脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

アリ その人

2010-02-26 | Weblog
オリーブのメディカルトレーナーからある雑誌をいただいた。
それはUSATODAYが発行しているムハンマドアリの50周期年雑誌で、彼が学会でアメリカに行った時に、私のおみやげにと買ってきてくれた物である。
われわれが知っているアリというのはもちろん、ボクシング世界チャンピオンのあのアリであるが、アメリカでは彼はある意味思想家としても有名である。
しかしアリという名前は本名ではない、彼の本名はカシアスクレイというのだが、当時彼は黒人差別にたいして強い信念を持っていて、このカシアスクレイと言うのは白人がつけた奴隷の名前であるから、黒人としての本当の名前にかえるということで、ムハンマドアリという名前を自ら名のったらしい。
アリの人生はこの黒人差別との戦いであると言っても過言ではない。
その黒人差別にたいする彼の原点がこの雑誌に書かれていた。
それは当時黒人差別が色濃くのこる1960年代のことである。
その1960年というのはローマオリンピックが開催された年で、アリはそのオリンピックにアメリカ代表として出場し、見事金メダルを得て凱旋帰国をはたしたのだ。
その時彼はこの金メダルを取ったということですべては変わると思っていたらしい。
彼はその金メダルを首にぶらさげてひとときもはなさず、寝る時も決してそれをはなさなかったそうであるが、彼はこの時自分が金メダルを取ったということは、アメリカ国民として偉大なことで、誰もが自分を認めてくれるとそう信じていたらしい。
彼があるレストランで食事をしていた時である。
当時人種差別のあったアメリカでは、黒人と白人のすわる席がわけられていて、黒人はそこに座って食事をすることが義務付けられていたのである。
この当時の人種差別の様子はミッシッピバーニングという映画をみれば、それがどういうものかということがわかるのだが、アリは自分は金メダルを取ったので、当然そういう差別をうけることがないと信じ、白人専用の席で食事をしていたのだ。
しかし当時そういうことを白人がゆるすわけがない、当然アリはお前は黒人だから黒人だから黒人専用の席に行けと追いやられ、そのことに絶望したアリは金メダルなんかとっても何もかわらないと、こともあろうかその金メダルを川に投げ捨ててしまったのである。
1996年のアトランタオリンピックのサプライズをおぼえているだろうか。
最後に聖火台に火を灯すゲストが、明かされないままアトランタオリンピックが開催されたのだが、その最後のランナーは驚くべき人が登場した。
そしてその時、誰もがその最後のランナーの登場にに息を飲んだ。
そのランナーは誰かというと、ムハンマドアリその人であったのだが、その時アメリカ政府は彼の人生をねぎらい、あの彼が投げ捨てたという金メダルをその場で返したのである。
もちろんその金メダルは彼が実際にすてたものではないが、これは粋なはからいである。
アメリカのスポーツは基本的に個人主義なので、まとまりがないが、しかし時にはこういうはからいというか、思いもよらないサプライズを与えてくれる。それがUnited state of Americaである。
実は私も彼らのもてなしというか思いやりをうけた一人でもある。
時代は1980年代まだ私が学生だったころの話だ。
アメリカではアメリカ国籍がなければ出場できない試合があって、ゴールデングラヴというのはまさにその大会で、私はその前のフェザー級のトーナメントで優勝したが、その大会には出れず、悔しい思いをしていたのだ。
それはある夕暮れだったと思う、ピーターがひょっこり私のところに訪ねて来た。
なんでも私に渡したいものがあるそうで、それは自分だけではなく、クラブのみんなのプレゼントで、当然君の仲のいいGFからの贈り物でもあるという。
私はその時「Juck in the box(びっくり箱)」じゃないのかと疑ったが、しかしふたをあけてびっくり、そこにはゴールデングラブの出場者に配られるワッペンやバッジ、そしてTシャツまで入っていたのだが、トーナメントで優勝したのにゴールデングラヴに出れない、私をねぎらいたたえてこういう粋なはからいをしてくれたのである。
ふたを開けた時、思わず涙がでそうになった。
今でもその箱を開けた時の感動と、ピーターのにっこりほほ笑んだ顔はおぼえているが、それは私にとって最高の思い出のひとつになったことは確かである。
私はここでさほど大きなことをやってのけたわけではないが、このスポーツを通して大きなものを得ることができたと思っている。
それが彼ら彼女らとの出会いであり、その出会いは、このボクシングを通して与えられたものである。
アメリカという国はあまり好きではない国だが、しかし私はこの国でスポーツできたことを感謝している。

Celtic Woman - O America



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国際都市ソウル

2010-02-24 | Weblog
昨日メールでブログに関する感想をいただいた。
性別や年齢はわからないが、最近韓流ドラマにはまっているらしく、この前私がのせた体験記がたいへんおもしろかったそうで、もっといろいろなネタをのせろということであった。
その方はたぶん結構韓国語が話せるのだろう。
いろいろとおもしろい話題をふってくるのだが、その方が言うには韓流ドラマは差別用語が多く、特に学歴を差別した言葉を平気でドラマで流していることには、いささかとまどいを覚えるそうである。
少し前から韓流ドラマやKpopsが少し前からはやってきているようだが、正直ドラマに関しては私は一度も見たことがない。
映画に至っては、昔子供の頃に観た野球の映画が、あまりにもくだらなかったのでそれ以来観る気もしないのだが、しかし何となくこの方の言っていることがわかるような気がする。
たぶん仕事か何かで長期間滞在するとわかるのだが、まずどこの土地にいっても最初に覚えるというか覚えてしまうのがスラングである。
韓国語には意外とスラングが多いらしく、有名なのが18(発音は同じ)でソウルに行くとあちこちからこのスラングが聞こえてくる。
そのほかにも××石器 ××石器などの言葉があるが、不思議とこの言葉は長く滞在すると身近な言葉に感じるそうであるが、たぶんその方は韓国語ができるので、激しい言葉と、そのあまりにダイレクトな表現にとまどいを覚えたのではないかと思っている。
今日紹介する歌は前にも取り上げたことがあるが、YangpaというシンガーのLove what is it?という曲であるが、この歌に関しては日本よりもレヴェルはかなり高いかもしれない。
Yangpaというのは少し変わった名前であるが、これは日本語で玉ねぎという意味で、玉ねぎ菓子を観て思いついた名前であるそうだ。
彼女はアメリカに留学していたので、流暢に英語を話すのであるが、韓国はベトナム戦争以来英語圏の国のグリーンカードが取りやすいのだろうか、少し前から英語やほかの国の言葉を話す韓国人が増えてきているのは確かなことである。
以前ソウルで空港のバスに乗った時、思い荷物を抱えていた女性がいた。
私はてっきり日本人かと思い「手伝いましょうか」と言ったのだが、しかし帰ってきた答えは英語で「Oh english」と「話すんだったら共通語を話せ」という挑戦的な態度にも見えたのだが、ソウルでは英語や日本語を話す人間が多くなり、ソウルは東京都比べて経済的なものや規模なんかはかなり違うが、しかし言葉に関しては、東京よりも国際化しているのではないかと思っている。
このように国際化が進み、その時代にインターネットや語学を活用して、うまくあわせていっている彼ら彼女らではあるが、しかし国際化が進んでも依然として民族性はかなり強いものがある。
日本人だったら外国に留学して、多少言葉などを覚えたら考え方や、ひどいのになると人種までかわったようになるのもいるのだが、しかし彼ら彼女らは、自分たちの民族性や文化に固執するのである。
今日の彼女の歌Love What is it?であるが、彼ら彼女らの民族性は時にはその歌の歌詞や表現に表れている。
これは前にも言ったことだが、彼ら彼女らの思想にWong(怨)という言葉がある。
漢字で書けばなにか物騒な感じもするのだが、しかしこの言葉は日本語で考えるようなそれとは違う、この言葉は彼ら彼女らの性格というか、気持ちを表すひとつのキーワードである。
Wongはどういうことかというと、何か自分が伝えたいんだけどうまく伝わらない時に、何ともいえないもどかしい気持ちになるのだが、そういう何とも言えないもどかしい気持ちをWongというそうである。
以前韓国人の留学生と話したことがあるのだが、彼は宗教学をやっているのだが、最近Bibleを読んでいて、たいへんおもしろい記事が見つかったのだという。
それはモーセの十戒の戒律の部分で、そこで神自らが自分はねたみの神であるということを宣言しているというのである。
えっ神がねたむってかなり次元の低い神やないかと思うのだが、しかしこれは強い愛の表れであって、好きで離れていくから、ねたみの気持ちがおきるのだという強い愛の表れでもあって、多少なりとも自分たちには理解できるのだというが、まさにWongという感情でとらえたのだろう、そういう思想が彼ら彼女らにはある。
私がこのKpop にひかれるのは、そのもどかしさを歌い表現しているからである。
愛するとか愛というのは、高尚な言葉であるとともに、人間の感情の問題でもある。
彼女らは歌う時に自分の感情というか気持ちを歌に込めるが、そういう姿につい聞き入ってしまうのだと思う。

Yangpa - Love... What is That?



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人と競うな!

2010-02-22 | Weblog
緊張とは試合前のアスリートは必ず経験するものである。
この緊張というのは虫歯の痛みのようなもので、誰もがそれを少しでも和らげたいと思うであろう。
よくアスリートにうまくなるためには競えということをいう。
しかしオリーヴではこれに対して異を唱え、逆に上達したかったら人と競いあうな、自分のペースをくずさず、マイペースで練習に取り組めというようなことを言う。
「ゾーン」という言葉を知っているだろうか。
これはスポーツ心理学の用語で、アスリートが最大のパフォーマンスができる状態のことを言い、それはどういう状態の時に最大のパフォーマンスを発揮できるかと言うと、軽い緊張感と興奮状態で、もっとわかりやすく言うならば、明日試合があればその試合に出たいとわくわくするような気持というか、そういう状態をあらわす言葉である。
おそらく極度の緊張感を持ってしまっては、こういう状態をつくりだすことはできないであろう。むしろこういう状態をつくりだすためには、前回のブログでも書いたリラックスすることが不可欠であり、むやみにアスリートをあおったり、競い合わせることはかえって逆効果でもある。
おそらくこれはわれわれ日本人がまじめで勤勉であることから、どうしてもスポーツに対する基本的な姿勢というものが求められ、結果的にそれが根性論でものごとを考えてしまう傾向になるような気がしている。
しかしここで問題なのは、そういった根性的な精神論を語り、アスリートを叱咤激励するようなかたちで煽るということをやめろということではなく、それはもっと構造的な問題でもあり、この構造的なメカニズムががいまだスポーツの世界には存在しているのだと思う。
最近ではだいぶましになってきたように思えるが、私がこちらに帰ってきてまず思ったのは、なぜ日本人は緊張したピリピリ状態を作るのが好きなのだろうかということである。
おそらくそういうことが好きではないのだろうが、しかし試合とは言えアスリートが集まったら、なぜあれだけピリピリした雰囲気を発するのだろうか不思議だ。
やたらあいさつの声が聞こえ、たとえがたいが警備兵のような人間が周りに目を配るいいかめしい姿に、居心地の悪さを感じ、はやく帰りたいと思うのは私だけだろうか?
特に名門と呼ばれるクラブになればなるほど、監督の一挙一動に気を配り、気を使っている様子をうかがい知ることができるのだが、これでは本当に誰のためにやっているのか、そしてやっていて楽しいのかと疑ってしまうのである。
日本人は他の民族から見ればまじめ過ぎる傾向がある。これは非常にいい面でもあるのだが、しかしそれが行きすぎるとかえってそれはマイナスになることさえある。
スポーツはまず楽しむためにあるものである。競うことはその楽しみがあるからこそ競うのであって、このことが逆転してしまうとスポーツは面白くなくなってしまい、そのゾーンという理念に基づいて意見すれば、最大のパフォーマンスが発揮できないと思う。。
単純な言い方ではあるが、われわれのスポーツ的メカニズムの中に、スポーツとは苦しいことと戦い、そしてそれに打ち勝って勝利を得る、それがスポーツなんだという構造的なものが存在している。
それらをスポーツ科学などの客観的な学問を無視してとらえてきた。
そしてそれらは単に伝統とか、学校の校風あるいは監督の言葉として受け継がれてきたのだが、それらが根性論というもので、スポ根漫画はまさにその表層だと言ってもいいのだが、そういうメカニズムが我々が考えるスポーツの中に存在していている。
このことはある意味弊害である。しかし権威や形式というものが立ちふさがり、それらを払拭できないのが現実である。
しかし何もここで競うことはいけないと言っているのではない、競うというのは、競うから楽しいというスポーツを楽しむための手段であって、アスリートの首根っこをつかんで、しきりにがんばれとか、やれというように、単に緊張を生み出すだけのことではないということである。
オリーヴでは基本的にはスポーツは楽しむためのものであるという理解がある。
手前みそだが、ここには年齢層が高い人が多いが、そういう考え方が反映されているからであろう。

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ホモルーデンス

2010-02-19 | Weblog
ホイジンガという哲学者がいる。
彼の思想はどういうものかというと、ひとことにおいて「遊び」である。「遊び」と言っても彼の言う遊びはわれわれが想像するような娯楽ではなく、それは「没頭」といってもいいと思うのだが、この「遊び」が生きていく上でのルールや規則をもたらし、さらに文化を発展させてきたというのである。
さらにこの文化の発展ということを挙げれば、文化というものはいろいろな研究者や学者によってもたらされてきたのだが、その研究者や学者が自分の役割を仕事だと思ってやっていただろうか、まさに彼ら彼女らは、それを単なる仕事としてとらえるのではなく、むしろ遊びのような感覚で取り組んでいたからこそ、研究に没頭でき業績を上げることができた。
以前からも述べているが、スポーツにおいてもこの遊びの感覚を持つと言うことは大事なことである。
ボクシングを楽しんでやるなんていうと、なんて軽い奴なんだという批判もあると思うが、しかしそれはスポーツを軽んじて言っているわけではなく、むしろホイジンガ的に言えばスポーツパフォーマンスをあげるためでもある。
現にここでも実績をあげている人間は、それほどすごい練習をしているわけでもないが、しかし楽しそうにボクシングを続けているというのが多いし、あの大リーガーのイチローだってそうである。
彼は野球選手というよりはむしろ野球を楽しむ野球少年のようで、実にこういう遊び感覚がアスリートの運動パフォーマンスを高めていくのであり、そういう環境をわれわれはつくってあげなくてはいけないと思っている。
私自身このクラブにおいてやさしいことばをなるべくつかうのは、ねぎらいということもあるが、極力ピリピリした雰囲気を作りたくないからである。
オリーヴの選手に限った事かもしれないが、ここでは社会人や子供が多いので、そういうピリピリした雰囲気を作ることは、彼ら彼女らの運動パフォーマンスが下げることだとさえ思っている。
ときどき「ボクシングは殺し合いだ」とか「やらなくてはやられる」なんていう反社会的なことを言うのがいる。
「じゃあ殺していいのか」というと、どういう答えがかえってくるかわからないが、ひどいのになると「ぶち殺せ」と「殺す」の前に、ご丁寧に「ぶち」までつけるのだが、これではアスリートを励ますというよりは、むしろあおっているだけであって、こういうことをいうのに限って、ちょっと練習にこなければあいつは根性がないとか、だめだと切り捨ててしまうのだが、しかしそこで根性がないとか、ああいう奴はだめだと切り捨ててしまうのではなく、また次も来て練習をしたいという環境を作ってあげることも、大事なことではないだろうか。
HIのクラブでは練習に毎日こなくてはいけないという決まりはなかった。
ただ2、3日休んだ時にコーチから「どうしているんだ」という電話があって、そのたびにあっそろそろいかなきゃならんなと思い、練習に行ったものであるが、しかし2、3日あけて練習に行っても温かい気持ちで迎えてくれる。
その時「休むんだったら連絡しろ」なんて一言も言わなかったし、練習せんと勝てんぞとも言われなかった。ただ心配したから電話してくれた。ただそれだけである。
こういう経験が自分にはあるのだが、基本的にむこうでは私の個性というか価値観を大切にしてくれ、そういうことを踏まえてコーチとアスリートの関係があったと思うのだが、この関係はのちにスポーツを教えることにおいていい経験となったと思っている。
人間それぞれ価値観をもっていてそれらは人と違う。
ここでいう私の価値観とは私にとって、ボクシングがどの程度のものであるかということであるが、我々はプロボクサーではない、学生である。
ボクシングは趣味程度だと思っているものもいるだろうし、少し気合いをいれてやるかと思っているものもいる。
しかしそういうことを無視してボクシングはこうだと自分の意見や価値観を押し付けてしまってはどうだろうか。そういう価値観というものを認め合ってお互いの関係を形成していく姿勢が、むこうのクラブにはあったのだ。
しかし少し言葉はことばはわるいが、時々疎外感を感じるスポーツクラブがある。
同じ価値観で集まり、そこだけ盛り上がるといった、独特の仲間を作り上げる傾向があるのだが、このことは根本的には多様性を認めないという問題よりも、むしろ多様性とは何かということを経験したことがない、知らない結果だと思っている。
人間はそれぞれ価値観は違う、ここに来た目的はそれぞれ違うだろうし、文化も違う、また受けてきた教育や宗教などもちがう。
特に教育においては、その価値観を共有するためには、自分たち教える側が勉強する姿勢がもとめられている。
私が本を読んだりするのは、そういうレヴェルにあわせれるようにするためだが、その違いを十分に認めてそのニーズに合わせなくては、自分たちの浅はかな価値観だけで固まってしまうとかたよりができると思っている。
こういうことをいうと甘いスポーツはそんなんじゃない、それじゃあ勝たせるためにはどうするんだというのもいるだろう。
しかしボクシングを一生つづけるわけでもないし、われわれはソルジャーをつくっているわけでもない。
甘くてもいいではないか、最終的にそれがその人の生きる活力となり、いい思い出となればいいではないか。
たいしてスポーツをやっていない人にいきなり高いハードルを持ってきて、やれというのは船などのったことがない人間をいきなりマグロ船に乗せるようなものである。
何のためにボクシングをやるかというのは、その人個人の価値観による。
それを最初からこうだと決めつけて、自分の価値観を押し付け、指導していくやり方には大きな問題があり、競技を引退したアスリートに、燃え尽き症候群というのがいるが、まさにそれは目的をはきちがえた結果であると思っている。
私自身米国のトーナメントで優勝したことがあるが、その大会自体はたいしたことがない大会だが、それでも才能も根性もない私にとっては、大きなことであった。
おそらく自分がこれだけのパフォーマンスを出せたのは、環境のおかげだと、思っている。
むりをせず、楽しかった環境に自分をおいて練習できたからこそ、最大のパフォーマンスがだせたのだと思っている。
自分が好きで選んだスポーツをやっているのに、できなかったらおこられたり、煽られたりするのはごめんである。
おそらく私のような根性もなく、才能もない、はいあがっていくことができない人間は、日本の世界では通用しなかったのだろう。しかし目的や価値観というのは人それぞれ違う。
その違いを認め、尊重する姿勢が求められているのではないだろうか。
そしてそういう環境を作ってやることによって、最高のパフォーマンスをひき出せると思っている。



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リズムでボクシング

2010-02-17 | Weblog
ボクシングのスタイルにハイテンポというタイプがある。
これはだいたいライトフライからバンタムぐらいの軽量級の選手の、はやい動きのことであるが、むこうでも何人かそういう軽量級の選手がいた。
時々練習などで相手をするのだが、実際はやい、フライは日本語でハエであるが、おそらくフライ級ぐらいの選手のはやい動きをみてそう感じたのだろう、実は自分がバンタム級ぐらいにしぼって出なかったのは、減量の必要がないと思ったのと、このはやさにはついていけないと思ったからである。
実際アマチュアの軽量級の動きははやい、だいぶ前自分がパンチをうつ見本を見せたらヴィデオの早送りのようだと言っていた人がいるが、しかしそんなの比じゃない、特にフライ級以下はテンポが驚くほど速く、しかもその速さから的確にパンチを入れてくるのである。
私がよくマスボクシングをした相手がいる。
オギーと言ってフライ級でゴールデングラブでベスト8にまで進出した選手であるが、とにかく彼のスピードは速く、ついていけない、普通スピードが速いというとだいたい直線的でパンチをまとめてパパンッとうってくるのだが、しかし彼は直線的な動きだけではなく、ローリングなどの柔軟な動きもでき、そういう動きをまじえてパンチを打ってくるのだ。
たぶんこういう人間が米国では上のクラスにいるのだと思うのだが、HIには結構全米ランカーがいるのであるが、私が彼らを見て思うのは、彼らには不動のリズムがあるということである。
不動のリズムってなんじゃと思うかもしれないが、リズムにはくずされるリズムとくずされないリズムがあり、実に彼らはこのくずされないリズムを持っている。
よくむこうの選手はリズムということを言う。
むかしオギーとスパーリングをやった時のことであるが、私と彼ではかなり実力が違うので時々やや本気(といっても80パーセントぐらいだが)でうちあっていた。
いつもなら結構やられるが、今回は相手の調子がわるいのか、かなり自分に苦戦している。
だいたいわれわれはスパーリングを3ラウンドから4ラウンドおこなうのだが、1ラウンドがおわってコーナーで首をかしげている。
たぶん自分のパンチが思うようにあたらなく、私のパンチを結構もらうからあろう。その様子は悔しいというよりもむしろ驚いていたように思える。
しかしその私の攻撃も束の間、彼は2ラウンドが終了すると、何やらリズムリズムと自分に言い聞かせて、態勢をたてなおしてきたのだが、彼らはこの自分のテンポというかリズムをしっかり持っていて、そのペースに巻き込まれるともう手がつけられないのである。
そのリズムをたぶんつかんだのであろう。
言うまでもなくそのあとのラウンドは、一方的に彼に攻撃されやはり実力の違いを見せつけられた。
われわれは相手にパンチが当たらないと、それを躍起になってパンチをあてていこうとする。しかしむこうのうまい選手はリズム、リズム、バランスなどとそこで躍起にならず体制を立て直そうとしようとするのを何度か見てきたが、ボクシングというのは本当にリズムが大事であることを実感している。
しかしリズムが大事だということは分かっているが、実際このリズムをどう養うかということに関しては問題にならない。
最近では音楽などを流しながら練習をしているが、しかしそれだけでは短絡的であり、不十分であるような気がしている。
むこうには変則型が多いが、これは型を重視する日本人に比べて、それは彼ら彼女らのリズムやバランスがしっかりと確立しているからだと思うが、われわれはもうすこしこのリズムに関してアプローチしなければいけないのではないかと思っている。
このリズムというものを定義して問題にすることは難しいが、少なくとも練習法などを学びとりいれることは可能ではないだろうか。







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イエローモンキー

2010-02-15 | Weblog
日本人を蔑視した言葉にイエローモンキーという言葉がある。
今ではもう使われない言葉であるが、それでも80年代ぐらいにはつかわれていて、そういう言葉や文字を見るたびにいやな思いをしたものであるが、しかしこのイエローと言うのは強ち間違いでもない。
もともと日本人と言うのは黄色人種と言われているが、たぶんわれわれの感覚としてなぜわれわれの肌が黄色なのという疑問をもつだろう。昔肌色という言葉がああったがこの感覚で言うとわれわれの肌は黄色とはほど遠いのである。
しかしたぶん日本をはなれて、西洋に少なくとも1ヶ月以上滞在した人には、わかるだろう。
実際西洋で生活して帰ってくると、われわれの肌の色が黄色く見えるのは事実であり、たぶん西洋人にはそう見えるのだと思う。
私などは最初空港を降りた時、周りの東洋人があまりに黄色く見えたので「えっ黄色い」と思い、自分の肌を確認したのだが、確かにその時黄色く見えたことは事実であり、このことは同じ黄色人種である台湾人も言っていたが、おそらくその黄色い小柄な人間が気ぜわしくうごいているのを見て、西洋人はイエローモンキーと言う印象をもったのだろうと思う。
(しかしこのような発想自体ふざけてはいるが)
話は変わるが、うちのクラブにも帰国子女や海外で生活した人が何人かいるが、少し前帰国子女の人と話していたのだが、この人は外国で育ったせいか、そういう気ぜわしいところはなく、かなりおおらかな人である。
私の知っている外国で育った人は、おとなしくおおらかな人が多いのだが、この人とスポーツの話をしていた時に、日本の運動クラブの雰囲気についていけない、というようなことを言っていた。
私も同感あの雰囲気にはついていけない。
まあ人それぞれだと思うのだが、見ていてやっているというよりも、やらされているという感じが強く、おまけに好きなスポーツをやっているのに、そのことで監督に怒られている姿を見ていると、これでやっていて本当に楽しいのかとさえ思ってしまうのである。
さらに不思議なことに大学にはサークルと言うのが存在する。
例を挙げるとテニスサークルなんていうのがそうであるが、しかしこれはテニスクラブが存在するにもかかわれず、大学にはいくつも存在し活動しているから不思議である。
なぜテニスクラブがあるのに、それに入ろうとしないのか?
純粋にテニスを楽しみたいのならば、クラブに入るのが普通なのだが、しかしそれをあえてしないでサークルに入るか、それを立ち上げようとする。
おそらく、これは高校や中学などのクラブに体験と重ねて、正式なクラブはしんどいので、そこに属さず楽しむための、スポーツとしてサークルをたちあげたということが言えるが、しかしもともとスポーツとは楽しむためにあるものであるから、こういう発想自体不思議なことではないだろうか。
アメリカでスポーツを競技して思うのだが、日本人のクラブ活動を見て、本当にスポーツをエンジョイできているのだろうかと思うことがある?そりゃあ強くなるためには練習をしなくてはいけないのだが、しかしアメリカ人と日本人ではこの過程が違う。
アメリカ人が徐々にそのスポーツをはじめてそれが楽しくなって来たから、もっとさらにうまくなりたいと思い、自分をその環境におくのに対して、日本でははじめから監督や方針や意向が決まっていて、それにあわせて練習をするのであるが、しかしもし練習や方針についていけないとやめなくてはいけないという問題もあり、実際選択肢というのがあるようでない、言葉はわるいが練習についていけなければ、やめなくてはならないのである。
たぶん私のまわりの人たちはこの選択肢のあり方に、閉塞感を覚えているのであろう、実際こういう問題がサークル活動の背景に、テニスは好きだけど、あそまでやるのはなあと言うような感じであるのではないかと思うが、大学のサークルの存在はレヴェルのものが集まってやるという自然なものではなく、むしろそれはクラブからの分離であるように思えるのだがどうだろうか。
オリーヴの活動はどちらかというと欧米的であり、ここには最初から強くなるとか、何かをやってやるという意気込みはなく、スポーツを純粋にエンジョイすることがここの目的である。
実際ここには何人か試合に出場している人がいるが、そのほとんどの人が最初から試合に出るぞと意気込んでここに来て、出たのではなく、やっているうちにおもしろくなって、試合にでたいと思って、出てみたという人たちで、何年かやったのだから試合にでなくてはならないとか、ここでやらなきゃやっている意味がないというような雰囲気はなく、まったく自由な個人の選択で、そうだからこそ、試合に出た人は勝っても、負けてもそれなりに得るものがあるのである。










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最近思うこと

2010-02-12 | Weblog
この前ある人に指導していたのだが、たいへん興味深いことがあった。
何が興味深いかと言うと、ある人を教えていたのだが、その人はわりとアカデミックな人で教えていても非常に言葉理解をする人で、自分の言葉ひとつひとつをしっかり聞き取り、それを頭で理解して実践しようとするのだ。
普通そこまで頭で理解しようとは思わないのだが、しかし彼はそういう習慣が身についているのだろう。
彼の様子から、言ったことを頭でそれを咀嚼して実践しようとしているのだが、最近教えていてわかるのだが、意外とこういう人が多いことに気づく。
私自身よく日記などで人の真似をしろということを言っているが、人の真似をするということは上達するにはベターな方法である。
しかし真似をすることも重要であるが、それ以上に最近こういう人たちを教えているうちに物事を考え咀嚼する力が、近年において必要であると言うことがわかってきた。
スポーツ科学と言うものが発達した現代、ボクシングも最近どんどんアカデミックになりつつある。
日本語のものはどうか分からないが、ボクシングも英語のものになると、まだまだ他のスポーツと比べて多少のひらきはあるが、それでもかなりアカデミックになりつつある。
時々「えっこれボクシングの本なの」なんていう本があるが、おそらくむこうでは競技者とは別にそういうことを勉強と言うか研究している人がいるのであろう。
アカデミックにボクシングとらえる一面もあるのである。
近代ボクシングは、そういう学問的なことをしっかり理解し、それを咀嚼していく力が教える人、そなわちトレーナーには必要ではないだろうか。
英書ですらすら本を読めまでとは言わないが、スポーツ科学などを勉強することも求めらてきていることは確かなことであり、ここオリーヴに関しては、そういう物事の根拠をしっかり考えて動く人も少なくないのである。
最近ボクシングの競技をする人間の質も変わってきている。
昔は不良のスポーツで、自身が高3の終わりごろに私がはじめたころは、当時勉強はからっきしだめでもけんかが強いヤンキーや、こわそうな人ばかりで入りにくかったが、今やインテリ層なども競技し、オリーヴにいたっては勉強はできるが、けんかはからっきしだめで、小学校以来したことがないと言うのも結構いるので、教え方や組織の運営の仕方にも、多少の刷新が必要であると思っている。
たぶん昔のようなタイプの人が競技しているのであれば、それはそれで問題なかろうが、しかし今や来る人も様々だし、理解の仕方や、求めているものが違うので、いろいろなことを深く勉強し、咀嚼力や表現力を養うことが必要かもしれない。
オリーヴでは言葉に気をつけているとよく言うが、言葉に気をつけるというのは、乱暴な言葉や差別用語、そして不適切な発言と言うのもあるが、一方で言葉のレヴェルもあげるということで、そういう言葉というか語彙の質を上げることで、このクラブ自体の雰囲気も変わってくると思っている。
もうこわいお兄さんがボクシングをするという時代ではない。
こういうレヴェルをあげていくことで一般の幅広いそうに興味を与えられ、来やすい雰囲気をつくれるのではないかと思っている。












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古典から

2010-02-10 | Weblog
この前古典を読めと言うことを書いたら、さっそく「三国志や」「韓非子」などの中国の古典を自分は今読んでいるという答えがあった。
しかし中国の古典は素晴らしいのだが、愚直を求められることがあるので、いささか読むのに抵抗がある。
以前論語を読んでいて孔子が一番弟子の顔回が愚直であることをほめたところがあったが、中国の故事には、いささかそういう素直さや正直さに対して愚直であることが、美徳とする考えがある。
英語でナイーブという言葉がある。
日本語で「あいつはナイーブだ」と言うと傷つきやすく、繊細な人というような感じでつかわれるが、特にこの言葉はネガティヴでもポジティヴな言葉でもなく、どちらかと言えばグレーゾーンの言葉で、そのナイーブな人とはピュアな人であると言うイメージが浮かんでくる。
しかし英語で「ナイーブ」というのは、翻って「単純な」とか「世間知らずな」というマイナス的な意味合いの言葉である。
だからこの言葉を英語圏の人間に「君はナイーブだ」なんていうと、お前は馬鹿だと言っていることにもなりかねないらしい。
日本人はこの言葉の解釈をいささか間違って解釈しているようだが、しかしこの解釈の違いは、強ち日本人の勘違い英語というよりは、正直さをどう見るかという傾向にあると思う。
日本人は馬鹿正直という言葉にもあるように、たとえそれが世間知らずであってもピュアであればいいと考えられる。
日本では正直であることが美徳であるとされ、その正直さを貫くことが、人生をよりよく生きることであるということは、子供の頃から教えられてきたことであり、嘘をついたり、偽ったりすることは決してしてはいけないと教えられてきたが、この件に関しては私は日本人が持つ素晴らしい教えであり、日本人が信用され正直な民族であるということは、われわれが子どものころからこういうことを繰り返し教えられてきたからだと思う。
これに対して英語の言葉にこういう言葉がある「嘘をついてはいけない。ただし本当のことをいう必要はない」これはジョークか格言かわからない言葉で、日本人からみたら完璧にジョークであるのだが、しかしおそらく西洋人からみればこの言葉は、ジョークと格言の間のグレーゾーンであると思っている。
だいぶ前大阪でイギリス人が言っていたが、東洋人と西洋人はCunning(ずるさ)の感じ方が違うのだと言う。
彼曰くイギリス人が感じる日本人のずるさは、言っていることが、はっきりしない、ころころ態度をかえると言うずるさで、日本人が欧米人に感じるずるさは、嘘を平気でつくというずるさであるということを認めていたが、日本人が欧米人の嘘に関してずるさを感じるのは、おそらくこの嘘と言うことに関する感覚が互いに違うのである。
さらに彼はこの嘘はユニオンジャックの人よりも、星条旗の人たちのほうがひどいと言っていたが、これはやはり正直さや、素直さというものが美徳だと考えられる日本人と西洋人の嘘も目的のためならつかってもいいという考えの違いではないかと思っている。
むこうの学生はマキャベリをよく読んでいるらしいが、たぶんマキャベリなんていうのは日本では最近言われてきた思想家であり、おそらく企業の形態がグローバルかした結果、その戦略や方法などにおいて必要をせまられて多少話題になったのだと思うが、その思想を読めば、日本人から見て、なぜ西洋人は嘘を平気でつくかと言うことが見えてくる。
中国の古典を通して教えられる美徳というのは素晴らしいものであり、このことがビジネスにおいて信用度世界一の日本人を生み出している。
アメリカ在住の私の恩師は国籍を日本からアメリカにかえないのは、日本人である誇りと、そして日本人のビザは世界一信用されているということで、各国に講演に行く時、どこでも入っていきやすいからという理由であるが、それぐらい日本人と言うのは世界で信用されているらしい。
しかしグローバル化した今、正直が美徳では通用しない。個人的な意見であるが、もし中国の古典を読むならば、孫子の「兵法」を授業でとりあげ読んでみたらどうだろうか。
技術的な革新も重要であるが、思想的な革新も必要であると思う。








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ッアイチェン

2010-02-08 | Weblog

キスギ タカオ(来生たかお(夢の途中(20060214


向こうでよくつるんでいた友達がいる。
台湾人のピーター、その沖縄出身のガールフレンド、そして韓国人の知恩である。
われわれはよくハワイにあるアジア人の集まる大きなカラオケクラブのようなところに行ったのだが、今日紹介した曲は、そのカラオケクラブで、みんなから歌えと促されて最初にいやいや歌った曲である。
正直言って私はどちらかと言えばオンチなので、あまり歌うことは好きではない。
よくアジア人の留学生にいっしょに行こうとと誘われるのだが、あまり気乗りがしないので行かないと断っていたのだが、韓国人の女性に、そんなこと言ってたら暗くなると、半分拉致のようにピーターの車に押し込められて、カラオケクラブに連れて行かれた。
アジア人はこういう時は違う。
個人主義の徹底しているアメリカ人だったら、行かないと言ったら、それ以上は誘うことはしないが、しかし協調性を重んじるアジア人は、友達に行かないといわれるとどこか傷つくようで、欧米人なら酒が飲めないからとか、歌は苦手だとはっきり断るのだが、しかしそれでは水臭いと、それでもあわせて来ることを求められるのだ。
韓国では友達のことをチングというが、このチングの関係もかなりこいものがあって、正直私はついていけない。
最近のソウルの若い人たちはどうか分からないが、われわれの世代は、常にこのチングといっしょに行動し、韓国人はよく酒を飲むのだが、酒の席でも決して一人で飲むことはなく、もし酒など一人で飲むと、お前何か悩みがあるのかと訝しがられる。そういうこい付き合いがお隣の国にはあるのだが、しかしここまでとはいかないが、アジア人の中にはこういう協調性のようなものが多少存在している。
韓国人の女性もこういう気質であるから、誘ってもついてこない私に、何かさびしさを感じたのだろう。とにかく私がおごるから来いとひっぱっていかれたのである。
そのカラオケクラブだが、今のカラオケボックスのように完全個室ではなく、一つのホールに客が集まり、リクエストした歌の順番を待って、その順番がきたらステージにでて行って歌うというシステムである。
しかし実際行って驚いたのだが、そこは日本によくある温泉街のスナックのような場所ではなく、かなり大きい。
大げさに言うと講堂のような大きさで、見渡すと大体100人以上の客やウエイターやウエイトレスみたいな人間がいる。
歌う時その一番前のステージで歌うのだが、これはかなり度胸がいる。
席に通された瞬間あまりの人の多さにおじけづき「オレ絶対ここでは歌わない」と誓ったのだが、その韓国人の女性が「今日はみんなホヨンの歌を聞きに来たんだから、しっかり歌ってね」と言われ、そこで拒むと厄介なことになるので、観念して適当に選んで歌った曲が来生たかおの「夢の途中」である。
この曲を選んだ理由は、キーがそう高くなく、歌があまりうまくないオレでも大丈夫と踏んで選んだのだが、しかし以外にも盲点があった。
実はこの曲は薬師丸ひろこも歌っていて、そっちのほうが有名でかつキーが高いのであるが、ハワイのカラオケクラブにそんな気の利いた選択権はない、当然流れた曲はキーの高いほうで、結局私はキーについていけずか細い声になり、歌いきれず恥をさらしてしまったのである。
その時近くにいた韓国人の男が「こいつはオンチだから日本人だ」と言ったのを覚えている。「えっお前何を言った」と言ってやろうと思ったが、そこは我慢だまって友達のいるところに戻って行ったのだが、しかし戻って知恩に「もう少し練習しろ」と言われ、これでは泣きっ面に蜂である。
ちなみに韓国語でも日本語でもオンチはオンチ、正確に言うとウオンチというような感じであるが、しかしオンチでも同じ、だからもしあいつはオンチだなんて韓国人に言うと分かるので注意。
このことをきっかけに時々このメンバーでそこに行っていたのだが、我がアジア連合の連中はどういう歌を歌っていたかと言うと、よく思い出すのがピーターの「ワインレッドの心」である。
彼は日本語が分からないが、お前どこで覚えたんだというぐらい完璧に歌う。
そのほかにも何曲か安全地帯のレパートリーを持っていて、歌のレパートリーの数でいけば間違いなくこいつはオレより日本人である。
私はこの曲しか知らず、この曲ばかり歌うのだが、ある時、知恩がこう言ってきた。
最初へたくそなのでこの詩の内容をじっくり聞こうとしなかったが、最近少しましになったのでその歌詞の内容をじっくりとらえて聞いているが、この歌詞は非常にいい歌詞で気に入ったのだという。
特に「さよならはわかれの言葉ではない」というフレーズが好きだそうで、どことなく日本的であるというのだ。
だいぶ前朝鮮のドキュメンタリーがあって、その時子どもにインタヴューをしたのだが、そのインタヴューが終わって子どもが帰る時に、その取材陣に「ッアイチェン」といったことを覚えている。
「ッアイチェン」は中国語でさようなら。漢字で書くと再会と書く。
朝鮮ではさようならを中国語で言うのかと少し驚いたのだが、韓国語であるならば「アンニョンヒケセヨ」あるいは「カセヨ」で、ここでは帰っていく人に向けられて語られるあいさつであるから「アンニョンヒカセヨ」である。
しかしこの中国語の言葉はアジア人の気持ちを現している。
これはあくまで個人的な意見であるが、アジア人は個人主義が徹底している欧米に比べて、別れの受け取り方が違う。
よく映画やドラマの別れのシーンで走り去る列車にむけて、いつまでも手を振っているというのがあるが、こういうシーンはあまり欧米には見られないと思う。
別れはアジア人にとって特別な感情を持ってしまう言葉である。
この人とずっと一緒にいたいとか、はなれたくないと強く思うのは、アジア人の感情の持ち方で、それは年をとって死んでも、同じ墓に入りたいという「偕老同穴」という言葉にあらわれているが、独立心の強い欧米人に比べて、アジア人はそこまで他者との結びつきを考えて生きている。
ッアイチェンということばは、そういう別れを惜しんでの言葉であろう。
だからまたアイタイデスという言葉になってでてくるのである。
私が帰国をする日、ピーターと知恩が空港に見送りに着てくれた。知恩はメインランドの大学に編入、ピーターは留年、本人はもう少し勉強したいと言っていた。
そして帰り際に彼女が「手紙ちょうだいねっ、さようなら」の後に言ったのがトマンナヨ(また会おう)である。
しかしその後、彼女とは一度も会ってはいない。
ピーターと会った時に消息を聞いたが、たぶん今はアメリカ本土でビジネスパーソンとして活躍しているだろう。
また彼女と会えるとは思っていない。
しかしこうしていっしょにカラオケクラブに行ったことや、なれない東洋人がクラブでダンスをして、足をふんづけたことなどは、今では私の楽しかった思い出である。
おそらく日本にいたらこういうアジア人の結びつきというものはわからなかったであろう。私はこの米国でより一層自分がアジア人であり、そのアジア人として生きているということをこのアジア人の友人たちを通して実感した。






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Fiexibility(柔軟性)

2010-02-05 | Weblog
「なんの浮世は三文5厘よ。ぶんとへのなるほどやってみよ」この言葉は龍馬が姉に当てた手紙である。
龍馬が姉に宛てた手紙で有名なのは「日本を今一度、洗濯いたし申し候」だがなこの言葉はその一年前に書かれた言葉で、こういうユニークな言葉を龍馬はのこしている。
龍馬という人物は非常に不思議な人物である。
私もここ高知に来る前は、彼に興味がなかったので、彼がなぜこれだけ日本人の尊敬を買うのかよくわからなかったが、おそらくその理由は司馬遼太郎の影響が多大にあると思っている。
しかし彼の行動やこの言葉からもわかるように、彼は当時極めて柔軟性が高い人間であると言うことがわかる。
これは当時武家社会であった時代にしては、かなり際立った柔軟性であるが、それが彼の魅力のひとつでもある。
特に彼は薩長同盟の立役者となり、敵対同士であった薩摩と長州を結びつけた功績は大きく、これがなければ幕府を大政奉還までおいつめることは難しかったであろう。
私はあまり龍馬という人物には興味がないのだが、しかしこの彼の持つ柔軟性は当時目を見張るものがあり、こういう柔軟性があるから、彼は薩摩と長州を結びつけることができたと思っている。
当時は武家社会である。倒幕という目的がほぼ同じであっても、おそらく龍馬抜きではそれらがもつ信念や信条と言うものが、邪魔をして合致した意見や答えが得られることはなかったであろう。
私は歴史学者ではないが、この同盟を結ぶことができたのは、竜馬だから可能なことであり、彼の持つ柔軟性が、なごやかなムードをつくり、お互いに傍観的な見解を与えることができたのではないかと思っている。
最近ブームもあるので、坂本龍馬に関する伝記物を読んで思わされるのは、彼の武器は柔軟性で、孫子は兵法の中で「戦いは水のようなものである。その状況に応じてかたちをかえて、相手を翻弄するものだ」ということを言っているが、まさしく龍馬にはその才があるということを、彼の生き方を通して実感できるだろう。
ビジネスにおいても勝負事においてもまさしく、この柔軟性が必要である。
柔軟性のない人間は先をみすかされるし、足元をすくわれる。
おそらくこの薩長同盟は、龍馬が、当時、愚直のも自分たちの、信義にのみ動いていた武家社会の人間の足元を見、考えを読んだ結果であろう。
私はあまり彼から影響を受けることはないが、しかし彼の歴史をたどっていく度に、彼の持つ柔軟性に驚かされることは確かである。
信念ということばは大事であるが、しかし日本人はその信念が何かと言うこともよくわかっているし、われわれがことある度に信念をもてと言われてきたことである。
しかし今はそんなしんどくなるような信念を貫くよりも、柔軟性の時代である。
弊害となるようなヒエラルキーを保っていくよりは、周りからいろんな情報を得て、それを取り入れ刷新して行くことが、必要となってきているのではないだろうか。
まあこれはひとつの夢のようなもので、実現が困難であるが、ここではあることを計画している。
どういうことかと言うと、情報機関をつくるということである。
特に英語とスペイン語、その他の語学ができるものを集めて、インターネットや本で情報を集め、練習に取り入れるのだが、時には現地に尋ねて行ってもいい、まあここでは強くなるためにというよりも、ボクシングを楽しくするためにということもあり、そういうひろってきた知識をまわりに提供できたらいいとも思っている。
まあ半分遊びのような話だが、こういう考えを一歩すすんで真面目に考えるとしたらどうだろうか。
私の案はどうだかわからないが、本当に使えるアイデアは柔軟性をもって現れることが多い、アルキメデスの浮力の原理は風呂の中で思いついたというが、シリアスに考えることもいいが時には肩の力をぬいて、楽な気持ちになることも重要である。
大学や社会人のミーティングでは、いかにも信念めいた話を一方的にシリアスに話されるよりも「ちょっとこういうことがうかんだんですけどどうでしょうか」とざっくばらんに話せる雰囲気をつくるほうがいいと思うがどうだろうか。







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