山猫(1963年 映画)

2024-04-12 00:00:00 | 映画・演劇・Video
イタリアの統一国家が誕生する19世紀の中期が時代設定されている。

古代国家としてローマ帝国は欧州では最大かつ最強であったが、帝国崩壊後は小国家が分立し、周りのフランスやオーストリアやスペインの陰謀もあって、つねに争いを続けていた。ナポレオンが登場し、秩序が生じたものの失権後はまたバラバラになり地図で見ると1848年には7ヶ国になっている。

そして映画の舞台はシチリア島。長靴の先で蹴られたボールの場所。シチリア王国の貴族一家、ファブリツィオ家の物語だ。

同様の時代に日本でも明治維新が始まっていくのだが、あくまでも国内の戦いで、さらに民衆革命ではないので、少し違う。代官を捕まえて縛り首にしたりはしていない。

革命軍ガリバルディの赤シャツ隊が上陸する時には大混乱し、貴族は逃げ回らないといけないが、ファブリツィオ(演:バート・ランカスター)一家の中で、彼の甥タンクレディ(演:アラン・ドロン)は、反対勢力の革命軍の方に入っていく。

その後、赤シャツ隊は占領地を統一政府に引き渡して消滅するのだが、一家はそれぞれうまく立ち回っては貴族の地位を保ち、タンクレディは政府側の一員に収まり、新たに新興勢力の市長の娘(演は、イタリア人のクラウディオ・カルディナーレ)と結婚する。ファブリツィオは貴族院議員の座を勧められるが、それを固辞し、娘婿の市長を推薦する。

原作の自伝的小説(著:ジュゼッペ・ランぺドウサ)の全8章のうち6章までが映画化されたそうだ。

多くの日本人の評を読むと、「長すぎる」「舞踏会のシーンが退屈」「筋がよくわからない」と否定的だが、結局、欧州でのイタリアの歴史を知らないというところに原因があるのだろう。おそらく、英国やフランスの市民革命のことは遠い遠い過去のこと(しかもナポレオン以前)で革命と言えばイタリア全土での見にくい殺戮のことを思い出すのだろう。

日本でも、明治維新のあと、大名は貴族になったがそれ以外の武士は廃業になって辛酸をなめたわけで、「維新後の大名たち」というようなストーリーは理解しがたいのだろうと思うわけだ。

実際には、多くの大名家が崩壊しているようだし・・

気になったのが、シチリア島の話なのに、バート・ランカスターは米国人だし、アラン・ドロンアはフランス人。主役の二人が外国人なのはなぜなのかということだが、イタリア人の男優リストを見ると、映画の格に合う人材がいなかったのかもしれない。マルチェロ・マストロヤンニの年齢は、二人のちょうど中間で、役に不一致だったからだろうか。

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