脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

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2015-02-12 | Weblog

日本語と韓国語は文法がよくにていて語順が同じである。だから歌をカバーする時もほとんど直訳でOkだ。私が好きな映画のチルソの夏のエンディングで流れているなごり雪も日本語とほとんど同じ言葉が使われているが日本語と韓国語は本当によく似た言葉である。しかし英語の訳で考え方の違いが出る。雪の女王の主題歌であるがその主題歌の有名な錆の部分のlet it goは日本語ではありのままでであるが韓国語はかなり違うその部分はタイジョ(すべて忘れよう)だ。はっきり言って日本語よりも韓国語のほうが英語の訳に近いような気がするが、日本語のありのままでと言う訳は不十分だ。もともとlet it goと言うのは大きな悩みなどがある人に対して気にするなと言う意味で使われる言葉だ、たぶんそれを受け流して行けと言うような意味であると思うのだが、ありのままでなんていう訳は私はあまりいい訳ではないと思っている。日本人は何かと言うとこういうたぐいの言葉を好んで使うがこういう言葉にはうんざりしている。ありのままでとかそのままの君がいいなどと言うフレーズをテレビなどでよく聞くが、私はこういう言葉を聞くたびに進歩がないなーと思ってしまう。まあとどのつまり個性を大事にしろと言っているのだと思うのだが、じゃあ個性って何なのだ?人と違う奇抜な格好をして吠えることが個性なのだろうか、あるいは支離滅裂な考え方を人に押し付けることが個性なのか、個性とかありのままになんて言っているとそういうバカが跋扈する。個性と言うのはただ自分のしたいことをしたり自分の言いたいことを言うのではない、個性と言うのは他者とのかかわりの中で見えてくるものである。前にも言ったがバイレイシャルなんかがまさにそうだ、二つの文化そして言葉を持っているのでいろいろと悩み葛藤する、そして自分はなぜそうなんだということを他者と比較して考えた時に自分には人とは違うアドバンテージがあることが実感できる。個性と言うのはそういう他者とのかかわりの中で自分が悩み考えた時に見えてくる。けつを半分出すような奇抜な格好をしてわけのわからないことを言う、そんなものは個性ではないバカがみんなやっているではないか。ああいう奴らの個性を認めることはサルの個性を認めることに等しいことである。自分たちでは個性と思っているが同じような格好をした奴らがあつまってたむろするどういう区別があるのかわからないが色で見分けるのか髪の毛で見分けるのか、個人的には外国人の参政権を認めるよりも成人式と言うのに奇抜な格好で警察沙汰になったりするようなバカの個性を認めるほうが深刻な問題だろう。何もバイレイシャルだけが個性を持っていると言うわけではないが、しかし個性と言う言葉があまりにも軽々しく使われるようになって自分勝手な奴が増えてきている。個性と言う言葉を一人歩きさせる前にもっと傷つき悩むことも今の若い人たちには大事なことだ、そうやって悩み考えた時に本当の個性が見えてくる。しかしありのままでとかそういう言葉がそれをさせることを妨げている。

 


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