<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

いちじくの熟れざま

2006年07月12日 10時26分14秒 | Weblog
 手がとどく いちじくのうれざま   山頭火

    *

 こんなに短い句から、何を読みとるか。読みとりにくいから、なんでも好き勝手に読みとってくれと山頭火は言っているみたいだな。じゃ、そうしよう。

    *

 無花果は夏の暑い盛りに熟れる。山頭火はいつもの漂泊の旅をしている。山里に来た。ひょいと見上げると鈴なりの無花果だ。手を伸ばすとやっと一つに手が届いた。もいで取る。熟れた匂いがいきなりぷんと立つ。腹がぐうとなる。かんかん照りがしている。うまい。ちょろちょろ流れる小川で山頭火は、糖分でべとつく口をすすいだ。

    *

 おっと、それだけではなかった。無花果は熟れると女性に似てくる。フェロモンが限りなく懐かしくなってくる。そうだ、山頭火はまたぞろおんなに会いたくなったのだ。それを無花果をもぐことで、しずかに何事もなく、昇華したのだ。
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語らざる空の夏空わたしに語る

2006年07月10日 09時35分30秒 | Weblog
 ギャーテイギャーテイ。ハーラーギャーテイ。ハラソウギャーテイ。ボジソワカ。

      *

 これは般若心経の最後のくだりの真言マントラ。マントラは覚者仏陀のことば。いわば宇宙語である。言葉にエネルギーが満ち満ちているとされる。

      *

 「着いたぞ着いたぞ、安心の岸に着いたぞ。もうこれですっかり完了した。心配はなくなった。」このマントラはこういった意味あいらしい。わたしなどは、愚をぐるぐるまわりしているばかりで、要らない心配をどれだけしてきたことか。

      *

 朝の9時を回った。蝉がいっそうかんだかく鳴き出した。桜の大木あたりから鳴いているらしい。「安心の岸」は、蝉にとっては、どうやらここの岸らしい。「心配はいらない、心配はいらない、ボデイーソワカ」を繰り返している。

      *

 無有恐怖(むうくふ)の恐るなかれのマントラを語らざる空わたしに語る        薬王 萌
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意をおこさざりしに風も雲もうごく

2006年07月09日 06時48分54秒 | Weblog
 如意輪の意のくわんのんの風うごき雲うごきつつ寺ははつ夏   薬王 萌

     *

 昨日書いた短歌を推敲したら、こうなった。<くわんのん>はもちろん観音さまである。如意輪観音の如意をほめる讃える。われわれはいつも意の如くならない。ゆえにその不如意をいつも嘆いていなくてはならない。これは暑苦しい。

     *

 金儲けを企むけれども金はちっとも懐にはいってはこない。異性にもてようとごそごそするが、ついにごそごそで終わる。冷蔵庫の氷片を運んでいてうっかり床に全部こぼしてしまったからといっては、妻にやたらに怒られる。意のままにはならない、わずかも。

      *

 ところが、観音さまは如意だという。なんでも意の如くになるという。如意宝珠、如意棒、如意宝輪をお持ちだから。と、観音をうらやむまい。欲を張らなければ、われわれだって如意なのである。十分に如意なのである。風がうごく。雲がうごく。わが意のままに。われは発意をせずとも風うごき雲うごく初夏。

 欲張りにあらざればわれも如意なり意おこさずして風雲うごく  薬王 萌
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如意輪の意のごとくなる

2006年07月08日 12時11分07秒 | Weblog
 如意輪の意のごとくなる風うごき空動きつつありたたす寺  薬王 萌

      *

 如意輪は如意輪観世音菩薩。如意宝珠と輪宝をもって一切衆生の願望を満たし、苦を抜き楽を与える変化(へんげ)観音。多くは六っつの手肘を持つ。如意とは、意のままに、とは、なんぞ? 観音様の如意とは、われわれ衆生のそれではない。風が動く、空が動く。そのままが観世音の救済の姿であった。

      *

 変化(へんげ)とは、さまざまに姿を変えること。救うべき人におっともふさわしい形をとって観音はその人の前にあらわれてくる。そして、苦を抜き楽を与えてゆく。風も空も、観音の変化身でありうる。わたしの前に立ったあなたがまさに観音様なのかもしれぬ。
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寂しい日には寂しい山がいっしょである

2006年07月07日 09時39分58秒 | Weblog
 寂しい日には寂しい山がいっしょである   李白黄

     *

 ずんずん勢いをつけてきた夏の木々ですら、日差しの中で幾分かを萎(しお)れて見せてくる。山にも心遣いがあるのである。

     *

 今日のわたしは寂しい。誰かいないか誰もいない。にいにい蝉が漫才をしても、蜥蜴が石の上に出て落語をしてみせても、寂しい。遠くの山近くの山を寂しくさせて歩く。合歓がほつほつと咲いている。

     *

 あめつちにわれひとりいてたつごときこのさみしさをきみはほほえむ     会津八一

 ここに言う「きみ」とは「みほとけ」のことである。会津八一は大好きな歌人である。
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良寛さまのラブコール

2006年07月06日 18時11分29秒 | Weblog
 またも来よ柴のいほりをいとわずばすすき尾花の露を分け分け   良寛

     *

 もちろん相手は貞心尼。また来てくださいね、わたしの住んでいる国上山の中腹の、粗末な柴の庵がお嫌でないのなら、すすき尾花の茂る山道の、露に濡れぬようにして、草をかき分けかき分けて。

      *

 と良寛さまは歌を贈られたが、さて、それから、しばらく貞心尼の訪れがない。良寛さまはお寂しくなられた。そこでまたもう一首をお作りになった。

 きみや忘る道や隠るるこの頃は待てど暮らせどおとづれのなき   良寛

 あなたはわたしをお忘れになられたのだろうか。それとも来る道をお忘れになられたのだろうか。あなたにお会いするのをしきりに待っているが、ここのところあなたは顔を見せてくれない。

     *

 えええん、えええん。良寛さまの泣き声が聞こえてきそうに直截な、遠慮も羞恥ない、ラブコールである。純情可憐な幼さのまま。七十を越した禅師なのに、まるでこれはやんちゃ坊なみだ。もうすぐ死ぬというのに、死ぬまで、かくもひたむき。





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良寛さまと貞心尼

2006年07月04日 23時01分22秒 | Weblog
 今夜は山頭火のことを書かない。もう一人わたしの好きで好きでならないお人、良寛さまと、良寛さまをお慕いする貞心尼の恋と恋歌のことに触れたい。恋の歌がこのごろこころにしみいってくるようになった。

     *

 しろたへの衣手寒し秋の夜の月なか空に澄みわたるかも   良寛

 秋の夜の月が澄みきってきた。もう僧衣だけでは寒い。と、筆を持ってお書きになると目の前でいっしょに月を仰いでいた貞心尼がすぐにこんな返歌を詠んだ。

     *

 向かいいて千代も八千代も見てしがな空行く雲の言(こと)問わずとも

 良寛さまと向かい合っていたらいつまでもいつまでも会っていたい気持ちでございます。もはや秋の夜の月のことすら歌にしないで、ただひたすらにお顔を眺めていたいものでございます。
      
     *

 二人きりでいたい、ずっとこうしていたい、と貞心尼が打ち明けた。良寛さまはすでに七十。人柄を慕って訪れてきた貞心尼はこの時わずか三十。四十才も離れているが、仏の道と歌と書の師弟の間はういういしいばかりである。

     *

 千代八千代ういういしくぞあれければ見て飽かぬかも秋の夜の月  李白黄






弟、 



 










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しぐれてゆく後ろ姿 

2006年07月02日 09時48分09秒 | Weblog
 うしろすがたのしぐれてゆくか    山頭火

    *

 あまりにもよく知られた作品であるから、ぼくの邪推の及ぶところではないが、なあに、作品はいろいろに読んでかまわない。ぼくはぼく流でいい。といっても、あまりにもかけ離れた読み方であれば、山頭火が、「おい、いい加減にしてくれよ」と言いたくなるだろう。

    *

 しぐれは時雨。<しぐれてゆく>は山頭火の造語だろう。時雨を動詞にして扱っている。<しぐれる>は、雨が降りそうな気配を感じさせる。<しぐれてゆく>はその状態を保ちながらそれが継続されてゆくことととってよかろう。空が本当に雨模様を来してきていたかもしれない。山頭火は歩む。彼は道を求めている。だが、道を求める場所が、地図にあるわけではない。だから<あてどもなく>である。

     *

 しぐれは、男の胸にもある。暗雲がたれこめる。道は得られるか。生きてある中に道は得られるか。その尻尾にすら手が伸ばせないのではないか。不安がよぎる。それがしぐれして雨となる。身体の前半分は、目を開けてひたすらに道を求めている。そうやって求道の姿勢が歩いている。だが、身体の後ろ半分は、そうはいかない。

     *

 不安が募る。煩悩がおこる。欲心が動き出す。人もやたらに恋しい。おんなともずっと寝ていない。寒い。こごえるように寒い。人はうしろが見えない。見えないからよかったものの、おのれのさまざまな背後をたずさえていることは間違いもないことだ。山頭火は、うしろすがたが、時雨時雨して歩いている己のさまを直感できたのではなかっただろうか。

      *

 見えないうしろに背中がある  李白黄
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あたたまりたくなった山頭火

2006年07月01日 23時15分03秒 | Weblog
 ひとりあたたまってひとりねる    山頭火

      *

 住所は不定でなければならない。一箇所に留まってはならない。働いて銭を得てはならない。頂いたものを食べねばならない。寝るのも一人。道を行く者、道を求める者、托鉢する者の心得である。

      *

 寒い夜もあったであろう。どうやってあたたまったか。酒があれば酒にあたたまる。火鉢があれば火鉢に火をもらってきてあたたまる。なんにもないときには、蒲団にはいってあたたまる。句を作ればあたたまれるか。人が恋しい。恋しい感情にあたたまることができるか。仏法者は、あたたまってはならない。あたたまってはならないのに、あたたまりたくてごそごそする。

      *

 あたたまってはならない掟があって寒いこがらし   李白黄

 あたたまるとろくなことはしない。幸福になればじっと幸福ばかり追いたくなるのだ。寒いのがいいのだ。暑いのがいいのだ。幸福は今生の薬にはなるが、次生の薬にはならない。先日、説法を聞いたら、そういう話だった。  
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