脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

マスクをするのは自分のためだけではない

2020-06-29 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします(1秒ほど)。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。またジムではガイドラインを参考に行動してください。また暑くなってきましたので水分補給は十分におこなってください。

東京で感染者が増え続けている、このままでは第二波が東京を起点におこるのではないかとおそれている。今のところは高知県は体温チェックとアルコール消毒で後は普通にトレーニングしていても安全なレベルであるが、しかしもしそのような兆しがあれば場合によっては休会する予定である。
私がおそれているのは、感染した時、重症になりやすい中年世代が感染することはもちろんのこと、もしジムの誰かが感染して、その人の社会的立場が著しく損なわれることである。うちの会員はほとんどが社会人である。年齢層が高い人も多く在籍しているので、それなりに社会的責任をもっている人が多い。軽率な人間はコロナはインフルエンザと同じだとか、確率的にかかることはめったにないとか、テレビで言っていたことを都合よく解釈して言っているが、しかし社会的立場が大きければ大きいほどうしなうものは大きい、コロナにかかるとむしろそこが問題でもあるが、我々はそのことを理解し、配慮していく必要がある。例えばその人が大学関係者だったら大学全体の問題になる。大学と言う機関から感染者を出したら、もちろん授業にも大きな支障が出る、その担当している授業も休校となるし、マスコミにも大々的に報じられるであろう。そしてそれは、学校や病院、施設や企業などで働く人もそうである。自分は大丈夫とか浅はかな知識でコロナなんてこういうものだと軽く考えないで、ひとりびとりの立場を考えて思いやりを持って行動してほしいと思っている。今は感染を防ぐためには常識をわきまえる、思いやりを示すこと、そしてさらに言うならばビビることは大事なことだ。マスクをするのは自分のためだけではなく、他人にうつしてはいけないと言う気づかい、エチケット、俺は大丈夫ではなくて、基本的にはもし自分がかかってうつしてしまったらということを考えて行動することが大事なことだ。
うちのクラブは失うものがない半グレのような人間が集まっているのではない。その人には家族や社会的立場があると言うことを考えて各々が思いやりと気づかいを持って行動してほしい。

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Confidence

2020-06-26 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします(1秒ほど)。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。またジムではガイドラインを参考に行動してください。また暑くなってきましたので水分補給は十分におこなってください。

私は若い頃は自己主張が強かったと思う。ある意味病気であったが、でもそれは若い人間の特権のようなもので、成長するためには、時には大言壮語ぐらいの自己主張することも必要なことであると思っている。
しかし自己主張と言ってもただ言いたいことを責任も考えないで言うことではない。これは私の若い時の話である。それはたいした大会でもないし、そういうことを自慢するために言っているのではないが、過去に一度トーナメントで優勝できなかったら、お前らの視界から消えてやる的なことを言ったことがある。その言葉に一同唖然としていたが、本人は本気、実は私はその時ジョージからパンチを習得していたので、かなり自信があった、自信があったからこそ自分をふるいたたせるために、そのようなことを言ったのである。でもその分トレーニングも一生懸命やってきたし、勝つと言う強い気持ちを持ち続けることができたと思う。結果ファイナルは判定であったが見事優勝、たぶん私はこの試合で肉体的にも精神的にも大きく成長できたと思っている。日本人は謙遜さを求めるが、でもしかし若いうちは時には大きなことを言って自分を奮い立たせることも必要である。しかしそれは根拠のない自信であっては意味がない、よよくあるのが絶対勝ちますとか言って、負けてもまた同じようなことを繰り返す人間、私はこういうタイプはただ目立ちたいがためにそういうことを言っているだけと思っているが、本当にみっともない。自信は一生懸命トレーニングして、小さくても実績をすこしづつ積んでいくことからうまれるもので、それがいけると言う自信に変わっていくものだ。そしてそれを表現して認めさせることで大きく成長し、そしてその体験が小さくても本当の自信に変えられていくと思っている。私は自信はある種の成功体験を体にきざみつけることだと思っている。でもその成功は私のように小さいことであっても努力し、勝ちたいとか向上したいと言う気持ちを持ち続けることによって成し遂げられるものだ。偉そうに言うが海外のリングにひとりで上がるのは「俺が負けるはずはねえ」ぐらい思わないと立てない、そしてそうさせてくれるのは瞬間湯沸かし器のようなけんかの根性とか勢いとかそういうものではない、地道にコツコツと積んできたトレーニングと勝ちたいと言う気持ちである。



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Karate kid

2020-06-25 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします(1秒ほど)。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。またジムではガイドラインを参考に行動してください。また暑くなってきましたので水分補給は十分におこなってください。

ある日ジョージから今度の日曜日50ドルやるから仕事を手伝えと言われ手伝った。行くとそこは空き地のようなところ。何をするんだと聞いたら「簡単だとにかく3つあなを掘れ」と、まさか死体をうめるためじゃないだろうなと多少の躊躇はあったが、しかし50ドルは闇以外ではアルバイトできない私にとって大きい金額、言われる通りあな堀にせっせと勤しんだ。あなはさほど深く掘らなかったが(この地点で死体じゃないなと確信したのだが)、それでも3つ掘るのに時間がかかり、たぶん6時間ぐらいはかかったと思う。そして仕事をおえた私はジョージのおごりでジッピーズへ、この後あなは何につかわれたかはわからないが想像の範囲でおまかせする。ちなみに彼は不動産関係の仕事であるが、しかし昔はギャンブラーだと言っていた。そして彼には娘がいるのだがこの娘とはずいぶん長くあっていないともいっていた。
ジョージと私の出会いはカラカウアジム、そこはリングが2つある体育館のようなジムで、チームが自由にトレーニングできるボクシングのために開放された施設である。当時学生のチームの一員であった私はそこでトレーニングしていた。当時のアメリカはボクシングがすごく盛んでそこでやったスパーリングでまったく相手にならず、すごく悔しがってリングを見ていたら「強くなりたかったら明日またここに来い」と声をかけてくれたのが彼との出会いである。

カラテキットと言う映画がある。私が好きなのはパート3まである古いほうのやつ。この映画の主人公はダニエルラルーソ、転校してあることがきっかけで不良グループに目をつけられいじめられる。しかしそこでひとりの老人と出会い、空手を習いそしてそのことを通して成長していく物語である。この映画ではいずれもダニエルに立ちはだかる悪役が登場する。卑劣ともいえるやり方で彼を苦しめようとするのだが、その悪役に立ち向かう姿がすごく日本的で私はそこがこの映画の素晴らしさだと思っている。何が日本的かと言うとその解決が平和的で決して相手を徹底的にやっつけようとしないところだ。その不良グループにいじめられた時も決して強くなってやり返そうと言うのではなくトーナメントを通して正々堂々と戦おうとしたし、たとえ勝って自分が優位になっても徹底的にやらない。ロッキーとかでは勝利すると大歓声の中ヒーローになり負けた人間はみじめにさっていくのだが、この映画では勝負はもう終わったのだからと相手をゆるす。私は日本の武道の精神がここに語られているんだと感動した。

スポーツをやっていて思ったことは日本人のコミュニティと西洋人のコミュニティは違うと言うことだ。まず西洋は競争第一、ゴールデングラブで優勝した奴がかっこをつけて明日からみんな俺の首を狙いに来るなんて歯の浮くのうなことを言ってやがったが、アメリカはよしもわるしも競争の原理で動いている。日本のように試合が終わってわざわざ相手のところに行ってありがとうございましたなんて言わないし、コミュニティでお互いがそこまで深く教えあったりはしない。競争社会では自分が習得したことをいともたやすくライバルに教えることなんてまずない。さらによくクラブなどで自分が休んだら人に迷惑がかかると言うが向こうでは休んだらライバルがひとりへるのでラッキーだ、そういう社会と比べたら私は日本人は競争心がないと言えるのだが、しかしともに支え合い助け合って生きると言う精神がある。そこが日本人のコミュニティのよさで、私はこのよさを最大限に引き出したいと思っている。

ジョージは日系人そしてカラテキットの老人も日系人だが、たぶん二人は同じ世代で日系人がすごく苦労させられた時代に生きた人たちだ。私はこの映画を見るたびに彼との出会いを思い出す。私は思う。人間は絶対に誰かがいないと成長しない。私が彼に声をかけられたように誰かがその人間を顧みて声をかけてくれなければそこからはいあがったり、さらに上の世界を目指すことはできないと思っているが、ジョージもカラテキットの老人も日本人が持っている助け合いの精神を持っていたその人たちで、私はそのことを日系人である彼らから学んだ。



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It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied John Stuart Mill

2020-06-23 | Weblog
カリヒと言う少し治安が悪い地区にボクシングの練習場があった、そこには試合が可能なリングが置いてある。そこで練習が終わってがやがやとしている時の話、プロレスファンのバーガーが「プロレスの技は痛そうに見えるけどリングがクッションになっているからいたくないんだぜ」と話す。まあそう言われてみたらそういう気もしない、そう思っていると突然バーガーがホクの頭を持っていたパイプ椅子でズドーンとなぐる、一瞬えっ嘘だろとぎょっとしたが、ホクはキョトンとしている。すかさずバーガーが「ホク、痛くないだろ、音だけなんだよ、パイプ椅子は音はなるけど実は痛くない、よってプロレスの技もショーみたいなものでいわゆるパフォーマンスだよ、パフォーマンス」そしてさらに「よしじゃあ俺にプロレス技をかけてみろ、プロレスの技と言っても危険なのもあるからボディナンチャラ(持ち合あげて投げる技)をやってみろ、痛くなことを俺が証明してやるから」とホクを指名した。ホクは私よりも一つ上のハワイアン、性格はすごくおとなしいが、しかし階級がライトヘビー級でアメリカ人の中でもでかいと言える存在だ。一方バーガーは私と同じ125パウンドのフェザー級、私だったら相手を選ぶが、しかしそれが彼の愚かなところだ、言われるがままにホクはバーガーをひょいと持ち上げて上からたたきおとす、そしてズドドンとバーガーはマットにたたきつけられ、煙と言っても過言ではないほどの埃がまう、その時リングってそれほど掃除されていないんだと言うことを理解した。うちどころがわるかったのか投げられたバーガーはびてい骨おさえていたたたとその場に倒れていた。当たり前だが受け身を知らない人間がいくらマットがクッションになっているからと言って大丈夫なはずはない、プロレスラーは受け身をきちんとならっているし、日ごろからそのために体も鍛えているのだ。ホクは申し訳なさそうにバーガーに大丈夫かと言っていたが、バーガーには悪いが自業自得だ。その後いつもお決まりのセブンに行ってスーパージャンボカップサイズのドリンクを飲んで帰る予定であったが、バーガーはそのまま帰宅、若い男が集まればこういうバカなことをするのは世界各国共通ではないかと思う。

日本人の特にある世代から上はスポーツを修行だと思っている、しかも集団で修行するからたちが悪く、クラブと言うのはまさにその修行集団、中途半端な考え方では入部できない。何の罰かわからないが、野球部なんて言うのは坊主にしなければ入部できないようだが、私にしてみたらスポーツをするのになぜそこまでしなくてはならないのか不思議である。
日本人はスポーツを修行だと思っているが、スポーツは遊び、無理したり、体をこわしてまでする必要はない、楽しく、ストレスを発散させるためにするものだ、私は基本的にスポーツは競技することで幸福感を味わうものだと思っている。こういうことを言うと相手に勝利することが喜びになるだから一生懸命トレーニングするとか漫画見たいなことを言う人間がいるが、」スポーツをする集団はコミュニティだ、ミルやベンサムの功利主義的ではないが、そこでは全体の幸福や満足を考えなくては公平でかつ正しく、健全にそのコミュニティは機能しないだろう。MOBのような社会人が多い集団で、運動クラブのような規律やトレーニング、そしてボクシングができる人間がこの群れの中心だと言う考え方は全体の利益をそこなうシステムである。テレビをつければアスリートや監督やコーチなどが出てきて勝利第一主義的なことを言ってそれがスポーツの目的で、命懸けでやっている人間が発言権も強いので、あたかもそういう人たちがスポーツをやっている人間の中心みたいなっているが、しかしそういう人たちは少数派で、スポーツなんて遊びや趣味でやっている人の方が多い。
私自身ももとアスリートであったが、しかし今はその外にいて(外と言うのはアスリートの世界は狭い世界だと言う意味もある)趣味や遊びでやっている人たちの立場にいる、その立場から考えて全体の幸福を見て行こうと言うのが現在の私の考え方である。私はここに来ている人たちすべてがスポーツは楽しいと感じてほしい、修行に来るのではなく、楽しい、もっと言えばここに来たら幸福になれるから来る、そう言うシステムにするためにはまだまだ考えなくてはならないことがたくさんあるが、そのためにはしっかりとした考え方を持つことが必要だ。

ホクは我々の一級上だ。実はバーガーは私のことを認めていて、たぶんその時は一目置いていたと思う。パイプ椅子で私ではなくホクの頭をたたいたのも、たたきにくかったからだろう、でも一級上でしかもキャプテンだったホクをパイプ椅子でなぐるなんて日本ではありえない。

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Keep your focus up to the end

2020-06-22 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。
入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。またジムではガイドラインを参考に行動してください。また暑くなってきましたので水分補給は十分におこなってください。

高知はかなり落ち着いてきた、4月29日以降は感染した人が出ていない。しかしこんな時だからこそ気をぬいてはいけない、ジムには人がかなり増えて来ているし、他県からの行き来も盛んになってくるであろう。
高知だけではなく他の都道府県も一部を除いて感染者が出ていない状況が続いていて、人の動きも活発になってきているようである。
それに対して相変わらず政府は三密をさけましょうとかいってるけど、ビジネスを活性化させれば、大都市などの人口が多い場所で三密をさけることは不可能に近い、現にこれから電車を利用するものが増えてくる、そうすると満員電車なんていう状態はさけることができない事態だ。確かにワクチンを開発すればいいのだろうが、しかしそれはまだ少し先の話、私はこういう非常事態はひとりびとりのエチケットが大事だと思っている。最近コロナが沈静化しているから大丈夫だとか、かかっても自然に治癒するケースが多いとかそうではなくて、もし自分が持っていたらそれを人にうつしてしまうのではないかと言う相手を思いやる気持ちが大事なことだ。差し詰め日本人は他者の関係を大事にする民族なのでその他人への配慮や思いやりのセンスは他のどの民族よりも優れていると思う。現に自粛だけでこの事態を乗り切っているのだから、国民性と言っても過言ではない、そしてその道徳的センスを高めることが今持てる日本人のアドバンテージだと思う。私が繰り返し繰り返し他人への配慮をブログやインフォメーションで伝えているのは、こちらではできることには限界があるからだ。大事なのはひとりびとりの気づかいと配慮、実際に今この状況を乗り越えようとできるのは会員の人たちとトレーナーたちの協力があるからだ。彼ら彼女らは自分のことだけではなく、きちんと相手のことを思いやれる気持ちがある。こういう人たちの存在は大きく、事実彼ら彼女らの存在によって、他者を思いやれるようなコミュニティにしてくれているのだが、たぶん私はこのコミュニティでなければこの時期にジムなどはオープンしない、このメンバーだったら行けると思ったからジムを再開したのだ。時には厳しいことを言ったり、小さいことにこだわるかもしれない、しかしこういう時だからこそ気をぬかずに、気をひきしめてみなさんが楽しくかつなるべく安全にトレーニングできるように努めたいと思っている。

相変わらず夜の街から感染者がでているようである、この状況では例えバイトであろうとホストやホステス関係の仕事をしている人は入会を見送っていただくようにしている。またそのような場所に行った人は必ず2週間はあけて来てほしい。


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December 22th

2020-06-17 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。
入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。またジムではガイドラインを参考に行動してください。また暑くなってきましたので水分補給は十分におこなってください。

私の最後の試合は12月22日のハワイアントーナメントのファイナル、全く才能がない私の実力をここまで引き出してくれたジョージには感謝していた、だからこの試合こそ勝って優勝して恩返ししたかったが、結果はあっさりと判定負け、判定を聞いた私はこれで終わりだと、天井を見上げていたようだが、人間本当にだめだとあきらめたら天を見上げてしまうものだ、ジウンがその私を見て「ボーッと天井を見ていたので神様が見えたのかと思った」と冗談ぽく言っていたが、小さな島の私のボクシング物語はここで終わった。

私の競技人生を語る上で欠かせない存在がジョージである、そして私とジョージの出会いはカラカウアジム、ヒスパニックとのスパーリングでまったく歯が立たなかった私は、くやしくて、なぜかリングをずっと見ていたのだが、その時声をかけてくれたのがジョージ、これが私とジョージの出会いである。ジョージ曰く私はケグジェンイでファイティングスピリットは十分あるらしい、けれども不器用、才能がない、おまけにストレートしかうてない、そのストレートしかまともにうてないストレートを鍛えて何とか実力以上に実力を出させてくれたのがジョージだ。私はそれしかうてないが、でもたぶんそれはかなりスピードがあったし、踏み込みが強くて、ノーモーションでうつので正面で対峙したらかなりやりにくかったと思っている。当時合気道のあやしい日系のじいさんに頼んで体幹トレーニングらしきことをしたのだが、よくおぼえているのはかまえてみろと言われてかまえたら、ここにまだ力が入っていると手刀でつかれ、その度に「何すんのじゃじじい」と言いそうになったのをこらえたことだ。でもこのトレーニングのおかげで体幹が鍛えられて驚くほどパンチがはやくなった。私はたいした才能がなかった、けれどもうまくなりたいと言う気持ちは強く持っていて、そんな私がジョージと出会いアレンや当時の監督と出会って、ボクシングを競技していった、結局、最後はまけてしまったが、それは私にとって最高の競技人生であったことは確かなことだ。そしてそこにはこんな自分をうまくしてやろうとか助けてあげようと言う人たちがいた、そういう人たちの協力のもとボクシングを競技していった、そこにはボクシングだけではなく、たくさんの人たちのかかわりがあった、かけがえのない私だけの物語があったと思う。

できない人の立場に立つ、これがうちのクラブのモットーであるが、これは私の体験によるものだ。ボクシングはひとりではできない、それは異国の地でひとりで競技した私だから言えることだ。教える立場の人はやったらできるのではなく、まずできないことを共感してほしい。おい聞いてろよと一方的に技術をたたき込むのではなく、わからなかったらこちらの説明にも問題があるんじゃないかと疑ってみる、一方的ではなくてトレーナーも教えることでともに成長していくスタイル、そして今まさにその競技やダイエットにたずさわっている人間たちが中心になっていろいろと考え、教えあって共有しながら進歩していく、その環境を整えるのが私の役目であると思っている。
管理者は黒子のように黙ってまわりをサポートする立場に徹する。自分のしょうむない実績や誰でもできるような過去の実績などすてて、自分ではなく、まさにいまここに来て集まっている人たちすべてがが主役だと言うことを認識する必要があるだろう。水を飲むなと言われて、あまり賢くなくてもスポーツさえしてれば通用する、インターネットもない、英語も話せない、縦社会に生きたような室町幕府からタイムスリップしてきたような考え方の人間が余計な口を出さない、やかましいだまっとれ、shut your facking mouth!と言うのが私の考えだ。うまくなりたい、ボクシングが楽しいと感じたら上達していくのは自然なことである。管理者はその来ている人たちの生活や目的、性別、体力や年齢にあわせて、それぞれが充実したボクシングライフをおくれるようにいい環境を整えてあげることが仕事であると思っている。そしてそのためには自分の持っているくだらない過去の実績をすてれるかどうかである。誰も聞きたくもない自分のボクシングの実績を聞いてもらえるからと立場を利用してベラベラと自慢げに話す、見ていて非常にみっともない。あくまでジムの中心は、ダイエットも健康維持も含むここに来てボクシングをしているすべての人たちである。




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はじめに競技者ありき

2020-06-14 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。
入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。またジムではガイドラインを参考に行動してください。また暑くなってきましたので水分補給は十分におこなってください。

私は日本の従順さと素直さを求める家父長制的な集団が好きではない、むしろ弊害だと思っている。監督がお父さんでそのお父さんをまわりが立てて行動する、監督はあの子と競技者をひょっこあつかい、時には反発する者もいるが、しかしせいぜい子供がお父さんに反発する程度、それはまわりの雰囲気とかかわり方を見たらわかる。
日本人は素直という言葉をいい言葉だと思っていて、これはよく目上の人が年下の者に使うほめ言葉である。しかし私からしたらこの言葉は微妙で小さい子供ならまだしも、中学生や高校生にそういう従順な態度を求めてどうなるのだと思うのだが、それだったら真摯であるとか誠実であるとか言い方がある。たぶんこれは私の意見だが素直という言葉の中には相手を認めていない、上から目線で相手をひよっこあつかいしている態度がある、私がもしその集団の一員で「あの子は素直だ」とか「成長した」などと言われたら「余計なお世話じゃ」「Fuck you!「」とか言っているだろう。

私はスポーツの世界はリスペクトしあう世界だと思っているし、現に私はそうならった。だから私は日本のような家父長制のシステムはナンセンスだと思っている。今の若い人たちのトレーニングの仕方は進歩している、勉強だってそうだ、我々の時代のように図書館で限られた書物を読んで勉強するのではなく、インターネットや様々な情報源を駆使して勉強する、そういう時代になってきているのだ。私が本をたくさん読むのは彼ら彼女らについていくためだ、ジムでもそうだが、うちのジムではジムでの指導はトレーナー中心だ、そこでトレーナーたちが集めてきた情報を駆使して、それを会員の人たちに教えているが、そういう姿を見たら、自然と彼らをレスペクトするようになる。私が学んだボクシングは80年代のハワイのボクシングだ、そこで学んだスピリットはのこっても、技術的なことはさほどたいしてのこらない、それだけ世の中は進歩していると思っている。組織でもなんでもインターネットがない時代の縦社会に生きて、英語が話せない、それしかできない、そんな人間たちが集まって、今更どうなのだと思う、たぶん縦社会と言う枠がなければ頭角をあらわすことができない、もはやその集団は窓際族の集まりだ。うちのクラブではトレーナーや若い人たちが中心になってあれかこれかといろいろと技術を取得しようと試みているが、正直我々のような80年代のボクシングしか知らない人間が、ああだこうだと言うよりも格段とそこには進歩があると信じている。教えてもらうことでは人は成長しない、うまくなりたいと言う気持ちがその人を成長させる、そしてその気持ちを大事に成長させてくれる環境が必要である。スポーツするのにいちいちその親玉の顔色をうかがったり、気をつかうなんて言うことはバカげている。



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I like dogと言ったら犬を食べることになる

2020-06-12 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。
入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。またジムではガイドラインを参考に行動してください。また暑くなってきましたので水分補給は十分におこなってください。

私は犬が好きですは「I like dogs」と言うのが一般的だ。犬は世界に一匹ではないので必ずsをつける。でもI like dogとsをつけなかったり冠詞がないと、意味は食用の犬が好きになる。だから外国人の前で「I like dog」と言うと犬を食べるんだと勘違いさせてしまう。ではなぜ冠詞をつけないでそのまま「I like dog」と言うと犬を食べることになるのだろうか?これには数えられる名詞と数えられない名詞に関係している。数えられない名詞と言うのは抽象的でかたちがないもの、そして物理的に切ったりちぎったりしても、それがそれだと言えるものが数えられない名詞である。この考え方をもってすればチョークや紙がなぜ数えられない名詞かということが理解できる。チョークはポキットとおってもそれがチョークだと言えるし、紙もそのままちぎってもそれが紙だと言える、とどのつまりチョークも紙も概念上形をもたないものであるが、これと同じようにもし犬を数えられないものとするならば、チキンウイングや牛フィレのようにそれを食用にした場合、だからI like dogと言うと私は犬を食べると勘違いされる。

うちのクラブはNO暴力であることを徹底している。マスボクシングでカーッとなって敵意むき出しでなぐりかかっていったり、特に弱いものをこれ見よがしボコボコにするというのはもはや犯罪、卑劣な行為である。年齢や性別そして目的に関係なく集まるコミュニティを目指していたら、自然とうちのようなクラブになると思っている。ロールズの無知のベールをかいつまんで説明した時に、自分たちのことばかり考えないで、その自分勝手な考えをいったん置いといて、互いの利益になるように考えることが平等だ。そしてそう考えたら誰が一番遠慮しているか、弱い存在かと言うことが見えてくる。特にそういう人たちが生き生きと楽しくトレーニングできるような環境をつくるのが理想的であると言ったと思う。気合を入れているのかどうかわからんが動物のようなでかい声でさけんだり、裸で汗をまきちらしてシャドウするなんて言うのは、見る人から見たら不快で威圧感を感じる。どういう教育を受けて来たのかわからないが、公共の場で裸になるというのは言語道断。それでも女性は私は気にしないと言う人もいるが、大事なのはそういうことではなく、そこで威圧感を感じたり、不快な思いをする人がどうかという目線に立つということだ。コミュニティは、マイノリティの目線に立って物事を考えなくては公平で正しい管理などできない。私はそう思っている。MOBは女性が威圧感を感じたり、こわがったりする行為は不適切であるとみなす、それだけではなく、一般の社会人が違和感を感じるような行為に対しても厳しく接している、一般の社会人が中心に集まるボクシングクラブだ。



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We can chenge.

2020-06-07 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。
入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。またジムではガイドラインを参考に行動してください。

個性と言う言葉はよく使われるが、しかしこの言葉がひとり歩きするのはよくないことだ、個人的にはこの言葉が発達障害やアスペルガー、そしてその他の障害を持った人たちに使われる必要があると思っているが、校則を破って髪の毛を金髪にしたり、奇抜なファッションで威嚇するのような人間たちに個性などと言う言葉をつかってほしくない。こういう輩は人間が持っている知性と言う人間だけに与えられた個性を軽んじて生きているからだ。個性は南米の鳥のようにド派手な格好で、小学生レベルの語彙力で同じようなことを吠えることや、奇妙なことを言うことではない。個はもともと持っているものだが、しかしそれは磨かれるもので、本当の個性とはいろいろな経験や学習を通して見えてくるものだと私は信じている。

この前若いうちは変わることをおそれない、そして自分の世界をひろげることであると言ったが、自分の生きている世界から外の世界に出て行って、膝をおとして、こりゃあかん自分ではどうにもならんと言う経験をしたら、自分がどれだけ小さくてしょうむない奴かと言うことがわかる、ぶつかったものが大きければ大きいほどその変えられる力も大きい、その時本当に自分は変わらなくてはいけないということがわかると思う。

うちのジムでも来ている子供が進学を考えて勉強したりするのは、大人と話すことで、俺はこのままではいけないと思うからだ、今まで意識していなかったことを意識するのはその自分の小ささがわかり変わらなくてはと思ったからだと思う。よく個性と言う言葉を使うが、しかし個性個性と言うよりも私は子供や若い人には刺激が必要だと思う、時にはこのままだったら俺はあかんと思うぐらい、そういう刺激を与えられて変えられていく変化が必要だと思っている。なぜなら子供や若い人はそのことによって大きく成長できると信じているからだ。しかし刺激とっても健全な刺激で、その健全な刺激はまじめに一生懸命生きてきた大人から受けるものだと思っている。だからジムの環境をよくすると言うのは必要なことだ、私はひとりびとりが成長するためにはいろいろな人たちから刺激を受けることが大事なことで、そしてそのコミュニティにはどういう人たちが集まってくるかと言うことを問題にしている。あいさつとか礼儀、何々しろと言うような命令はやくざでもできる、そういうことを徹底させることが人を成長させることではないと私は思っている。大事なのはその共同体にどういう人たちが集まることだ。

昔在日がこわいと言われていた時代がある。あの電車に乗ったらそういう人たちがいるから、あの時間帯のあの車両には乗るなとか言われていたし、事実暴走族も多かった。確かに当時は差別があった、しかし私はそういう差別があったから固まって行動する彼ら彼女らを冷ややかに見ていたと思う。世の中には自分の力では変えられないいものがある、でもしかし自分は変えることができる。変化をおそれる人間はかたまると言うのが私の意見だ、何かあったからとかたまって無駄なエネルギーを発散するのではなく、自分の殻を打ち破って、違う世界に出て行けば、変えられるチャンスがいくつもある。私自身も大嫌いであった韓国人を隣人だと見れたのはアメリカ系韓国人ジウンのおかげであるし、彼女との激論で私は少しずつ変えられて自分の過去を受け入れることができた。変えられることは自分の価値観を一旦捨てることだから勇気のいることだ、しかし変えられることで成長できるし、何よりも私は平和になってきていると思う。




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Itとよばれる競技者

2020-06-03 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。
入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。またジムではガイドラインを参考に行動してください。

学生時代の試合でピーターが私のセコンドについた。ついた理由は今ではよくおぼえていないが、それは練習試合みたいな試合だったと思う。しかししてくれたのはいいのだが、彼はたいした実力もなければセコンドもほぼ経験はない、それなのにあれこれとやかましいほど支持を出してくる。それでも1ラウンド目はわかったわかったと聞いていたのだが、しかし2ラウンドがおわってセコンドに戻った時にあまりにもうるさかったので思わずでかい声で「shut your facking mouth!」と叫んでしまった。そしたら観客がクスクスと笑い始める、そしてそのクスクスが広がりやがて会場はわっはっはっと大爆笑の渦にまきこまれ、「しっしまった」と思っても後の祭りだ、ボクシング会場で大笑いされるふたりの東洋人、この時ばかりは本当にはずかしい思いをした。
私はジムで暴言をはくなとか乱暴な言葉をつかうなと言っているが、しかしこれはもはやお前が言うなレベルだ。こんな私であったからついでに言うと、試合でよくファウルをした時に審判にすみませんとあやまるが、私はあれが全く理解できない、相手にあやまるならわかるがなぜ審判なのか、まったく意味がない、私の感覚では「shit!」だ、実際に何かをしくじったりしたら私はそう言っていたし、普通はそう言うだろうが、たぶんこういう考え方は日本では通用しないと思う。

日本では競技者が少しでも暴言的な言葉を吐くと思い切りおこられて、処罰されるが、しかし審判や監督の暴言や態度にはすごくあまい。よく競技者に「おいそこ」と言う人間がいるが、「おいそこ」って一体何なんだ、しかも人前がたくさんいる前で害虫でもあるまいし、邪魔者扱いする、私にしてみたら競技者を「おいそこ」なんて言ったり、人をどなりつけたりするのはまさに暴言、人権侵害だ。
昔の運動クラブの制度は一年ゴミ、二年虫、三年でやっと人間、そして4年が神様らしいが、こういう構造は下のものだったら何をしてもいいと言う間違った価値観を持つのではないか。
少し前の日本の体育会の構造はいじめの構造と同じである。私から見ての話だが、保守的でThe体育会の人は人間関係を自分より上か下で見る、上と判断したらその人間たちにはペコペコするが、しかし自分とは関係ない人間や下と判断した人間には常に上から目線で、高圧的で自分が優位に立たなくては話ができないのだが、運動クラブでは先輩や監督の言うことが絶対なので、考えて物を言うことができない、だから考え方が常に一方的で、威圧的で高圧的な態度をとってくるのだ。しかし態度が威圧的で高圧的であっても内心ではびくびくしていて、気が小さいことがわかる、おまけで言わせてもらうが、外国人には何も言えないと言うのも私がもっているイメージだ、中にはさぞかしえげつないトラウマを抱えているんだと言うややこしい人たちもいて、昔の運動クラブは自分よりも下にだったら何をしてもいい、そして上の者には従うと言う風習がある。そういう人たちは自分はもっとひどいことをされてきたのだから、どなったり、けとばすぐらい何が体罰なのだと思うかも知れないが、しかしやられた方は傷つくし、家畜でもあるまいし手をあげられると言うのは人権侵害、それを理解できていないのだ。おそらくそういう世代の人間が指導する側になると多少なりとも勘違いがおこる、ある世代から上の人は体罰や暴言を人間に向かって吐くことに対しては、注意しなくてはぐらいの認識しかなく、やってはいけない、暴力だと言う認識はない、たぶんそういう構造が組み込まれているのだと思う。なんでもそうだが組織が若返ると言うことは、ディスアドバンテージもあるだろうが、しかしアドバンテージの方が多いと思っている。古い考え方は物事を進める上では弊害になることが多いと思う。日本人は変化をおそれる人種であると言うことは前回のブログで言った。そして海外に行っていろいろなことを体験したら自分がどれだけ小さいか、弱いかということがわかり、認識を改めさせられ、変えられていく、その経験が特に若い人には大事だと言ったが、練習中に水を飲むなと言われていて、語学に疎い、インターネットがない、そういう時代を生きた人間が、認識を改めさせられ世の中の変化についていくことは難しいだろう、そしてこの時代の中、リードしていくことには無理があると思う。


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