さすたけの君と相見て語らへばこの世に何か思い残さむ 良寛禅師
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「さすたけの」は「君」にかかる枕詞。竹は生長が見る見る間だ。だから相手の元気旺盛を願って寝せる言葉の枕にした。お元気なあなたをこうして間近に見ながら語り合うことが出来たのだ。あれもこれもと語り合ってとうとうこの世に思い残すことなどはなくなってしまった。よほどよほどの間柄だったのだろう。
老いの身でありながらなおこの世を案じて暮らしているのがわれわれ人間である。案じたことは人に告げて聞いてもらえばそれでたちまち掻き消えることもある。それが互いに互の前でこころを割って見せられる人であればなおさら。案じるべきこの世を捨ててしまうと身が軽くなる。
あるいはいつも身を案じてくれる弟の由之だったかもしれない。なんでも聞いて聴いてもらえる人を良様はもっていらっしゃったようだ。
さぶろうはどうか。ふっと我が身を思ってしまった。さぶろうももう十分に老いた。夜が明けた。5月10日が来ている。雨は止んでいるが、空はミルクを解かしてけぶっている。
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