一昨日の東京新聞社説「拾った『らっぱ』の使い道」で新美南吉文学と戦争との関わりについて書かれています。
ネット上で読めますので、ぜひ御覧ください。リンク先はこちらです。
今から110年前に生まれ、第二次世界大戦中に亡くなった作家で、学校の教師もしていたわけですから、戦争については言いたいこと、表現したいことが数多くあったと思います。
新美南吉の日記などには、教育現場にも戦時色が濃くなってくると、戦争反対の教師は立場が悪くなってきたり、心の中で反発しつつも、反戦の姿勢を表すために着なかった国民服をとうとう着ざるをえなくなってきたり、仕方なく、お国のために・・・と言った言葉を生徒にかけたりしたことが書かれていて、心の中が非常に揺れていることが感じられます。
新美南吉は学校で英語の授業も担当していたので、戦中、英語の授業がなくなってしまったことにも大いに不満を感じていたでしょう。
そばで戦争が起こり、今、同じような気持ちになっています。でも、ベラルーシはよっぽどましな情勢なので、何とか自分ができることは続けていこうと思っています。
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今から110年前に生まれ、第二次世界大戦中に亡くなった作家で、学校の教師もしていたわけですから、戦争については言いたいこと、表現したいことが数多くあったと思います。
新美南吉の日記などには、教育現場にも戦時色が濃くなってくると、戦争反対の教師は立場が悪くなってきたり、心の中で反発しつつも、反戦の姿勢を表すために着なかった国民服をとうとう着ざるをえなくなってきたり、仕方なく、お国のために・・・と言った言葉を生徒にかけたりしたことが書かれていて、心の中が非常に揺れていることが感じられます。
新美南吉は学校で英語の授業も担当していたので、戦中、英語の授業がなくなってしまったことにも大いに不満を感じていたでしょう。
そばで戦争が起こり、今、同じような気持ちになっています。でも、ベラルーシはよっぽどましな情勢なので、何とか自分ができることは続けていこうと思っています。