それはUSATODAYが発行しているムハンマドアリの50周期年雑誌で、彼が学会でアメリカに行った時に、私のおみやげにと買ってきてくれた物である。
われわれが知っているアリというのはもちろん、ボクシング世界チャンピオンのあのアリであるが、アメリカでは彼はある意味思想家としても有名である。
しかしアリという名前は本名ではない、彼の本名はカシアスクレイというのだが、当時彼は黒人差別にたいして強い信念を持っていて、このカシアスクレイと言うのは白人がつけた奴隷の名前であるから、黒人としての本当の名前にかえるということで、ムハンマドアリという名前を自ら名のったらしい。
アリの人生はこの黒人差別との戦いであると言っても過言ではない。
その黒人差別にたいする彼の原点がこの雑誌に書かれていた。
それは当時黒人差別が色濃くのこる1960年代のことである。
その1960年というのはローマオリンピックが開催された年で、アリはそのオリンピックにアメリカ代表として出場し、見事金メダルを得て凱旋帰国をはたしたのだ。
その時彼はこの金メダルを取ったということですべては変わると思っていたらしい。
彼はその金メダルを首にぶらさげてひとときもはなさず、寝る時も決してそれをはなさなかったそうであるが、彼はこの時自分が金メダルを取ったということは、アメリカ国民として偉大なことで、誰もが自分を認めてくれるとそう信じていたらしい。
彼があるレストランで食事をしていた時である。
当時人種差別のあったアメリカでは、黒人と白人のすわる席がわけられていて、黒人はそこに座って食事をすることが義務付けられていたのである。
この当時の人種差別の様子はミッシッピバーニングという映画をみれば、それがどういうものかということがわかるのだが、アリは自分は金メダルを取ったので、当然そういう差別をうけることがないと信じ、白人専用の席で食事をしていたのだ。
しかし当時そういうことを白人がゆるすわけがない、当然アリはお前は黒人だから黒人だから黒人専用の席に行けと追いやられ、そのことに絶望したアリは金メダルなんかとっても何もかわらないと、こともあろうかその金メダルを川に投げ捨ててしまったのである。
1996年のアトランタオリンピックのサプライズをおぼえているだろうか。
最後に聖火台に火を灯すゲストが、明かされないままアトランタオリンピックが開催されたのだが、その最後のランナーは驚くべき人が登場した。
そしてその時、誰もがその最後のランナーの登場にに息を飲んだ。
そのランナーは誰かというと、ムハンマドアリその人であったのだが、その時アメリカ政府は彼の人生をねぎらい、あの彼が投げ捨てたという金メダルをその場で返したのである。
もちろんその金メダルは彼が実際にすてたものではないが、これは粋なはからいである。
アメリカのスポーツは基本的に個人主義なので、まとまりがないが、しかし時にはこういうはからいというか、思いもよらないサプライズを与えてくれる。それがUnited state of Americaである。
実は私も彼らのもてなしというか思いやりをうけた一人でもある。
時代は1980年代まだ私が学生だったころの話だ。
アメリカではアメリカ国籍がなければ出場できない試合があって、ゴールデングラヴというのはまさにその大会で、私はその前のフェザー級のトーナメントで優勝したが、その大会には出れず、悔しい思いをしていたのだ。
それはある夕暮れだったと思う、ピーターがひょっこり私のところに訪ねて来た。
なんでも私に渡したいものがあるそうで、それは自分だけではなく、クラブのみんなのプレゼントで、当然君の仲のいいGFからの贈り物でもあるという。
私はその時「Juck in the box(びっくり箱)」じゃないのかと疑ったが、しかしふたをあけてびっくり、そこにはゴールデングラブの出場者に配られるワッペンやバッジ、そしてTシャツまで入っていたのだが、トーナメントで優勝したのにゴールデングラヴに出れない、私をねぎらいたたえてこういう粋なはからいをしてくれたのである。
ふたを開けた時、思わず涙がでそうになった。
今でもその箱を開けた時の感動と、ピーターのにっこりほほ笑んだ顔はおぼえているが、それは私にとって最高の思い出のひとつになったことは確かである。
私はここでさほど大きなことをやってのけたわけではないが、このスポーツを通して大きなものを得ることができたと思っている。
それが彼ら彼女らとの出会いであり、その出会いは、このボクシングを通して与えられたものである。
アメリカという国はあまり好きではない国だが、しかし私はこの国でスポーツできたことを感謝している。
Celtic Woman - O America