時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

出稼ぎ労働者の母親

2005年02月13日 | 移民の情景

 一枚の絵画がしばしば多くの人々に深い印象を刻み込むように、一枚の写真が見る人に大きな衝撃を与え、世界の見方を変えてしまうこともある。世紀の変わり目には、20世紀の回顧がさまざまに行われたが、国際的に著名な雑誌『TIME』も「20世紀の偉大なイメージ:われわれの時代を定めた写真」というタイトルで、20世紀に起きた決定的な出来事を撮影した写真集を出した。仕事の合間にページを繰ってみると、多くの見覚えのある印象深い写真が多数掲載されている。そのには、ありし日のジェームス・ディーンやオードリ・ヘップバーンなどの明るい写真、ベルリンの壁崩壊時の写真なども含まれているが、総じて戦争、犯罪、事故など陰鬱な写真が圧倒的に多い。人類は果たして進歩しているのかと考えさせられてしまう。

大恐慌の底辺で
 写真集には、このブログで以前に紹介したアメリカの写真家ルイス・ハインが撮影した児童労働の一葉(外の世界を見る一瞬)も含まれている。ここでは、もう一枚、「出稼ぎ労働者の母親」(Migrant Mother, 1936)と名付けられたきわめて著名な写真を紹介しよう。この写真はドロシア・ランゲ(Dorothea Lange)というニューディール期の写真家によって撮影され、その後、アメリカの移民史における象徴的な写真となった。時代は1930年代にさかのぼる。この大恐慌期におけるフランクリン・D・ローズヴェルト大統領のニューディール政策は、その展開の過程でニューディーラーと呼ばれる新しい考え方を持った人たちを生み出した。その中には、当時のアメリカ社会の底部において絶望的な貧困生活を送る人々の実態に強い社会的な関心を抱く人たちがあった。彼らは、アメリカの暗部ともいえるこうした貧困層、とりわけ農民の実体を写真という媒体で記録するというプロジェクト(Farm Security Administration photography project)を設定し、アメリカ全土において恐慌という経済的悲劇に苦しむ人たちのさまざまな側面を写真として残した。1935年から43年の間に、このプロジェクトに参加した著名な社会派の写真家によって撮影された枚数は、実に27万枚に達した。

出稼ぎ労働者の母親
 ランゲの撮影した「出稼ぎ労働者の母親」もその一枚である。このショットは、1936年、カリフォルニアにおける出稼ぎ移民の母親の表情を写したものであり、アメリカ社会史における出稼ぎ労働者の一断面を象徴的にとらえている。撮影者のランゲは、特に解説を加えていないが、写真の迫力は圧倒的である。

 写真の背景について少しコメントをしておこう。アメリカのロッキー山脈東麓の大草原地帯に1930年代にダストバウルDust Bowlと言われる大きな砂嵐が発生し、住民を襲った。大不況の最中のこの天災は、貧困層にとっては文字通り神も見捨ててしまわれたのかと思われる過酷な大打撃であった。カリフォルニアに移民したこの母子にとって、それがいかなるものであったかを、この一枚の写真は衝撃的に訴えている。この50歳近くと思われた母親に、ランゲが年齢を尋ねたところ32歳で7人の子供があった。 

 出稼ぎ労働者はアメリカの歴史を根底において形作る重要な役割を果たしてきた。新大陸へ夢と希望を抱いてやってきた移民たち、そしてその後この写真の主人公のように、各地を漂泊する農業季節労働者のような人たちもいた。その中には、夢を実現して社会的上昇を実現した者もいたが、移民先において母国での苦難以上の絶望的貧困の中に生涯を送った人たちもあったことも注意してほしい。今、世界では移民が大きな国民的議論の対象となっている。移民をめぐる環境も大きく変わった。新しい世紀における移民(外国人労働者)は、いかなる映像として記録されるのだろうか。

Photo:
Courtesy of the Time Great Images of the 20th Century: The Photographs that Define Our Times, New York, N.Y. Time Books, 1999.

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