十一面観音菩薩像立像 唐伝来

2021-01-31 00:00:18 | 美術館・博物館・工芸品
月刊誌「経団連」2020年12月号表紙は『十一面観音菩薩像立像』。国立博物館像で2月21日まで展示中。

十一面観音像自体は珍しくなく観音像の頭の上に10~11の観音菩薩が組み込まれた仏像である。国宝もある。本作品は重要文化財。研究の結果、7世紀に唐で製作されたものとされる。



「経団連」誌の記載を読むと、顔つきが中国様式ではなく、インド系の顔であり、そもそも唐代に中国で仏像ブームがあったそうで、玄奘三蔵がインドから持ち帰った高さ40センチほどの仏像がモデルになっているということ。



確かにアーリア系の顔立ちであるのだが、さらに詳しく観察すると、頭上の10体ほどの顔つきだが、中国系とアーリア系の顔立ちが混在しているようにも見える。つまり、玄奘三蔵がインドから担いできたのは般若心経他の書籍と仏像であって、その行程の困難さから40センチ程度の像と考えられている。つまり、この仏像と同程度の大きさだ。時代的には、すぐさま作られたコピーということになる(本物でなければ)。素材は白檀ということ。

さらに、この菩薩像だが垂直に立っているわけではない。僅かに右側に体をひねり、右足体重になっている。試しに同じポーズをとってみると、ゴルフやスキーで体重を移動するようなスタイルだ。この体勢のまま動かないのは相当難しい。モデルはいたのだろうか。おそらく何らかの元の仏像があったに違いない。

そして誌面では、「7世紀に日本に伝来し、明治時代までは奈良・多武峰(とうのみね)に伝来した。」と書かれている。何か、はっきりしていないような口ぶりだ。注として、多武峰=奈良県桜井市南部にある山、または地名、となっている。山に伝来とは意味がさらにわからないので調べていくと、意外な事実が。

どうもそこにあるのは「談山神社」のようだ。大化の改新の時に中大兄皇子と藤原鎌足が事前にここにある「妙楽寺」という寺に集まって作戦会議をしたそうだ。鎌足の墓もあるそうだ。実のところ、明治政府が国家神道を広めるために行った『廃仏毀釈』で、妙楽寺はおとりつぶしとなった。

かわりに談山神社が残った。いまでも神社なのに、多くの秘仏を保有しているようだ。なぜ、本仏像が流出し、国立博物館の所蔵になったのかは調べてもわからなかった。高額だから流出したのか、その逆と思われたからなのか。