
1999年9月日本文化情報センターが開設され、私は所有文献数を増やすために本を寄贈してくれる人を探したり、チロ基金の予算で書籍を購入したりしていました。
宮沢賢治の本は、寄贈者様の中に私と同じく熱烈賢治ファンの人が1人いて、たくさんの本(文庫が多いですが)を寄贈してくれました。
(それを改めて読んでまたうっとり。)
宮沢賢治の人生を子ども向けに書いた本もありました。
新美南吉の本は・・・表紙が取れて茶色に日焼けしたかなり古い角川文庫1冊(牛をつないだ椿の木)をロシア人の知人の知人が寄贈してくれました。
さらに賢治ファンの方からの寄贈本の中にもフォア文庫の「おじいさんのランプ」(岩崎書店)が1冊まじっていました。
この2冊だけでした・・・。
しかし日本文化情報センターで仕事を始めると、職業柄、所蔵文献について把握しておかないといけないので、片端から文献を読むことにしました。
特に児童文学は優先しないといけない分野だったので、全て先に読むことにしました。
そこでやっと人生で初めて南吉童話をちゃんと読むことになったのです。
まず角川文庫の「張紅倫」・・・「ごんぎつね」と「てぶくろを買いに」しか読んだことのなかった私には
「へえ、新美南吉ってこんな話も書いていたんだ。」
と驚きの連続でした。
角川文庫の「おじいさんのランプ」は巽聖歌があとがきを書いていて、収録作品も巽聖歌チョイスなのですが、有名な作品のほか脚本の「病む子の祭」なども入っていて、バラエティーに富んでいる。そのわりに入門者向けというお勧めの本です。
フォア文庫のほうも読んで、すっかり感動しました。
日本文化情報センターには他にも「小川未明童話集」とか「浜田広介童話集」などもあるのですが、(意外にも小川未明を読んでもうっとりできず)読み比べてみても、あまり心が動かなかったです。
今年がもし例えば小川未明生誕100年だったとしても、日本文化情報センターでこんなに力を入れて特別展やろう、とか翻訳しようとか思わなかったと思います。
これはやはり新美南吉だからこそ、訳してベラルーシの人にも紹介したいと思うわけですよ。
作品にもよりますが、南吉童話の世界は、人種に関係なく、通じる部分がとても大きいと感じています。
・・・で、角川文庫のほうですが、後ろのほうに新美南吉の写真が載っています。
それが、この大学生時代の写真ですよ。
中学生のときに初めて見た写真しか新美南吉の顔を見たことがなかった私は
「あ、あれ? 眼鏡なんかかけていたっけ?」
とびっくりしました。
こっちの写真のほうが目鼻立ちももう少しはっきり写っている写真だったので、ようやく
「こういう顔していた人だったのか・・・。」
と思いました。
「きりっとした感じの顔だなあ。やっぱり頭よさそう。」
というのがそのときの感想です。
ついでに言うと
「この髪の毛、絶対ポマード塗りたくってるよねえ。こういうのが当時ははやってたのかなあ。」
とも思いました。
こういうわけで1999年からずっと私の頭の中では、新美南吉は眼鏡かけてて髪の毛七三分けにしてポマード塗っている人、というイメージが形作られてしまったのです。
宮沢賢治の本は、寄贈者様の中に私と同じく熱烈賢治ファンの人が1人いて、たくさんの本(文庫が多いですが)を寄贈してくれました。
(それを改めて読んでまたうっとり。)
宮沢賢治の人生を子ども向けに書いた本もありました。
新美南吉の本は・・・表紙が取れて茶色に日焼けしたかなり古い角川文庫1冊(牛をつないだ椿の木)をロシア人の知人の知人が寄贈してくれました。
さらに賢治ファンの方からの寄贈本の中にもフォア文庫の「おじいさんのランプ」(岩崎書店)が1冊まじっていました。
この2冊だけでした・・・。
しかし日本文化情報センターで仕事を始めると、職業柄、所蔵文献について把握しておかないといけないので、片端から文献を読むことにしました。
特に児童文学は優先しないといけない分野だったので、全て先に読むことにしました。
そこでやっと人生で初めて南吉童話をちゃんと読むことになったのです。
まず角川文庫の「張紅倫」・・・「ごんぎつね」と「てぶくろを買いに」しか読んだことのなかった私には
「へえ、新美南吉ってこんな話も書いていたんだ。」
と驚きの連続でした。
角川文庫の「おじいさんのランプ」は巽聖歌があとがきを書いていて、収録作品も巽聖歌チョイスなのですが、有名な作品のほか脚本の「病む子の祭」なども入っていて、バラエティーに富んでいる。そのわりに入門者向けというお勧めの本です。
フォア文庫のほうも読んで、すっかり感動しました。
日本文化情報センターには他にも「小川未明童話集」とか「浜田広介童話集」などもあるのですが、(意外にも小川未明を読んでもうっとりできず)読み比べてみても、あまり心が動かなかったです。
今年がもし例えば小川未明生誕100年だったとしても、日本文化情報センターでこんなに力を入れて特別展やろう、とか翻訳しようとか思わなかったと思います。
これはやはり新美南吉だからこそ、訳してベラルーシの人にも紹介したいと思うわけですよ。
作品にもよりますが、南吉童話の世界は、人種に関係なく、通じる部分がとても大きいと感じています。
・・・で、角川文庫のほうですが、後ろのほうに新美南吉の写真が載っています。
それが、この大学生時代の写真ですよ。
中学生のときに初めて見た写真しか新美南吉の顔を見たことがなかった私は
「あ、あれ? 眼鏡なんかかけていたっけ?」
とびっくりしました。
こっちの写真のほうが目鼻立ちももう少しはっきり写っている写真だったので、ようやく
「こういう顔していた人だったのか・・・。」
と思いました。
「きりっとした感じの顔だなあ。やっぱり頭よさそう。」
というのがそのときの感想です。
ついでに言うと
「この髪の毛、絶対ポマード塗りたくってるよねえ。こういうのが当時ははやってたのかなあ。」
とも思いました。
こういうわけで1999年からずっと私の頭の中では、新美南吉は眼鏡かけてて髪の毛七三分けにしてポマード塗っている人、というイメージが形作られてしまったのです。