水は、山を行っても野を行っても村里を行っても町中にもどこにでもあふれているはずである。歩き疲れて喉が渇いてへたり込むと、そこにおいしい水がわいている。手に掬うくらいの水はあふれてきている。山頭火は膝をついて腰を浮かして、くいくいと掌の椀に掬って飲んだ。うまい。臓腑に染みる。渇きは潤う。生き返る。ぱんぱんと膝のごみをはらって立ち上がった。
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水でなくってもあふれているものはあふれているのだ。空だってあふれているじゃないか。空気だったあふれているじゃないか。人情だってあふれているじゃないか。土だって、草だってそうだ。あふれさせてあふれさせて人の住む地上にしてある。それを見ないできただけである。
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腹を空かせてみるとあふれていることが分かる。そういうのだが、幸福を食って食って、食い溜めて来た己などには、山頭火の句の方がよほど変に思えてきてしまうのだ。水をおいしいと思ったことが、この頃あっただろうか。
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「旅先の空見ている」とメール来る空がひとつであって嬉しい 李白黄
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水でなくってもあふれているものはあふれているのだ。空だってあふれているじゃないか。空気だったあふれているじゃないか。人情だってあふれているじゃないか。土だって、草だってそうだ。あふれさせてあふれさせて人の住む地上にしてある。それを見ないできただけである。
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腹を空かせてみるとあふれていることが分かる。そういうのだが、幸福を食って食って、食い溜めて来た己などには、山頭火の句の方がよほど変に思えてきてしまうのだ。水をおいしいと思ったことが、この頃あっただろうか。
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「旅先の空見ている」とメール来る空がひとつであって嬉しい 李白黄