我見なる「我はひとり」をたださむとまなうらに棲む非我の億兆 薬王華蔵
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すんませんなあ。話題・含有知識に乏しくてついつい。空の図書館・虚空蔵メモリーより嘗ての作品を取り出してきて、これを俎上に。ブログを書こうとしても何を書いていいやら分からないときが多いもので、それでついつい。
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わたしたちは我見で生きています。みんなそれぞれ様々な色鉛筆しか持っていません。これで世界を塗りつぶしています。そしてこれが世界だ、世界の絵だなどといって得意がって見せたり、失意憔悴して見せたりしています。
「オレはこの世の中に一人だ」という寂寞孤独もそうです。我見です。我(が)が見ているものはみな我見です。「オレ一人がこの世で一番偉いぞ。何でも出来るぞ」とほめく何処かの統率者も我見に捕まっている者です。それは傲慢妄想です。
そういう我見を糺(ただ)そうとしているのが「非我」です。「not me」「above me」です。これはわたしたち一人一人の目の奥・目の裏(まなうら)に住居を定めています。彼は優しいのです。慈愛に富んでいるので、曲がりくねった我見の軌道を修正してくれるのです。でもわたしたちはこれに気がつきません。しかし確実に言えること、これはわたしたちは一人で生きているのではないということです。少なくともわたしの目の裏にもう一人がいます。彼はわたしの援助者保護者導き手です。
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そういう着想を短歌に編んでみました。この着想ももちろん我見です。
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