先週はご親戚の納骨があり、久しぶりにローカル線に乗り1時間40分ほど掛けて出かけて参りました。
駅で切符を買い、朝早くの一人旅でございます。
この便は乗り換えなしで某駅まで行けるので、ロートルには面倒がなく、有り難いですネ。
この路線を電車で行くのは何十年ぶりになるのだろう。母に連れられ車窓を眺めていた頃を思い出す。
そう云えばこの辺りの傾斜地は、当時はスイカ畑が広がっていて、夏のおやつと云えば、みんなで食べたスイカを思い出だすのだが、車窓を眺めれば、幾重にも住宅が建ち並び、その面影は無く、時代の流れを感じるので御座います。
着いた駅は今は無人駅で、切符を出入口にあるポストに投函して外へ。
チョト待てである。無人駅の出来始めの頃は、車掌が下りて来て、乗客の切符を確認したものだったが、今は人任せか?乗客に悪者は居ないと云う事か?そこまでしなくとも給料は変わらないと?
迎いに来てくれた車に乗れば10分ほどで親戚宅。久々に仏間に上がりご先祖にお参りする。
法要までしばし歓談していれば、親戚、親近者が集まって来る。
お坊さんが祭壇の用意に取りかかる。祭壇上部に「南无阿弥陀佛」の掛け軸が下げられる。
何て読むのだろう?「南無阿弥陀仏」とは違う?そんな話が近くで起こった時、お坊さんが、浄土真宗では、「南無阿弥陀仏」とも「南无阿弥陀佛」とも書くのだそうだ。
掲げられる軸は阿弥陀様の掛け軸だったりもするが、「南無阿弥陀仏」は本来形のあるものでなく、光り輝くもので「南无阿弥陀佛」の「无」は、「無」の略字で、これを使う時は、「仏」の文字は「佛」と書く決まりがあるのだそうだ。
今回は、「南无阿弥陀佛」の文字が蓮台に鎮座しているものを用意させて頂いたとの事。
私もこの掛け軸は初めて見ましたね。
故人のご冥福をお祈りして参りました。