<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

寂寞

2015年05月19日 14時11分20秒 | Weblog

外に出ましたが、そりゃそりゃ暑くって、汗がだらだらだら。ギブアップして戻って来ました。ふううっ、たまらない! 老人には過酷すぎました。夕方、幾らか日が翳って来たら、また出ることにします。木陰を舞う揚羽蝶ばかりはすいすいして涼しそうです。

読者の皆様はいかがお過ごしですか。お顔を見る機会はありませんが。

そろそろ五月も下旬になってきました。梅雨にはまだちょっと合間があります。元気をばりばり貯め込んで、あれこれいろんな領域でご活躍をなさっておいででしょうね。お若い方なら、今日くらいの、これくらいの日差しなんかには引き下がってこられないでしょう。そっかあ、畑になんか出ることもないですよね。そうでしたそうでした。

僕はもうバッハにもモーツアルトにも倦み果てた/あの幸福な、お調子者のジャズにも倦み果てた/僕は雨上がりの曇った空の下の鉄橋のように生きてゐる/僕に押し寄せてゐるものは、何時でもそれは寂寞だ        中原中也詩集「いのちの声」より

そうか、そんなに何時でも寂寞に押し寄せられて暮らしていたのか。でもそうしていながら、彼は、バッハやモーツアルトや現代のジャズにもすっかり飽きが来てしまったというのに、雨上がりの曇った空の下を流れている大きな河のように、大河に渡してある鉄橋のように、力強く生きていた、というのだ。そしてそのお陰でこの詩が書けたのだ。寂寞が彼に充実した仕事をさせていたのだ。その充実した仕事も30年間で切り上げることになった。彼はしかし、その30年間を短いとはしていなかったかのもしれないけれど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

極楽蜻蛉(ごくらくとんぼ)

2015年05月19日 11時49分19秒 | Weblog

極楽蜻蛉(ぐくらくとんぼ)とは浮ついたのんき者を罵って使う言葉だそうです。どうしてだろうかなあ。

この蜻蛉は極楽を飛んでいるのかなあ。極楽ではないのに極楽に着いたくらいに思ってふわふわ飛んでいる蜻蛉のことかなあ。

そんな人は暢気(のんき)者なのかもしれないけど、それができたらそれでもいいんじゃないのかな。

浮ついていると罵られるのかな。浮つくというのは浮き浮きしていることとはちょっと違うようだが、浮き上がっているくらいの軽さには憧れる。

極楽蜻蛉の欠点は、引き締まっていないこと。こころここに非ずだから、人の声が聞こえてこない。大事を聞き漏らしてしまう。仏法が身に滲みて受け取れない。

そうするとそこで学び取ることがない。すると向上や進歩がない。同じ處を毎回うろついてしまうことになる。それで揶揄されるのかなあ。

そうだもんね。ほんとうに極楽に着いたらふらふらなんしていられないものな。活動が開始されるからね。

でもそこにも蜻蛉が飛んでいてよさそうにも思える。長閑にして遊んでいる蜻蛉もいなくちゃ息が切れてしまう。極楽での活動のことを「遊戯(ゆげ)」と称しているところからすると、そこには余裕も感じらて来る。

極楽蜻蛉もいいんじゃないのかなあ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肌は色白

2015年05月19日 11時40分29秒 | Weblog

農作業服に着替えます。昨日の雨のうちに洗ってもらいました。きれいさっぱりしています。上は普通のシャツです。半袖にしたいのですが、そうして夕方まで照らされていると日焼けがして痛みます。それから虫に刺されます。ネコジャラシなどの雑草に肌が負けてしまいます。さぶろうの肌は色白です。女の人にしてしまってもよさそうなくらいです。ふきつける殺虫剤の噴霧にもやられます。農作業服に着替えるとお百姓さんです。でも収穫物を売って金に換えたことはありません。市場に出せるほどに上手ではないのです。畑仕事は難しいのです。さぶろうには難しいのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肌触りがさらさらして

2015年05月19日 11時35分15秒 | Weblog

さあ、外へ出ます。腰痛はやわらいでいます。怠けて寝そべっているのも悪くはないのですが、もう理屈なんかつけられません。お天気がいいのです。さらさらしているのです。肌触りがいいのです。空の肌触りがさらさらしているのです。北の畑に隠元豆の白豆を蒔きます。一袋分を1つの畝に蒔き付けます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

間が抜けている

2015年05月19日 11時26分33秒 | Weblog

空がいいなあ。空の色がいいなあ。青く澄み渡って、うっすらして、間が抜けるようにしているところがいいなあ。

空はさぶろうを見てもそんなことは言うまい。さぶろうがいいなあ、いいなあなんて言っていられるさぶろうはいいなあ、なんてことは言うまい。

じゃ、ひとりで言って、ひとりでいい気持ちになっているとするか。間が抜けるところは真似ができるような気もするよ。

空がいいなあ。空の色がいいなあ。

でもさぶろうもいいなあ。空の色を見るくらいでいい気持ちになっていられるさぶろうも、やっぱりいいなあ。

ふたりの間と間が抜け落ちているからかなあ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

互い互いにそうであった

2015年05月19日 08時07分55秒 | Weblog

お天気が回復しました。昨日は一日中ほぼずっと降り続いていました。これで土がしっとり潤いました。そして今日の快晴です。植物たちが元気になって活動を開始します。

空き地にヤマスミレが咲いています。小さな花です。見落さないですみました。行き過ぎようとして戻って来ました。昨日ずっと降り続いた雨を吸って溌剌としています。朝日を浴びて奮い立っています。微風が吹いてきて気持ちよさそうです。

「互い互いに」

ヤマスミレが咲くために/地球がぐるぐると回りました/たったヤマスミレが今日花咲くために/空が総力を挙げて雨を降らせました/そこに明るい光をあふれさせました/五月のヤマにヤマスミレが咲くために/山々を新緑に染め上げて/そこからやさしい微風を吹かせました/

ところがです/実のところでは/空が空であるために/山が山であるために/ヤマスミレが咲いていたのでした/光を光とするために/風を風とするために/ヤマスミレが咲いていたのでした/みな/互い互いにそうであったのです/互い互いだから/誰もそれを手柄などにはしませんでした/

地球を愉快にぐるぐる回らせたのは/みんなの愉快のせい/みんなの愉快の力のせいでした/山々が新緑を着て/明るく嬉しくできたのは/みんなの明るさが原因になっていましたし/みんなの明るさの原因は/山々の新緑でもありました/みな/互い互いにそうであったのです/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする