<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

オブラートに包んでもらわないと飲めない

2018年01月11日 19時52分43秒 | Weblog

さ、これからお風呂に入る。大丈夫かなあ。風邪引きかけているようだけど、大丈夫かなあ。熱はない。熱がなかったら大丈夫なんだろうなあ。風邪薬を買ってきてもらっていたけど、粉薬だったので飲めない。まるでこどものようだ。オブラートに包んでもらわないと飲めない。甘えん坊。したたかな甘えん坊。

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何もない部屋だと思っていたのに あふれている

2018年01月11日 19時45分41秒 | Weblog

何もない部屋と思っていたのに。あふれている。わたしの思いが入り込む部屋ではなかったけれど。それはそれでよかったのだろう。あふれている。何がこんなにあふれているのか。わたしに検証はできないのだけれど、そうすることも無意味なのかも知れない。もうそこに事実としてあふれているのだから。わたしが検証をすると指の間から落ちてしまう砂のようだけれど、それをわたしがしないとたしかにそれはそこにあって、あふれている。何もない部屋だと思っていたのに、あふれている。新鮮なものであふれている。活気のあるものであふれている。

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誓い(=わたしとの約束)は成就したのです

2018年01月11日 19時15分35秒 | Weblog

我建超世願 必至無上道 斯願不満足 誓不成正覚    「重誓偈」より

がこんちょうせいがん ひっしむじょうどう しがんふまんぞく せいふじょうしょうがく

我、世に超えし願を建つ。必ず無上道に至らしめん。斯(こ)の願い、満足ならずんば、誓いて正覚を成さず。

わたし(法蔵菩薩)は世を超えた願いを建てました。必ず(すべての衆生を)無上道(涅槃界=仏の世界)に至らしめんという願いを建てました。若しこの願いが満足されないで終わるということになるのなら、誓います、わたしは正覚を成して仏に成ることはいたしません。

阿弥陀如来が仏になる前、つまり法蔵という名の菩薩であった頃に、師とする世自在王仏に誓願を建てて約束をなさいました。わたしは、ガンジス川の砂ほどの仏さまがお建てに成られた仏国土のうちの、そのどの仏国土にも勝る仏国土を建設しようという超世の願いを建てました。仏になれないと諦めたような人をも救いたい、救い取ってわたしの建てた無上道=極楽浄土に迎えて仏にしたいという願いです。もしもたった一人でもこの願いに洩れるような人があったならば、わたしは正覚(仏としての悟り)を取ることはいたしません。それでは阿弥陀仏になることは出来ません。

重誓偈とは「重ねて誓う言葉」という意味です。もちろん衆生との誓いです。わたしとの約束です。師の世自在王仏との誓いは同時にわたしとの誓いということでもあります。「重ねて」だから、何度でも何度でもということです。

誓いは成就しました。だからこの時点で法蔵菩薩は正覚をとって阿弥陀如来と成られました。ということは? 誓いは成立したのです。わたしは、誓いの通り、無上道=仏の国に往生して仏に成ることが決定したのです。決定したのです。安心をしていいのです。

ここを聞くと、わたしは涙ぽろぽろです。この悪業煩悩のわたしをこれほどまでに思っている仏があったのです。

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風が出て来た 煽っている 迷い雪になっている

2018年01月11日 16時17分56秒 | Weblog

午後4時を過ぎた。風が出てきた。煽っている。落ちてこようとするのだが、雪を舞い上げる。仕方なくそこら辺をうようよしている。迷い雪になっている。ひゅうひゅうひゅうと風が吹きすさぶ。少しまた少しと光が薄らいでいく。夕闇がマフラーを振っている。

通勤客が5時には退ける。通学の生徒たちはもっと早いだろう。道路が凍結していないといいがなあ。暴力雪風の今日くらいはみんな早く帰宅したらいいだろうになあ。外を長く行ったり来たりせずに、早く帰って来て家の中でぬくぬくあたたまった方がいいよね。

 

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素朴な疑問がある 単純至極な疑問がある

2018年01月11日 16時01分33秒 | Weblog

素朴な疑問がある。単純なといった方がいいかもしれぬ。

何故わたしは「今此処で生きているわたしをよろこべないか」という疑問である。

よろこんでいていいはずで、その通りうすうすはよろこんでいるのだろうが、それ以外のことが千も万も億も頭を埋め尽くしているので、肝心のよろこびが追い出されているのかもしれぬ。

死ぬのが嫌なのである。恐いのである。不安なのである。

だったら生きている今が価値を持っているはず。輝いているはず。嬉しいはず。死んでいない今現在は、何をさておいても大喜びでいていいはず。

それがそうではない。鬱々としている。冴えない表情に終始している。暗い目をしている。それは何故か。

一番によろこんでいいことをよろこばないでいる。後回し後回しにしている。死ぬまで後回しにしてしまっているのではないか。

生きているから青い空が見える。青い空はわたしが死んでも青い空をしているだろうが、いまのわたしのためにも青い空をしていてくれるのである。わたしをもてなそうとしているのである。わたしをよろこばそうとしているのである。

そうであるのに、わたしはちっともそうではない。よろこんでなんかいない。そんなこととわたしの今日の暮らしとが直線で結びついていない。まるで無関心でいる。

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素朴な疑問である。一番によろこんでいいことをよろこばないでいて、わたしはいったいその他の何をよろこぼうとしているのだろうか。

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おんなの人の柔らかい臀部あたりのようにしていていいなあ

2018年01月11日 15時37分56秒 | Weblog

「ああいいなあ、いいなあ」の暮らし方があるのではないか。雪が降ったら、「雪が降る日もいいなあ、ああいいなあ」「真っ白な雪の朝というのもいいなあ、静かでいいなあ」という具合に。

日が照ってきたら、そこではそこでまた「お日様というのはいいなあ、ああいいなあ」「地上の万物を輝かして来る力を見るようでいいなあ、ああいいなあ」と。

次々に「いいなあ」を放つ。「此処はいいなあ」「今現在がいいなあ」と言って、言い含めてしまう。

なにしろ、わたしはそれを眺めているだけでいいのである。わたしはそれがそうなるように努力もしていないのである。自然界がそうなっていくのを眺めているだけで、一切合切が済んでいくのである。

わたしはお客さんであっていい。この世に招かれたお客さんだから、そのわたしをもてなしてくれるものが次々と現れ出て来る。

今日は雪がそれだった。もう随分解けてしまったが、屋根の北側は雪が解けていない。ふっくらふんわりしている。おんなのひとの柔らかいお尻あたりのようにしている。それもいいなあ。ああ、犯しがたいほど美しくていいなあ。

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今日はここらで落ち着こう 

2018年01月11日 13時44分04秒 | Weblog

生死し流転するは此岸に修むべき行なり。この因を得て、遂に涅槃し寂静するは彼岸の果報なり。生死に迷う故に涅槃の道を得(う)。

そうか。そうだったのか。では此処でわたしが生死して流転して迷うことが、そのまま彼の処に至るための、その初めの原因となっていたというのだな。彼岸に至って果報を得るということが分かっているのであれば、此処で迷っていることがそのまま安心の材料になる。此岸から彼岸へ大きな一道が通じているということを知って、わたしは楽になった。

その間に、では、何事があってもいいことになる。いざこざがあってもいいことになる。迷妄を抜け出さなくてもいいことになる。

何故だ。何故そうなる? 法(ダンマ)あればなり、仏陀の智慧と慈悲のしからしむ故なり。

今日はここらで落ち着こう。法(ダンマ=万物宇宙を動かしている根本エネルギー)は阿弥陀如来の願いと救いの大船である。これに乗っているわたしをイメージして安らぐことにしよう。茫漠とした安心だが、それ以上のことはぼんくらのわたしでは解明できぬ。

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日が射してきた 庭の雪は光に撥ねている

2018年01月11日 13時13分49秒 | Weblog

日が射してきた。雪は光に撥ねている。サングラスでも掛けていないと眩しい。雪は舞っているが、いかにも細く小さくなった。やがて解け始めるだろう。横殴りの風が抵抗をこころみているようだが、お日様の威光には勝てまい。夕暮れ時は退社の時間だ。事故が起きないように、それまでに道路の雪が解けてしまいますように。

風邪薬は飲んだのだが、喉と鼻の奥がやらやら焼け付いている感じだ。炬燵の中でじいいっとしている。「おい、怠け者、どんな状況になっても、何かすることがあるだろう」ともう一人の影武者がその怠け者のわたしをつつく。無為徒食、するべきをしないで、ちゃっかり昼飯は食った。昨日のカレーを温めて、茹でうどん玉にかけてつるつるつると啜って終わりにした。

 

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目覚めたら外は積雪 それも深い

2018年01月11日 08時28分20秒 | Weblog

目覚めたら外は積雪。それも深い。午前8時半、なおその上に降り積もる。一面、美しい白銀の夢世界が実現している。大粒の雪玉が、風はないので垂直に落下して来る。無音。枯れ木にも雪の花が咲いている。全体の積雪の高さは10cmほどだが、深いところは20cmくらいはありそう。通勤通学が困難を極めただろうと心配になる。九州地方は積雪に慣れていない。今朝は途中、交通麻痺も起こったのではないだろうか。標高の高い山村では臨時休校も発表になっている。僕は終日あたたかい炬燵の中、この寒空に出勤していった人たちになんだかすまない。

僕の喉はやっぱりまだ痛い。朝ご飯を食べた後で、風邪薬を追加して飲んでみた。

 

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人は誹りを免れない あらゆる誹りに曝されている

2018年01月11日 04時11分45秒 | Weblog

人は沈黙する者を誹(そし)り、多く語る者を誹り、また少なく語る者を誹る。凡そこの世に誹りを受けざるはなし。       お釈迦様の「法句経 ダンマパダ」の言葉より

だよねえ。そうだよねえ。如何したっていちゃもんはつけられる。人がそこにいれば口がある。口は開く。人が目障りになる。排除したくなる。けちを付けたくなる。黙っていると、「何故黙っているんだ、愛想よくしろ」となる。かといって喋りすぎると、「喧しい」と怒鳴られる。ボソボソ声だと、「自信のない奴。冷たい奴」とこうなる。いやいや、そういうふうにこの自分も一々口を尖らせて、目に入る人を貶(おとし)めに掛かる。右に立つ人には、「どうして左に立たないんだ、あほじゃないか」とコケにする。左に来ればまた同じ、「バカの一つ覚えじゃあるまいし、臨機応変にしろ」と愚者扱いされる。てんで、なっちゃぁいない。だもんでこっちも腹に据えかねる。言い争いになる。誹り合戦になる。声が高い方が優勢となる。外交交渉だって、正義を振りかざしているが、それはあくまで片方の側の正義でしかない。この世はおおよそデタラメが罷り通る。双方のデタラメは水の掛け合いになるしかない。腹が立つだけ、馬鹿馬鹿しい。とここまで熱が下がるまでに一悶着二悶着がある。腹を寝せるのはさほどに難しい。それでも腹が立つ。煮えくり返る。

誹らずにはいられないものか。誹りを受けざる方法はないか。無視すれば無視したでゲンコツが飛んでくる。「貴様はまだ分かってないのか」とこうなる。唯々諾々も不甲斐ない。人間の器量、度量を大きくするしかない。相手を包み込むほどにこちらの懐を大きくしておくしがない。

お釈迦様でもさまざまに誹りを受けられたのであろう。そしてそこをどう越えていくかを考えられたのであろう。振り回されるな、執着をするな、それをそれと見て達観せよ。それがお釈迦様の得られた解答だったのかもしれない。

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