時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ラ・トゥールを追いかけて(14)

2005年04月08日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

Georges de La Tour, Saint Jerome, c.1628-1630, Musée de Grenoble,157x100cm
「光輪のある聖ヒエロニムス」

(Georges de La Tour, Saint Jerome, c.1630-1632, Nationalmuseum, Stockholm
「枢機卿帽のある聖ヒエロニムス」、152x109cm)

拡大は画面(下図のみ)クリック



砂漠の聖ヒエロニムス
 前回に取り上げた「書を読む聖ヒエロニムス」は、「できの悪いラ・トゥール」とまで評された作品だが、今回の「砂漠の聖ヒエロニムス」は口さがない美術史家を黙らせる傑作である。聖ヒエロニムスは、使徒として当時のカトリック教会側が期待する二つの特徴を併せ担っていた。ひとつは、学者としての側面であり、もうひとつは禁欲の使徒としての側面である。今回は、後者の側面を描いたラ・トゥールの作品をとりあげたい。

 聖ヒエロニムスを対象とした美術作品は、ラ・トゥール以前からきわめて多い。世俗の世界の誘惑から逃れられない自分に苦しみ、自らの胸をむち打つことで悔悟し、克服しようとした使徒である。ルネッサンス期には石をもって自らを打つ姿が描かれた。

使徒の生涯
 聖ヒエロニムスはA.D.340 年頃にダルマティア(現在のクロアチア西部、アドリア海沿岸地域)に生まれたといわれる。その後、ギリシャ語とラテン語を学ぶためにローマへ旅した後、聖地イエレサレムを訪れている。その後、シリアの砂漠に3年間近くを過ごしたと云われている。その後、A.D.382年頃にローマへ戻り、法王の要請によりヘブライ語聖書のラテン語版への訳業にあたった。この聖書はウルガタ聖書Vulgateとして、その後教会公認のラテン語訳聖書となる。彼は長い時間をこの重要な仕事に捧げた後に、420年にベツレヘムで亡くなった。

  聖ヒエロニムスについて後世の人々が抱く学者と禁欲の使徒というイメージは、反宗教改革期に改めて強調された。当時の教会の思想的流れを、ラ・トゥールの作品は忠実に継承している。というのも、反宗教改革に携わった教会や関係者は、キリスト没後の時の流れに埋もれた前例や使徒の足跡の探索に没頭していたからである。

 主題である悔悟者としての使徒のイメージは、レオナルド・ダ・ヴィンチなど多くの画家が採用してきた。聖ヒエロニムスは、天使からクリスチャンであるよりキケロ崇拝者として非難されたことを悔悟して、砂漠における禁欲、自戒の日々を過ごしたといわれる。

二つの作品
 この主題でラ・トゥールの作品として現存するものは、グルノーブルとストックホルムの美術館がそれぞれ一点ずつ所蔵している。主題と構図は、両者とも基本部分はまったく同じといってよい。大きな違いは、ストックホルム版には枢機卿のアトリビュートである大きな赤い帽子が描かれている。朱色の大きな帽子の存在のために、後者の方が比較するとやや明るい感じがする。また使徒のまとう腰布の白さも明るさに寄与している。この画家は、ひとつの主題をさまざまな観点から描く試みをしてきたことで知られている。いずれ記す機会があるかもしれないが、この聖ヒエロニムスの場合に限らず、他の主題においても、いくつかの異なった作品が存在する。
 
 ラ・トゥールが描いた聖人の中で、グルノーブル版の聖ヒエロニムスだけに、光輪haloがかすかに控えめな線で描かれている。修道院に納められるということへの配慮があったのかもしれない。今回は個人的好みもあって、グルノーブル版をとりあげてみたい。もちろん、「枢機卿帽のある聖ヒエロニムス」と呼ばれるストックホルム版も、大変興味深い点が多い作品である。時期的にはストックホルム版の方が後に制作されたと云われている。ちなみに両者が最初に並べて展示されたのは、1972年のオランジュリー展が最初であったということで、この展示は改めてラ・トゥール研究におけるひとつのエポックであったという感が深い。今振り返っても、偶然とはいえ、得がたい機会に出会ったという思いがする。


克明に描かれた使徒の肉体
 グルノーブル版はその後の時代考証で、ドーフィーヌ地方の修道院Antonite monasteryのために制作されたといわれている。教会組織の改編などを経て、後年グルノーブル美術館へ収まっている。

 グルノーブル版の方が、表情を含めて、肉体の描き方などに、砂漠において自らの肉体をむち打ち、悔悟する過酷な使徒の姿が、より厳しく描かれている。使徒の肉体を描く克明さについては、リアリズム派のカラヴァッジョをはるかにしのぐ精緻さといえる。例のごとく、髪の毛、皮膚の皺、筋肉のつき具合など、執拗なまでに描きこんでいる。とにかく、こうした点におけるラ・トゥールのリアリズムは並大抵のものではない。また、同じ構図を設定しながらも、ストックホルム版では別の色彩を試すなど、画面の与える印象などに格段の配慮をしていることがうかがわれる。画家はさまざまな試みを通して、効果測定を行っている。

 ちなみに、構図は全く同じだが、ストックホルム版では、使徒の身にまとう腰布loinclothが白い布であり、帽子などの赤を際だたせるため、刺繍までされている。さらに、枢機卿のアトリビュートである赤い帽子が描かれている。

 聖ヒエロニムスは最初の枢機卿であることに加えて、制作の時からリシリュー枢機卿Cardinal Richelieuのコレクションに収まることが予定されていたため、ラ・トゥールが付け加えたものと思われる。顔の表情も穏やかで、自らをむち打つ過酷な行為にもかかわらず苦痛の感じが少ない。ストックホルム版の使徒の方が全体として威厳と穏やかさが漂っており、リシリュー枢機卿のコレクションとしてもふさわしいものである。こういう点で、画家は聖俗ふたつの世界に大変配慮し、巧みに使い分けていることがうかがわれる。作品の素晴らしさの背後に、ほのかに見える画家の心的状況の振幅や表現のさまざまに、激動の時期に生涯を送ったラ・トゥールの生き様がうかがえる。

 

コメント
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