の練習中に、「モーツァルトの子守唄」を出版した楽譜屋が水びたしの焼死体で発見された。モーツァルトの死の翌日自殺したフリースが作った曲を、モーツァルの死から18年後に、天才音楽家の名前で出版したからか。楽譜にモーツァルト毒殺説の謎をとく暗号が隠されている。

探偵ベートーヴェンの相棒は、弟子のチェルニー、シューベルト。モーツァルト殺しの犯人と噂されるサリエリ、秘密結社フリーメイソンとの対決もあり、探偵としての活躍がいきいきと描かれている。

映画『アマデウス』のあらましは次のとおり。 
1825 年、オーストリアのウィーンで、1人の老人が自殺を図った。彼の名はアントニオ・サリエリ。かつて宮廷にその名をはせた音楽家である。そのサリエリが、天才モーツァルトとの出会いと、恐るべき陰謀を告白する。「モーツァルトは殺されたのでは…」。19世紀のヨーロッパに流れたこのミステリアスな噂をもとにしたピーター・シェーファーの戯曲を、完ぺきに映画化。その優雅な曲とは対照的に軽いというかお下品な人間としてモーツァルトは描かれていた。サリエリが、モーツァルトに「レクイエム」を注文した上で彼を毒殺し、その葬儀に自分が作曲したレクイエムとしてその曲を演奏しようと計画したというところがこの映画のフィクションのとして見所だった。
モーツァルトのさまざまな曲が流れるが、個人的にはタイトルバックで流れる「交響曲25番第1楽章より」が最も印象的だった。


ソニー、アイボ生産終了

2006-01-27 07:14:04 | ニュース・時事
ソニー、アイボ生産終了へ

数年前田舎の年寄りにペット代わりにとAIBOをプレゼントしたことがある。クゥーンと鳴いて尻尾をふったり、ボールをよちよちと追いかけたり、なかなか愛らしかった。が、ソニーから【重要なお知らせ】としてメールが届いた。

<以下引用>
             お客様へ大切なお知らせ            

 ソニーグループ2005年度第3四半期の業績発表にてご案内させていただきました
 通り、この度、AIBO本体の生産を、2006年3月をもって終了させていただくこと
 になりました。同商品の販売につきましても3月生産分の在庫がなくなり次第、
 終了とさせていただきます。

 バッテリーなどの関連アクセサリーは、4月以降の販売分として一定数をご用意
 しております。また、販売終了後につきましてもAIBOクリニックにてサービス
 パーツ扱いとして対応させていただきます。

 カスタムデータについては、2006年3月をもって新商品の発売を終了とさせて
 いただきますが、既発売のカスタムデータおよびNet de AIBOwareのダウン
 ロード販売は、2006年4月以降も継続させていただきます。

 尚、AIBOクリニックでの修理対応は、お買いあげいただいた商品の取扱説明書
 に記載のある年数の通り、生産終了後も継続(※)とさせていただきますので
 ご安心ください。

 お客様にはご心配をおかけ致しますが、ご理解のほど、どうぞよろしくお願い
 致します。
<引用おわり>

日経では今期見通しとして円安により営業黒字が1,000億円となる模様だとのこと。
DVDレコーダーのシェアもトップに立ったようだ。「ソニーのブランド力低下に歯止めがかかってきた」とある。

だが、ソニーらしさはAIBOやクオリア、QRIOなどといった遊び心というのか尖ったというのかそうしたものにあるのではないか。

ソニーはどこに行こうとしているのであろう。



植草一秀氏、教壇に復帰

2006-01-27 03:25:36 | ニュース・時事
元早大大学院教授の植草一秀氏が名古屋商科大大学院の客員教授として2年ぶりに教壇に立つことになった。担当するのは、社会人大学院生を対象とした週末の集中講義「国家の経済戦略」で、7月に名古屋、12月には都内で教壇に立つ予定とのこと。

「経済政策の第一人者。長年の業績と能力を埋没させないためにも、再起のチャンスを与えてあげたかった」とは大学院事務局の弁。

証言に立った警察官の言動など妙な事件とは思っていたが、どうやらはめられたらしい。小泉首相の政策に批判的な意見を述べているために。先の郵政民営化反対派議員達に執ったのと同様なやり口である。反対意見を封じ込める、という。

植草氏は、件の森永(卓郎)氏のコラムでも反小泉、反政府を貫いている数少ない評論家のひよとりとして名前が挙げられていた(他には、宮崎学氏、金子勝氏、佐高信氏など)。

ブログをざっと検索する限りはおおむね「ミラーマン」だとか冷ややかである。見事に小泉さんにだまくらかされているようだ。イラクで高遠さんなど3人が人質になった際も「自己責任」の名のもと巧妙に世論を誘導してバッシングさせたように。

小泉氏には、ライブドア、米国産牛肉、耐震偽装問題のトリプルセットに加えて頭痛の種が増えたことになり、戦々兢々としているやも(それとも「欠情」の小泉さんにはどおってこともない?)