時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

リシリューのイメージ(2):『三銃士』再読

2006年04月18日 | 書棚の片隅から

ラ・ロシェルの攻防戦におけるリシリュー*
Courtesy of:
Henri Motte 1846-1922
Richelieu at the siege of La Rochelle,
1881
Oil on canvas, 112.2x190.5 cm
La Rochelle, Musée des Beaux-Arts

『三銃士』再読
    ある会議出席のため、列車と航空機でかなりの時間を過ごさねばならないことが分かった。そこで機内の退屈しのぎに、2,3の書籍を選んで持ってゆくことにした。たまたま最近のブログで話題としたフランス宰相・枢機卿リシリューに関連して、この際、あのアレクサンドル・デュマの名作『三銃士』を読み直してみようと思いついた。中学生の頃だったろうか、一度読んだことは覚えているのだが、翻訳者も誰であったかまでは記憶していない。当時はヨーロッパの歴史についての知識も十分でなく、フランスにも行ったことがなかったのだから、強い印象が残らなかったのも当然なのだが。

時間を忘れられる書物
  そこで、携帯に便利で入手しやすい岩波文庫版『三銃士』上下(生島遼一訳、1970年改訳)*を持ってゆくことにした。 機内で読み始めてみると、これが想像していたよりはるかに面白い。訳文はちょっと古めかしい感じもするが、ほとんど気にならない。昔読んだ時も面白かったという記憶は残っているが、これほど巧みにストーリー展開が考えられていたとは思わなかった。

  特に複雑なプロットや思想などが込められているわけではない。リシリューの時代の出来事を虚実を含めて描いているのだが、最後まで読者を倦ませることがない。あらためて、デュマの力量に感嘆する。最初は新聞小説の体裁をとったといわれるから、読者はさぞや次が待ち遠しかっただろう。しかし、日本人としてこの作品を読むについては、やはりヨーロッパ、とりわけ17世紀のフランス史について知識がないと面白みは半減してしまう。

  お読みになった方はご存じの通りだが、三銃士とダルタニャンにとって、リシリュー枢機卿(生島訳では枢機官になっている)はいわば不倶戴天の敵役である。本書では枢機官の名で、頻繁に登場する。政治的にも、軍略の上でも際だった辣腕の持ち主として描かれている。王に忠誠を誓いながらも、実は王とも対立しており、王と王妃も反目していた。さまざまな策略が渦巻き、リシリューは多数の密偵を放ち、あらゆる情報を集めていた。いわば、今日のCIA長官のような役割も果たしていた。

  リシリューはルイXIII世と並び、あるいは王を凌ぐ権力の持ち主であったといわれるが、それだけに敵も多かった。暗殺者も横行し、日夜を通して、油断できない毎日を過ごしていたようだ。ひどい不眠症であったといわれるが、こうした緊張感が生み出したものだろう。もしリシリューの日常がこのデュマが描いたものに近かったならば、とても落ち着いて寝られるような人生ではなかったに違いない。

リシリューの実像は?
  さて、『三銃士』の中で、リシリューがうわさではなく、実際に姿を現すのはダルタニャンが一時、部屋を借りていたボナシュウという小間物商が捕らえられて、尋問のためにリシリューの部屋につれて行かれた場面である。ちなみに、この男の妻ボナシュー夫人は身分に比して才たけて、密かに王妃の絶大な手助けとなっており、われらがダルタニャンと愛人関係にもなっていた。

  ボナシュウがまさか枢機官とも知らずに連れて行かれた部屋での状景は次のように描かれている:
  
「暖炉の前には、尊大な容貌をした中背の男が立っている。広い額に鋭い眼、口髭のほかに唇の下にのばした髭が痩せた顔を一層細面に見せていた。この男はまだせいぜい36、7の年齢だったのに、髪も髭ももうごま塩になりかけているのだった。剣はつっていなくとも、十分武人と見える面魂があったし、まだ埃の少し残っている長靴は、その日のうちに馬上どこかに出かけたことを語っていた。 この人こそ、アルマン=ジャン=ヂュブレシ、すなわりリシリュー枢機官だったのである。」 (上巻216ページ)

  リシリューについては、肖像画などを通して、表面的にはあるイメージを再現することができるが、実際にはいかなる人物であったか、さまざまな風説もあり、本当のところは不明な点が多い。敵とすればこれほど怖い存在はないが、忠誠を誓って部下となれば徹底して庇護したともいわれる。しかし、波乱万丈、一時も気を許せない環境に生きたために、心身の疲労も一通りではなかったのだろう。椅子に深く腰掛けた小柄な老人のような姿を描いた作品もある。

  後年、デュマの時代に形成されていた一般的イメージを推し量る意味で、この『3銃士』で描かれているリシリュー像はきわめて興味深い。そこで長くなるが、続けて引用してみよう。

  「この人物の姿として我々がよく教えられている、老朽して殉教者のように苦しみ、体躯は折れ屈み、声は衰えて、この世ながらの墓のように深い肘掛け椅子に身をうずめている老人、ただ精神力だけで生きており、知力だけで全欧州を向こうに闘っていた人、そんなのではなく───いま眼の前にいるのは、この時代に実際にそうであったままのこの人の姿なのである。つまり、俊敏で風雅な武人、すでに体力は衰えかけているが前代未聞の傑物たらしめている精神力に張り切って、マントゥア公領でヌヴェール公を援助し、ニームを攻略し、カストル、ユゼスを奪取した後、いよいよイギリス軍をレ島から追い払い、ラ・ロシェルを攻囲しようと意気込んでいる人なのであった。」(217ページ)

文人としての側面
  さらに、その後、プロテスタントの拠点として著名なラ・ロシェルの戦いを前に、ダルタニャンが対面した時のリシリューは、自室で書類を調べている裁判官のような男に見えたが、実際には机に向かって指で韻を数えながら、詩を書いていた。その表紙には『ミラーム5幕悲劇』と書かれていた(118ページ)。こうして、リシリューには多忙な日々の中にも、詩作にふける文人としての一面があったことが伝わっていた。

  デュマのこの描写から推察できるように、当時リシリューについて行き渡っていたイメージは、権謀術数にたけた武人でありながらも寸暇を惜しんで詩作にふける文人でもあった。しかし、心身の疲労も急速に進んでいたのだろう。年齢よりも老人に見えたに違いない。彼の日常がこのデュマが描いたようなものに近かったとしたら、とても神経が休まる時などなかったろう。なにしろ、身辺にいる者の誰が敵方のスパイや暗殺者であるか分からなかったほど、複雑怪奇な実態が展開していた。

  さらに、デュマの『三銃士』には王妃をはじめとして、あのミレディーなる妖艶にして恐ろしい貴婦人も登場し、ストーリーが展開する。当時の読者ならずも、次に何が起こるか胸をときめかせて読みふけることは疑いない。途中で筋が割れてしまうようなことがないのは、さすがである。

  かくして、出かける時はいささか憂鬱であった長旅も、始めてみると、あっという間に終わってしまった。こうした書物にはワインに熟成の時があるように、読む側にもそれにふさわしい準備が必要なことを痛感させられた。


*イギリスの軍船を港に近づかせぬよう、リシリューの創意でプロテスタントの拠点であるラ・ロシェルの港に築いた大防波堤。

* デュマ(生島遼一訳)『三銃士』 1970年改訳版、岩波書店

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