脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

ジムのエチケット的なそういうこと

2020-11-29 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。ジムではガイドラインを参考に行動してください。また水分補給は十分におこなってください。 アルコールは70%から75%のものを使用しています。

私はボクシングの雰囲気にはかなりの違和感がある。私から見たらかなり独特の世界、何か軍隊とヤクザ組織を融合させたみたいな、使う言葉にも違和感があって練習生って一体何なの?最初聞いた時は笑ってしまったが、これっていい大人にも該当するのか、兵隊でもあるまいし、まあ使う言葉は自由であるが、私は個人を示す時は必ず名前か最近よく来てくれている人とかそういう表現を使うし、複数で示す時は会員の人たちとなるべくその人を尊重できるような表現を使っているが、それはある種のエチケットだと思っている。サンドバック(土嚢袋)バンテージ(包帯)ラスト30、横文字も違和感のオンパレードではっきり言って独特のダサさがある、もっとスマートにいかんのかと思ってしまうが、何か共通の発想があるのか、その発想に私はついていけない。

うちのクラブはもう10年ぐらい前から言っているが、うちは健康維持やダイエットの人たちが主流だ、だからなるべく威圧感は出さないようにしているが、2年ぐらい前にTシャツをつくった時も女性もたくさんいるので胸ロゴをboxeとフランス語にした。もともとデザインがよかったのだが、さらにそうすることで女性で買う人も増えたし、男性も胸ロゴはフランス語でと言う人も多かったが、本当はMO le studio de boxeと入れたかったが胸ロゴなので短くboxeとしたが、そのほうがうちのカラーにあっていて結果的にはよかったと思っている。

上半身裸でトレーニングしたり、気合か何か理解できないが、奇声を発したり、マスでカーッと来て敵意むき出しでなぐりかかっていく、ただならぬ雰囲気でサンドバッグを汗をまきちらしてたたいてばたっとへたれこむ、道端に寝転んだり、武勇伝ややんちゃ話で盛り上がる、こういったことは独特の運動クラブでは通用するのだろうが、しかしうちは女性や年配の人たちもいるので、不快に感じる人もいるだろうし、中には怖がる人もいる、おそらくそういったことをしないのは一般の人たちが集まる公共の場でのコモンセンスだ、うちは中高生の運動クラブではないと言うのはまさにそういうことである。



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練習生ではなく会員の人とよぶ理由

2020-11-26 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。ジムではガイドラインを参考に行動してください。また水分補給は十分におこなってください。 アルコールは70%から75%のものを使用しています。

英語の参考書を買ったらだいたいCDがついている。しかしこのCDは単なるおまけではない、それは長文読解のスピードを上げるためにはかかせないアイテムである。まず読解力のスピードをあげたかったら本を見ながらCDを聞く、スラッシュを入れる、そして一通り聞いたら今度は本を見ずに聞く、それを繰り返していくことで長文を読むコツをつむことができ長文にもなれてはやく理解して読むことができるのだ。だからCDは受験英語でも重要アイテムだと思っているが、CDを付録ととらえるかアイテムととらえるかここで差が出ると思う。

私が好きな論語の里仁第四、十六章の言葉「君子喩於義。小人喩於利」 現代文に直すと「君子は義に喩り、小人は利に喩る」である。これは要約すれは正しい人は正しい理由で動くが、ダメな人間は自分の私欲でしか動かないと言うことである。

私はジムを運営するにあたっていつもトレーナーやベテラン会員には心から感謝している、ここで教えてくれている人たちはすべてボランティア、しかしそうだからと言って決していいかげんではなく、本当に一生懸命教えてくれるのだが、本当にそういうボランティアがジムの雰囲気をさらに一層よくしていると思う。さらに彼らは教えているからと言ってそこで特別感を出したり、そういうことを特権に偉そうにふるまったりしない、本当にその人のためになるように教えてくれる、私は時々彼らにありがとうと声をかけると「いや自分が本当に楽しんでますから」と言ってくれるが、助け合ってそこに喜びがあるのはアドラーも言う共同体意識から来る真の共同体の姿である。おそらく彼ら彼女らのそういう協力があるのはまず彼ら彼女らが信用のある人たちであり、そしてうちのクラブの共同体の目的や考え方を彼ら彼女らが認めてくれているからだと理解している。ここは健康維持やダイエットの人たちが楽しんでもらうための場所である。そのためには暴力的なことは徹底排除、ジムでは誰がマイノリティかということを考えて、その人たちを大事にする。ジムでは女性を大事にするのは女性はこういうジムなどではマイノリティで、そういう人たちを大事にすることが平和的にジムを運営できることだと考えているからだ。そのことはブログや日記でも繰り返し繰り返し伝えているが、そういった考え方がうちのクラブの考え方であり、哲学である。

そして実際ジムを運営していくには人の力が必要である、そういう人たちの協力を得て実際に動かしていかなくてはならないことは事実である。しかし人を動かすと言っても俺についてこいでは自分よりも能力の高い人は動かせない、バカは自分を大きく見せるために自分の持っているものだけで勝負する、一番バカだと思うのは武勇伝ややんちゃばなしを意味もなくただ自分はお前たちとは違うと自分を大きく見せる人間、しかし専門職の人や企業バリバリ働いている人たちにいかには自分はすごいだろとボクシングや武勇伝などの自慢話をしてもむなしいだけ、私から見たら履歴書にかけないようなことを吠えてもそれはただの負け惜しみ、まともな人間には相手にされない、こういう人間のまわりに人が刺激で集まるとやっかいなことになる。まともな人に動いてもらいたかったら、まず教育を受けて、言葉や作法をおぼえて同じ土俵に上ること、そしてその上で相手のことを心から尊敬し、時には弱さを受け入れること、人に協力してもらいたかったらまずその人たちのことを心から尊敬することである。

そして幸いなことにこのコロナ禍においてジムはオープンできているが、私がある程度安心してオープンできるのは会員の人たちが私の考え方を理解してくださり、ジムを大事に考えて協力してくれるからである。自分の私利私欲ではなく、こういう時こそ何が正しいかと言うことを考えて行動してくれる会員の人たちはまさに私から見たら孔子でいうところの君子である。
ジムではトレーニングに来る人たちのことを練習生などとよんでいるようだが、しかし彼ら彼女らはうちのジムでは協力してくれる人、私はそういう言葉はつかわない、私は彼ら彼女らに尊敬と感謝の意味をこめて会員の人たちとよんでいる。





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I am Asian

2020-11-23 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。ジムではガイドラインを参考に行動してください。また水分補給は十分におこなってください。 アルコールは70%から75%のものを使用しています。

中国は公害をまきちらしたかと思ったら今度はウイルスかよ。人権を蹂躙する中国の社会主義は独裁国家だ。ロックの「所有論」は単なる所有権と言うよりもそれは基本的人権にまで及ぶものだ、現に「生命、自由、財産」はアメリカ独立宣言では「生命、自由、幸福の追求」と受け継がれ、日本国憲法13条でも「全て国民は個人として尊重される。生命、自由および幸福追求にたいする国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と大きな影響を与えている。ロックの所有権は我々が守られなくてはならない生存権である。 一部の人間たちが社会主義と言う制度を利用して私腹を肥やしたり、人権を侵害したり、蹂躙することは生存権を著しく破壊している行為である。香港の人たちはこういう間違った行為に対して反対の意見を述べているにすぎない、香港だけではなく、ウイグルやチベットで何が起こっているか、それらを知ることはオリンピック以上に重要な問題だと思う。

私が不思議に思っていることは、日本はこれだけ教育が行き届いているのにバイリンガルが少ないと言うことだ。三か国語になるとそれはレアな話で、教育レベルは極めて高いが、語学ができない、おそらくそれは日本が自分たちの世界以外のことを自分たちのテリトリー以外で理解しようとしないからだ。他の国では高い教育を受けるためには英語が必須の国もある、なぜそうかというのは英語が理解できないと本が読めないからだ。自分たちが日本語で読んだり、聞いたりできる情報がすべてではない、むしろ日本の情報は限られていて、偏りがあると言うのが私の意見だ。近くの国の香港であれだけのことがおこっているのに、話題性がなくなれば、今度は連日暴走老人や芸能人の不倫の話題でにぎわう、民主主義や人権が蹂躙されることよりもスポーツや芸能が大事なのだ。
他国の人たち特にアジア人が日本語を習うのは確かにアニメなどの影響も大きいが、しかし私はそれよりも日本人に対するレスペクトがあるから影響を受けていると考えている。日本人は欧米人にはちやほやするがアジア人はあまり相手にされない、バイレイシャルも欧米=かっこいい、韓国、中国=顔が同じだから同じ、そして東南アジア=偏見、と言うのが私の日本人に対する見方である。でもいろいろな意味で一番日本に関心を持っているのはアジア人だ、アニメなどの影響をうけてそういうことだけに盛り上がっている人間も確かにいるが、しかし彼ら彼女らは本気で話せる人間を求めている。それはたぶん同じ起源を持つ、同じアジア人だから伝わると言う期待があるからだと思う。

対話しお互いの文化や考え方や意見を共有すると言うことは大事なことだ。実際に韓国はネットやマスメディアでは日本をバッシングし、敵対しているが、しかしこのことは韓国を知るすべてではない、私はむしろ関係はよくなっていると思っているが、実際に冷静に関係を見直していこうと言う人たちも増えて来ているし、事実ある大学教授が慰安婦問題を検証してそういう事実はなかったと言うことを発表したことは私自身もおどろいたが、さらに韓国人の中には日本に来てから考え方がかわって日本を擁護する側になった人も少なくはない、それを堂々と主張し始めていることも事実で、中国ではこういうことは絶対にできないことだ。韓国は実際にひとりびとりと対話できれば共通点も多く、分かり合える民族である。中にはとんでもない人間もいるが、基本的には私は話せば通じ合うことができると信じている。

私は自分の子供に大学で困っているアジア人がいたら助けてあげろ、そのアジア人がお前のかけがえのない友となると言っている。私も実際にジウンに声をかけられたことで、日韓関係を話し合うようになった。時には意見がぶつかり合って、関係がおわるんじゃねえかと思ったこともあるが、しかし次会った時は普通に話すジウンに心をひらき、そして次第にあれだけ憎んでいた国を受け入れるようになったことは確かなことである。
これは少しデフォルメもあるが議論であつくなった私に彼女が私に言った言葉、私にとって衝撃的であった言葉だ。
「どっちが正しいと言うことではなく、憎しみだけの色眼鏡をとおしてみているだけでは何も解決しない。大事なことはお互いがゆるしあい、愛し合うことだ、それは今を生きている私たちのためだけではなく、これからの未来のために.....憎しみや怒りは戦争と言う負の産物を残す、しかしゆるし合い、愛し合うということは私たちが未来に平和をのこすことができる。怒りや憎しみをもったままでは幸せにはならない、キムホヨン、人間は幸せになるために生きている、もしあなたがそうだとしたら怒りをすてて私の言っていることがわかると思う」


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神聖な場でブチ切れる

2020-11-22 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。ジムではガイドラインを参考に行動してください。また水分補給は十分におこなってください。 アルコールは70%から75%のものを使用しています。

今生きていると言うことは偶然ではなくて必然である。人間が生かされているとしたならば誰にでも生きている意味があるし目的がある。人生は必ずしもいいことばかりではなくわるいこともある。でもしかし自分の苦しかった経験や体験は自分にしかできないことで、もしそのことに意味があるとしたならばその悩みや苦しみはこの私が成長するための試練であって、そこには自分だけが与えられた生きる意味や答えが見つかるだろう。 キムホヨン

ジウンの教会のフライデーナイトと言う学生の集まりにコーヒーとクッキー目当てによく行っていたのだが、ある時、韓国人の宣教師が来て話をした。その宣教師当時いがみあっていたミンゼと言う男が連れてきた何ともうさんくさいおやじだ。そのおやじは、神の奇跡だとか言って歩けない人が歩けるようになったとかめちゃくちゃうさんくさい話をしていた。そしてその後コーヒータイムと言うのがあって、そのおやじはそこで自分のことを信じない私にさらに信じろとせまってきた。でもあまりに高圧的で宗教や哲学の勉強は自分のほうが知っていると思ったので思わず言ってしまった。「あんたの言う奇跡は自分勝手だ。神があらわす奇跡ってそんなんじゃない。人間が弱いと思っていることが実は本当のアドバンテージであって、そこにおいてこそ一番大きな力がはたらくのだ。人間は傷つき、悩み不安を抱えて生きている。けれどもその悩みや不安があるからこそ人にやさしくなれるし、自分が大きく成長できる。障害を持っていてもその人を通して語られる貴重なメッセージがある。私がここに生まれてきたのは偶然ではなく必然だ。人間はすべて生きる意味を持っていて、我々は目的をもっていかされているのだ。もし奇跡があるとしたら弱いものを強くする力だ」と多少のデフォルメもあるが、確かこういう内容のことを言った。

キリスト教徒はよくギフトと言う言葉を使う。ギフトと言うのは神から与えられた才能とか能力みたいなものだ。でもしかし私なりに考えて、それはスポーツ選手などが持っている能力とかではなく、自分が持ってるディスアドバンテージがアドバンテージにかえられる何かを私はギフトだと思っている。そしてそのギフトは自分には気づかないむしろ自分のディスアドバンテージの中にあるのだ。
アドラーは自分の劣った部分についてこう語っている。「劣っていることは不利ではなくむしろ資産である」彼が診療所を開いたころの話だ。その近くには遊園地があってそこで働く大道芸人や軽業師などが診療に来ていたそうである。そして彼が彼ら彼女らの話を聞いてわかったことは彼ら彼女らのそのほとんどが小さい頃から体が弱く、それを克服するためにそのトレーニングに励んで、今の仕事を選んだそうである。人間はだめだと思っているところに関心を持ってそれを克服しようとすれば、逆にそれが自分を成長させる大きな目的になる。ギフトとはまさにそういうものであって人間は誰でも持っている、それを乗り越えようと一生懸命頑張ることがその人に与えられた生き方であり、そのことを通して語られるメッセージがあると私は信じている。

おやじとのやりとりがあった後、ぶちキレてそのおやじを詐欺師呼ばわりした私はてっきりジウンにおこられると思っていた。その帰りに彼女がひとこと「今日のあなたの話、私はよかったよ」とにっこり笑って言ってくれたことを思い出す。そのジウンに神様を信じるかと聞かれて「絶対者の存在は信じるかも。でも特定の宗教にこだわりはないし、特にあのおっさんの言葉は信じない」と言ったが、私自身この世界には何か大きなものがあることは認めている。



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Today’s special moments are tomorrow’s memories

2020-11-21 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。ジムではガイドラインを参考に行動してください。また水分補給は十分におこなってください。 アルコールは70%から75%のものを使用しています。

映画アラジンのワンシーンで絶対絶命のアラジンがランプをこするとその中から煙とウィーザードがあらわれる。ジョージが私の前に現れたのもまさにそんな感じであった。その時ヒスパニック系の人間とスパーをしてまったく歯が立たなくて、くやしくてどういうわけかリングを見ていたのだが、そこで話しかけてくれたのがジョージ、そこから彼との二人三脚がはじまった。

外国で勉強でもスポーツでもそうだが、何かを一生懸命すると言うことは人間が成長するためのこやしとなる。私自身もそのことは経験したことであるが、特にスポーツをして共に汗を流して、喜怒哀楽を共有することは友達をつくる上でもいい経験となりうるし、本当にそこでの生活はすごく新鮮で生きている実感があったと思う。ボクシングを通してできた友やかけがえのない監督やコーチたち、特にジョージは私と喜怒哀楽を共にしてくれた最善のコーチであったと言える。よくその様子などをブログでもあげているが、楽しかったことそして悔しかったことすべてをひっくるめてそれらのことは私にとっていい経験であった。そこそこ強かった白人とファイトして勝った時は東洋人もやれると思い、それが外国人とコミュニケーションをとる上での自信につながった。いいことばかりではなく、全力で行っても相手にならない人間にぶつかった時はくやしい思いをしたが、でもその悔しさがあったからこそボクシングが楽しくなった。本当にボクシングと言うスポーツは私を語る上ではかかせないものであり、私の人生のスパイスであり、そこで経験することは自分だけの世界、映画のような体験ができたことは確かなことである。
「Carpe diem」と言う私の好きな言葉がある。これは私の監督が言っていたことでラテン語の詩人ホラティウスの詩の一文、直訳すると「その日を摘め」違う日本語訳ではその日を精一杯生きろである。
私は時々、クラブの若い会員に若い人の涙はこやしになるし、恥ずかしい思いをすることは貴重なことだと言う。失敗してもいいし、負けてもいい、どうであってもすべてのことを受け入れることができるように精一杯生きると言うことにその日を生きる意味がある。私自身そこまで頑張ったか精一杯やったかということはわからないし、たぶんそんなことは誰もがわからないことだ、でもこれだけは言えることがある。それは自分の競技人生を振り返るとそれはすごく楽しくてかけがえのないものであったということだ。そう考えたら自分は一生懸命そこで頑張って生きたと言えるのではないかと思っている。

久しぶりにハワイに訪れた時にアレンの家で当時の試合の動画を見た。そこには勝っておりてきた私がジウンに何か話しかけている姿が。動画にうつる私はすごくいい顔だった、たぶんあんな顔はあの時にしかできないだろう。若いうちは思い切り自分のやりたいことを努力することは大事なことだ、私自身たいした実績ものこせなかったが、でもそこでの体験は貴重であり、生きる上でたくさんのことを教えてくれた、そういう体験を私はできたことに誇りを持っている。

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ウートポス 

2020-11-14 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。ジムではガイドラインを参考に行動してください。また水分補給は十分におこなってください。 アルコールは70%から75%のものを使用しています。

在日韓国朝鮮人を蔑視した言葉でチョンと言う言葉がある。この言葉はよく掲示板などでおみかけするようではあるが、なぜか私も言われたことがある。しかし向こうにはチョンと言う名前の人(どちらかというとヤンバンに多い名前)がいるので、たいした響きにはならないだろう。それよりも日本人の名前でシバ、セキ、セキヤの方がきつい言葉だ、これらはあいうえお順で比較的近いので、もし学校などで出席をとる時、シバ、セキ、セキヤ、欠席と言ったらとんでもない響きになる。韓国語はものすごく悪い言葉が多い、特に若い人たちは進んで悪口をつかっているようだが、それに比べて日本語は汚いののしり言葉がない。だから外国の映画でそういう悪い言葉が出て来ても悪口のバリエーションが少ないので十分に表現できていないと思う。日本語は悪口が少ないと言われている、しかしそれは日本と言う国が島国で外敵や外国人が少ないから対立がおこらない、おこらないからののしりことばをつくったり、言う必要はないのだろう。

ウィトゲンシュタインの書いた"Tractatus Logico-philosophicus"( 論理哲学論考)と言う本がある。おもに箇条書きで100ページぐらいの内容のものだが、ドイツ語を少し習ったのでその中から最初と最後すなわち1と7を抜粋すると”Die Welt ist alles, was der Fall ist ”(世界とは、起きている事全てのことである)”Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen”(語りえないことについては、沈黙するほかない)であるが、これらは論理哲学論を要約していると言っても過言ではない。じゃあどういうことが言われているのかと言うと、思い切り短く要約すれば、世界については、その世界を構成しているモノ以外のモノで世界を語れるわけはない、我々はすべて世界にあるものやことで表現している、だから語りえないことについては沈黙しろと言っているのである。 
今話していることがその人間のすべての世界であり世界観だ、だから何かを語ると言うのはまさにその個人の世界観が表れている。私が責任者や管理者は語学や読書、そしてクラッシックを聴くことはたしなみであると言っているが、その人間の世界観がものやことで表現されているならば、その世界観をひろげるためには語彙力や知識などが必要だと理解しているからだ。少ないボキャブラリーで内容のない話をベラベラと話すことは、おのれのその小さな世界観を世の中にひろめているにすぎない、ひじょうにみっともない話だ。ここで言う語りえないものと言うのは形而上学的なことがらであるが、しかしさらに解釈して、若者でもない限り、指導者はそれなりのノウレッジがなければ偉そうなことは言わない方がいいということである。
私がうっとうしいと思うのはよくあるスポーツの監督が話す自己啓発まがいの話である。こういう人たちにどういう本を読んだらいいですかと聞いたらその人の読書のレベルや程度が理解できるが、哲学の勉強もしたことがないのに何とか哲学とか、哲学と言うならせめてそういうものの見方で発言しろよと思うのだが、一体何の哲学なのか、やればできるとか自信を持てと言うような自己啓発的な話は誰でもできる、それを力関係やもったいぶって話すからさもありがたいように聞かせるのだろうが、しかしたいしたことを言っているわけでもない。
世界観を広げようと思ったらノウレッジは大事なことだ、先日「香港弾圧と言う恐ろしい真実」と言う本を買って今読んでいるが、おそらくこういうことに興味を持ったり、問題を感じるためには多少のノウレッジは必要である。
何も考えていない奴の頭の世界は芸能とかスポーツが世界で起こっていることのほとんどだと思っていると思うのだが、しかし実際は内戦や戦争、そして弾圧や迫害のほうが数多くおこっている。ハイテク時代なんて言っているけれどもはたしてそれにあずかれる人間がどれだけいるのか、現在私のところにはドネーションのお願いが来ているが、これから冬を迎えるのに石油ストーブどころか毛布さえ買えない人がたくさんいるのだ。
ノウレッジがひくい人間ばかり集まると考え方が必然的に恣意的になる。仲間意識は強いが自分たち以外の世界の人間には関心がない、私の考えではジムの秩序がただしく守られ平和であるためにはしっかりとした世界観を持つことだと思っている。私自身まだまだ勉強しなくてはならないことが多々あるが、これからも自分の世界観をひろげて行ってみなさんが安心して来れる、喜ばれるようなクラブにしたい。トマスモアの著書ユートピアは有名である。ユートピアと言う言葉があるがこの言葉のもともとの意味はギリシャ語のουτοπία は 'ou' (not)と'topos' (place)に由来しているが、まさにうちのクラブも他にはないアドバンテージのあるクラブにしたいと思う。

※論理哲学論考に関しては私の解釈もあるのであしからず。



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ボクシングで基本やフォームをしっかりと学ぶのはリングにあがるための作法だ

2020-11-12 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。ジムではガイドラインを参考に行動してください。また水分補給は十分におこなってください。 アルコールは70%から75%のものを使用しています。

よく言葉の質が悪いと程度のひくい人間が集まってその群れは半グレの集団のような雰囲気になると言っているが、そういう人間が集まると力で威嚇するので群れがおのずと暴力的になって、ケガをしたりケガをさせたりすることが当たり前の雰囲気になる。人によってはけがをしたりけがをさせたりすることを自慢げに話したり、こういうことを平気で言えるのはまさしくそのクラブの雰囲気によるものだ、普通こんなことを言ったら常識や教育レベルを疑われると言ったこともクラブと言う小さな世界だからOKだと言うことではない、責任者は「何とか道」とか哲学でも何でもないような小さな世界でしか通用しないことが礼儀だと勘違いせず、ジムと言うのはいろいろな人たちが来てくれるのだから、常識とある程度の教養を持って会員に接するべき、そこをしっかりしないと輩のような人間が集まって来て、一般の社会人は集まってきにくいだろう。

私はよくうちのクラブはかたち重視だと言っているが、それにはわけがある。
私はかたちをきちんとするのはボクシングでのひとつの作法だと思っているが、それは自分がけがをしたり、相手にけがをさせないためだ。私の過去の経験も含めてミットやサンドバッグのうち方が非常に乱暴に感じる人たちもいる。どういううち方かと言うのは少し説明しがたいが、見ていて本能的で、ミットうちも、持ち手が手首をぐねってけがをするような突進してけんかごしのようなパンチをうってくるのだが、おそらくそういったうち方をするのは、性格的なものもあるが、基本的なフォームや技術を無視してけんかのようにただ相手を倒すことが目的になっているからだろうと思う。
うちでほとんどけがをしないのはまずジムでは暴力的な言葉を使わない、正しい日本語を話す。そしてトレーナーが技術的なことを繰り返し繰り返し丁寧に指導してくれているからだ。スパーリングの数は多いが、ほぼケガをしないというのは、極めてトレーナーの指導の仕方がいいからであろう、さらにベテランの人たちもいろいろと教えてくれたりするので一応ここに来たらみなさんボクシングのかたちはできるようになる。みなさんきちんとここではできないなりにも技術をおぼえて、マスボクシングにしろ一般的に言うスパーリングにしろきちんとボクシングと言うスポーツと言うカテゴリーの中でトレーニングしているのでけがをしない、安全にトレーニングができているのがうちのクラブである。ボクシングはけんかではないスポーツだ、そのスポーツを楽しむためにはルールを守ることとある程度の作法を持つことは必要なことだ、相手に不用意にけがをさせない、そのためにかたちをしっかりと磨くと言うのはトレーニングにおけるひとつの作法のようなものであると思う。
我々は人をなぐると言う暴力を扱っているのだから、それが暴力の域に到達しないようにしっかりと管理しているが、その管理が私の仕事である。


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"Go and do likewise."  痛みの連鎖

2020-11-11 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。ジムではガイドラインを参考に行動してください。また水分補給は十分におこなってください。 アルコールは70%から75%のものを使用しています。

He said, "He who showed mercy on him." Then Jesus said to him, "Go and do likewise." Luke 10:30–37

この引用は”parable of the Good Samaritan” からの引用である。それは敵対していた民族の倒れていた男を助けて解放してあげると言うひとりの男の物語である。そしてここで注目したいのは男が敵対しているにも関わらず倒れた男を助けた理由は、同情したから、原文では強く心を揺れ動かされたから、すなわち彼の悲痛な痛みを感じたからだ。

クリスマスが近づくと寄付の案内が来る。今年はコロナ禍などで食糧危機にある子供たちのために寄付をさせていただこうと考えている。前に言ったが寄付は決してお金が余っているからするということではないと思う。私は痛みを多少そこで感じることができるかと言うことが大事なことだと思っている。少しこれをやるには頑張らなくてはいけないというぐらいの気持ちで、その痛みは小さいがその小さい痛みをともなうことで相手の痛みを多少は理解でき、共有できる、そしてその小さい力が集まってやがて大きな力になると信じている、それがドネイションの力だ。スポーツには国境はない、スポーツのいいところはお互いをたたえ合い、尊敬できる気持ちにさせてくれること、気持ちを分かち合うことができることだ、そして世界に目を向けると言うのは観光スポットやスポーツだけに目をむけるのではない、むしろ今起こっている悲惨な現実が世界で起こっている大多数な出来事である。勝手な意見かも知れないがスポーツをして、世界に出ていくと言うことは、そういうことにも目を向けて痛みを感じることも必要なことで、それがクーベルタンの言うオリンピズムの精神であると思う。ピーターシンガーがその著書「The life you can save」中で「基本的に、人間は物を消費してゴミを増やすだけの人生より、もっとましな生き方をしたと感じたいんじゃないか」と言っているが、私も同様、この国ではいろいろなことがあったが、今こうして自分は日本と言う国で生かされているのだから、何か人のためにできたらいいと思っている。


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暴力的でないクラブを運営するために

2020-11-08 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。ジムではガイドラインを参考に行動してください。また水分補給は十分におこなってください。 アルコールは70%から75%のものを使用しています。

友人の韓国人が「コロナショックが落ち着いたら大阪に旅行に行く予定なので、その時また家族で会いませんか、いいホテルに泊まりたいんでどこがいいか教えてくれませんか」と聞いてきた。私は「じゃあ俺が調べて予約しといてやる。お前は特別だからHaunted hotelを探して予約しとくよ」と、後日実際調べて3つほど曰く付きのホテルの情報をおくってやったが、「家族で行くんでやめてくださいよ」との返事が、娘は私らしいと大笑いしていたそうだ。

友人の娘は大学生で3か国語を流暢に話す。私は語学をおぼえることはこれからの勉強のためにも必要だからできるだけ取得したらいいよと言っているので、たぶん他に何か勉強する予定であろうが、私はクラブでも将来3か国語を話す競技者を育てたいと思っている。できれば母国語の他に英語と国連で第二共通語になっているフランス語やスペイン語などが好ましいが、3か国語を話すといろいろな情報が得れて、多面的な考え方ができる、そういう人たちに将来的に何でもいいからスポーツを指導することに携わってほしいと思っているからだ。もう今や英語は共通語で多少は理解できないと世の中にはついていけない、うちでは英語クラブのラインは英語でメッセージをおくっているが、そういう感覚を少しずつでも取り入れて行かなくてはだめだと思っているからで、これからはスポーツの世界も国内だけではなく海外に行くことも多くなってくる、だから語学を取得する機会を増やすべきだと思っている。
話は少し脱線するが、前に日本の運動クラブはPatriarchy (家父長制)だと言ったが、こういう世界で生きると言うことは、私にとって支配されて生きるに等しく、前に体罰はつよくするためには必要だと言っていた監督たちなどはまさにそうだが、そういう世界にどっぷりつかると視野が狭く、客観的に物事を理解できない、自分がやってきたことだけが正しいと信じている、人の顔色を見て行動するような人間になりかねない。非常に独特の世界だと思っている。
そもそもどういうかたちであっても暴力は決して認められることではない、毎年どこどこのクラブで暴力事件があったことが話題になるが、私にしたらなぜそういうことが起るのか不思議でならない。うちのクラブでは実際に、暴力を徹底排除しているのだが、人がこわがったり、不安をおぼえるような発言や暴言、さらにマスでカーッと来て敵意むき出しでなぐりかかっていくのは暴力、そういったことには徹底して注意を払っているのがうちのクラブである。クラブを運営すると言うのはボクシング以外のこともよく理解していなければならない、語学を学んで外の世界の情報を入れる、さらに哲学、社会学、心理学そういった学問をしっかりと学び、口で言うのではなくそれをどう使うかと言うところまで考えて勉強しないとだめだと思う。そういう暴力的なことがないようにするためにはどうしたらいいかと言うのは単なる規律の問題ではない、いろいろな人たちが集まってくるのだからその多様性を考えて考えて行かなくてはいけないだろう、いい大人に何々するななんていうようなルールを押し付けたり、その程度の倫理や道徳しか持てないのでは意味がない。うちのクラブにはいろいろな人たちそれこそ国籍なども違う人たちが来ているし、来てくれるのだからインターナショナル的な視野を持ってこのコミュニティを運営していくことが求められる。じゃあインターナショナルってどういうことなのとなってくるが、私の一考察としてインターナショナルな考え方、あるいは振る舞いとは、民族や宗教が違うところで、自分がしてはいけないこと、そしてルールなどを感じて理解できる能力、そういう気づかいのできる人である。それは日本人の言う常識ではなく、コモンセンスと言うのもまさにそういうことだと理解しているのだが、少し語弊があるが、こういうコモンセンスを感じて理解できることとインテリジェンスは無関係ではないと思うのだが、実際にそういう人は察知する能力が高いので集まると秩序もおのずとオーガナイズドされることも事実である。うちは言葉遣い、優しく言うとかそういうレベルではなく、人にあわせて正しい日本語をつかって会話する、さらに知的なことを大事にする、言葉は大事だ、その責任者のボキャブラリーや知的レベルがひくいとまわりに集まってくるのは、せいぜい同レベルかそれ以下、そういう輩を集めない、まさにそういった雰囲気が暴力を生み出さないと私は信じている。

話はDQNの話になるが、こういう類の人間をクラブに入会させたくないのは、まさにそういうセンスがないからである。ド派手なファッションに身を包み、改造車にのって、乱暴な言葉をつかい、集団でたむろする。普通こういうことをしたら人がこわがったり、不快感をおぼえたりすることぐらい誰にでもわかることであろうが、こういう輩たちが入会したらジム内でも裸でトレーニングしたり、汗を平気でまきちらしたり、乱暴なトレーニングをするのは目に見えているので、入会を断っている。こういう輩はなわばり意識がつよいのでかたまる傾向があるのだが、集団になればなるほどその間違った価値観や常識がその場でのルールになり、雰囲気がわるくなる。一般の人たちが安心してクラブを利用できるようにするためにはそういう輩をひきよせるようなクラブの雰囲気をつくらないように注意している。その場ではやさしそうで、子供や女性に気さくに話しても、くわえたばこをして、それをそのままぽいと捨てる一般的なコモンセンスや常識を理解できないような人間は、その群れの秩序をこわす、ここは中高生のクラブでもなければ、改造車やバイクの何とか会というような集団でもない、一般の社会人が集まる共同体だ。武勇伝を自慢げに話して、改造車にのって、威嚇するような人間にろくな人間はいないと言ってもみんながみんなそうじゃなくて、ここには正しさの基準がきちんと存在している。大事なのは目立つことではなく、子供や女性などの格闘技ではマイノリティーへのいたわりである、そういう人たちが入りやすく楽しくトレーニングできる雰囲気をつくるのが私の仕事である。

その家族とは久しく会ってはいないので、できれば機会をつくって大阪で会おうと思っている。娘にはもし行けたら連絡してくれ、そっちに行くからと言っている。





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高知視点でコロナを考える

2020-11-04 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。ジムではガイドラインを参考に行動してください。また水分補給は十分におこなってください。 アルコールは70%から75%のものを使用しています。

Ego cogito, ergo sum, sive existoはデカルトの「方法序説 」からの引用である。この言葉はcogito ergo sum(われ思うゆえにわれあり)と言う言葉に要約されて英語にもなっている有名な言葉である。これはすべてのことを疑った結果、最終的には自分自身も疑ってしまうが、しかしその疑っている自分は否定できないということから、自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明であると言う結論に至った時に出たデカルトの言葉である。

デカルトは徹底して自分を疑ったわけだが、しかし自分を疑うことは難しい、よく私がアスリートに勉強しろと言うのは、自分の考え方を構築するためには自分の考え方を一度バラバラにされなくてはならないからだ。大学などのディスカッションは自分が一生懸命構築してきた考え方をそこで否定されるのだから、いい意味で自分の意見がバラバラにされるいい機会である。そういうことを繰り返して思考力と洞察力が養われるのだと思っているが、やはり疑ったり否定されたりすることは客観的な事実を導き出すためには必要なことだと思う。

話は私自身の話になるが、私は何をするにも私は自分を思い切り疑っている、疑うからこそ、自分が決断したことやったことに対して説明がつくようにしている。コロナ禍においてジムではいろいろなことを決断し、まわりの人たちの協力を仰がなくてはいけないこともある。うちはよくある運動クラブの上意下達のシステムではないので、そこで正しい選択をし、まわりがある程度納得しなければ協力を得ることができないであろう。自分で言うのもなんだが、いろいろと質問された時に「よくそこまで考えてますね」と感心されるが、うちのような社会人の多いコミュニティで正しいことを選択していくためには、俺じゃなくて全体がどうかと言うことを考えていかなくてはならないと思っているが、自分を疑うと言うのは自信がないということではなく、こう考える人もいるとか、ああいう人もいるだろうと言うことを考えた上で客観的に見てどうかと言うことである。

コロナ禍において大事なのはジムの存続とか自分の考え方がどうとかそういうことではなくて、我々が守っていかなくてはならないのはここに来てくれているトレーナーや会員の人たち、そしてその家族も含めた命や安全、社会的立場である。マスコミであげられるのは東京や大阪などの大都市の状況でコロナを考える時はほぼ大都市目線であるが、しかし高知は東京や大阪などの都会とは違う、あくまで私は高知視点でコロナを考える必要があると思っている。高知県は現在感染している人はひとり、東京や大阪のように毎日100人単位で感染している人が出ている都市とは状況が違う、今はもうましになっているのだろうが、しかし高知ははっきり言って田舎である、そういう中でもし感染者がでたら、都会のように毎日100人以上出ている人たちの中のひとりではかたづけられない、おまけに人と人とのつながりがあるので、どこの誰かと言うことがすぐにわかるし、そういったことがうわさになりかねない。おそらく多くの人たちはそこを一番おそれているのだろうと思う。そういったことを無視して都会目線で考えて決断をくだしていくことは愚かなことであると思っているし、それはまわりの人たちのことを考えていないということだろう。大事なことは命と安全を守ることだけではない、その人たちの社会的立場を守ることもそうであり、そのためまわりの情報や意見に流されずに行動し、まわりの協力をあおぎつつ正しい選択をしていきたいと思う。


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