時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ラトゥールへの旅(2):ルナン兄弟

2007年02月06日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

Le Nain, La Forge, did aussi Un maréchal dans sa forge
Huile sur toile, H.0,960; L.0,570

Musée du Louvre, Paris
http://www.wga.hu/html/l/le_nain/blacksmi.html


    このたびのオランジェリー特別展で再現している「1934年展」の最大の呼び物は、ラ・トゥールであったことはすでに記したが、同時代17世紀の他の多くの画家たちにもスポットライトが当てられていた。

  その中で、ラ・トゥールに次いで主催者が力を入れたのは、ルナン兄弟 Le Nain であった。ラ・トゥールの作品や生涯に関心を抱くようになってから、このルナン兄弟の作品にも興味を惹かれてきた。とりわけ、当時の農民や職人の生活がリアルに描かれた作品については、「労働」の世界を追いかけてきた者として大変興味深いテーマであった。このルナン兄弟も、19世紀半ばにリアリズム美術を評価したシャンフルーリなどによって「再発見」された。

  今回の展示でも、10点という全体の中ではかなり大きな出展数である。すべて農民や職人の生活を描いた作品である。実はルナン兄弟は宗教画も描いていた。作品ばかりでなく、3人の生涯にはラ・トゥール以上に謎が多い。

  ルナン兄弟はルイ、アントワーヌ、マティユー Louis(1600-1648), Antoine(1600-1648) and Mathieu(1607-1677)の3人兄弟である。仲が良かったらしい。ルイとアントワーヌは近年の研究によると、ほとんど同年の生まれらしい。ということは、3人とも同世代ということになる。彼らは3人ともにロレーヌ地方のランLaonに生まれ育ち、画家としての修業も生地で行ったのではないかと推定されている。誰か親方の下で徒弟修業したと思われるが、確認されていない。兄弟3人そろって画家というのも面白い。

  兄弟は1630年頃までにはパリに来て、サンジェルマン・デプレに工房を設けていた。アントワーヌは1628年ころに親方画家となった。マティユーは1630年にパリへ来たようだ。3人は行動を共にしていた。最初の作品からみると、歴史画家、特に神話画や宗教画を専門 としての地歩を築いたようだ。しかし、1630年末頃からヴーエ Vouetの工房などが活気を呈し、イタリア帰りの画家たちの中にも大きな装飾画を得意とする者が出てきた。そのため競争が激しくなったこともあって、ルナン兄弟は肖像画と農民の生活を描く方向へとジャンルを変えたようだ。

  サンジェルマン・デプレの辺りは、フレミッシュの画家たちも居住していた。彼らの影響もあってか、ルナン兄弟は、次第に現実派画家としての地位を確保していったようだ。兄弟の画風は当時の画壇の傾向とは一線を画していた。当時としては、アンビシャスで新奇な技法も試みたようだ。3人ともに1648年のアカデミーの創設時のメンバーだから、仲間の間での評価も高かったのだろう。

  しかし、彼らが画家としてどんな修業をしたのか、インスピレーションの源はなにであったか。誰に向けて画業を続けたのか、究極の目的はどこにあったのかなど、鍵になる事実はほとんど明らかでない。ラ・トゥール以上に資料に乏しい。そのため、依拠しうる年譜も作られていない。ただ、かなりはっきりしているのは、兄弟3人が一緒に仕事をしていたという事実である。
 
  
それは作品の署名がLe Nain となっていて一人一人の名前がないことにある。画家として活動したほぼ20年間、作品はたぶんかなりあったと思われるが、ほとんど行方は不明である。ある推定では2000から3000の作品が生まれたとされるが、現存する作品数では100にも満たない。年次がつけられた作品は、1641-47年という短い年月である。1640年より前に作品が描かれたかどうかもわからない。

  ルナン兄弟の作品は宗教画から農民画まで幅があり、いかなる時期に兄弟の誰がどの作品を描いたのかもほとんど不明である。最初にルナンの手になったといわれる宗教画を見たとき、兄弟の中の誰の手になるものかと思ったことがある。ここに掲げた「鍛冶屋」と題される作品にしても、1934年展当時は、長兄ルイの作品とされていたが、今回はルナン兄弟になっている。これに限らず、今回の特別展には、1934年展から70年余の年月の間の調査・研究の成果が各所に反映されている。

  3人の兄弟はおそらくいつかの時点で宗教画から農民画へのジャンル転換を行ったと思われるが、同時期に多くのスタイルで描かれたのではないかとの推定もある。工房の中で兄弟の間で専門化していたのかもしれない。

  顧客がいかなる人々であったのかも良く分からない。農民が制作を依頼することは考えられないからだ。しかし、当時の社会的現実の描写という点では大変興味深く、さらに質朴に描かれた農民たちの情景には古典的な雰囲気が漂っている。農民たちの目はしっかりと見る人に向けられ、リアリズムの画家としての光を伝えている。

Reference
PIERRE GEORGEL. ORANGERIE, 1934: LES "PEINTRES DE RÉALITÉ" 2006.

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