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   桑原靖夫のブログ

アメリカで見るラ・トゥール:キンベルの至宝(1)                

2007年06月06日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋
La Tour, Georges de (1593-1652)
The Cheat with the Ace of Clubs late 1620s
 
Oil on canvas
38-1/2 x 61-1/2 in. (97.8 x 156.2 cm)
Kimbell Art Museum (Fort Worth, Texas, USA)

 
    作家の伊集院静氏が、『美の旅人 フランスへ』(小学館、2007年)で、ラ・トゥールについても書いていたことを思い出した。(手元にあるはずの原本が見あたらず正確に記せないので留保付きだが)この画家が生涯に描いた作品がある場所を訪ねることで、新しい発見があるだろうとの内容だったと思う。完全な追体験は無理としても、これまでの「ラ・トゥールを追う旅」で、図らずもかなり似たような試みをしてきた。このブログでは、その一部分を、メモのようにとりとめなく記している。

  この画家の生涯は謎が多い。そのためには、わずかに残された作品を十分に鑑賞することはいうまでもなく、さまざまな関連史料の断片、時代環境などをから画家の生活、作品態度などを構想することが新たな発想への広がりを生む。事実、ラ・トゥールの「発見史」はそうした多くの努力や試みの集積である。

  ラ・トゥールについては、これからも新たな作品や史料の発見も期待される。思いもかけないところに作品が眠っている可能性もないわけではない。その意味でこれからも楽しみな画家である。 

  ラ・トゥールの真作とされる40点くらいの作品は、フランスばかりでなく、ヨーロッパ諸国、アメリカ、日本などの諸国の美術館、王室、個人などによって所有されている。これは愛好者にとってはプラス・マイナスの両面がある。自分の居住地に近い所で作品のいくつかに親しく接することができる。しかし、すべてとはいわないまでも、ほとんどを見ることはかなり大変なことだ。

テキサスにあるラ・トゥールの名品
  注目すべきことは、ラ・トゥールの名作のいくつかは、ヨーロッパを離れて、アメリカにあることだ。そのひとつの拠点、キンベル美術館(テキサス州フォトワース)を訪れたことは、さまざまな意味で衝撃的であった。この美術館は、テキサス州のダラス近郊にある。全体の所蔵点数は決して多くないが、「アメリカでベストな小美術館」を自負するだけあって、あっと驚く名品を世界中から集めている。

  ラ・トゥールについても、傑作中の傑作を2点も所蔵しているのだ。「クラブのエースを持ついかさま師」(真作)と「イレーヌによって介護される聖セバスティアヌス」(真作の最良と思われるコピーの一枚、真作は発見されていない)である。

  実は、この美術館の歴史はきわめて新しく、建設は1969年着工、完成して一般公開されたのは1972年10月だった。第一次石油危機の直前であった。この美術館、建物自体も際立ってユニーク、モダーンである。遠くから見ると、6棟のアーチを描いた屋根が特徴で、一見すると工場か倉庫のように見える建物だが、建築界のいくつかの賞を受けている。近くには安藤忠雄設計のフォトワース現代美術館もある。

  美術館の源になったのは、同地の成功した実業家で美術品の収集家であったケイ・キンベル氏 Kay Kimbell (1887-1964) であった。今から70年くらい前からゲインズバラ、レノルズ、ロムニー、ローレンスなどのイギリスの肖像画、フランスその他ヨーロッパ諸国の絵画を集め始めた。その後、コレクションの財団化などによる充実が進み、新美術館の開設にまでに発展した。

素晴らしい所蔵品
  美術館としては歴史は短いのだが、驚くような素晴らしい作品を所蔵している。古代ギリシャ、ローマの彫刻に始まり、イタリア、フランス、オランダ、イギリスなどの絵画、インド、中国、日本などの美術品、それも名品が目白押しである。日本についても運慶の仏像から尾形乾山の茶碗まである。この作品がどうしてここにと思うような名品に出会い驚く。  

  ラ・トゥールとの関連では、なんといっても「クラブのエースを持ついかさま師」(真作)を所蔵していることである。「昼の作品」の代表作だが、この主題の作品が発見されてから、ラ・トゥールという画家の評価は大きく変わった。

  ルーブルの「ダイヤのエース」とキンベルの「クラブのエース」のいずれが優れているかという点は、かなり鑑賞者の好みがあろう。「クラブのエース」の方は、上部の経年による損傷部分が継ぎ足されていたが、1981年の修復時に取り除かれている
。そのため、召使いの女の帽子の上部が少し切れている。

  この画家は同じ主題で何枚も描き、効果や反応を確かめることで知られている。「イレーヌによって介護される聖セバスティアヌス」の主題のように、確認されているものだけでも10点近いコピーがある作品もある(これら同一主題の作品の比較をめぐる問題はいずれ取り上げてみたい)。  

  「クラブのエースを持ついかさま師」がいかなる経緯で、キンベルの所有するところになったかについては、ミステリーめいている。

  1972年オランジェリーで「ダイヤのエースを持ついかさま師」が展示された時の衝撃は大変なものだった。この作品は著名なコレクターで(テニスの名手でも)あったピエール・ランドリーが所蔵していたものを、ルーブルが購入したものである。この主題の作品はこれ一枚と思われていたが、実は「クラブのエース」のヴァージョンがあったのだ。ルーブルの作品よりも少し前に制作されたらしい#。スイスの個人(Count Isaac Pictet)の所蔵*になっていたらしいが、同氏の死後に息子などが相続し、姪のマリエールMme. A. Marierの手に移り、1981年にキンベルの所有するところになった。しかし、この所有移転の経緯はかなり複雑らしく、さまざまな話を聞いたことがある。

  「クラブのエース」はキンベルにとっても、エース級の所蔵品であり、
大変素晴らしい展示であった1996-97年のワシントン国立美術館のラ・トゥール展カタログの表紙を誇らしげに飾っている。ちなみに裏表紙は、同国立美術館所蔵の名品「鏡の前のマグダラのマリア」、通称「ファビウスのマグダラのマリア」である。

  フランスで刊行されたラ・トゥールの研究書には、アメリカへ流出してしまったこれらの名作について、アンヴィヴァレントな思いが込められた記述が見られるのも面白い。アメリカのカネの力でまたフランスの宝がとられてしまったという嘆きが行間に感じられる。

   なにしろ「昼の世界」のジャンルのもうひとつ「占い師」は、ルーブルが1949年に入手したいと表明したにもかかわらず、結局アメリカに流出(ニューヨーク・メトロポリタン美術館が1960年に購入)してしまった。当時、フランスの文化相アンドレ・マルローが流出の事実について議会で釈明をしたほどであった(アメリカ大好きなサルコジさんだったらどんな反応を見せただろうか)。

  この作品「クラブのエースを持ついかさま師」との関連で、文字通り見逃せない一品がキンベルにある。ラ・トゥールがこの主題での制作に当たって発想のヒントを得たことがほとんど間違いないカラヴァッジョの「カード詐欺師」も所有しているのだ。この作品は1987年にキンベル美術館が入手した。それまで長らく行方が分からなくなっており、さる個人の保有するところになっていた。ある時期はカラヴァッジョのパトロンであったデル・モンテ枢機卿 Cardinal del Monteが所有していたことが、キンベルでの修復中に判明している。


  
    キンベルがカラヴァッジョのこの作品を取得したのは、ラ・トゥールの「クラブのエースを持ついかさま師」(1981年取得)の後の1987年であり、カラヴァッジョ=ラ・トゥールという最強の結びつきができた。「ダイヤのエースを持ついかさま師」を所蔵するルーブルなどが狙っていたことは想像に難くない。バブル期の初期であり、想像を超える高額の取引だったのだろう。ルーブルはさぞかし欲しかったに違いない。キンベルには、その他にも、カラッチ、ルーベンス、ベラスケス、ル・ナン、ロ・レイン、レンブラント、ゲインズバラ、レノルズなどの名品が目白押しである。キンベル美術館はさらに拡大の計画を公表している。見逃せない美術館である。 


Kimbell Art Museum, Fort Worth, Texas 


Michelangelo Merisi da Caravaggio. The Cardsharps, c.1594. Oil on camvas; 94.2 x 130.9 cm, Acquired in 1987. 
すでに1934年にシャルル・ステルランがスイスにあると指摘していた。

# キンベル側は逆の見解であり、興味深い。

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