1
僕に深さはあるか。見えているだけなのか。表面はわたしの場合、肉体である、それを蔽っている皮膚である。その向こうに何かあるのか。皮膚を掘り下げたら、赤い血が出て来るだけかも知れぬ。筋肉や骨にぶつかるだけかもしれぬ。それがわたしの深さか。心臓があったり肝臓があったり腎臓・膵臓・脾臓があったり、肺や気管支や消化器官があったりして、そこらあたりに僕の深さがあって、その深さに至り着くのか。或いは左脳右脳の脳が僕の存在の最奥を形成しているのか。
2
僕に深さはあるのか。渓谷を行くと深みがある。青みがかっている。澱んでいる。瀞が出来ている。そこで沈思黙考が成されているように見える。空を仰ぐと空にも深みがある。そこもやはり青みがかっている。雑じらずに澄んでいる。虚空蔵菩薩たちのの瞑想の場に相応しいところのようにしている。
3
僕に深さはあるのか。僕という者の中に海があって、そこに深さがあるのか。深さというのは見えないのか。見えているところは浅いとこなのか。深い深いところから僕を支持している声が聞こえてくる。そこも僕なのか。僕を離れた何処か特定なところなのか。
4
深い深いところから僕を支持している声が聞こえてくる。声の発信源は僕の深いところなのか。全体の深いところなのか。声というのは宇宙の深いところにしかあらわれないのか。それが虚空の中を波になって伝わってきているだけかもしれない。若しそうなら、僕に僕の深さは不要になってくる。
5
僕は浅瀬の波打ち際の砂浜にごろんと転がっているだけでいいことになる。実際そうして遊んでいるだけなのだろう。
6
波打ち際だって深さを持っている。掘り下げていけばマグマを通過する。マントルにぶつかる。地球の核に突き当たる。そういうところがあって、やっと表層部分があるのである。だったらやっぱり支えている声がそこにあるのだ。僕を支えているという声がそこで発信されているはずなのだ。
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などなどなど昼から考えた。僕の深さは全体の深さである。此が今日の僕の結論である。僕がそこに辿り着けなくても深さそのものはある。そこから僕を支持するエネルギーが貫通してきている。心配は要らない。
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