<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

ふうらりふらり いつもふうらりふらり

2015年09月09日 19時19分59秒 | Weblog

明日は鹿児島に行って来ようか。ふうらりふらり。鹿児島でなくともいいのだが。内之浦のロケット反射場を見てこようか。ここには国民宿舎もあるようだ。さぶろうは、ふうらりふらりが好き。予約は取らない。断られたらそれまで。縁がなかったということになる。さぶろうはいつもふうらりふらり。

さみしい。とにかくさみしい。じゃ、どうしていたら、さみしくなんかないようになるのか。知らない。さみしいときにはさみしさに身をゆだねておく。無能力者にはこれしかない。さみしい。我が身の置き所がない。行乞の種田山頭火の句集を読んでみる。しばらくこの潮騒で遊ぶが、これでどうにかなるわけではない。どうにもならない。

どうにもならないことなんて、しかし、ざらにあるものだ。驚くことじゃない。慌てふためくことじゃない。鹿児島に行って見なくともいい。知らない海へ行けばいい。海の白い砂浜の砂でいい。それを手にとってみればいい。さみしさは女のようだ。触れていればいい。触れる肌がないのなら、どうするのだ。砂を女の人にして触れていればいい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

煩悩の火は避けられない

2015年09月09日 18時12分27秒 | Weblog

笠も漏りだしたか    種田山頭火

雨を避けるために頭に笠を被って歩いているのだが、雨は笠の破れから漏れてきて頭皮を濡らしだした。それが額から頬へ垂れてくる、耳から首へ垂れてくる。降って来る冷たい秋雨がこうして歩いた汗の熱を冷ましてしまった。

山頭火は煩悩の火を避けるために僧になった。雲水僧になって行乞の旅に出た。しかし、形は僧の身だが、それでもやはりしたたかに漏れ出してくるものがあるのだ。こころは荒(あば)ら屋の廃屋に住んでいるようなものだ。そこで、そういう男が身につけている「笠も」と表現したのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しさの梯子をしている

2015年09月09日 17時49分47秒 | Weblog

よい湯からよい月へ出た     種田山頭火

山頭火は放浪の自由律俳人である。575の韻律語数の一般的規則も守れないで、ここでも67止まりだ。よほど自由が好きと見える。彼は九州のあちこちの温泉を訪ね歩いている。何処にも此処にも句碑が立っている。彼は酒も湯も好きだ。酒の後先で湯に浸かる。湯を出て飯を食って酒を飲んで、またふらりと湯に入っていると遅い月が出た。湯も楽しいが月見も楽しい。楽しい湯から楽しい月へ出て贅沢な男だ、山頭火という男。やつは今宵楽しさの梯子をしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しずけさが石垣の高さを越した

2015年09月09日 17時33分07秒 | Weblog

雪へ雪降るしずけさにをる     種田山頭火

大雪の夜になった。ずんずん降り積もっている。野原や家の屋根や畑や街路に降る雪だが、もうそのどれもがなくなってしまって、雪の上に雪が降って来るしかない。雨なら雨音がするが、雪にはこれがない。ただしんしんと降って積もっていく。しずけさも雪のように降り積もってもう棚田の石垣を越すようになってしまった。ここに留まるしかない。しかたがない。行乞の山頭火は古びた木賃宿を探して泊まることにした。相部屋だったが、ここにも静けさが居座っていた。

この句の観賞は史実に基づいているわけではありません。あくまでさぶろうの想像です。こういうふうに背景を設定すると、そこでやっとさぶろうにもこの句が立ち上がって来ます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あまりにも鮮やかだったので

2015年09月09日 17時13分53秒 | Weblog

霧雨、小糠雨よりかちょっとだけ粒が大きそうだ。でも、空はよほど暗い。5時で早くも一日が店じまいにかかった。おいら(70歳の高齢者がこの呼称を用いてもいいのだろうか。どうかなあ)は、途中でサイクリングから戻って来た。やや雨量が増えた。ハンドルに取り付けた計器が雨に濡れると機能停止になってしまう。これを恐れた。

台風17号の影響は、当地ではなかったようだ。わずかの風も吹いていない。18号は17号よりももっと東だから、論外だ。明日はからりと晴れることを期待しよう。昼間出掛けて行った先で水菜の苗を6鉢買って来た。真っ赤な撫子の苗も6鉢。あまりにも鮮やかだったのでつい手が出てしまった。これをできるだけ早く植え付けることにしよう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山頭火の句を読む

2015年09月09日 09時41分13秒 | Weblog

秋風の石を拾ふ      種田山頭火

57しかない。短い句だ。石が吹いてくる秋の風にぶつかってひゅうひゅうと音を立てている。それが泣いているように聞こえたのだ、行乞の人には。雲水には。彼はいっときそこにしゃがんでいたが、やおら立ち上がった。拾った石を懐に入れて。石なんかはそこら中にどれだけでも転がっている。悲しみの音を立てているのは、しかも、石だけではないのだ。見渡す限りの風景の全部が全部秋を迎えて憔悴して凋落したのだ。就中、彼自らがもっとも強く激しくこれに反応しているのだ。その彼を拾ったのはこの句だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐にしまってあたためたい

2015年09月09日 09時28分03秒 | Weblog

雪空の最後の一つをもぐ    種田山頭火

もいだのは渋柿であったが、彼は凍てつく雪空をもぎとったと思いたかった。凩が吹いて来たまではよかったが、それからまもなくして今度は雪が舞い初めて空が暗くなった。農家の人は高いところにある渋柿の一つは鳥の供養のために残しておく。それが熟して赤い。人の手の届く場所ではない。彼にはもげない。雪空ごとよいしょと引き寄せて来るしかないのだ。もいでどうするのだ? それを一人の懐にしまってあたためたいのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いただいて足りて

2015年09月09日 09時12分21秒 | Weblog

いただいて足りて一人の箸を置く     種田山頭火

昭和6年の作。彼は行乞の旅にいる。乞食(こつじき)者は人からいただくしかない。人からいただくというが、その人も天地からいただいたもので、それを分けてもらうのだから、元を質せば天地からいただいたものだ。仏からいただいたものだ。彼はそこに到達して、静かになって足りた。足りるということを覚えた。ひっそりと一人の箸を置いたものの、そこでいきなり泣きたくなった。これはいただいたことへの感謝の嬉し涙などではなかった。一人でいることの寂しさに耐えかねた涙であって、腹の底に溜まっている煩悩のマグマがまたもや激しく湧き出たためであった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いきなり寒い

2015年09月09日 09時04分08秒 | Weblog

ただいまの気温は23・7C。湿度73%。いきなり寒い。寒い外気が網戸を通って入ってくるので、さぶろうは慌てて長袖のシャツを着込み、長ズボンを履いた。何かであたたまらねばならない。何にあたたまればいいか。さぶろうはそれも分からなかった。火を焚くか。火が炊けないのなら、こころに灯をともすか。ともすとしたら随分大きな灯でなければならなかったが、そんなものがおいそれと近くに見つかるものでもなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

待つものがない

2015年09月09日 08時51分49秒 | Weblog

月が昇って何を待つまでもなく    種田山頭火

山頭火はひとりでいる。にぎやかなのも好きは好きなのだが、長くはもたない。じきに一人に帰ってくる。庵に籠もる。そして月が空に昇って来るのを待っている。ほかに待つものがないからだ。この先に待つものがないことがこんなに人を淋しがらせるものか。彼は其れをひしひしと我が身に染みこませる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする