<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

過ぎ去ったことだよ もういいよ

2015年10月30日 20時19分43秒 | Weblog

過ぎ去ったことだよ。もういいよ。思い出さなくったっていいよ。そんなに深く悲しまなくったっていいよ。流してしまってすっきりすればいいんだよ。それができればね。さぶろう。とにかくここを出よう。歩いていけばどうにかなるもんだよ。風に寄りそって二人。冬に寄りそって二人。枯葉が語りかける。

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屋根の上の隼人瓜を収穫した

2015年10月30日 20時00分53秒 | Weblog

でかいのばかり籠いっぱいも。ハシゴ段を登った。恐る恐る。瓜が転がり落ちて、どしんどしん地響きの音を立てた。中が充実しているから重たいのだ。酒粕を買って来ておいたから、明日割って種の核を出し、干しあげ、塩漬けをしてもらおう。水が揚がっら、いよいよ酒粕に漬けてもらおう。2週間はかかりそう。田舎漬けだけど、この粕漬けはおいしい。断然おいしい。香りが立って、かりかりする。食べたことがない人には説明ができないけど。

 

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なあんだ。いい仲って玉葱とかい?

2015年10月30日 19時50分31秒 | Weblog

うん。玉葱とだよ。人間とだともっといいのかもしれないけど。これはこれでなかなかなんだよ。嘘がない。そのものずばりで、裏表がない。おいしがらせた通りにおいしがることができる。信頼が成り立っている。人間だとこうはいかない。混じりものが混じる。 

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玉葱が好き

2015年10月30日 19時43分00秒 | Weblog

鯛の吸物に玉葱をたくさん入れてもらった。肉ジャガにもたくさん入れてもらった。どうしてこんなに好きなのだろう。相性がいいからかもしれない。うまが合う。仲良しっていいよね。双方とろりとなる。

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雨はとうとう降らず

2015年10月30日 18時08分32秒 | Weblog

夜になった。とうとう雨は降らなかった。空が暗黒を曳いて、降るぞと見せておいて降らなかった。ちょっと騙しくさい。こういうこともあるんだ。まあいい。その分、外の農作業ができたし、如雨露で水かけもすませた。

金盞花の花苗2株(80円x2)を買ってきて庭に植えた。濃い黄色の花があざやかだ。香りも悪くない。仏壇に供えるのにも適している。

 

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覗き見

2015年10月30日 13時32分06秒 | Weblog

なかなか雨は降らない。早朝のまんまだ。細身の花虻はあいかわらず訪ねてきて舞を舞ってくれる。(窓辺には花はないのに)虻というよりか蜂だ。でも小さい。無心さがかわいい。さぶろうの手の、親指の長さもない。重さはススキの一穂にも及ぶまい。人間を見ているのが好きなのだろうか。さぶろうは老いて醜をさらしているだけだと来ているから、理屈が付かないが、さっきからは近くに来てガラス窓からこちらを覗き見ている。もっとも、さぶろうはこれで寂しさがまぎれているのだが。

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安心(あんじん)

2015年10月30日 13時05分37秒 | Weblog

「安心」を「あんじん」と読む。これが仏さまから拝領した安心である。わが作る安心(あんしん)はすぐに雨風がしただけで崩落してしまふ。身心に苦痛が伴うとすぐに破けてしまふ。破けてしまわないためにはどうすればいいか。仏さまの安心(あんじん)を拝領するしかない。「いや、おれは剛の者、強力(ごうりき)だから、仏の手は借りぬ」という人もいるだろう。出来合の料理よりは自分で工夫して拵える料理がうまいということもある。さぶろうのようにすぐに白旗を揚げて降参するのも困った者だろうが、しようがない。さぶろうはへなへな者なのだ。根っからだらしがないのだ。剛胆を威張ることなどはできない。しかし、拝領した安心は借り物の安心だから、大事にして尊重できないという向きもあるかもしれない。尊重できるようになるまでは苦痛を舐めておかねばならないのかもしれない。そうなると、安心(あんじん)を目標とした安心(あんしん)ということで、捨て鉢にならないですむのかもしれない。

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下天の内を比べる

2015年10月30日 11時25分07秒 | Weblog

「人間五十年、下天の内をくらぶれば夢まぼろしのごとくなり」      幸若舞「敦盛」の段より

人間界をたとい50年生きたとしても下天の四王天の天人の一日にしかならないほどで、一夜の夢を見ているようなものだ。まぼろしを夢にして生きているようなものだ。

われわれは生死の流転輪廻をしている。業縁の催しに突き動かされて、三界六道を経巡っている。三界は欲界・色界・無色界。六道は、天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界。みな迷いの冥界である。この輪廻の鎖を断ち切ることを解脱(げだつ)としている。ここでやっと迷界を離れて仏界に入る。迷界は欲望界。欲望の引力は強いので、仏界に入るのをためらう者が多い。

辞書を調べるとこうある。

欲天:三界の一。色欲・食欲の2欲の強い有情の住する境界。上は六欲天から下は八大地獄まである。人間はこの中間の住人である。

六欲天:三界の内の欲界の六天。四王天・刀利天・夜摩天・兜率(とそつ)天・化楽(けらく)天・他化自在天。

四王天:下天。下層の天。ここの一昼夜は人間界の五十年に当たる。

刀利天:三十三天。須弥山の頂上にある。中央に帝釈天の住む大きな城があり、その四方の嶺に各8天がある。合わせて三十三天。

耶麻天:五欲の楽を受ける天界。寿命は2000歳。人間界の200年がここの1日に当たる。

兜率天:知足天。内外二院がある。仏と成るべき菩薩が最後の生を過ごしている。現在は弥勒菩薩が住んでいる。外院は天人の住所。

化楽天:ここに生まれた者は自ら楽しい境遇を作り楽しむ。8千億歳の寿命を保つ。楽変化天。化自楽天。化自在天。

他化自在天:欲界の最高所。この天に生まれた者は他人が楽しいことを自由自在に自己の楽しみとして受容することができる。

色界:欲界の上に位置している。欲望を離れているがなお物質的存在(色)のままである。四禅天に分かれ、さらに十七点に分かれる。色界天。

無色界:一切の色法(肉体・物質)の束縛を離脱している世界。受・想・行・識の四蘊で構成される。無色天。

わあ、天界も広いなあ。人間界を終えた者の何パーセントがここに行けるのだろう? 大概は修羅界、地獄界、餓鬼界、畜生界に行くのだろうなあ。それでも、天界以外に住む人の寿命は短いから、受ける苦痛の時間も短くてすむのかもしれない。天界もしかしなお迷界の一。真如を覚った仏界はこの六道をことごとく超脱しなければならない。

うん、こりゃ、わが自力の及ぶところではないようだ。仏さまのお慈悲、お助けを仰がねば、とうてい仏界に往生成仏することはできぬ。

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これはマユハケオモトだったのか

2015年10月30日 11時09分18秒 | Weblog

み輿(腰)が上がらず。尻が餅を搗いていて、行動に移れない。雨はまだ降っていない。伽羅柿を買いに行きたいところだが、まだ家に閉じこもっている。

釣り好きな友人が大きな鯛をぶら下げてやって来た。でかい。魚屋さんで買えば数千円はするだろう。これはしかも天然鯛。玄界灘の沖の壱岐対馬あたりまで船をチャーターして釣ってきたものらしい。いささか、心苦しい。

これはマユハケオモトだったのか。人様のブログに写真が載せてあった。なるほど眉を刷く筆に似ている。我が家にもこれがある。数年前に近所の方に頂いた。白い花が咲いたので、風呂場の窓枠の飾り棚に飾っている。名前は聞いていたが覚えていなかった。花弁に当たるものがない。雌蘂と雄蘂だけでふんわりした筆の先をなしている。

花虻が窓辺に来て遊んでいる。数匹。高く低く舞っている。小さな蜂と言ってもいい。絵本に出て来る可愛らしい妖精である。これが来ているだけで、ここが妖精の国に変貌してしまう。

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いまは闇を抜けているところだ

2015年10月30日 10時00分54秒 | Weblog

闇が深いだけ光が明るく見えて来る。そうであるなら、深い闇を厭うことはないのではないか。恐がらなくともいいのではないか。

死を前にして苦しんでいる人間がいる。きつい、痛い、苦しい、だるいと訴えている。なかなか目を開けない。暗いから、カーテンを開けてくれと手で合図する。

彼は光に遇うために闇を抜けているところだ。明るい明るい光に遇うためなのだ。いまは闇を抜けているところなのだ。

闇を通らなくて光だけにいるという具合にしていられたらそれでいいか。他の人間にならそれができても、このさぶろうにはそれは不可能だ。

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