以下はあるSNSユーザーの日記を転載するものである。ツィッターなどでは真実を知らない当の京都市民からも非難の声が上がっているが、実際には放射性物質(この場合ストロンチウム)の有無を未確認のままのようである。
また五山の送り火という行事がが京都市中に漂う霊を慰める、いわば京都市という一家のお葬式、という性質のもの。発案者(大分市民)がこのお葬式に陸前高田家のお葬式に便乗させようとしているように筆者には思える。いったいどこの世界に自分ちのお葬式を他家のお葬式に便乗してやるものがいるのか。また、京都市長が「何の問題も無い陸前高田の護摩木を送り火で燃やすのが市民の反対で実現できなかったのは残念。別のかたちで持ってきて市で燃やしたい」発言をしているようだが、何を根拠に「何の問題もない」と言うのだろうか。市長が行うべきは、いや発案者が行うべきだったとも言えるのはストロンチウムの検査を実施して安全性を確認することである。
<引用開始>
真実を知って!
2011年08月08日00:06
久しぶりの日記です。
どうしても書きたいことがあります。
1ヶ月ほど前から書きたい書きたいと思っていたのですが、
事態が刻々と変化するので、何度も書く→消すの繰り返しでした。
しかしネットでニュースになって批判されるからには黙っていられない。
■被災地の松、「送り火」使用断念…専門家は批判
(読売新聞 - 08月07日 20:47)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1699231&media_id=20
事の発端は、この藤原なる人物の発案↓
http://huji.hinamaturi.lolipop.jp/?eid=1437050
(本当は専用のサイトを立ち上げていたのに削除している。)
ずっと疑問を持っていた。
・なぜ大分の人間が、縁もゆかりもない京都でやろうと言うのか。
純粋な鎮魂なら地元の大分でやればいいのではないか。
・岩手の方たちは、遠く離れた京都で、しかも本来の行事の意図と
違う形で弔われても、それで良しと思えるのか。
・松の汚染についての疑問が出始めた時、福島と岩手は遠いのに!
風評だ!差別だ!という否定的意見がツイッターでは多く見られた。
しかしその後、岩手のワラからセシウムが検出されたのは報道の通り。
その件に関して前述の専門家や否定派はどう思っているのか。
ちなみに、藤原氏が最初に載せていた松の簡易検査表では
ストロンチウムが検出されていた。
それが自然放射によるものか原発事故の影響かは不明だが
なぜか現在その検査表は削除されている。
後に藤原氏は、地元の薬剤師会で松を再検査。
http://huji.hinamaturi.lolipop.jp/?eid=1437067
ヨウ素とセシウムは不検出だが、肝心のストロンチウム検査ができていない。
お粗末としか言いようがない。
そこへ飛び込んできたのが、冒頭のニュース。
「セシウム不検出(ストロンチウムは不明)だけど使用しない」との結論らしい。
…え?
どうして?
私の知る限り、保存会の検査結果は今まで公表されていなかった。
つまり「検査結果」と「断念」との公表が同時に行われた形である。
言い換えれば、検査結果を知った上で、それでも松の使用に
断固反対した市民など い な い のだ。
なのに記事を読むと「反対の声に屈した」ように読み取れる。
記事の書き方に悪意を感じる。
そしてその思惑通り、私たち市民側が格好の叩きターゲットになっている。
遠い地での送り火でも被災者の心が少しでも癒されるのなら、
今年は特別な行事としてそういう形を取るのはアリだろう。
しかしそれはあくまでも「安全性が証明されれば」なのが大前提なのは当然じゃないのか。
私たちには、送り火以降も京都で暮らす日常が、現実がある。
子供たちの未来を、安全を守る義務がある。
それらを投げ打ってでも被災者のためなら何でも受け入れなくてはいけないのか?
少しの疑問や不安を口にすることさえ許されないのか?
今回の件で問い合わせた市民達を批判してる人たちへ。
どこの肉でも野菜でも全く気にせず買っていますか?
被災地の瓦礫が地元で燃やされることになっても、何の抵抗もなく歓迎できますか?
もしどちらもYESならば、それは自分の子孫に対して責任ある行動だと思いますか?
(子孫なんかいないから・持つ予定ないから は除外)
リスクの有無について知りたいと思うのは間違っているのでしょうか?
放射能に限らず、何かに関して「危機意識」を持ったことないのですか?
提案しただけで後は無責任な対応しかしていない藤原氏にも
詳しい実情も知らずに感情論だけで京都や関西を叩いてる人たちにも
安易に受け入れて安易に中止を決めた(ように見える)保存会にも腹が立つ。
そして何より、
すべて市民側のヒステリックな対応のせいだ!と言わんばかりの
ニュース記事に腹が立つ…というか、呆れる。
再度書くけど、検査結果が出てからも反対していた市民など存在しないのですよ。
自宅から毎日見ている大文字。
もう今までと全く同じ気持ちで見ることはできないだろう。残念だ。
また五山の送り火という行事がが京都市中に漂う霊を慰める、いわば京都市という一家のお葬式、という性質のもの。発案者(大分市民)がこのお葬式に陸前高田家のお葬式に便乗させようとしているように筆者には思える。いったいどこの世界に自分ちのお葬式を他家のお葬式に便乗してやるものがいるのか。また、京都市長が「何の問題も無い陸前高田の護摩木を送り火で燃やすのが市民の反対で実現できなかったのは残念。別のかたちで持ってきて市で燃やしたい」発言をしているようだが、何を根拠に「何の問題もない」と言うのだろうか。市長が行うべきは、いや発案者が行うべきだったとも言えるのはストロンチウムの検査を実施して安全性を確認することである。
<引用開始>
真実を知って!
2011年08月08日00:06
久しぶりの日記です。
どうしても書きたいことがあります。
1ヶ月ほど前から書きたい書きたいと思っていたのですが、
事態が刻々と変化するので、何度も書く→消すの繰り返しでした。
しかしネットでニュースになって批判されるからには黙っていられない。
■被災地の松、「送り火」使用断念…専門家は批判
(読売新聞 - 08月07日 20:47)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1699231&media_id=20
事の発端は、この藤原なる人物の発案↓
http://huji.hinamaturi.lolipop.jp/?eid=1437050
(本当は専用のサイトを立ち上げていたのに削除している。)
ずっと疑問を持っていた。
・なぜ大分の人間が、縁もゆかりもない京都でやろうと言うのか。
純粋な鎮魂なら地元の大分でやればいいのではないか。
・岩手の方たちは、遠く離れた京都で、しかも本来の行事の意図と
違う形で弔われても、それで良しと思えるのか。
・松の汚染についての疑問が出始めた時、福島と岩手は遠いのに!
風評だ!差別だ!という否定的意見がツイッターでは多く見られた。
しかしその後、岩手のワラからセシウムが検出されたのは報道の通り。
その件に関して前述の専門家や否定派はどう思っているのか。
ちなみに、藤原氏が最初に載せていた松の簡易検査表では
ストロンチウムが検出されていた。
それが自然放射によるものか原発事故の影響かは不明だが
なぜか現在その検査表は削除されている。
後に藤原氏は、地元の薬剤師会で松を再検査。
http://huji.hinamaturi.lolipop.jp/?eid=1437067
ヨウ素とセシウムは不検出だが、肝心のストロンチウム検査ができていない。
お粗末としか言いようがない。
そこへ飛び込んできたのが、冒頭のニュース。
「セシウム不検出(ストロンチウムは不明)だけど使用しない」との結論らしい。
…え?
どうして?
私の知る限り、保存会の検査結果は今まで公表されていなかった。
つまり「検査結果」と「断念」との公表が同時に行われた形である。
言い換えれば、検査結果を知った上で、それでも松の使用に
断固反対した市民など い な い のだ。
なのに記事を読むと「反対の声に屈した」ように読み取れる。
記事の書き方に悪意を感じる。
そしてその思惑通り、私たち市民側が格好の叩きターゲットになっている。
遠い地での送り火でも被災者の心が少しでも癒されるのなら、
今年は特別な行事としてそういう形を取るのはアリだろう。
しかしそれはあくまでも「安全性が証明されれば」なのが大前提なのは当然じゃないのか。
私たちには、送り火以降も京都で暮らす日常が、現実がある。
子供たちの未来を、安全を守る義務がある。
それらを投げ打ってでも被災者のためなら何でも受け入れなくてはいけないのか?
少しの疑問や不安を口にすることさえ許されないのか?
今回の件で問い合わせた市民達を批判してる人たちへ。
どこの肉でも野菜でも全く気にせず買っていますか?
被災地の瓦礫が地元で燃やされることになっても、何の抵抗もなく歓迎できますか?
もしどちらもYESならば、それは自分の子孫に対して責任ある行動だと思いますか?
(子孫なんかいないから・持つ予定ないから は除外)
リスクの有無について知りたいと思うのは間違っているのでしょうか?
放射能に限らず、何かに関して「危機意識」を持ったことないのですか?
提案しただけで後は無責任な対応しかしていない藤原氏にも
詳しい実情も知らずに感情論だけで京都や関西を叩いてる人たちにも
安易に受け入れて安易に中止を決めた(ように見える)保存会にも腹が立つ。
そして何より、
すべて市民側のヒステリックな対応のせいだ!と言わんばかりの
ニュース記事に腹が立つ…というか、呆れる。
再度書くけど、検査結果が出てからも反対していた市民など存在しないのですよ。
自宅から毎日見ている大文字。
もう今までと全く同じ気持ちで見ることはできないだろう。残念だ。