脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

My gratitude for all of members.

2023-12-25 | Weblog
「我々のまわりには他者が存在し、我々は他者と何らかの関わり合いをもって存在している。個人としての人間は弱い存在であり、限界があるので、孤立した状態では自分自身の目的を達成することができない。もしも自分一人で生き、自分一人だけの力で問題に対処しようとすれば、死に絶えてしまうだろう。」これはアルフレッドアドラーの言葉で私の座右の銘のひとつです。
アドラー心理学はどちらかというと臨床心理学として実践するよりも、むしろ共同体において発揮すると思っていますが、人間はその自分の価値を他者によって知らされる存在です。その弱さをおぼえて、互いに支えあい、助け合って、お互いを尊重しあうことで、自分は大事にされている、役に立っているということを知らされ、そこに生きる価値を見出すのではないでしょうか。うちのクラブに来ている人たちの目標もそれぞれちがいますが、ひとりびとりが互いに尊重され、相互関係の中で生かされ、心から満足のいくジムライフをおくっていただきたいと願っています。そしてひとりびとりの個性を大事にみなさんが未来においてどうなっていくのかというベストな選択を描きつつしっかりとサポートしていきたいと思っています。今年もいろいろとまわりには助けられました。私はできることとできないことの差がはげしいので決して能力があるとはいいがたいですが、しかしここまでジムの雰囲気をよくし、みなさんが楽しくトレーニングできたのはまわりに支えられてきたからだと思っています。もうすぐ2023年が終わり、2024年がやって来ます。本当に今年はみなさんにお世話になりました。2024年も感謝の気持ちを忘れずにみなさんに喜ばれるクラブを運営したいと思います。We wish you a happy new year! Bonne et heureuse année !(幸せでよいお年を)새해 복 많이 받으세요(たくさんの福をお受けください)また来年もよろしくお願いします。

"We are surrounded by others, and we exist in some relationship with them. As individuals, we are weak and limited, and we cannot achieve our own ends in isolation. If we live on our own and try to deal with our problems by ourselves alone, we will die out." This is one of Alfred Adler's words and one of my mottos.
I believe that Adlerian psychology is practiced more communal psychology approach than a clinical psychology approach, and I believe that people are informed of their value by others. By recognizing our weaknesses, supporting each other, helping each other, and respecting each other, we are made to know that we are valued and useful, and this is where we find the value of life.
Although the goals of the people who come to our club are different from each other, we hope that each individual will be respected and utilized in a mutual relationship, and that they will enjoy a truly satisfying gymnastic life. We value the individuality of each person, and we want to support them as they make the best choices for their future. I have been helped in many ways this year. I am not a very competent person as there is a big difference between what I can do and what I cannot do, but I believe that it is because of the support of those around me, and it have been able to improve the atmosphere of the gym and make everyone's training enjoyable. The year 2023 will soon be over and the year 2024 will arrive. Thank you very much for all your support this year, and we hope to run a club that will be appreciated by everyone in 2024 as well. Happy and good New Year! 새해 복 받으세요 (Please receive a lot of good fortune) I look forward to seeing you again next year.

高知のボクシングジムMTオリーブフィットネスボクシングクラブ

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May the miracle of Christmas fill your heart with warmth and love. Merry Christmas!

2023-12-18 | Weblog
Amazing graceと言う歌がある。一時期ヘイリーウエスタンらが歌って有名になった曲であるが、これはもと奴隷商人が神の恵みにふれて改心した気持ちをあらわした歌である。時はクリスマスシーズン、時々食事にありつきに行っていた教会でこの曲を聴いている時、ジウンに「これ作曲した奴ってもと奴隷商人だろ、散々人を殺しておいて最後の最後に自分は救われた、自分はなんて幸せなことかということをよくもまあまあ歌にして歌えるもんだ、最低な奴じゃねえか、本当に改心したんだったら死を持って償うべきだ」と確かそのようなことをぼろくそ言ったと思う。しかし彼女はそんな私に「ホヨンそういう視点ばかりで物事を見ていたら心がすさんでいくよ、そんなことばかり言っていたら幸せになんてなれないよ」というようなことを言ったのだが、正直、そう言われてドキッとした。確かに私は人間の悪の部分についての指摘は鋭いし、実際そういうことを指摘して人間なんてそんなもんだと思っていた。しかし実際はそう言って勝ち誇ったような気になって、言ったところで自分の心が満たされるわけでもなく、何となくそれが負け惜しみのようなものだと思っていたのだが、彼女は私の心を見透かしているのか、時々こういう確信をついたことを言う。その週の夜ではあるが、ジウンの教会でクリスマス会がもたれるということで私は彼女に誘われて半ば強引にクリスマス会に参加させられた。彼女はクワイヤーに参加していて5曲ぐらい、そこで韓国語と英語のクリスマスの歌を歌ったと思う。そして最後に歌った歌が有名なO Holy Nightである。あっこの歌知っていると聴いていたが、聴いていくうちに不思議な雰囲気につつまれて、そしてなぜか自然と涙があふれてくる、おそらくそれは私がこの曲と言うか彼女たちの歌っている姿に甚く感動をおぼえたからだろう。ある作曲家は歌うことは祈ることだと言ったが、まさにその彼女たちの歌う姿は祈りそのもので、その歌声を天にとどけようとしていた姿に深く感動したのである。人間は本当に高尚なものにふれると自分の罪深さや弱さがわかる、聖書などで神が人の前に現れた時に「こんな罪深い私を」とひれ伏す姿が表現されているが、それは人間なんてそういう大きな存在を前にしたら無力で弱いものだと言うことを表現しているのだと思う。そして徹底して自分の無力さを思い知らされる時、大事なものに気づかされる。以前の私は上から目線でうがった見方で人間なんて所詮こんなもんだとうそぶいていた、所謂自分を絶対化し神の目線で世の中を見ていたと思う。しかし我々が神になったところで、ひとりでは何もできない、ひとりでは自分すら幸せにできない愚かな存在だ。しかし自分がへりくだって、無力だとわかる時、愛し合うことや助け合うこと、そして支え合って生きることの大切さがわかるであろう。人間は同情されたり、愛されたり、助けてもらったりすることで生きている、そしてそれを我々は感謝の気持ちで受け入れることが必要であり、その相互関係が人間の心を豊かにするのだと思う。結局最後の試合で、私は小さな島々のファイナルでまけてしまったが、その時自分の限界を知り、小ささそして無力さを知ることができた。おそらく私のこの体験はアメイジンググレイスの作者にも似た気持であったのだろう。神聖なものにふれて自然と出てくる涙はまさにそうだったと思う。O Holy Nightのさびの部分で「Fall on your knees, O hear the angel voices(ひざまずいて天使の声に耳をかたむけろ)」とあるが、傲慢な態度では天使の声を聞くことはできない、自分の無力さを知りへりくだることで、見える大切なものがあるが、それは平和や確かさにつながるものだと信じている。

May the miracle of Christmas fill your heart with warmth and love. Merry Christmas! 平和なクリスマスをお過ごしください。



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I’ve missed over 9,000 shots in my career.

2023-12-09 | Weblog
I’ve missed over 9,000 shots in my career. I’ve lost almost 300 games. 26 times I’ve been trusted to take the game-winning shot and missed. I’ve failed over and over and over again in my life. And that is why I succeed.

経験値のひくい人間はすぐに自分のやり方にこだわる。所謂俺流とか個性とかに固執するわけであるが、それは本当に自分よりも大きいものを知らない、目の前の目標が小さいからそんな小さな経験値ごときでそれをすれば勝てるなどと錯覚を起こすのだろう。とてつもなく大きなものにぶつかったら、こりゃああかんこのままだったらどうにもならんと、今までの自分をすてて何かを得ようとするし、新しく何かを得ようとするはずだ。俺流とか個性とか言っているけど、そういうことを強調する人間に限って井の中の蛙大海を知らずである。マイケルジョーダンの言葉で好きな言葉がある。「私は9000回シュートを外し、300試合に敗れた。決勝シュートを任されて26回も外した。人生で何度も何度も失敗してきた。だから私は成功したんだ。」よほどの天才でない限り最初から、完成された技術など持てるはずはない。たいした努力や失敗もしていないのにこれが俺のスタイルだなんて言うのは勘違いも甚だしい。持論かもしれないが本当にうまくなりたかったり、強くなりたかったら変わることを恐れてはならない。そしてその変えることができるチャンスである失敗を恐れてはならないのだ。私自身も最初はボクシングなんて突っ込んで行ってなぐったら勝ちじゃぐらいに思っていたけれど、向こうでとてつもなく強い競技者とスパーをして相手にならず、そこでジョージと出会って教えをこいフットワークとまた一からストレートのうちかたを学んだ。そしておそらくそれをしなかったら向こうの競技者のレベルについていくことはできなかったと思う。余談だがヒスパニックのハードパンチャーはパンチの質が違う、なんかグローブに石を入れてうたれているみたいで、試合をしたとき顔がすごくはれて次の日チームメイトにお前誰だと言われたこともある。本当にうまくなりたいと思ったらまず変わることを恐れてはけない。そしてそれは失敗を通して教えられる。

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December 22th in Hawaii.

2023-12-05 | Weblog
12月22日は私にとって思い出深い日だ。もうかなり昔のことであるが、ハワイアントーナメントの決勝戦で負けた日で、その試合が私にとっての最後の試合になったからである。
その当時のHIはボクシングのやや強豪州で、わりとボクシングは盛んであった。試合なんかも1ヶ月に1回ぐらいは開かれていて、年にはゴールデングラブを含む、3回のトーナメントが開催されていたが、私はその州だけの小さな話であるが、そこそその実績を上げていたので、まあまあの自信があって、この大会では絶対に優勝してやるという野心があった。
話は映画の話になるが、今日ゴッドファーザー3と言う映画を見ていた、この映画は有名な映画なのでストーリーは説明しないが、登場人物にビンセントと言うボスの甥がいる、彼は優秀で度胸があるのだが、しかし行動的というか、思いついたことをすぐに行動するので、よくボスであるおじにおこられる。その時決まってボスであるマイケルが「You understand!」ときつく言うのだが、このセリフには聞き覚えがある。「You understand!」当時私があまりにも勝手なことをするので、よくジョージに言われた言葉である。それはそのおじであるマイケルが、組織を無視して勝手な行動をとった時に戒めるように言うのだが、まさにその言い方が同じ、笑ってしまった。今考えれば当時は、結構大胆で勝手なことをしていたと思う。しかしこういう人間をうまくコントロールしてくれて、大した才能もない人間を小さな島のマイナースポーツという枠ではあるが、ここまで実力を引き出してくれたのは、まさにコーチと監督のおかげ、日本だったら私のような性格は相手にされないし、知性や学力よりも素直さだけを求める日本のスポーツ界は私には合わない。しかし向こうのスポーツ界は人権や個性を大事にする世界だったからうまくいったのだと思う。だからせめてこの試合だけは優勝して感謝の気持ちを表したいという気持ちがあった。勝ってその感謝を表したかったのだ。
しかし結果はあっさりと判定負け。1ラウンドでボコボコにして、勝ったら飛びついていってハグするというシュミレーションもできていたが、現実はそうあまくはない、3ラウンドがおわって、勝者をコールした時、相手のレッドコーナーと言う声を聞いた時は、本当にみじめであった。負けを認めるということは非常に勇気のいることだ。この後、その負けた相手のところにわざわざ行って、ありがとうと握手を求めるのにはかなりの勇気がいったが、おそらく手が震えていた、私にとってこれが人生最大の勇気であったが、しかし今考えればそれでよかったと思う。その時負けを認めてリセットできたからこそ、今の自分がある、偉そうに言うが、人間は勝ち続けることよりも負けを認める方が大きく成長する。ゲーテは「Man errs so long as he strives(人間は失敗をする限りは栄える)」と言ったが、この失敗があるからこそ見えてくるものも大きいのだ。勝つことばかりでは人間は成長しない、負け惜しみではないが負けたことがない生き方なんてくだらない。人間は負けるから、失敗するから、成長するのだ。しかし人間が本当に失敗や負けを認めることは難しいことだ、なぜなら本当の敗北とか失敗というのはみじめなものだからだ。しかしそれでも一歩進んで握手を求めるように、勇気を出して自分を受け入れる時、新しいものが見える。人間は見栄や意地だけでは生きていくことはできない。真実というのは時には厳しいもので、その厳しいものの先にこそ人智をこえた生き方があるのかも知れないと悟った。


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