脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Replace the word Love with I

2024-04-08 | Weblog
"Love is patient and kind. Love is not jealous or boastful or proud or rude. It does not demand its own way. It is not irritable, and it keeps no record of being wronged.It does not rejoice about injustice but rejoices whenever the truth wins out.Love never gives up, never loses faith, is always hopeful, and endures through every circumstance.Prophecy and speaking in unknown languages and special knowledge will become useless. But love will last forever!"

友人のジウンが好きだったバイブルの言葉。私にLoveのところを自分の名前に置き換えて読んでみて、そうしたら最後まで読めないという。確かに私は忍耐強く、親切だ。ねたまない、自慢しない、不作法ではない、ここまで読めば「私はそんな人間ではないです」と言いたくなる。彼女曰く人間は完全ではない。だからその慈しみあふれる神の愛が必要である。でも私は思う。不完全だっていいじゃないか。不完全であるからこそ人間はその人の弱さや欠点に気づき、そしてそれを受け入れてカバーしあう。その不完全なもの同士が集まってお互いを支えあうことで人間は成長する。そしてそういうお互いを認め合った人間が集まる共同体が、人を生かすことができるというのが私の考え方である。うちのクラブに来る人たちは運動音痴や自称ヘタレ、そんな人たちがまず言うことは「こんな自分でもできますか」だ。私はその時「目標をもってやればできる」とか「最初はそちらのペースにあわせて徐々に」なんて言うことは言わない。まずその人の弱さを理解して、ここはそういう人たちが集まるところだから安心して堂々とトレーニングしてほしいというようにしている。よく群れを率いるためにリーダーシップを発揮しろと言うが、しかし私は群れを率いるのではなくて、そういう時、好んでassistという言葉を使う。assistと言うのは援助する、助けて(…)させる、助手となって働く、(…の)助けとなるという意味で、その言葉が意味するように、自分たちが引っ張っていくのではなくて、表に出ないで彼ら彼女らを後ろで支えていく、そういう意味でassistという言葉を選んで使ってる。私は思う。完璧じゃないから人は愛せる。完璧な人間を崇拝することはできても愛することはできない。人間は完璧ではない。そのお互いの弱さを知ってともに支えあっていく共同体、そういうことを目指して存続しているクラブがあってもいいではないかというのが私の考え方だ。 

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