比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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満蒙開拓とはなんだったのか・・・満蒙開拓・残留孤児・・・その軌跡を追う旅のはじまり

2006-08-27 | 語るべき責任 満蒙開拓とは何だったのか
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8月27日突然思いました。井出孫六「終わりなき旅」(岩波書店)のある一節です。

(前略)・・・・・・わたしは最近、「残留孤児」を支援するある一つのボランティアの集まりで、敗戦の年の八月二十七日に牡丹江から列車で一路南下し、一隻のチャーター船に幸運にも乗りあわせて帰国したという二人の夫人に会った。彼女らはともに満州国警察官の夫人で、夫の命ずるままに、「東満」の奥地からいち早く脱出する機会にめぐまれたのだが、彼女らの乗りあわせたチャーター船の乗客は、あの細菌戦の石井部隊の関係者ばかりであったという。・・・・・・(後略)

(前略)・・・・・・そのころ長野県農業会窪丹崗報国農場に十代の若ものたちを主体にした報仕隊二百数十名が送り出されているが、報仕隊につきそっていた北沢小太郎さんの証言によれば、任務を果たして五月(1945)帰国した関釜連絡船で乗りあわせた客の大半が高級軍人関係の家族たちだった・・・・・・(後略)

なんともやりきれない、くやしい話です。でも戦争とかそれを実行する組織とかはそんなものかもしれません。
でも「お国のために」と言って死んでいった人たちはナンダったのでしょうか。

夏のある日、千曲市上山田の城山公園に行きました。写真は上から眺める千曲川の沖積平野です。いい風景です。この山の上に満蒙開拓埴科郷殉難慰霊塔があります。

実はこの慰霊塔、いつかいまは亡き義母とお参りしたことがあります。上山田新山という地籍出身の義母の弟さん(妻の叔父)二人の名前がこの碑に刻まれているのです。
詳しいいきさつなど帰ってからネットで検索しょうと思ってましたが、千曲市のホームページにも載っていません。公園の名前も史跡公園になっており入園は有料になっています。慰霊碑の案内もありません。まさか慰霊碑にお参りするのが有料だなんて。詳しいことを知ってる人はコメントで教えてください。

満蒙のこと、明日も続きます。

※コメント欄オープン。


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